ミドルスクールに入ってしばらく経った頃。ユニーク魔法を完成させ、見た目も痩せてかなり変わり、ジェイドとフロイドと少しずつ仲良くなって一緒にいることが増えたあたりだった。
 放課後、まだクラスのみんながいる中で、アズールは一人の女子生徒に声をかけられた。
「わたし、前からアズールくんのこと、格好いいなって思ってたの」
 そう言ったのはクラスで一番――いや、スクール内でもトップクラスだろう容姿の持ち主。エレメンタリースクールの頃から、可愛いと人気だった。ミドルスクールに入ってからはだんだんと大人びて、美しさを増していた。
 そんな相手がアズールに声をかけたものだから、クラス内はにわかにざわついた。
 アズールはぱちりと目を瞬かせる。
「だから、ね。わたしと付き合わない?」
「えっ……」
 彼女は戸惑うアズールの腕に、ぎゅっと抱きついてきた。腕に伝わる柔らかな感触。アズールは俯いた。
 突き刺さる好奇と羨望の眼差し。
 ――あぁ、ついに。
 アズールは嗤った。ついに、この時がきた。
 彼女に認められた。……クラスで一番泳ぎの速い人魚、成績がトップの人魚、背が高くて顔立ちの整った人魚。そう、誰よりも優秀な人魚を誘い、恋人に収まっていくこの彼女が。
 僕を優秀だと認めたんだ。この中の、誰よりも!
 数日前からそんな気はしていた。やたら視線が合うことが増えた。目が合えば微笑まれたから、曖昧にこちらも笑みを返していた。
 そして今日のこれだ。
「ねぇ、アズールくん」
 彼女は甘えるようにしなだれかかってくる。あぁ確かに、間近で見ても綺麗な顔をしていると思う。化粧もなにもなくこの美貌だ、成長すれば更に美しくなるのだろう。それからこの腕に触れる柔らかな感触。
 誰とも付き合ったことのないような、いじめられて引きこもっていた僕なんて、簡単に落とせると思っているのが透けてみえる。
 アズールは彼女の顔をまっすぐに見て、にこ、と微笑み返してみせた。そして。
「お断りします。……誰があなたなんかと」
 嘲るように吐き捨ててやれば、彼女の目が大きく見開かれた。
「酷いっ!」
 そのまま彼女は泣き出して、走り去った。彼女の気を引きたい人魚どもが、わらわらと後についていく。
 くだらない。くだらない。僕が忘れたとでも思っているのか。
 僕をいじめてた奴らと一緒になって、僕を嘲り笑っていたことを。
 墨で汚い、気持ち悪いと散々罵っていたことを、知らないとでも思っているのか。冗談じゃない。僕は忘れない。
 クスクス、と笑い声が聞こえる。ジェイドとフロイドが、この成り行きを笑っていた。

「また、懐かしい夢を……」
 既に見慣れた寮の部屋の天井。ぼやけた視界のまま、アズールは深くため息を吐いた。昔の夢。ミドルスクール時代の出来事。けれど、現実とは少し違う。
 あのとき自分が返した言葉は『あなたに興味ないので』だったし、彼女は酷く激昂して、顔をひっぱたかれた。その後は、それはもう酷い形相でつかみかかってきて罵倒の限りを尽くしてくれたし、周りの生徒が何人か、慌てて引き剥がして仲裁に入った。そしてジェイドとフロイドには散々からかわれた。夢のように泣いて逃げるくらいの可愛げがあれば、また違っていたのかもしれないが。
 別に彼女が嫌いだったわけではない。自分がターゲットにされているのだと気付いた時に、考えもしたのだ。恋人になって利用してやろうか、と。彼女は大いに利用価値があった。純粋に、見目が綺麗だとは思ったし、幼いうちから自分の美貌を武器として上手く使いこなし立場を築いていた。雄に好かれて雌に嫌われる典型的なタイプだったが、その手腕はむしろ好感がもてるほどだった。彼女絡みで契約をしたがる者も多かった。
 いじめられたことを根に持っていても、それ以上に利用価値はあっただろう。
 ただ抱きつかれた時に、これ以上触れられたくないな、と感じてしまったのだ。利用するよりも関わりたくない方が勝ってしまった。でもそれでよかったと思っている。
 なお、彼女は数日後、また違う人魚と腕を組んで歩いていたので、そんなものなのだろう。


   *****


 開店前のモストロ・ラウンジ。アルバイトの寮生たちはまだあまり来ていない。
「小エビちゃんてば、またアズールのこと見てるの~?」
「ひゃぁ!」
 フロイドの言葉に、監督生は妙な悲鳴をあげて、拭いていたグラスを落としかけた。なんとか落とす前にキャッチしていたが、見ている方が冷や冷やする。
「なんです、僕が何か?」
 訊ねてみると、監督生はしばし視線をさまよわせていた。
「……その、大したことじゃないんですけど」
 監督生はアズールをじっと見上げて告げた。
「アズール先輩って、なんか物語に出てくる王子様みたいで格好いいなぁって」
 双子の視線が、監督生からアズールへと移る。そして数秒の沈黙ののち。
「アズールが王子様ぁー? アハハっ、小エビちゃん面白いこと言うね~」
「いえ、監督生さんも、……フフ、案外ロマンチストなんだなと……ッククク……いや失礼」
 笑うならいっそ笑え。ニヤニヤしながら嫌味を言うな。と喉元まで出掛かった言葉は行儀悪く舌打ちに変えられた。
「まあ、アズールは容姿は整っていますからねぇ。黙って微笑んでいれば見た目だけならそう見えなくもないのかもしれませんが」
 そして一呼吸置いて、
『中身が』
 と双子の声が重なる。
「お前たち」
 アズールの声が不機嫌に強まった。
「あ、それは分かるんですけど」
「あなたまで」
 監督生にまで追い打ちをかけられ、アズールは演技がかった大仰な仕草で肩をすくめてみせる。
「良いでしょう、そこまで言うなら見せてやります」
 そうしてアズールは監督生の側まで歩み寄った。そして彼女の手からグラスを奪ってカウンターに置くと、空いた手を取り目の前に跪く。
「……その麗しい手に触れる栄誉を、姫君」
 恭しく告げて、手の甲にそっと唇をよせた。それから監督生を見上げ、柔らかく微笑んでみせた。
 この立ち居振る舞いは完璧だろう、そう自負する。
 監督生の顔が瞬時に真っ赤に染まり、それからなぜか青くなった。
「い、いくら……とるんですか……」
「失礼ですね!?」
「だってアズール先輩がタダでこんなサービスするわけないじゃないですかー!」
「日頃の行いですよ、アズール」
 ジェイドはまた肩を震わせて笑っている。あとで覚えていろ。そう内心で告げながら、監督生に向き直った。
「はぁ、さっき褒めて頂いたので、それが対価でいいですよ」
 半ば投げやりに言い捨てる。なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
「……」
 不意に、過去の夢と数分前の現実が重なる。格好いい、ね。
 ああでも、この人は。昔の僕を見たときでさえ、決して馬鹿にしたりはしなかったんだ。
 あの時も今も、言葉の奥に悪意も打算も感じられなかった。王子様みたい、と言われるのは予想外だったけれど。
「あなたに褒められるのは、嫌ではなかったので」
 それどころか、むしろ嬉しかった。
「あっ、顔の話だけじゃないですよ!」
 監督生が、慌てたように弁解してくる。
「背筋を伸ばして堂々と胸を張っている姿とか、ちょっとした仕草が綺麗なところとか。それに」
 まっすぐな眼差し。屈託のない笑顔。
「先輩は、環境を変える為に、目標に向かって努力してきた人じゃないですか。じゅうぶん、素敵な人ですよ」
「……ですから、努力だなんて勝手に美談にしないでください。執念深いだけですから。王子様にはほど遠いでしょう?」
 アズールは、やれやれと肩をすくめた。それから監督生に背を向けて歩き出す。
「さあ、そろそろ開店準備を進めますよ」
 そう告げて、自分はフロアの奥のVIPルームの方まで移動した。扉を閉めて、そのままずるずるともたれ掛かる。
「……なんなんですか、まったく」
 あの人の笑顔はあまりに眩しかった。灼かれたように顔があつい。
「なんでそんなに、褒めるんですか」
 向けられる称賛は全部世辞だと思っていた。近づき利用する為の打算、計算。
「なんで、……あんなにまっすぐ、僕を」
 誰が見ているわけでもないのに手で顔を覆い隠す。心臓がうるさい。
 自分は王族でもなんでもない、ただの一般人だ。タコの人魚が珍しいだけで、血筋は普通。容姿はまぁ、今はそれなりだろうか。清廉潔白とはかけ離れているし、何を思って王子様なんて言葉がでてきたのかは分からない。本当に見た目の印象だけで言ったのかもしれない。
 けれど、あなたが望むのならば、あなたにとってそう在れたらいい、なんて。
「どうかしている」
 無意識に、自らの唇に触れる。握った細い指が、触れた手の甲の感触が、今になって鮮明によみがえる。
 うずくまり、膝を抱えて一人ぼやく。あとでまた会うというのに、どんな顔をしたらいいんだ。

 きっと、王子は姫君に惹かれるものなのだろう。――少年のような格好をした姫君らしからぬ純真な少女と、王子のような容貌をした悪役に相応しい少年は、どんな物語を綴っていくのか。
 今はまだ、誰も知らない。

 2020/06/06公開

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