1   終わりの始まり

 酷い耳鳴り。真っ白に霞む視界。激しい痛み。喉の奥から漏れる悲鳴。
 得体の知れない何かが身体中を這い回るような、その何かに腹の内側から食い破られるような、強烈な違和感。
 足下がふらつく。まともに立っていることさえできない。今の自分を支配しているのは激しい苦痛、ただそれだけ。
 胃のあたりか、内臓が直接灼かれているみたいに熱い。ぐ、と熱いものが喉からせりあがる。
 あ、まずい。
 まだどこか冷静な部分が、そんな風に思う。けれど、思ったところでどうにもならなかった。
 重い咳と共に何かが自分の口から吐き出された。そのまま床にうずくまって、何度も何度も嘔吐いて、それでも痛みも苦しみも治まらない。
『世界は決して救われないし、世界を救おうとする奴は、もっと救われない』
 息苦しさに喘ぐ。ふと、以前に聞いた言葉が頭を過ぎった。
 ……自分は、どうなるんだろう。さっきまであんなに熱かったのに、今度は氷でも押し込まれたみたいに、急激に冷えていくようだった。
 身体が震える。腹の奥が冷たくて、痛くて、また激しく痙攣して何かを吐き出した。
 それはびちゃびちゃと汚らしい音を立てて床に広がっていく。……白く染まった視界では、目の前のそれが何かすら、よく見えない。
 普通なら、『何か』もなにもないはずなのに。
「おい! 大丈夫か!?」
 慌てたような声、それから誰かが近づいてくる気配。
 ふと、背中に大きな手のひらが触れた、気がした。
「お前……」
 驚愕と、苦悩の入り交じった声。以前にも、こんなことが、あった気がする。強い既視感。でも、返事をする余裕なんてなかった。荒い呼吸ばかり繰り返す。
「っ、……は……」
 ゆっくりと背中をさすられている、ような気がする。何度か咳き込んだけれど、それ以上吐き出されるものもなかった。
 少しずつ痛みが、呼吸が落ち着いて、視界の光が薄らいでいく。
「……アルバート」
 ようやく、声が出るくらいには回復した。
 名前を呼び、視線だけで振り返ると、彼は酷く心配そうな顔でこちらを見ていた。神出鬼没、という言葉が似合う登場の仕方をするけれど、今回はまた酷いタイミングで来てくれたものだ。なんて、批難する気はないけれど、どうにも複雑だ。
「はは……見苦しいとこ、見せちゃったね」
 冗談めかして告げてみるけれど、そんなことで誤魔化されてくれるはずもなかった。近くで見るとよく分かる端正な顔が、今は強ばり、険しくなっている。
「これ、いつから」
「片付けたらもう休むから。今日は……ごめん」
 問いかけを強引に遮って、ゆっくりと身体を起こした。身体は重いけれど、さっきよりいくらかマシだった。視界もクリアになっている。
「…………。わかった。ちゃんと、休めよ」
「うん。ありがとう」
 拒絶の意を汲み取ったのか、それとも、よほど自分が酷い顔をしていたのか。何か言いたげだったけれど、長い沈黙のあと、それでも彼は言葉を飲み込んで部屋を出て行った。
 実体のないアルバートは扉を開けて出て行ったわけではないけれど、姿が見えなくなったからきっとそうなのだろう。
 あぁでも、彼が来てくれてから少し落ち着いた。
 そういえば、さっき背中をさすってくれた気がしたけれど、気のせいだったのだろうか。部屋にはアルバートしかいなかったけれど、彼は幽霊みたいなもので、テーブルに置いてあるコップにも触れられなかったはずなのに。
 いや、今はそれよりも。
 床を見下ろし、深いため息を吐く。
 白いカララントでもぶちまけたような床の汚れ。その上に、さっき食べたものの名残みたいな吐瀉物が混ざっている。食欲も落ちているから嫌な予感はしていた。それでも仲間達に心配かけまいと、無理矢理詰め込んだ食事も、あまり消化されていない。
 なにより、こんなに光を吐き出したのは初めてだった。……最後の大罪喰いを倒した後もあったけれど、明らかに悪化している。今の自分の状態を、痛感させられた。大罪喰いの強大な光のエーテルに侵され、壊れかけている身体。
 自分は死ぬのだろうか。いや、冒険者になった時に、死ぬ時のことを考えなかったわけじゃない。旅をして、英雄と呼ばれるようになって、蛮神とも戦った。罠にはめられ、指名手配もされた。危険な目には何度もあってきた。
 まだ死にたくはなかったけれど、いつか旅の最中で暁の英雄として戦い、命を落とすかもしれない、とは漠然と思っていた。
 けれど。別の世界で、化け物に成り果てるかもしれない、なんてさすがに想定していなかった。
「はぁ、きっつ……」
 ――化け物、とエメトセルクの声が聞こえた気がして、嫌な思考を振り払うように首を振る。
「落ちるかなぁ、これ」
 アルバートには運悪く見られてしまったが、他の誰にも知られるわけにはいかない。自分で掃除をするしかないけれど、気が滅入る。
 不幸中の幸いか、部屋の中にあったもので片付けることはできた。白い光はいつの間にか薄れて消え去ったので、普通に掃除をするだけで後には何も残らなかったことには安堵した。
 後始末を終えて、ベッドへと転がる。
 胸の内に溜まった重い空気を追い出すように、また深いため息をついた。
 自分が壊れていくのを、はっきりと感じていた。

 それでも、『英雄』は進み続けた。
 世界のため、大事な人のため。
 そうして仲間と共に悪を打ち破り、世界に平和をもたらすのだ。
 英雄譚はいつだってそうだ。

 ――けれどこの世界には、そんな大団円は、訪れなかった。

   2   それを見届ける者は他になく

 空を覆う眩いほどの光も届かぬ、暗い暗い海の底の奥深く。高くそびえ立つ建築物に灯る明かりは、地上の光とは違えどもこの幻影都市を照らし続けている。
 その中の一つの建物を仰ぎ見る。かの英雄との決戦の地として選んだ場所は、既に不要となった終末の幻影は消え去り、元の何もない静かな建物に戻っている。
 この街に存在する人は、三名。ガレマール帝国の元皇帝、ソル・ゾス・ガルヴァスの若かりし頃の姿をしたアシエン・エメトセルク。彼が捕らえ連れてきた、今は水晶公と呼ばれる人物グ・ラハ・ティア。そして光の戦士……こちらの世界では闇の戦士と名乗っていたか。英雄と称された人物の三人だ。……いや、正確に言うならば、最早誰も『人』と呼べる存在ではないのだが。
 元々彼らの定義する『人』ではない古代人であるエメトセルクと、この英雄を救う為に人であることを捨てた青年。そして、皆の希望であったはずの英雄は。
 今はもう、微かに人の形をとどめるだけの、化け物となり果てている。
 決戦の日から既に十日は経っていた。
 英雄の罪喰い化は予想以上に進行が早く、未来も願いも嘲笑うかのように、その身から抵抗する力を奪っていった。光が溢れるぎりぎりのところでかろうじて抑えていたけれど、それももう時間の問題だった。仲間だと言っていた者らも誰一人この英雄を救うことができず。ただ一人、健気にも内なる罪喰いの力に抗っていた。
 殺すのは簡単だった。ただ、決着がついた以上は……英雄が大罪喰いという化け物に成り果てる未来が確定したからには、わざわざ殺す理由もなかった。
 仲間たちのことは生かしておく必要もなかったけれど、多少の傷を負わせた程度にとどめて生きたままこの深海の底から地上に放り出した。もうここには戻ってこられないか、戻ってきたとして大罪喰いと化したこの英雄を止められる力などない。ならばその絶望を、世界の終わりを、地上に生きる者達に触れ回ってくれた方が、役にも立つというものだ。
 もう一人ここにいる水晶公には、まだ訊きたいことがあった。素直に答えてくれるとも思えないが、彼の持つ知識や技術は得られれば役には立つ。
 何より、水晶公もまた、英雄ほどの力はなくとも人々の希望たる存在だ。二度と戻ってこないという事実は、地上の絶望と混沌を加速させてくれるだろう。
 彼はエメトセルクが魔力で編み上げた檻の中で過ごしている。小さな牢のようなもので、生命を維持する最低限の用意はしてある。無理に破ろうとすれば莫大な魔力を消費することになる。ただの人であれば、力を使い果たして死ぬだろう。よほど英雄を信じていたらしく、囚われてからも気丈に振る舞っていたが、英雄が敗れたと知ると、抵抗する様子も消えた。失意に飲まれたか、打開策や脱出手段を考えてはいるのかは知らないが、何にせよ彼にもこの状況を覆せるとは思えない。
「終わってしまえば呆気ないものだ」
 エメトセルクが小さく溜息をついた。
 カピトル議事堂の前から、静かな街を歩く。今日もこの街には、討論をする古代人たちが行き交っているけれど、それは全て幻影にすぎない。けれど、気の遠くなるほど長い時の果てに、ようやく取り戻す為の一歩を踏み出せたのだ。
 もう変わらない街の様子を少しだけ見て、それから別の場所へと魔法で転移した。向かったのは議事堂からは離れた居住用の建物だ。そこに、かつての英雄がいる。
 様子を見に訪れたのだが、部屋の前にさしかかった時、鋭い絶叫が静寂を破った。
 声の方へ視線をやれば、柔らかな敷物の上に倒れ伏し、胸を掻きむしる英雄の姿。爪が肌に食い込むほどの強さで、うっすらと血が滲んでいる。だがそんな傷など比べものにならないほどの痛みがその身を襲っているのだろう。苦痛と恐怖にゆがむその顔には、毅然と立ち向かってきた時のような意志の強さは感じ取れない。
 最早、まともに意識を保っているのかも怪しいものだ。
「哀れだな」
 エメトセルクが発した言葉も、聞こえてはいないだろう。特別な力を持ち英雄と呼ばれていた者も、所栓はただの、なりそこないの『人』だ。激しい苦痛にその身を晒され続ければ、正気を保つことは難しい。
 この深海の暗闇さえ、ほとんど進行を遅らせることができなかったほど、溜め込んだ光に侵されている。こうして苦しんで、やがて気を失って、と繰り返していたが、それももう、終わりだ。
 口元から、一筋零れ落ちる光。
「あ、あ……ああぁ、あ、……ッ!」
 強く咳き込んで、大量の光を吐き出す。罪喰い化の前兆。エメトセルクは、ただそれをじっと見ていた。
 眦から頬へ伝う涙、もう何も見えていないのだろう、焦点の定まらない瞳。それでも、縋るように伸ばされた腕に。
「……れ、か……、……すけ、……て」
 掠れた声は、それでも耳に届いた。今までこうして誰かに縋ることもできず、歩み続けてきたのだろう。英雄でもなんでもなく、ただ一人の人間として、祈りのように紡がれた言葉。
 けれど震えるその指先は、何も掴むことはない。
「お前が幾度も聞き届けてきただろうその願いは」
 エメトセルクは英雄の方へと歩みよる。
「お前が口にしたところで、誰も叶えてくれる者などいない」
 目の前に膝をついて、ぐらりと傾いた身体に手を差し出した。
 大切な存在と同じ魂を持つ、特異な英雄。厳密に言えば、唯一自分だけは、その願いを聞き届けることも可能ではあった。ただそれは目的とは反するから、受け入れるわけはいかなかった。
 だからせめて、最期くらいは。
「……本当に、救われないな」
 崩れ落ちる身体を抱き止めて、手袋をしたままの手で口元を拭ってやる。
 人々の希望を一身に背負い、戦い続けてきた一人の人間の末路が、これか。終わりなど、呆気ないものだ。なりそこないの人間は、あまりに脆い。
 それでも、原初世界と、第一世界の希望であったこの英雄は、ようやく苦痛から解放され、眠りに就いたのだ。約束通り、見届けてやった。
 次に目が覚めた時には、この世界に絶望をもたらす大罪喰いと成り果てているだろう。
 エメトセルクはその身体を抱き上げて、別室へと移動した。

     *****

 きらきら、ふわふわ。明滅する光が目の前を飛んでいる。
 それを掴もうと手を伸ばしたけれど、するりと手からすり抜けてしまった。その光はまたふわふわと、自分のまわりを漂っている。
 何度手を伸ばしてもあと少しのところで逃げてしまう。やがてひどい不快感を感じて、その光を追うのをやめた。
 視線を落とし、自らの腹に触れる。
「う……ぁ、うぅ……」
 感じたのは空腹。なにかたべたい。頭を満たすのはそれだけ。でも、どうしていいか分からない。見回しても、暗い部屋の中にいるのは、自分の他は頭上を漂う光だけ。その光には手を伸ばしても届かない。
「うぅぅ、あぁ……」
 ぐずる幼子のように唸っていると、小さな光が言葉を発した。
『可哀想な私の若木。お腹が空いたのね』
 光が弱まり、赤い髪の小さな妖精がはっきりと姿を現す。
『人間を捕まえて連れて行きたいところだけど、今はこの姿で来るのが精一杯なのだわ』
 どこか申し訳なさそうに告げた妖精の彼女――フェオはあたりを見回して、一点にその視線を向けた。腰に手をあて、睨むようにその先を見つめている。
「妖精王、か」
 やがて現れた人影が、気怠そうな声を発する。
「なんだ、起きていたのか」
 その人はこっちを見て、わらった。それからフェオと何やら言葉を交わしていたが、何を話しているのか耳には入らなかった。
 その人が、とても、とてもおいしそうに、みえて。
 誘われるようにふらふらと近づいていくと、その肩を掴んで、そして。
「……やれやれ、私に噛みつくとは」
 呆れたようなため息。そして頭を掴んで引き剥がされてしまった。つけられた噛み傷を治癒魔法で消し、それからじっとこちらを見てくる。
「エーテルが欲しいのか。待っていろ、今……」
 柔らかな声音、穏やかに細められたまなざし。
 やっぱり、おいしそうで。たべたくてしかたなくて、もう一度かじろうと顔を近づける。
「はぁ、待てもできないのか」
 顔をしかめて、それから再びのため息とともに引き寄せられた。
 やわらかいものがふれて、あたたかい何かが流れ込んでくる。
 唇が触れ、呼気を送り込むように、エーテルが注がれる。それはひどい餓えを優しく癒していった。
 もっと。もっとほしい。
 無意識に首に腕をまわして、強く引き寄せる。
「なんだ、まだ足りないのか?」
 親が子を慈しむような、或いは恋人に睦言を囁くような、そんな甘さを帯びた声。
 そうして再び注がれたエーテルは、身体中に染み渡って乾きを潤してくれる。
「今更闇を混ぜたとて、その光は消えはしない、か」
 唇を離して、彼は苦い表情で呟く。
「……やはりその光は、不快だ」
 なにを言っているのか、よくわからない。そもそも、この人が誰なのかも、わからない。けれどそんなことは気にならなかった。そばにいるのが当たり前のような、心地よさ。飢餓感が消え失せると、ふわふわした感覚が身を包む。
 あったかい。きもちいい。
 こてん、とその肩に頭を預け、目を閉じる。
 抗いがたいその感覚に、流されるように身を任せた。

     *****

「腹が満たされたら眠るか。まるで赤子だな」
 エメトセルクは一人ごちて、それから苦笑する。
「いや、似たようなものか」
 新たに生まれたばかりの大罪喰い。どんな化け物が生まれるかと思えば、ほとんど元の姿と変わらなかった。肌も髪も透けるように白く、その背にはエーテルの羽。明らかに人ではないと分かる容貌だが、この英雄を知る者には、誰だかすぐに分かるだろう。
 抱き上げて簡素な寝台へと運び、そっとおろす。その肩にはまた、ふわふわと光が舞いおりた。妖精王の力の片鱗。ただ、英雄であったこの者のそばにいるのが目的なのだろう。あれこれと口は出されたが、好きにさせたところで害もないと判断した。そんなことは万が一にもないだろうが、仮に妖精王がイル・メグの妖精達を引き連れて来たとしても、自分とこの『大罪喰い』に敵うはずもない。
 穏やかな寝息が聞こえる。化け物の身で人と同じように眠るなど、とも思うが、大元が変わり者のあいつなのだ。何があってもおかしくはない。
「……まぁいい。今は、ゆっくり眠れ」
 焦る必要もない。時間はいくらでもある。
 この英雄だった者が次に目覚めた時には、自らエーテルを求め地上に降り立ち、あらゆる生物を食らう化け物として、死と絶望を広めるか。それとも、外の世界など見ることなく、この街で静かに滅びを待つのか。どちらでも構わない。強大な力を持ち目覚めた大罪喰いに影響され、すでに地上の罪喰い達は活性化し始めている。それは人々や動物を喰い、仲間を増やしていくだろう。
 これ以上何もせずとも、この世界は滅び、原初世界は霊災に飲まれる。結末は変わらない。
 その最期の時を共に見届けて、大罪喰いと化した英雄の肉体が滅んだその後は、魂を拾い上げて、そして。
 第十三世界がヴォイドと化した今、完全にとはいかなくても、それに近い状態に戻せる希望は残っている。気が遠くなるほどの長い時間を過ごしてきた。そして、これからも同じくらい、いやもっと長い長い時間が、かかるかもしれない。それでも構わなかった。この手が届く、すぐそばに、あの日分かたれた存在の欠片がいる。
 まだ全て終わったわけではないが、エメトセルクの心にわずかでも安寧をもたらしてくれた。
「おかえり、……」
 暗い暗い海の底、あの日を映す、幻影で編まれたこの街で、穏やかな終焉を迎えよう。今度は最期のその瞬間まで、ずっと、そばで。


   3   闇と光、響く慟哭

 気が遠くなるほどの静けさ。暗い檻に閉じ込められてから、どれほど時間が流れたのかもわからない。
 希望を挫かれたあの瞬間から、自分の時が止まってしまったようだった。
 エメトセルクに世界の終焉を告げられた―かの『英雄』が、光のエーテルに飲まれたのだと知らされたあの瞬間。
 信じられなかった。見せられている光景はまやかしだとさえ思っていた。けれど、現実は無情だった。
 あの忌々しいアシエンは、最後まで嘘はついていなかった。
 実際にその姿を目にすれば、嫌でも分かってしまった。俺が憧れた一番の英雄。多くの絆と、未来への希望を繋いで来た人。この命と引き替えにしても助けたかった相手。
 その旅を終わらせてしまったきっかけは、間違いなく自分が作った。いや、何もしなければ、あの人はギムリトの戦線で死ぬはずだった。でもその運命は、その先に訪れる霊災は、回避できると思っていた。その為に多くの人達が生涯にもわたる時間を費やし、知恵や力を結集して、ようやく作り上げた計画を実行したのだから。
 しかしそれは、非情なほどあっさり失敗した。
 途中までは上手くいっていたと思った。けれど、結果が全てだ。どんなに言い訳したって取り返しなんてつかない。
 許されない失敗だった。長く紡いできた希望も、未来も、何もかも失われてしまうのだ……心が折れてしまいそうだった。
 滅びるしかないのならば、自らの運命もなげうってしまいたいと思う気持ちと。
 まだ手段はないのか、ここで終わらせないためにまだできることはないのか、とあがく心と。行ったり来たりしては、何も見いだせないまま焦燥に駆られていた。
 後悔したところでどうしようもない。長く生きて他人の死にも慣れてしまったと思っていたけれど、それよりも辛いことが、まだ残っていただなんて。
「……」
 水晶公は、膝を抱えて俯いた。自分が死ぬはずだった瞬間、あの人が名前を呼んでくれたのが、本当に最後になってしまった。
 自分も、あの人も、死の運命は変えられたというのに、どうしてこんなことになってしまったのか。息が詰まる。胸が苦しい。痛くて痛くてたまらない。
 涙が込み上げてきそうになる。……でも、泣く資格なんて、今の自分にはない。
 行き場のない感情、終わりのない思考。何度も何度も、何度も同じことを考える。答えは見つかりそうになかった。
「まったく、いつまでそうしているつもりだ?」
「エメトセルク……」
 突如聞こえた声に、水晶公は勢いよく顔を上げた。これ以上ないほど鋭く細められた目、敵意と嫌悪を露わにした表情で相手を見据える。
「何度来ても、何も話すことはない」
 はっきりと拒絶すると、エメトセルクは面倒そうに肩を竦めた。
「強情なことだ。お前が託されてきたものを、より良い世界のために紡がれてきた歴史を、お前の我が侭で無に帰すと」
 芝居じみた仕草で首を振り、大仰に溜息をついてみせる。
「たかが英雄一人のために命を懸けるなんて、馬鹿だとは思っていたが、これほどとは。大局を見ずして、世界を救おうなどと大それたことを口にしていたとは、愚の骨頂だな」
「お前たちアシエンの作る世界などに、わずかでも加担するつもりはない」
 自分はどれほど馬鹿にされてもかまわない。英雄も、世界も、助けられなかったのは事実だ。どんな誹りも甘んじて受け入れる。けれど、アシエンに手を貸すような、これ以上の愚を重ねるつもりはなかった。
 エメトセルクは冷たく見下ろしてくる。道化めいた仕草はなりを潜め、表情の消えた顔は冷たく暗い空気を放っている。
「お前は私達の悲願を悪しきことだと思いたいのかもしれないが」
 淡々と紡がれる低い声。静かに、けれど威圧感を伴ってその声は耳に届く。
「お前がしたことと、私達がしていることの、何が違う?」
 水晶公は目を反らすように視線を落とした。言わんとしていることは、それだけで察せられた。
「元いた世界が消えるかもしれないと理解していて、それでも助けたかったのだろう? まさか、壊す世界が一つだけなら犠牲に入らないとでも言うつもりか?」
 予想通りのことを告げられ、押し黙るほかなかった。その可能性は、確かに仮定の一つではあった。だが、前例のないことだ。自分も、計画に携わってきた人達も、どうなるかなんて誰一人答えを持ち合わせていなかった。それでも、わずかでも希望を見出せる可能性に賭けた。
「同じじゃないか、私達も、お前も」
「……違うッ!」
「何も違わないさ。……私だって、助けたかったんだ」
 だからって、今生きている者たちを、世界を、犠牲にしていいはずがない。……あの双子のようにまっすぐに告げることは、水晶公にはできなかった。彼の言葉を否定することは、自分のしてきたことを、未来を託して送り出してくれた人達を否定することと同義だと、痛いほど分かっていた。
「……。お前が、英雄と慕うあいつは。……私の最愛の、なれの果てだ」
「ッ……!?」
 初めて聞いた事実に、水晶公は目を見開く。頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。
「伴侶というわけではなかったが。あいつともう一人、毎日のように共に語らい、同じ時を過ごし……変わり者のあいつのおかげで迷惑を被ったことも山とあるが、それでも、ずっと共に過ごせる時が続けばいいと……そう、願う相手だった」
 遠い過去を視るように、切々と紡がれる言葉。それが騙す為の演技だとしたら、彼は一流の役者だろう。真に迫る言葉は、鋭いナイフのように胸を抉ってくる。
「私はあの最愛を取り戻したかった」
 それはエメトセルクの、本心だったのだろう。その表情は、水晶公にもよく見覚えのあるものだった。大事な人を失った者の、切なる想い。アシエンだろうが敵だろうが、そこに今を生きる人間達との違いはなかった。
「あいつだけじゃない。他にも家族や、友人、仲間はいたんだ。犠牲になったあの世界の人達を救える手段があると分かったら、その可能性に縋ることを、お前は悪だと断じることができるのか?」
 耳を塞いでしまいたくなった。自分たちが持ち得るのと同じ感情を、彼らも持っていると、知らなければなんとでも言えたのに。
「この世界を救う為に、自らの命を絶ち、世界を統合しようと足掻いた光の戦士たちを……愚かだと嗤えるのか?」
 これ以上、聞き入れてはいけない。惑わされてはいけない。そう自分に言い聞かせるけれど、その言葉から逃れられなかった。
「……今も。あの化け物と成り果てた英雄を、他の世界と引き換えにすれば助けることができるとしたら、お前はどうするんだ? 知らない世界の人々を生かすために、迷わずにあの英雄を見捨てられるのか?」
「…………」
 返す言葉もなかった。ただの例え話だと分かっていても、『それであの人が助かるのなら、自分はやるかもしれない』と一瞬でも頭をちらついた。
 あぁ、分かっている。理想や綺麗事だけで生きるには、自分は長く生きすぎた。あまりに多くを背負いすぎた。
「もう一度訊こう。私と、お前と、何が違う?」
「ッ、黙れっ!」
 最早反論にすらなっていない。勝敗があるのならば完全に敗北だ。完膚なきまでにたたきのめされている。それでも、エメトセルクの言い分を正しいと認めるわけにはいかなかった。
 言い返せないから暴力に出るなんて、それこそ愚かしい。けれど、せめてもの抵抗として、力に訴えようと杖を掲げる。勝てるなどとは思っていないが、少しでも反逆の意志を示したかった。
 水晶公が動くと同時に、エメトセルクも何かの魔法を紡いでいた。
 その闇の力が放たれようとした、その時だった。
 白い影が目の前に躍り出る。ふわりと広がる、虹色に透ける羽。
 その瞬間、二人とも言葉を失った。詠唱により紡がれていた二人の魔力は瞬時に霧散した。それほどに、目の前の光景が信じられなかった。
 言葉が出ない自分と対称的に、エメトセルクからは動揺した声があがった。
「な……、お前……」
「……っ!」
 水晶公をかばうように、エメトセルクの前に立ちはだかる人物。
 ――理性など、とうに失ってしまったものだと思っていた。なのに鮮明に映し出される光景は、勇敢に敵と対峙していたあの英雄と、何一つ変わらなくて。
 英雄と呼ばれたあの人は、やっぱり無事だったのか、と錯覚するほどに。
 けれどそれは、一瞬だった。
「うぅ、あぁぁ、あぁぁぁ!!」
 悲鳴染みた声に、意識が引き戻される。目の前にいるのは一体の大罪喰いで、英雄だったあの人の姿を残してはいるものの、最早人と呼べる存在ではなかった。ほんの一瞬見えたのは、ただの錯覚でしかなかったのだと、痛感する。
 エメトセルクを見上げると、動揺の色が強く滲んでいた。それから苦虫を噛みつぶしたような顔で、溜息をつく。きっと、同じものを幻視したのだろう。
「どうしてここに」
「あうぅ、あぁ、うあぁぁ……!!」
 その大罪喰いは、ぐずる子供のように唸り声をあげてエメトセルクに縋り付く。いやいやをするように首を振って、必死にエメトセルクに訴えている。それはどう見ても、水晶公を守ろうとしているような行動だった。
 あげていた手を、エメトセルクはゆっくりとおろした。
「はぁ……。まったく、お前は」
 見下ろすその表情は、複雑な色を帯びていた。哀れみと、苛立ちと、悲しみと。それらがない交ぜになったやるせない感情。どんなに変わり果てても見捨てられない大切な存在なのだと、それを裏付けるような柔らかな手つきで、彼はあの人の背を撫でた。
「分かった。分かったから。……戻るぞ」
「うぅぅ、あぅぅ……」
 あの人は幼い子供のように、悲痛な声をあげて泣き続けている。それがいつまでも耳に残った。
 あの人は背を押され、元来た道をエメトセルクと共に歩いて行く。二人とも、こちらを振り返ることはなかった。そうして、転移魔法か二人とも消えてしまった。
 誰もいなくなった空間には、また闇と静寂が戻って来た。
「……すまない」
 絞り出した声は震えていた。
「俺が……あんたを……」
 助けようとしてくれた。身体を張って守ろうとしてくれた。あの人の本質は、あの頃と何も変わらないのに。
 何もかも、変わってしまった。自分のせいで、変えてしまった。
 視界が滲む。涙が溢れ落ちていく。暗い檻のような部屋を支配する慟哭は、誰に届くこともなく、ただ闇へと溶けていった。

   4   その祈りと願いは遠く

 全ての大罪喰いの力をこの身に引き受け、異変を来した夜のこと。アルバートに全て知られてからはもう、状態は悪化する一方だった。リーンの力でなんとか押しとどめていたけれど、それもいつまで保つのか分からないと悟った。
 それでも立ち止まるわけにはいかない。このまま終わりを待つことなんてできなかった。爆弾のような自分の身を抱えながら、暁の仲間たちと共にエメトセルクの待つ深海・テンペストへとたどり着いた。
 光の届かない海の底まで来ると、少しだけ不快感が和らいだ。けれど、浸食が止まったわけではない。ただ、アルバートには知られてしまったけれど、それ以上他の誰にも知られたくなかった。だから必死に、隠し通した。
 最後にたどり着いた幻影の都市、アーモロート。初めて見るはずなのに、何故か懐かしいような、胸が締め付けられるような気がした。
 それと同時に、予感していた。
 長い長い、旅の終わりを。
 仲間達と街を探索し、エメトセルクに案内されるまま、この都市の終末を見届けた。
 彼の話を聞いて、彼のことを知る度に、自分もどこかで期待していたのだろう。分かり合えるのかもしれない、という希望を確かに抱いていたのだと気づいてしまった。
 けれど結局は、どうあっても相容れないのだと知った。
 自分が守るべき未来の為には、武器を手にしなければならなかった。
 ……勝たなければ、いけなかった。
 なのに。最悪なタイミングで、それは訪れた。
 光の暴走。激しい痛みに崩れ落ちてしまいそうになる。その隙を見逃してくれるほど、彼の背負っているものは甘くもなかった。
 強大な力の集まる気配。嫌な予感が背筋を駆ける。逃げなければ、と思いはしたけれど身体は動いてくれなかった。
「ッ……!!」
 腹部に感じた灼けるような熱さ。自らの腹部を貫く魔力の刃。息が止まる。悲鳴が聞こえる。口から大量に吐き出されたものは、多分血だったんだと思う。身体の力が抜けていく。武器が自分の手から離れて、床に落ちて響いた。そのまま自分も倒れ込む。暑くて、寒くて、目の前は白くて、黒い。口々に自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。けれどそれはだんだん遠ざかっていく。
 ここで死ぬのか。自分は。
 その瞬間に、今までの人生が蘇り、駆け抜けていった。死ぬ間際に見るという走馬灯だったのだろう。
 幼い頃からのこと。冒険者になったばかりの頃のこと。旅をしてきて、出会い、別れてきた人々のこと。原初世界と、この第一世界と、たくさんあった出来事が一瞬で駆け抜けていく。
『――!!』
 最後に聞いた声は……もう既に聞き慣れた低音。敵として出会い、厳しいことを言われたり、こちらに来てからは他愛ない話をしたり、優しく気遣ってくれたりもした。
 彼が自分の名前を呼ぶなんて、あまりなかったのに……。
 もう一人の英雄。この世界に来てからは、もう仲間の一人みたいに感じるくらい、一緒にいた人。その声に、ほんの少し、安らぐような心地を覚えた。
 痛みが薄れていく。感覚が消えていく。
 声もでなかった。何かを言おうとして、喉からひゅ、と空気が漏れるような音がした。
 苦痛に顔が歪む。意識が途切れる寸前、唇だけ、無意識に笑みを形作っていた。

 ごめん。アルバート。君の世界を、救えなくて。

     *****

 不快感に意識が浮上する。痛い。苦しい。
「目が覚めたか」
 耳に届いた声に、意識が覚めていく。重い目蓋をなんとか持ち上げると、覗き込んでいたのはエメトセルクだった。
「どうして」
 すんなりと喉から声が出たことに、自分で驚く。混乱する頭で、自分の腹部を見やる。魔力の刃に貫かれたはずのそこは、何事もなかったかのように元通りになっていた。いっそ、あの出来事が夢だったのではないかと思うくらいに。
「お前がなりそこないのくせに、あまりにもしぶとかったものでな。連れ帰ってきた」
「……意味が、分からない。みんなは」
「地上にお帰り頂いた。面倒だったからな。生きてはいるだろう、運悪く罪喰いに襲われでもしていなければ、だが」
「……」
 辺りを見回す。ここは小さな部屋のようだった。壁も床も黒く、窓も照明もないのに薄ら明かりが漂っている。自分が寝ていたのは何か柔らかなものの上だった。寝床なのだろうが、寝台というよりは、布でできた鳥の巣みたいな、或いは罪喰いの繭みたいな……。
 そんなことが頭に浮かんで、氷の手で心臓を掴まれたような心地になった。
 思わず自分の両手を見る。それは自分の手にも、白い光のようにも見えた。
「まだかろうじて人間だ。そのしぶとさには感心する」
 皮肉めいた言葉。けれどその声には、呆れや苛立ちだけでない、何かが含まれていた。
「……諦めの悪さは、変わらないようだな」
 ぽつりと呟かれた言葉の意味は、よく分からなかった。自分が今までしてきたことをどこかで見ていたのかとも思ったけれど、そうじゃない気もする。
「お前は私に負けたんだ。……これ以上抵抗するなら殺す。まあ、お前一人で何もできやしないだろうが」
「……?」
 だったら何故、自分をこんなところに連れてきたのか。あれが夢でないのなら、あのまま放っておけば自分は死んだのだろうに。そうすれば、溜め込んでいた光が解放されて、この世界は自分達が来る前の状態に戻るのだと言っていたじゃないか。
 なにか、あの場で死なれては困る理由でもあったのだろうか。
「結末が確定した以上、焦ることもないだろう」
 考えていたことを読み取られでもしたかのような言葉に、思わず瞠目する。
「お前の考えていることなど大体予想がつく」
 まだ何も言っていないのに。心を読む術でもあるのだろうか、と一瞬考えたけれど、そういうわけでもないらしい。なんだか釈然としないけれど、くってかかっても仕方が無い。
「お前の罪喰い化は止められない。遅かれ早かれ、完全な化け物となるだろう。あのまま死んでいた方が、お前にとっては良かったのかもしれないがな」
 その言葉に、少なからず失望はした。死んだ方が良かったとは言わないが、またあの苦痛に襲われるのは正直気が滅入る。
「それが嫌だというのなら、いつでも私がこの手で殺してやろう。せめてもの慈悲だ」
「…………」
 何も言えず、ただ首を振った。エメトセルクは別に自分のことを馬鹿にしているわけでも、見下しているわけでもないのだろう。何か思うところがあるのかもしれないが、自分に対する悪意でこんなことをしているようには見えなかった。
「……水晶公は」
「あいつはここにいる。あまりに反抗的だから閉じ込めてはいるが」
 エメトセルクがパチンと指を鳴らす。壁に映し出されたのは、この部屋のような狭い場所で、膝を抱えて座っている水晶公の姿だった。撃たれたところは治癒魔法で治したのだろう。他に傷も見当たらなかった。
 エメトセルクが話を聞き出すために、拷問でもしているのではないかと疑ったけれど、それもなさそうで安心した。
「私は必要もなく相手をいたぶる趣味はないからな」
 たとえ拷問などされたところで彼が簡単に口を割るとは思えないけれど、随分気の長いことだ、と思う。……悠久の時を生きていれば、そうなるのかもしれない。
「とりあえず元気なら、いい」
 そう告げると、エメトセルクは肩を竦めた。
「元気、とは言いがたいが無事だ」
 それはそうか。あの状況で連れ去られて、今の自分の状況もきっと知っていて、元気になどなれるはずもない。クリスタルタワーから離れて結構経っているから、もしかしたら体調もよくないかもしれないけれど。それでも、ちゃんと生きていてくれたなら、それで良かった。
「他人の心配より、自分の心配をしたらどうだ」
「……ご忠告どうも」
 怖くないといえば嘘になる。それでも、逃げるわけにはいかなかった。
「でもわかってるよ。自分の状態も、立場も」
 身体が酷くだるい。座った状態から立ち上がる気力さえもない。失血のせいかと最初は思ったが、そうではないとすぐに気づいた。
 どこにあるのか見当たらないが、武器がそばにあったとしても、もう戦えはしないだろう。魔法も上手く紡げなかった。
「感覚はだいぶ前からおかしくなってたけど。ここに来てから、お腹も空かないんだ。もう、人間なんて呼べないよね」
「……」
 かろうじて人の形を保っているだけの存在。エメトセルクにはなりそこないの人間と言われたが、化け物にもなりそこなっているなんて嗤える。
 けれど、もうすぐ終わる命だとしても、自分の苦しみが長引いたとしても、自分が生きている間に何か手段が見つかるかもしれない。最期まで、その可能性に賭けるしかない。
 きっとそれが、自分に残された役目なのだから。
「ところで君は何しにきたの?」
 問えば、エメトセルクは肩を竦めた。
「ただの様子見だ」
「そう。……気分は最悪だよ、……ッ、う」
 体内の光が暴れ出す。感覚が壊れていく中で、痛みや苦しみだけはっきり感じられるなんて本当に最悪だ。
 腹の奥から込み上げる感覚。反射的に、今いる場から身を乗り出した。
「げほっ、げほ、……ぐ、ぅ……」
 床に散らばるのは多分また光の塊みたいなもの。喉から胃にかけてがやけに熱くて、不快感が強い。いや、本当に胃なのかさえもう曖昧でよくわからないが、腹の部分だ。熱があちこち巡って、ぐちゃぐちゃに掻き回されているみたいだった。
 身体の力が抜けそうになる。上体を自分で支えているのもきつい。そのまま世界がぐらりと揺れる。倒れそう、と思った瞬間、ふと肩を掴まれた。
「はぁ、嫌なとこばっかり見られてるな」
 この前はアルバート、今回はエメトセルク。いや、その前にみんなにも見られてるか。
「……今更か」
「まだ喋るだけの余裕はあるようだな」
 エメトセルクはそう言うと、口元に触れてきた。何をされるのかと一瞬身構えたけれど、口元を拭われたのだと気づいてただ戸惑う。
「大人しくしていろ」
 そう言うと、そっと肩を掴んで身体を横たえられた。困惑しているうちに、彼は背を向けて去ってしまう。その途中、パチンと指を鳴らす音が聞こえて、次の瞬間には床は元通り綺麗になっていた。
 なんだったのか。色んなこと、そう思わずにはいられないが、身体が酷く重かった。
 天井を仰いで見るけれど、何もない。相変わらず、どういう原理か分からない薄らとした明かりだけだ。溜息と共に目を閉じる。そうしてすぐ、眠りに引き込まれていった。

     *****

 再び目が覚めると、暗い部屋に今度は誰もいなかった。眠る前は浮かんでいた明かりも、いつの間にか消えていて真っ暗だった。
 眠る前よりも身体が軽い気がして、そっと身体を起こす。恐る恐る足を踏み出してみたけれど、歩き回れる程度には回復していることにほっとした。
 扉に触れるときは緊張したが、部屋の入り口には、鍵も何もなかった。
 随分と不用心なことだが、自分が逃げ出せないという自信でもあるのだろうか。どこかで監視しているのかもしれない。いや、魔力が上手く編めないこの状態では、街に帰ることもできないけれど。その状態や自分の思考を見抜かれているから、という可能性もある。
 ともかく、少しでも自由に動けるのはよかった。自分がいたのは、冒険者居住区にあるアパルトメントやペンダント居住館のように、いくつもの部屋が集まった建物だったようだ。みんなと来て探索していた時には見た覚えがないから、入っていなかった区域なのだろう。
 外に出て、あたりを見回しながら歩みを進める。古代人たちも、この区域まではいないらしい。魔物さえもいない。静かだった。
 この海の底の都市は彼の領域。その範囲内であっても、晴れた空の下でなくとも、建物の外というのは心地が良い。
 建物を出てからしばらく歩き、それからもう一度まわりに誰もいないことを確認して、一人の名前を呼んだ。
「アルバートー」
 そうしてあたりを見回してみると、複雑そうな顔をした青年が、一人。
「あ、いた」
「どうした、こんなところまで呼び出して」
 口調こそぶっきらぼうだが、その奥に心配や不安……彼の優しさが感じ取れた。
 彼もまた、自分に対してどう接していいのか分からないのだろう。平静を装って、その結果がこの対応、というわけだ。
 なんだか可笑しくなる。でもこうして律儀に姿を現してくれたのが、心の底から嬉しかった。
「アルバート」
 これが彼との最期の会話になるかもしれない。多分彼もまた、同じことを思っているようだった。複雑に歪められる表情。何度も傷ついてきたこの人を、この世界の英雄を、優しい青年を、自分は傷つけてしまった。自分にもっと、英雄として相応しい力があれば。……もう、なんど悔いたか分からないことを想う。
「少し、話をしようか」
 街路樹の傍に座り、手招きをすれば彼は目の前に来てくれた。
 エメトセルクが聞いているだろうか、と考えたけれど、それでも構わなかった。聞いていたとして、独り言にしか見えないだろう。
 彼と話をしているうちに、焦燥や不安は消えていくようだった。薙いだ海のように、心が静かに、平らかになっていく。こんな穏やかな気持ちは、随分と久しぶりだった。

   5   旅の終焉に鳴り響く

 アルバートに最後に会ってから、どれほど時間が経ったのか。時を把握する手段がないから正確にはわからなかったけれど、数日は経っていたように思う。
 日のほとんどを与えられた部屋で過ごし、わずかな時間だけ外を歩く。最初はそうしていたが、外に出る時間さえも段々減っていった。
 暴走の頻度は相当短くなっている。光が届かないこの場所でも、もう存えることもできない。今日かもしれない、明日かもしれない。死よりも恐ろしい最期は、旅の終わりは、一歩一歩確実に背後へと迫っていた。
「ねえ、エメトセルク」
「なんだ」
 呼びかければ、彼は気怠そうに返事をした。
「君のせいで死に損なったんだから、責任とって最期くらい見送ってよ」
 寝床としている場所からもう、動くこともできなくなって、やがて暴走した光に飲まれるのだろう。自分の運命は変えようのない、確定したものなのだと悟っていた。未来を切り開くだけの力は、とうに失ってしまった。
「いいだろう、見届けてやる」
「絶対だからな」
 そう簡単に終わるつもりはないけれど、なんて強がりでも言えなかった。その時はもうすぐそこなのだと悟っていた。
 こんな、約束とも呼べないやりとりを、それでも彼は守ってくれるのだろう、きっと。
 旅の終わりが一人じゃないだけ、マシなのかもしれない。こんな終わり方はあまりに予想外だったけれど、彼の傍は案外、居心地は悪くなかった。死に場所としては上等なんじゃないだろうか。
 そんなことを考えていたら、涙が零れ落ちていた。
 辛いからとか苦しいからとかじゃない。自分でも理由は分からなかった。こんな気持ちは知らないはずなのに、胸を満たしていくものは確かにあたたかかった。
 特別な情なんてない相手でも、誰かに見届けてもらえることへの安堵か。
 いや、そうじゃなくて、もっと――パズルのピースがぴたりと嵌まったかのような、そこにあるのが当たり前のような、そんな感じに近い。
 ……相手が水晶公ならともかく、と自分で苦笑する。
 でも、敗者たる自分が勝者に見届けられるのは、きっと当然の筋書きなのだろう。
 もう英雄でもない、冒険者でもない。人間ですらなくなる、酷い結末だとしても。

 自分の最期の瞬間は、はっきりわかった。エメトセルクが、すぐ傍にいるのも分かっていた。きっと自分のことをただ見下ろしているのだろうが、もう視界は真っ白で何も見えなかった。ずっとこの身を苛んでいた激しい痛み、苦しみ。それも、もう終わる。
「……だれ、か……、た……すけ、……て」
 この世界を、元いた世界を、どうか。どうか……。
 自分のシナリオが終わっても、まだ希望は消えたりしない。
 願いは。祈りは。想いは。
 誰かに届いてくれるのだろうか。

     *****

 アルバートは当てもなく地上を彷徨っていた。海の底に呼び出されて話をしたあの日から、ずっと。
 光に覆われた世界。激しくなる罪喰いの襲撃。人々は必死に抵抗するも、刻一刻と破滅が近づいているのが見て取れた。積み上げられる死体の山。罪喰いは人や動物を喰い、また数を増やし……。あとどれくらい世界がもつのか、希望なんて絶えてしまったんじゃないかと思うほど、状況は最悪だった。
 なのに、自分はもう、目の前で襲われそうになっている人さえ助けることができない。
「っ、でだよ、なんでだよ!!」
 この斧が振るえたら、戦うことができたなら……。いつかと同じ、繰り返される絶望。目の前の凄惨な光景から目を背けても、断末魔は耳に届いた。
 下級の罪喰いだったのだろう、襲われた人間はただそこに打ち捨てられたままだった。誰にも発見されなければいずれ動物にでも喰われるしかない。
 すまない。助けられなくて。
 助けることもできなければ、弔うこともできない。自分の無力さを痛感する。悔しくて苦しくて、叫び出したくなる。
「どうしろっていうんだよ、今の俺に」
 嘆いたところで声は届かない。
「……」
 原初世界の英雄と、話した言葉を思い出す。

「自分はもう、もって数日だろう」
 あの日、そう切り出されたけれど、それはもう薄々分かっていた。この世界は終わる。
 大体が、自分達には成しえなかったことだ。それなのに、『闇の戦士』は死力を尽くしてくれた。戦い続けてきた英雄を、誰が責められるというのだろう。
 悔しい気持ちはある。胸が張り裂けそうなほど辛くて苦しい。それでも、感謝していた。どんな結末でも、最後まで『闇の戦士』の行く末を見届ける覚悟だった。
 なのに聞かされたのは予想外の言葉だった。
「この世界を救えるのは、もう君しかいないんだ」
 意味が分からなかった。救うどころか、この世界をこんな風にしたのは自分達だというのに。
「もう戦えない俺に、何ができるって言うんだ」
「だから探すんだ、方法はまだきっとどこかにある」
 理解できなかった。どうして、ここに来てまだ、希望を失わずにいられるのか。
「前にさ、君が『世界は決して救われないし、世界を救おうとする奴は、もっと救われない』って言っていたけれど、それは違うと思う。たとえ自分達が救われなくても。世界が救われる可能性は、残っているんじゃないか、って」
「馬鹿な……お前にもできなかったことを、他に誰ができる?」
「だってまだ君がいるだろう!」
 あまりの言い草に、くらくらと眩暈がした。かみ合わない会話。もう、まともな思考すらも失くしているのか? なんて失礼なことまで考えた。けれど目の前の相手は、本気でそう告げている。
「何、言ってるんだよ」
「この世界の英雄だろう、君は」
 真っ直ぐな眼差しに困惑する。自分たちはもう英雄なんて呼べるような存在じゃ……。
 そこまで考えて、ふと前に聞いた言葉を思い出す。
『英雄は、一人ではない』
 あれはどういう意味だったのか、と今更疑問が浮かぶ。
「自分はもう、英雄ではないけれど。君なら、きっと」
 まだ自分にもできることがあるのか? 本当に?
 あまりに細く頼りない糸。それでも、確かに遺された希望だ。
「自分もどこまでできるか分からないけど。待ってるから、さ」
 この糸をたぐり寄せることができなかったら、今度こそ、この世界は終わる。
 ならば、最後の瞬間まで、抗う以外にないだろう。
「……分かった」
 はっきり言って、何も検討がつかない難題だった。無茶振りにもほどがある。それでも。
「ありがとう」
 頷いた瞬間、あいつは心の底から嬉しそうに笑った。
 それが、最後に見た顔だった。

 考えながら歩いているうちに、見覚えのある場所へと辿り着いていた。強い力で呼ばれたかのように。
 あたりを見回し、思い出す。
 ここは、ナバスアレンの……。
「あぁ、そうか。そういうことか」
 笑いが込み上げる。とんだ役割を背負わされたものだ。浮かんだ顔に、笑みが苦いものへと変わる。原初世界の、もう一人の英雄。それから、光の巫女ミンフィリア。
「まったく、恨むぜ」
 残酷な運命だ。損な役回りだ。俺も、あいつも。
 上手くいく保証はどこにもない。上手くいったところで、間に合うかは賭けでしかない。あまりにハイリスク。分の悪い賭け。けれど、これが最後の可能性だと気づいてしまった。
 光の巫女、ミンフィリアがやったこと。同じ超える力を持つ者ならば、自分たちにもできるんじゃないか? と。
 そう、思い当たることはいくつかあった。自分の体験や、あいつから聞いた話の中で。
「……」
 深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出す。そして口元は笑みを形作った。
 これが最後の希望だと言うのなら。
 英雄の役目だと言うのなら。
 ――やってやろうじゃないか。
「ラミット、ブランデン、レンダ・レイ、ナイルベルト」
 腹の底から声を出して、堂々と名前を呼ぶ。かつて自分がこの手に掛けた仲間達。原初世界に渡って、敗れて、そして最期はこの世界を守る為に消えていった。
「待っていてくれるか? もう一度、俺と一緒に、来てくれるか?」
 返事はない。それでも、仲間達が微笑むのが見えた気がした。

   *****

「お前はまた、空を見上げているのか」
 呆れたような声。どれほど天を見続けても、幻影の暗い夜が広がっているだけで、この海の底には地上の光は何も届かない。
「そんなに外に出たいのなら、地上に出ればいいだろう」
 地上に出ても、透けるような青空や宝石のように眩く輝く星空は、強い光に覆われてしまっている。
 エメトセルクの言葉に、ただ首を振る。酷い飢えを感じていても、地上に出れば自分の求めるエーテルがいくらでもあると理解していても、決して地上に出ようとはしなかった。
 じぶんはここにいる。ここにいなければ。まっているから。
 なにを? なんだろう。わからないけど、ずっとまってる。
 ――あぁ、そうだ、それが今の自分の役割だ。
「地上に出て好きに暴れてくれた方が、計画には助かるのだがな。まあ、お前がそうしていたいというのなら、好きにすればいい。……ここまで待ち続けたんだ、せいぜい数十年程度の誤差なんて、短いものだ」
 そう言ってエメトセルクは頭を撫でてきた。小さな子供を愛おしむように、或いは恋人に愛情表現するように。
「強い光は不快だが、大人しくしていればまだ可愛げもある。また私の目の届かないところに消えるくらいなら、そこで寝ていてくれるほうがマシというものだろう」
 エメトセルクは優しかった。強い飢えを満たしてくれた。眠るときはそばにいてくれた。
 ずっといっしょ。あったかい。きもちいい。いっしょがいい。
 目を閉じて、優しい手の感触に身を委ねる。
 今度は隣に座ってきたエメトセルクが、自分と同じように空を見上げた。
「何もないだろうに、飽きもせず。……お前らしいがな」
 うれしい。ずっとこうしていたい。
 ――今度こそ、最期まで、君の傍に。
 誰かの声が聞こえた気がした。
 どのような結果になったとしても、自分は彼と運命を共にする。
 だからいつか、殺しに来てよ。
 この世界を脅かす大罪喰いを。最期は彼と二人、この海の底で待っているから。
 ――全ての光を取り込んだ、この世界最後の大罪喰いは、今日もまた空を見上げていた。
 変わるはずのない暗い空に、一筋、光が差した気がした。

 空を覆う光の向こう、誰も見えない遥か彼方で、星が一筋、流れていった。
 それは終焉へのカウントダウンか、或いは、再起へのカウントダウンか。
 今はまだ、誰も知らない。

     ???

暁の英雄――原初世界での光の戦士、第一世界での闇の戦士。種族、性別不明。第一世界各地の大罪喰い討伐を成し遂げたが、光に耐えきれず大罪喰いと成り果てたとされる。深海にて消息を絶った後、目撃者はいないが、光に覆われた空と地上の罪喰いの活発化、暁の賢人達の情報を総合してそう判断されている。生前は複数種の武術や魔法を極める猛者であったらしい。

暁の賢人――水晶公が英雄を召喚しようとした際に連れてこられた原初世界の者達。喚び出されたのは五名。消息を絶った英雄を探しにもう一度深海へと向かったが、既に閉ざされていたらしい。その後は各地に散り、消息を探しながら罪喰い討伐をしていたようだが……。

水晶公――クリスタリウムを作り上げた人物。エメトセルクにより浚われる。おそらく深海にいるものと思われるが、消息不明。元は原初世界の人間で、本名は、グ・ラハ・ティア。
世界を渡ってきた目的は、暁の英雄と原初世界、第一世界を救うためだったという。

エメトセルク――アシエン・エメトセルク。エメトセルクというのは座の名前……役職のようなもので、本名は別にあるようだが真名は不明。水晶公を拐かし、英雄を深海へと導いた人物。おそらく深海にいるものと思われるが、時折地上でも彼らしき人物が目撃されている。だが、アシエンは容姿を偽ることも可能な為、捕らえるのは困難だろう。

アルバート――第一世界の光の戦士。他四名と共に英雄と呼ばれていたが、百年以上前の光の氾濫を起こすきっかけを作ったとされている。アルバート以外の四名は四使徒と呼ばれる罪喰いにされていたようだが、アルバートだけは目撃情報がなかった。アルバート達はみな、クリスタルに導かれ特別な能力を持っていたという。遺体と共に埋葬されたはずのクリスタルも、今は行方不明である。

闇の戦士――年齢十代後半から二十代の計五名の冒険者達。百年以上前に光の氾濫を起こしたとされるアルバート一行とよく似ているという話もある。特異な力を持ち、各地に巣くう罪喰いたちを倒してまわっている。実力も確かな集団で、彼らがこの世界を救ってくれるのではないかと人々の希望となっているようだ。

 2021/01/07公開

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