あまりにも、色々なことがありすぎた。濁流に飲み込まれるかのように目まぐるしく変わりゆく事態に、簡単に気持ちの整理などつくはずもなく。
 目の前で起きたナナモ陛下の暗殺。罠にはめられ、その犯人として捕らわれた。そしてクリスタルブレイブの裏切り。結果、暁の仲間達は……。
 今や自分は逃亡者だ。ウルダハから逃れて、遠い北国へと。
 こんな時にでも自分を助けてくれた人がいたのは、ありがたいことだ。感謝している。
 けれど、気分は浮かないままだった。
 悪夢のような出来事。本当に夢だったらいいのに、とさえ思う。テーブルに肘をつき、組んだ両手に額を乗せる。もう何度目かも分からない溜息が口から漏れた。
 その溜息すら響き渡りそうなほど、部屋はしんと静まりかえっていた。一緒に逃げ延びてきたアルフィノも、タタルも何も言わない。アルフィノは俯いていたし、タタルは不安気な表情のままだ。
 与えられた部屋は暖炉の火が赤々と燃えていて寒さは感じないが、心は重く、冷たい雪の中に放り出されたような気分だった。
 どれほど、そうしていたのか。静かに過ぎる時間はとてつもなく長く感じられたけれど、実際にはそれほど経っていなかったのかもしれない。
 不意に、ドアをノックする音が聞こえた。
「失礼します」
 それから、ここを守っているフォルタン家の兵の声。顔を上げてそちらを振り向くと、兵に開けられた扉の奥からはオルシュファン卿の姿が見えた。兵に律儀に礼を告げ、オルシュファンは中へ入ってくる。手に何か大きなものを持って。
「友よ、浮かない顔をしているな」
 そう言いながら、オルシュファンはテーブルへと歩み寄ってくる。漂ってくるほのかな香り。自分が口を開くよりも早く、それはテーブルの上にドンと音を立てて置かれた。
 オルシュファンが持ってきたのは、大きな両手鍋だった。蓋がされているから中身は見えない。アルフィノとタタルも流石に驚いたのか顔を上げて、目を瞬かせている。
 先ほどの兵が、取り分ける用だろう器とカトラリーケースを持ってきた。
「腹も減っているだろう。空腹では気分も落ち込むだけだからな。まずは腹ごしらえだ!」
 そう告げて、彼は鍋の蓋を開けた。真っ白な湯気と美味しそうな匂いが立ち上る。
 琥珀色のスープの中に入っているのは、よく煮込まれた骨付き肉、赤い腸詰めの肉、白い腸詰めの肉、ハーブの入った腸詰めの肉、……。
「……って肉ばっかりじゃないですか」
「野菜もちゃんと入っているぞ」
 とは言われたが肉ばかりで見当たらない。大量の肉に埋もれているだけなのだろうか。角度を変えてまじまじと覗いてみるが、よく分からなかった。腸詰めの陰に、ほんのわずかにオレンジ色が見えた気はする。
「私特製の鍋だ! とてもイイぞ、身体も温まるし元気が出ると部下達にも好評だ!」
「貴方が作ったんですか?」
 アルフィノの問いに、彼は満面の笑顔で頷いた。
「あぁ、これは自信作だ。さぁ、遠慮せずに好きなだけ食べるといい!」
 唖然とする三人に構わず、オルシュファンは器に肉を取り分けていく。目の前に出された器を見ると、大量の肉の上にちょこんとポポトの欠片とクルザスカロットの欠片が乗っている。なるほど、野菜だ。
 同じ調子で大量の肉を出されたアルフィノは絶句し、タタルはその前に「そんなに食べられないでっす!」と引き止めていた。
 身体の小さなララフェル族で、しかも女性だ。オルシュファンも納得したのか、彼女の分だけは量を減らしていた。
 彼は最後に自分の分もよそって、それから席に着いた。
 自分の手元の器と、彼の顔を見比べる。オルシュファンはいつも通りの笑顔を浮かべて、こちらを見ていた。
 不思議なものだった。さっきまでは食欲など欠片もなかったというのに、白い湯気と美味しそうな匂いに胃も刺激されたのだろうか。腹の虫が鳴きそうなほど、空腹を感じてきた。ごくりと生唾を飲み込んで、それからフォークを手に取る。
「いただきます」
「熱いから気をつけるのだぞ」
 優しい声に頷き、腸詰め肉にフォークを突き刺した。吹き冷まして、それから口に運ぶ。 溢れ出た肉汁が少し熱い。けれど程良い脂が口内に広がる。香辛料の効いた肉の味を噛み締めて、咀嚼して飲み込む。一度口にすると、あとはもう、止まらなかった。
 骨付き肉に齧り付き、また別の腸詰めにフォークを刺す。合間に食べたポポトは肉とスープの味が染みて、ほろりと柔らかく口の中で崩れた。
 スプーンでスープを掬って飲んでみると、肉と野菜のダシが効いていたが、どこか優しい味がしていた。
 器が空くと、また山と肉を盛られた。それから、肉の量と比べると申し訳程度の野菜も。
 普段なら辞退しそうなほどの肉の群れだが、自分でも気付かないほど空腹だったのだろうか、いつになく食が進んだ。
 数十分後、最初はこんなに食べきれるのかと思っていたほどの鍋の中身も、今や殆ど空になっていた。琥珀色のスープと、掬いきれなかった野菜の欠片が残っている程度だ。
 美味しかったが、流石にお腹もいっぱいだ。
「ごちそうさまでした」
 そう告げると、オルシュファンは怪訝そうな顔をした。
「何を言っているのだ、友よ。まだ終わりではないぞ」
 その言葉に思わず首を傾げる。鍋の中身は空ではないか。それとも、スープも飲み干すべきものだったのだろうか。
「ここにスティックライスとチーズを入れてリゾットにするのだ。鍋のシメは、やはりこれがなければな! すぐに出来るから、待っていろ」
 そう言って鍋に蓋をし、席を立つ。
 思わずアルフィノとタタルの方を振り返ったが、二人とも既に満腹だったのだろう、必死に首を振っていた。
 絶品だった鍋のスープを使って作るリゾット。興味はある。興味は確かにある、が、これだけの肉を食べたあとの胃に、入る余地があるとは思えなかった。
「オルシュファン、待っ……」
 しかし言い終わる前に、オルシュファンは部屋を出ていってしまった。
 それからしばらくして、再び鍋を持ったオルシュファンが戻ってきた。
 彼の熱意に断れるはずもなく。押し切られるように追加のリゾットまで食べることになってしまった。
 味は良かった。違う味を楽しめて、確かにシメとしては最適だろう。しかし。
「無理だ……もう動けない……」
 椅子の背にぐったりと身を預け、弱々しく呟く。完全に食べ過ぎだ。
 少々行儀は悪いがベルトも緩めた。美味しい鍋だったが、よくこんなに入ったものだと自分でも感心する。
「はは、とてもイイ食べっぷりだったぞ!」
 苦しいと感じるほどだが、こんな風に笑顔を見せられては無碍にもできなかったのだ。 けれど、確かに彼が言った通り、腹が膨れたら少しは気持ちも和らいだようだった。苦しすぎて他のことを考える余裕もないせいかもしれないが。
「……ありがとう、オルシュファン」
 それでも、なにからなにまで、彼の厚意は本当に有り難かった。この夕食の時間で、気分が上向いてきたのを感じていた。今は、一歩も動けそうにないけれど。
「食休みも兼ねて、たまには私とゆっくり話でもしようではないか。今までそのような機会も取れなかったしな」
 その言葉に頷き、夜の一時、友との会話に興じたのだった。

「いざイシュガルドへ、か」
 旅装に身を包み、遠いイシュガルドの方に視線を向ける。
「お前とはもっと話をしたかったのだが、少々残念だ」
 あれから数日世話になっていたが、彼と食事を共にできることはなかった。あの夜、彼は元々忙しい身なのに、自分達の為に時間を割いてくれていたのだ。
 心底残念そうな顔をしているオルシュファンに、自分は笑って返した。
「また今度、ゆっくり話そう。鍋でも囲みながら」
「あぁ、そのときはまた腕を振るおう! 私も楽しみにしているぞ!」
 そうしてキャンプ・ドラゴンヘッドを経ち……それから、イシュガルドの長い旅が始まったのだった。

     ******

「あぁ、いい匂いがする」
 テーブルの上には小さな両手鍋。蓋を開けると、湯気の向こうに琥珀色のスープと、大量の肉。
「熱いから、気をつけないとな」
 器は二つ。鍋を挟んで置いた。スプーンとフォークも並べてある。
「いただきます」
 そう告げる声は一つ。
 スプーンで琥珀色のスープを掬い上げ、吹き冷ました。
 この鍋を初めて食べたのが、もう遠い昔のように感じられた。
 あの夜、他愛ない話をたくさんした。任務とか、使命とか、そういったことは一切抜きで。ただ友人同士として、個人的な話などしていて。
 その中で何の気無しに質問したことを、彼は快く答えてくれたのだ。
 振る舞われた鍋の、レシピを。
「…………」
 スプーンを持つ手が止まる。
 視界が、滲む。揺らぐ。
 掬ったスープを強引に口に流し込む。飲み込む。
「……参ったな」
 コトン、と音を立ててスプーンが置かれる。
「やっぱり、貴方が作ったものじゃないとだめだ」
 声は震えていた。情けないほどに。
「教えてもらった通りに作ったのに、しょっぱいよ」
 でも。
「……っ」
 答えてくれる声はなく。
 赤々と暖炉の火が燃える部屋の中、自分の声だけが響いていた。
 静かに雪の降る、寒い夜だった。

 2015/10/10公開

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です