世界の為に戦い、走り続ける日々も、過ぎ去ってしまえばあっという間に感じられる。
「お茶が入りまっした!」
「ありがとう、タタルさん」
 人の少なくなった石の家で、彼女は仲間たちとテーブルを囲んでいた。テーブルにはタタルが淹れてくれたお茶と、英雄でもあり一流の職人でもある彼女作のクッキーが並んでいる。
 座っているのは、ヤ・シュトラ、タタル、それから何故か一緒に呼ばれたグ・ラハ・ティア。そこはアリゼーではないのか、と思ったが、アリゼーはリムサ・ロミンサに出かける予定があったらしい。一緒にお茶を楽しめないことを心底残念そうにしていたが、代わりにと彼女がクッキーを包んで渡すと、うれしさを隠しきれない様子で出かけていった。
「いただきます」
 湯気とともにただよってくる、カモミールティーの優しい香り。クッキーはエーコン、セサミ、ジンジャー、コーヒーと、好きなものを楽しめるようになっている。
 淹れ立てのお茶は美味しい。カモミールの香りが落ち着く。クッキーを一つ摘まんでみれば、サクサクとした食感とセサミの風味がたまらない。
 クリスタリウムでもコーヒークッキーが好評だったが、こんなに美味しいものだっただろうか。次々と手を伸ばしたくなる程、味も食感も絶妙なバランスに仕上がっている。彼女の腕前は本当に感心する。
 束の間とはいえ、待ち望んでいたはずの平和な時間だった。こうして暁の主要なメンバーが一緒にいるのだから、交流を深めて英気を養うのは、今後の戦いを皆で生き抜く為に有効に働くだろう。
 終末の塔、テロフォロイ、アシエン・ファダニエル……気になることはあるが、次の一手を進めるにはまだまだ時間が必要なのだから。
「うーん……」
 しかし、クッキーを片手に、彼女は唸り声をあげた。
「どうかしたんでっすか?」
 タタルが首を傾げる。
「美味いぞ?」
 グ・ラハ・ティアがそう告げると、彼女は曖昧に笑った。
「ありがとう。まだいっぱいあるから好きなだけ食べて」
「それは嬉しいけど、どうしたんだ?」
 手にしたクッキーが問題でないなら何だろう。訊ねてみれば、彼女は静かに目を伏せている。
「なんか、こんなにのんびりしてて、良いのかなって思っちゃって」
 毎日忙しくしていたのに急に手があいてしまうと、今度はどうしていいのかわからなくなってしまうのは理解できる。しかも、戦い続けてきて、今できる手立てがないとはいえ、問題は解決していないのだから心配する気持ちもあるだろう。けれど。
「あなた、働き通しだったのだから少しは休暇も必要よ。前にも言ったと思うけれど」
 ヤ・シュトラにぴしゃりと言われ、彼女は項垂れた。ふわふわの耳がしゅんと垂れ下がっている。
「休める時にはちゃんと休むのも仕事でっすよ」
「はい……」
 どうやら、こんなやりとりも一度や二度ではなさそうだった。
 そういえば、こちらの世界でクリスタルタワーの調査をしていた時は、一緒にいた期間が短かったし気がつかなかったけれど。第一世界でもこんな風に時間が空いた時にはミーン工芸館に頻繁に出入りしていたり、リスキーモブがーとか希少な素材がーとか、なんだかんだ外に出かけていた事も多かったように思う。
「といっても、連絡待ちの待機状態みたいなものだと、気も休まらないんじゃないか」
 グ・ラハ・ティアが口を挟むと、ヤ・シュトラは笑った。
「ここに居て落ち着かないのなら、いっそ旅行でもしてきたらどう?」
 ヤ・シュトラの言葉に彼女はぱちりと目を瞬かせた。
「そうでっす、何か進展があれば連絡しますので、少しくらい羽を伸ばしてくるべきでっすよ」
 タタルもまた追い打ちをかける。彼女はしばし考えていたが、ぱっと顔を輝かせた。
「だったら、クガネに泊まりにいこうかな! 久々に温泉入りたいし」
「あら、良いじゃない。ゆっくりしてらっしゃいな」
「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかなー」
 彼女はえへへー、と手を組んで嬉しそうに笑っている。
「あんた、温泉好きだよな」
 グ・ラハ・ティアも、彼女と共にクリアメルトやブロンズレイクに行ったことがあった。
「うん。冒険者になる前は東方にいたからねぇ」
 そういえば以前、孤児だった彼女を拾ってくれたのが東方の商人だったと聞いた。そしてそのまま、子供の頃は東方で過ごしていた、と。
「クガネ、か……」
 彼女が解放者としての旅路をたどった記録を読んだのを思い出す。
 東方の港町。ギラバニアのラールガーズリーチで解放軍がゼノス・イェー・ガルヴァスの襲撃にあった後、東方のドマへと向かうために海を渡り降り立った街。
 彼女の軌跡の重要な都市の一つ、どんな街か気になる所ではあるが。
「グ・ラハも行く?」
「エッ」
 予想外の言葉に、思わず声が裏返った。
「望海楼っていう広い露天風呂つきの宿があるの! そこの温泉は最高だよー」
 いや、温泉というかクガネの街や彼女が好きなものには興味しかないが、誘われるなんて思っていなかった。
 だって彼女と二人で温泉宿なんて、そんな。確かに恋人ではあるけれど。そんな大胆な話があるか。
「い、いいのか」
 葛藤する内心とは裏腹に、思わず素直な本音が飛び出した。少し上擦った固い声は、明らかに下心が滲んでいただろう。
 周りの視線がやや突き刺さる気がするが、言ってしまったものは取り消せない。
「クガネ、楽しいよー、この辺とは全然違うの!」
 いや、心から楽しそうな彼女は、きっとグ・ラハが悩むようなことは深く考えていないのだろう。そんな気がする。良く言えば純粋、悪く言えばほんの少し鈍いというか疎いというか、そんな所も彼女の魅力だけれども!
 そうこうしているうちに、外出していたエスティニアンが戻ってきた。
「クガネに行くのか」
「うん、少しだけ休暇」
「……ならば『おつかい』を頼んでもいいか?」
 好きだろう、お前は。そう言いながらエスティニアンは財布を取り出す。
「別に好きなわけでは……」
 彼女が曖昧に笑いつつも何枚かのギル硬貨を受け取ると、タタルが肩を竦めた。
「せっかくのデートなのに野暮でっす」
「ついでに買い物を頼むだけだろう」
 タタルが物言いたげにグ・ラハ・ティアを見上げ、ヤ・シュトラはティーカップに口をつけながら視線だけをこちらによこした。
 それに気づいているのかいないのか、彼女はエスティニアンから受け取ったギルを革袋に入れて鞄にしまった。
「グ・ラハはそんなこと気にしないよ」
 ね? と可愛らしい上目遣いで言われてしまえば、嫌だなんて言えるはずもなかった。
「あ、あぁ! もちろん」
 なんだか自分に集まる視線が、同情的なものになった気がするのは、気づかない振りをした。

 何はともあれ、彼女と二人でクガネへの小旅行だ。休暇の旅行という名の外泊デート。もはや暁の仲間たちには公認の仲(単に筒抜けになっていただけとも言うが)であるし、深い関係になってからそれなりに経っている。けれど二人での外泊となるとやっぱり緊張する。
 クガネを訪れたことのないグ・ラハ・ティアの為に船旅で向かおうかとも言っていたが、それなりに日数がかかってしまうし、タタルが持っていたクガネへの転送網利用権をくれたので、少々味気ないが行きも帰りもテレポ移動だ。けれど、その分現地での行動時間が増えるので、悪いことばかりではない。
 何が起きるか分からないし戦えるだけの備えは一応しておくが、今回の目的はあくまで休暇の観光だ。数日分の着替えを用意し財布に多めのギルを詰めておく。大きな街だというから、あとは現地で調達するだけで充分だろう。

 転送網利用券で移動した先は、エーテライトがある広場だ。こちらでは転魂塔と呼ぶらしいけれど。道行く人たちの装いも、景色も、何もかも書物以外では初めて見るものだった。つい、きょろきょろとあたりを見回したくなるけれど、いかにもよそから来ました、という行動をとるのも気が引けた。堂々としている彼女について静かに歩く。
 二人はクガネの港の入り口にある店で、まず食事をとることにした。
 人のざわめきはどこの国に行っても変わらない。活気がある街で人は短時間でも入れ替わっているが、この賑わいは平和な時間を実感させてくれた。
「お寿司もおうどんも美味しいんだよー。私はあんまり飲まないけど、お酒もお勧めだって」
 どちらも書物で見たままだ。いや、モードゥナでも東方の料理が食べられるけれど、現地に来て食べるのはまた違う。しかも港町の新鮮な魚が使われているのだ。期待も高まる。
 まだ日も高いしこれから観光するので、酒は遠慮することにした。異国の酒に興味はあるけれど、泊まりなのだから夜でも飲めるだろう。
「本場の寿司が食べられるなんて、最高だ」
 料理に舌鼓を打っていると、彼女が寿司の作り方を学びに来た時の話をしてくれた。モードゥナで東方の料理が提供されていたのも、彼女が絡んでいたというのは噂程度に聞いたことがあったけれど。具体的に話を聞くと、改めて感心する。
「こんなものまで作れるのか!」
「ちょっと教わっただけだから、こんなに上手くは作れないけどねー」
 一流の職人になるには何年もかかると言うが、彼女の腕前なら充分作れそうな気がしてしまう。いや、彼女ほどの職人だからこそ、些細な違いまで分かるのだろうか。
 自分には、魚が新鮮なことくらいは分かるけれど、ネタの切り口だとか米の握り方のバランスとかそこまではよくわからない。ただ、彼女が褒めちぎっているのだから、相当美味しいのだろう、というくらいだ。実際、一口食べた瞬間に美味しいと感じた。
 ずっとこうしていたい、とさえ思うけれど、美味しい食事はあっという間に食べ終えてしまった。とはいえ、忙しい昼時にさしかかっては、あまり長居しすぎるのも邪魔になってしまうので丁度良い頃合いだろう。
 店を出て、再びエーテライトの広場に戻る。茶屋も気になったけれど、今は少しだって食べられそうにない。
 朱塗りの橋を渡り、ゆっくりと街を歩く。何を見ても目新しい。そのうちに商店の建ち並ぶ通りに来た。
「ちょっとおつかい済ませちゃうね!」
 そう言って彼女が買っていたのは、クガネ産の乾物、スルメだった。店主と楽しそうに交渉しているのを少し離れた所から眺めていたが、盛り上がっていたかと思えば大きなものを何枚か渡され、更には足だけのものをオマケに貰い、上機嫌で戻って来た。そして息つく間もなく、すぐに次の酒を扱う店へと向かった。
「どのお酒がお勧めですか?」
 酒には詳しくないという彼女は、今度は酒屋の店主の話を熱心に聞いている。
 東方独特の酒の説明、その内容は自分にとっても興味深かったけれど、あまり頭には入ってこなかった。
 楽しそうにおつかいの品物を物色する彼女に、グ・ラハ・ティアは複雑な想いを抱きながら、誰にも聞こえないほどの小さな声でつぶやいた。
「ソウダナ、頼まれものなら仕方ないな、うん……」
 出立前の会話がよみがえる。あんな風に言われては、文句の一つさえ言えなくなってしまう。自分の心が狭いみたいじゃないか。
 別に彼を特別扱いしているわけじゃない。仲間に頼まれた買い物に、お土産を足しただけだ。他の仲間たちにもあとで色々と買い込むのはわかりきっている。
 エスティニアンの分は、おつかいとして頼まれたから、先に用事を済ませようとしただけだ。
 自分は、今、二人きりでクガネまで旅行に来ているんだ。それ以上の特権があるものかいやない!!
 心の中で一息に叫び、無理矢理自分を納得させる。
 彼女は興味を示せば別に自分じゃなくても同じように誘ったんじゃないか、なんてことまでは考えてはいけないのだ。
 困っている人を放っておけない、心優しい冒険者。第一世界の光の戦士アルバートも、元々はそういった人柄だったそうだし、エメトセルク曰くの『なりそこない』ではない古代人として生きていた頃から、彼女はきっとそういう性質の魂の持ち主なのだろう。
 それを寂しいとは言えない。だって、今までの彼女の軌跡が、紡いできた絆がどういったものなのか、それをよく分かっているから。
(元々は、そうだ)
 あの人が無事ならそれでいい。あの人の命を繋ぎたい。それだけが願いだった。
 その為に世界を渡り長い時を生きてきたのだ。
(そもそもが、死ぬつもりだったんだ、あのときに)
 それなのにこうして生きて、しかも水晶公ではなくグ・ラハ・ティアとして隣にいられることだけで、もう奇跡だというのに。
 愛して、受け入れて貰えて、自分はどんどん我が儘になっている。
 欲望は絶える所を知らず、いくらでも膨れ上がっていくのだな、と妙に達観した気分で溜息をついた。なんだか少し、息苦しい気がしてきた。
「グ・ラハ、大丈夫?」
 いつの間にか目の前に来ていた彼女が、じっと顔を覗き込んでいた。荷物はレターモーグリで送ったのだろう。元々持っていた鞄だけになっている。
「顔色が悪いよ。ごめんね、疲れちゃった? 結構人も多いから酔っちゃったかな……」

「あぁ、いや……」
「もっと人が少ない所に行こうか」
「…………」
 そう言って手を引かれ、ぎゅっと胸が締め付けられる心地がした。
 細く柔らかな女性の指。戦いでついた細かな傷あとが残る手の、温かなぬくもり。
 自分より小さなその手を、包み込むように握り返す。
 この手はいつだって、誰かを救いあげていく。自分もまた、その救われた一人だ。
 この温もりを手放したくない。独占していたい。なんて、また我が儘な気持ちが顔を出す。それは見ぬ振りをして、彼女について歩いていった。

 彼女が案内してくれたのは、第一波止場と呼ばれる所だった。
 潮風が肌を撫でていく。波音が心地良い。
「すごいな」
「ここで風に当たってれば、少しはよくなるかも」
 それでも辛かったら宿に向かうように提案されたが、別に体調が悪いわけでもないし、せっかく来たのに宿で寝ているのも勿体ない。観光、というには見るものが少ない場所だけれど、ここに連れてきてくれたのは嬉しかった。
 海自体は自分にとっても珍しいものではないが、見える景色はその地によって全然違う。
 適当な場所に座り、海を眺める。波音と共に、ざわついていた気持ちも凪いでいくようだった。
「なぁ、紅玉海での話、聞かせてくれよ」
「ん、そうだね。あの時は――」
 グ・ラハの言葉に、彼女は頷いた。解放戦争での旅の話が、彼女自身の言葉で紡がれていく。
 何があったかは何度も書物で読んでいた。けれど、彼女の口から語られる話は、また違った視点もあっていつまでも聞いていたくなるものだった。
 だって記録にはただ事実が綴られているのみで、彼女がその時どう感じていたかなんて残されていない。
 碧甲羅のコウジン族や、アウラ・スイ族の住む海中の里。海賊衆と帝国とのこと。イサリ村の特産品や、一緒に魚を釣った時のこと。天まで届きそうな塔、それからテンゼンという名の青年と四聖獣の物語。
 彼女の声で断片的に紡がれる物語が、事前に記憶していた英雄譚に、鮮やかな色をつけていく。グ・ラハ・ティアが自身の目で見たわけではないし、彼女のように超える力で追体験をするということもできない。それでも、彼女の――憧れの英雄の物語に触れることができて、幸福感が胸を満たしていく。
「私ばっかり話しちゃったね」
「俺が聞きたいって言ったんだ。楽しかった、ありがとう」
「ん……」
 少し照れたのか、彼女ははにかんだ。
「っていうか、あんたの方がしゃべり疲れただろ。少し時間も経ったし、さっきの茶屋でお茶を飲まないか?」
「そうだね、お団子も食べよう」
 どちらからともなく立ち上がり、三度エーテライト広場へと戻ることにした。

 

 

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2月にこの続きと別の話を収録した本を出せたらいいな、と思っております。

本当は温泉イチャイチャが書きたかったはずなのに、準備号で肝心な部分までたどり着いていないオチが…

 2021/11/13公開