一度に色々なことが起きて、簡単に頭が受け入れてくれない。
 それでも絶望せずにいられたのは、優しく差し伸べられた手があったからだ。

 ――英雄と呼ばれた少女は一夜にして罪人の身となった。
 クリスタルブレイブの裏切り。罠に気づいた時には既に遅かった。背負わされたのは王女殺しという大罪。
 暁の仲間も散り散りになり、絶望に飲み込まれそうになるのを必死に耐えて走り続けた。
 それでも自分を信じ、手を貸してくれた人達のおかげで、今自分はここにいる。
 クルザス中央高地、キャンプ・ドラゴンヘッド。その一角で彼女は空を見上げていた。
 今はやんでいるが、夜の闇でも分かるほどに一面雪景色だ。冷えた指先を吐息で温める。
 肩まで伸びたまっすぐな栗色の髪に、長い睫毛が縁取る濃茶色の瞳をしたミッドランダーの少女。街娘のような質素なワンピースにケープを羽織っているが、傍らには白魔道士の杖を携えている。
 追われる身とはいえ、『雪の家』での生活は穏やかだった。用意された清潔な衣服、温かな食事、柔らかな寝床。生活する上で不自由のないように配慮されていた。追っ手が来ることもない。
 冒険者になってからはずっと旅をしていた。そのさなか、帝国や蛮神などと戦い続けてきた英雄。戦うことが当たり前の生活だった。けれど争いから離れたこの生活は、居心地が良いとさえ感じていた。
 ずっとここに居たいと、心のどこかで願ってしまうほどに。
「オルシュファン様……」
 彼の笑顔と、優しい声と。思い出す度に胸が締め付けられるような、甘く切ない感情。その正体を自分は知っていた。
 けれど口にすることはできない。自分にはまだ、やることがあるのだ。
 分かっていた。これは束の間の幸せ。戦いの日は、いずれまた来るのだと。だからこのままではいけない。安寧の日々は、短い夢なのだ。

 翌日、少女はオルシュファンの居ない時間を見計らい、彼の部下であるエレゼンの女性を訪ねていた。
「あの、ヤエルさん。ご相談があるんです」
 彼女は目を瞬かせる。
「私に?」
 少女はこくりと頷いた。 
「料理を手伝わせて欲しいんです。いえ、料理じゃなくても、洗い物でも掃除でも、何でもいいんです」
 ヤエルは困った様子で口元に手を当てた。
「けど、あなたにそんなことをさせるわけには……」
「私も何かできることをしたいんです」
 少女は必死に食い下がる。彼らが自分達を客人のように丁重にもてなしてくれているのはよくわかっていた。
 オルシュファンは本当に、真綿でくるむように優しく扱ってくれている。その気持ちは本当に嬉しいけれど、ただ守られているのも嫌だった。
 少しでも何かを返したい。その気持ちを素直に口にする。
「それに……何かしていないと、やっぱり落ち着かなくて」
 これも正直な気持ちだった。何かをしていた方が気が紛れる。遠出できないことを除けば何も不自由ない生活だったが、一日中大人しく、時が過ぎるのを待っているだけではいられそうになかった。
 ここに来て数日、十分に休息もとれた。だからこそ、何でもいい、動き出したかった。
「そうね、人手はいくらでも欲しいけれど」
 足りないところを確認してくるわ、とヤエルは告げた。
「でも良かった。オルシュファン様と何かあったのかと思ったわ」
 予想外の言葉に、少女は慌てて首を横に振った。
「いえ、オルシュファン様は、とてもよくして下さっています」
 感謝してもしきれないくらいに。
 ヤエルは微笑むと、少女に言った。
「オルシュファン様に言いにくいことがあったら、遠慮なく頼ってくれていいからね」
「ありがとうございます」
 部屋を出て行く後ろ姿に、少女はぺこりと頭を下げた。

 それから数日、少女はキャンプ・ドラゴンヘッドの中で洗濯や調理などの手伝いをしていた。身体を動かしていると多少は気分も上向いた。
 かごいっぱいの洗濯物を抱えて歩いていると、にわかに外が騒がしくなる。
「……?」
 断片的に聞こえる声を拾い上げてみると、街の外で魔物が大量発生して、荷運び人が足止めされているらしい。
「あら、ワイルドダイルね。たまにあるのよ」
 隣にいた洗濯担当の女性が溜め息を吐いた。
 ワイルドダイル。その名前から記憶を呼び起こす。戦ったことはある。白魔道士の自分一人でも倒すことはできるだろう。
「あのっ、すみません、これお願いします! 退治してきますので!」
「えっ? ちょっと、危ないわよ!」
 少女は半ば押しつけるように女性に洗濯かごを渡すと、雪の家へと駆け込んだ。
「あれ、早いでっすね」
 裁縫をしていたらしいタタルが顔を上げた。
「タタルさん、ちょっと魔物退治してきますね!」
「あっ冒険者さん!」
 愛用の杖を手に取り、返事も待たずに少女は外へと駆けだした。

 少女が着いた時には他にも兵や冒険者らしき者が数人、戦闘中だった。
 少女もすぐに加勢し、風と土の幻術を駆使して魔物を倒す。
 ほどなく、魔物の群れは片付けられた。荷運び人が礼を言って再びドラゴンヘッドへと歩み出す。
 一息吐いていると、不意に名を呼ばれた。
 振り返ると、蒼銀の髪のエレゼンの青年。
「オルシュファン様」
 キャンプ・ドラゴンヘッドから走ってきたのだろう、息を切らせている。
「こんなところにいたのか」
「すみません」
 少し強ばった声に、心配させてしまったのだと反省する。
「怪我はないか」
「大丈夫です」
「……この程度の魔物に、お前が遅れをとるはずもなかったな」
 じっと見つめられ、少女は息を呑む。真摯な眼差し。とくんと鼓動が跳ねた。
「だが、外では何があるか分からないのだぞ」
「近くなら平気かと思って……すみません」
 しゅんとする少女に、オルシュファンは首を振る。
「いや責めるつもりはないのだ。もう、帰ろう」
 促され、少女は後について歩き出した。

 陽も傾き始めた頃、彼の執務机で話をしていると、突然扉が勢いよく開け放たれ、彼の部下の一人が駆け込んできた。
「オルシュファン様!」
「何事だ」
 青年は姿勢を正すとオルシュファンに報告を始める。
「ホワイトブリムの奥で複数のドラゴン族出現。この辺では見かけない種類です。おそらくは西部高地で見かけられる種類かと。負傷者も多数でている模様!」
「な、ドラゴン族!? こんなときに」
 オルシュファンは立ち上がると、傍らに控えるコランティオに指示を出した。
「私も出る。案内を」
 準備をしようとした彼の腕を、少女は掴んだ。
「オルシュファン様、私も行かせてください!」
「しかし」
「怪我人が多いなら、私の力も役立つはずです」
「お前は、指名手配中の身だぞ!?」
 外には誰がいるか分からない。ドラゴンヘッドから離れてしまえば、オルシュファンの力でも完全に守れるわけではないだろう。だから外に出ることをためらうオルシュファンの気持ちはよく分かっていた。
「フードで顔は隠します。この状況でそこまで見ている人はいないと思うので」
 お願いします。少女は必死に頼み込む。
 オルシュファンの忠告も分かってはいる。それでも、放っておくことなどできなかった。戦う力も癒しの術もあるのに、何もせずただ待っていることなんて。
「止めても無駄か。……決して無茶はしないと約束してくれ。あまり私のそばから離れないように」
「はい!」
 少女は頷いた。

 チョコボを走らせ、ホワイトブリムの更に奥。日が落ち暗く染まる空から雪がちらつき始めていた。
 ドラゴンの咆哮が轟き、少女は身を竦める。
 少し先をみると、倒れている大勢の人、赤く染まる雪。更に奥にはドラゴン族と応戦する人達。
(予想以上に怪我人が多い……)
 戦闘の援護にまわるよりも負傷者の治癒に専念した方が良さそうだ。
 少女は愛鳥から飛び降りて、ぐったりと倒れている青年に癒しの術をかけ始めた。
 オルシュファンと彼の部下はそのままドラゴン族と交戦する。
 オルシュファンの強さは一度共に戦った時に知っている。幻術士も数人援護についている。だから心配はしていなかった。彼の背中ほど信頼できるものは他にないと思っていたから。だから自分が今すべきなのは、目の前の怪我人を救うこと。
「しっかりしてください!」
 一人一人に癒しの術を施していく。戦闘中の冒険者や兵を支援する癒し手も数人いるが、被害は増える一方だった。
 ドラゴンの断末魔が轟き、どさりと一体地に伏した。オルシュファンが剣を引き抜き、ちらりとこちらを振り返る。気にしてくれているのだろう。
 少女が頷くと、オルシュファンは微笑んでみせた。そして次のドラゴン族へと斬りかかる。
 少女は荷物からエーテルの小瓶を取り出し、飲み干す。
 手の甲で額の汗を拭うと、杖を握りなおした。
 少女は杖を手に、術の詠唱を始める。
「空の下なる我が手に、祝福の風の恵みあらん! ――ケアルガ!」
 少女の周囲に風が渦巻き、目映い癒しの光へと化す。そして周囲に降り注いだ。
 傷が癒えていくのを横目で確認し、まだ傷ついている人がいないかを探す。
 遠くでまたドラゴンの断末魔が聞こえた。これで最後。終わったのだ。
 だが自分の仕事は終わっていない。
「他に、は……」
 暗い視界の中探していると、ふらりと雪に足をとられた。そのまま視界がぐにゃりと歪む。
 白魔法は自然の力を借りて術を発動させるものとはいえ、体内のエーテルを消費しすぎた。
「あ……」
 身体の力が抜けていく。
 オルシュファンの側へ行きたかった。けれど立っていられない。少女はそのまま崩れ落ち、雪の上に倒れた。

「……!」
 振り返ったオルシュファンが慌てて少女の元へと駆け寄る。
 倒れた拍子にフードがめくれ、にわかにざわつく者があった。
 ゆっくりと近づいてくる二人組の足音。伸ばされた手を制し、オルシュファンは相手を睨みつける。
「私の連れに何か?」
「その女、手配書の英雄じゃ」
「追われる身の英雄殿がこんな所にいるとでも?」
「でも、これだけの癒し手は普通の冒険者じゃないだろ?」
「彼女は私の大切な人だ。無礼を働くのならば私も容赦はしない」
 剣に手をかけたままオルシュファンは低い声で告げる。
 脅しではなく本気だと理解し冒険者達は怯む。ひそひそとなにやら話していたが、やがて諦めて帰っていった。
 オルシュファンは少女を抱き上げる。
「無茶をするなと、言ったのだがな」
 溜め息と共に告げられた言葉は少女に届かない。それでもオルシュファンは苦笑混じりの優しい笑みを浮かべていた。

 少女が目を覚ますと、そこは既に見慣れた部屋だった。柔らかなベッドの上に寝かされているのだと気づく。
「オルシュファン、様?」
「あまり心配させないでくれ」
 身体を起こしてオルシュファンの方に向き直ると、彼は深い溜め息を吐いた。
「すみません、また迷惑をかけてしまいました」
「迷惑などと思ったことは一度もない。お前には何度も助けられている。だが、お前に何かあっては……」
 真っ直ぐな瞳に射抜かれ、どくんと心臓が跳ねる。そんな風に見つめられては勘違いしてしまいそうだった。
 少女は思わず視線を逸らした。
「そうですよね。私の力は、世界のために必要なんですよね」
 自分の持つ力、自分の果たすべきことは分かっている。希望の灯で在らなければいけないということ。今は、足を止めているけれど。
「……、そうだな」
 その声に、どこか悲しそうな色を含んでいたのは気のせいだろうか。
「それがお前のイイところなのだがな。せめて今は忘れて、もう少し休め。まだ顔色が悪いぞ」
 穏やかな声とは裏腹に、反論は認めないとでもいうように優しく肩をつかまれる。そのままベッドに押しつけられ、毛布をかけられた。
「あの」
 この優しさに、もう少し甘えてもいいだろうか。
「眠るまで、一緒にいてもらえませんか」
 勇気を振り絞って告げた言葉に、オルシュファンは力強く頷いた。
「あぁ、ここにいる」
 髪を撫でられ、少女はふにゃりと笑った。

 そう遠くない日に、再び戦いは始まる。そんな予感があった。
 それでも、こうして彼の――愛しく想う人の優しさに包まれていたこの思い出は、何よりも自分の心を照らし力に変えてくれるだろう。
「……ありがとう」
 小さな声で呟いた言葉は彼に届いたのかは分からない。
 砂糖菓子のように甘くふわふわした幸せの中、少女は目を閉じた。

 2016/07/03公開

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