いつもより遅く眠りから覚めて、しばしベッドでぼんやりする。重く気だるさを残す身体に、昨夜の記憶が呼び起こされた。
 ……まったく、二人とも容赦がない。
 流される自分も自分だが、結局のところ、嫌ではないから困るのだ。
 下着だけは身につけていた。履かせられていた、というのが正確なところだ。のそりと布団から這い出て、枕元に置かれていた自分のシャツを羽織る。
 お手洗いに行って、顔を洗って――いやシャワーを浴びた方が早いか。などと考えながらベッドから降りた瞬間、アズールはがくんと膝をついた。
 足腰に上手く力が入らない。立ち上がって歩くのが厳しい程度に。陸にあがりたての頃みたいだ。それよりも酷いかもしれない。
 それにしても、まともに動けなくなるほど、というのはどうなんだあの二人。さんざん人の身体を好き放題貪り尽くして、今頃はすっきりした顔で機嫌よく元気に動き回っているだろう。少しだけ腹が立つ。
 彼らの部屋なのに、見回しても二人ともいなかった。いそうな場所はシャワー室か食堂あたりだろうか。寮内のどこかにはいるだろう。
 どうせ誰が見ているわけでもないし、いっそ這って移動した方が楽なのではないかという気になり、床の上で身体を引きずる。そして一メートルも動かないうちに、扉が開いた。
「おや、床に這い蹲って芋虫の真似事でもしているのですか? いいザマですね」
「ジェイド……」
 突如降ってきた皮肉に、口元がひきつる。彼はわざわざアズールの目の前にしゃがみ込み、こちらを見ている。
「はぁ、誰かさんたちが昨日好き勝手してくれたおかげで、お手洗いに行くのも一苦労ですよ」
「それはそれは、ご愁傷様です」
 まったく悪びれた様子のない態度に、苛立つよりも呆れが勝った。下手に反論したところで色々言われるのは目に見えている。相手をするよりも、さっさと自分の身支度を済ませてしまおう。そう考えて動きだそうとするが、目の前の人物はこちらを見つめたままだ。
「邪魔なんですが」
「そうですか」
「……このままここでしてやりましょうか」
「でしたら、あなたの痴態の一部始終を動画に収めておきましょう」
「えっ」
 にこやかに言い放たれたジェイドの言葉に、アズールは顔と声をひきつらせた。別に切羽詰まっているわけでもないし、当然ただの冗談だったのだが、まさかこの返しは予想外だった。連れて行ってくれるとまでは思っていなかったが、せめて『それは困りますねぇ』とかなんとか言って退いてくれると思っていたのだ。
 冗談、ですよね? という一言は怖くて口に出せない。ジェイドならやりかねないのでは……と、一瞬でも思ってしまったからだ。いや、それ以前にこんなところで粗相などしないけれど、そういう問題でなく。
 アズールが固まっていると、部屋の扉が開く音がした。それが誰かなんて見ずとも分かる。
「っ、フロイド、フロイド!」
「なぁに? アズール」
 そう言って近づいてくるフロイドに、アズールは身体を起こして両手を伸ばした。小さな子供が、親に抱っこをせがむような格好で。
「お願いします、僕を運んでください」
「あはっ、また動けなくなっちゃった? いいよぉ、昨日いっぱいさせてくれたし」
 フロイドは軽々とアズールの身体を横抱きに抱え上げる。
「どこに行きたいのー?」
 フロイドは上機嫌な笑顔で、アズールの顔をのぞき込む。
「とりあえずお手洗いに……」
「はぁーい。ちゃんと掴まっててね~」
「やっぱりフロイドは頼りになりますね」
 アズールはフロイドの首に腕をまわした。
 クスクスと笑うジェイドを残し、二人は部屋を出ていった。

 部屋に一人残されたジェイドは、先ほどまでアズールが寝ていたフロイドのベッドを、綺麗に整え始めた。昨夜は自分のベッドで三人で思う存分楽しんだあと、意識を飛ばしたアズールの身体を綺麗にしてから、フロイドのベッドに運んで寝かせた。脱いだ衣服やら汚れたシーツやらを洗濯に出す、という所まで後始末をして、さきほどその洗濯物を干して、朝食の下準備だけしてきた。
 二人が戻ってきたら食事にしましょうか。そう考えながら部屋を整えていたが、いっこうに戻ってこない。というか二人が出ていってから十五分、いや二十分近く経っている。
 床を這っていたのは足腰が痛いからだと思っていたが、まさかアズール、具合でも悪かったのでは。急に心配になり、部屋を出る。
 しかしトイレには誰もいなかった。
 シャワー室の方からわずかに声が聞こえたので行ってみると、そこにアズールとフロイド、二人の姿があった。
「じっとしていてください」
「え~」
 シャワー室の鏡台の前に座るフロイドと、その膝に座ってフロイドの髪をドライヤーで乾かしているアズール。
 具合は悪くなさそうどころか、元気そうで何よりだけれど。
 ここに来る寮生はまずいないとはいえ、堂々とイチャつきすぎにもほどがある。バカップルですかあなたたち?
 喉まで出かかった言葉は大きなため息に変わった。
「ジェイドじゃん、どうしたの」
 それはちゃんと二人の耳に届いたらしく、フロイドが振り返り、首を傾げる。
「戻って来ないと思ったら、酷いです僕をのけ者にして」
「アズールがシャワー浴びたいっていうから連れてきただけだし」
「シャワー室で二人で盛り上がっていたと」
「はぁ? 別に何もしてねぇよ」
 今度はフロイドが面倒くさそうにため息をついた。
「それより腹減ったんだけど。ジェイド何か作ってよ」
「のけ者にした挙げ句、パシリですか……僕は悲しいです。しくしく」
 泣き真似をしてみればフロイドが、うわ、と嫌そうな声を上げた。兄弟なのにこの仕打ち。昨夜はアズールを挟んであんなに息ぴったりに盛り上がったというのに。いや、終わったら面倒な後始末は全部押しつけて寝ていたけれど。
「僕は召使いのようにただ働いていればいいということですね。あぁ、僕はこんなに二人に尽くしているのに」
 フロイドの肩から顔を覗かせていたアズールが顔をしかめる。
「拗ねた……」
「ねーアズールなんとかして」
 声をひそめることすらせず堂々と、嫌そうな顔を向けてくる。この程度は予想の範疇なので傷つきもしない。
 アズールはしばし考え、ジェイドを手招きした。素直に二人の側まで歩み寄ると、アズールはじっとジェイドを見上げてきた。
「僕もお前が作った料理が食べたいです。良いでしょう?」
 上目遣いに見上げ、頬に手を伸ばされる。
「仕方ありませんね」
 まぁ、アズールの可愛らしいおねだりなんて、ベッドの中でもなければそうそう見られることもない。わざとらしいのは目をつぶろう。
 その手をとって手のひらに口づけてやれば、アズールはつまらなそうな顔で言い捨てた。
「っていうか諸々面倒を見るのが交換条件で先払いしているのだから、さっさと支度してください」
 確かに昨日コトに至る前に、アズールは身体が使い物にならなくなるだろうことを自分できっちり予測して『明日はお前たちが僕の面倒を見るのなら』と条件は出されたし、それに同意した。二人がかりで抱いてしまえばどうしたって受け入れる側のアズールの身体の負担が大きいのは明白だし、それでも時折こうして受け入れてくれているのだということは理解している。
 けれど、それにしたって、この変わり身。もう少しくらい、自分にも優しくしてくれていいのでは? と思わなくもない。
「あなた僕に対する扱い雑ですよね」
「おや、ではお前は僕に対して雑ではないと」
「いやですねぇ、誠心誠意尽くして身を粉にして働いているじゃないですか」
「その冗談はさっきも聞きました」
 あっさりと言い捨てて、しっしっと追い払うみたいに手を動かし、さっさと行けと言外に告げてくる。
「はぁー、昨夜はさんざん甘えてねだって泣いて鳴いて大変可愛らしかったのに」
「いいからさっさと行け!」
 ついには口調すらも雑になり、ジェイドはシャワー室を追い出されたのであった。顔が、それこそ茹でダコのように真っ赤だったので、怒っているのではなく照れていただけだろうが。

 それからしばらく経って、三人はアズールの部屋に集まっていた。ある程度仕込んでいたサンドイッチを切って皿に盛り、冷たい紅茶をポットに入れてジェイドは戻ってきた。寮長の部屋には簡易な応接セットがあるので、三人で食事をとるなら双子の部屋よりこちらの方が都合がいい。
 ジェイドの隣でもぐもぐと無心にサンドイッチを頬張るフロイドと、向かいに座り丁寧な手つきでもそもそと口に運んでいるアズール。じっ、と見つめていると、アズールが顔をあげた。
「なんです?」
 そんなに見られていたら食べづらいのですが。と目を細めてくる。
「あぁ、味はいつも通り美味しいですよ。僕たちに言われる前からきちんと準備していたのでしょう? 種類も色々あって手が込んでいる」
「ええ、頑張りました」
 堂々と胸を張ってジェイドは答えた。それくらい自信がある。
 ジェイドが用意していたのは、ハムとチーズとキュウリを挟んだもの、スライスしたゆで卵の入った卵サラダとレタスのもの、コールスローサラダをたっぷり挟んだものなど、アズールが好む野菜が多めのサンドイッチ。それから昨日の賄いの残りであるハムや豚ロース肉のカツを挟んだもの、何層にも重なったローストビーフとマスタードのもの、という肉の入った食べ応えのある腹を満たしてくれるようなもの。さらに自家製のストロベリージャムやピーナツバターを挟んだ甘いものまで様々だ。
「作り慣れているといってもこれだけそろえれば手間もかかったでしょう。きちんと冷蔵庫で寝かせてあるし、切ったあとの断面も綺麗です。さすがですね、ジェイド」
 普段ラウンジで提供している商品レベルと変わりない。量も提供している五人前以上はある。アズールはあまり食べなくとも、ジェイドとフロイドの腹を満たすにはそれなりの量が必要なのだ。
 育ち盛りの男子三人、しかも美食家のアズールと飽き性のフロイドを満足させるだけのもの、それを質も量もとなると、朝食一つ作るのだって大仕事だ。二人を満足させられるのならば苦ではないけれど。
「ありがとうございます」
 ジェイドは微笑んだ。アズールはジェイドの労力に対して、こうして労いの言葉をかけてくれるから、悪い気はしない。……逆に、粗末な仕事をしたら叱責が飛んでくることもあるが。
「でも、どうせならもっと違う形の労いがほしいですね」
「はぁ」
 気のない返事をしながら食べかけのサンドイッチを口に放り込むアズール。ジェイドはその隣まで寄ると、アズールを抱き上げて椅子に座り、自分の膝の上にアズールを座らせた。
「……、子供ですか」
 アズールは口の中のものを咀嚼し、飲み込んでからぽつりとこぼした。そして皿に手をのばし、ハムカツのサンドイッチを手にとった。
「どうぞ」
 言いながらジェイドの口元に押しつける。ジェイドはそれにかじり付いて、満足そうに微笑んだ。大口で食べているものだから、三口くらいで完全に消えてしまう。
「っていうかさー、イチャイチャしたいなら素直に言えばいーじゃん」
 それまで静かにサンドイッチを食べ続けていたフロイドが呆れた顔で口を開く。アズールとジェイドがやりとりしている間に、もう一人前以上は胃の中に収めているだろうが、それでもまだ足りないとばかりに次に手をのばしている。
「アズールが素直に聞く性格だと思いますか?」
 やれやれ、と右手をあげながら、左手はアズールの腰を撫でている。アズールとフロイドの視線が左手のほうに向いていたが、気付かないふりをした。
 たとえばフロイドが『アズール~イチャイチャしよ』なんて言えば、彼は『仕方ありませんねぇ』なんて言いながらもつきあってくれるかもしれない。
 しかしジェイドが『アズール、僕とイチャイチャしましょう』なんて言った日には、『寝言は寝てから言ってください』とか、『変なキノコでも食べたのですか?』とか、軽くあしらわれるに決まっている。
 そう思っていたジェイドは、予想外のアズールの言葉に目を見開いた。
「……僕は別に嫌ではありませんが」
 本当に小さな声でぽつりとこぼされた言葉に、ジェイドは思わずアズールの腰に回していた手に力を込めてしまった。
「痛っ、ちょっと」
 アズールに睨まれて、ジェイドは慌ててすみません、と力を緩めた。
「そもそも、嫌だったら最初からこんなことしていません」
 紅茶を一口飲み、アズールは淡々と続ける。
「別にどっちがよくてどっちが悪い、とかありませんし。お前たちはどちらも、同じくらい、大事に想ってますよ」
 僕は慈悲深いので。そう締めくくって紅茶のグラスを置いた。
 あまりに平然と発せられるものだから、双子はぽかんと顔を見合わせた。そして。
「アズール急にどうしたんです!?」
「ちょっとジェイドぉ、コレに何か変なものでも入れた?」
 ジェイドはアズールの額に手を当てて熱を計り、フロイドがサンドイッチを指さしながら顔をしかめる。
「お前たちそういう所だからな!?」
 アズールは声を荒らげ、ジェイドの手を振り払って膝からおりた。そして朝と同じようにがくんと床に崩れ落ちる。油断していたのか、忘れていたのか、自分でも驚いて目を見開いていた。手をついた衝撃でテーブルが揺れ、グラスの中の紅茶が波打った。
「「アズール!」」
 と双子の声が重なった。
「ああもう! ……大事じゃなかったら、こんな風になるまでつきあったりしないんですよ馬鹿どもっ」
 耳まで真っ赤になって悪態をつくアズールを、ジェイドが抱き起こした。そしてそのまま、背中に腕をまわして抱きしめる。
「ええ、そうですね。すみませんアズール」
「ずるーい、オレも」
 そして後ろからはフロイドがぴったりと寄り添ってくる。
 二人の顔はアズールからは見えないし、アズールの顔もまた、二人からは見えない。
 けれどどんな顔をしているのかは、お互い手に取るように分かった。
 嬉しそうに。くすぐったそうに。同じ感情を胸に抱いて、笑っているのだと。

 食事を済ませて、他愛ない話をして、一緒に課題をやって、また話して。昨日の夜からラウンジが始まる夕方まで、ただ三人で部屋で過ごしただけの休日。それでも。

 ――今日はなんて幸せな一日。

 2020/06/07公開

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