君の、笑顔が好きだった。
だから隣で、笑っていて欲しかった。
それだけのことなのに、何故こうも上手くいかないのだろう。
今日もまた、俺は選択を間違えたらしい。
「なんで、そんなこと言うんですか」
うっすらと消毒液のにおいが立ちこめる衛生室。そのベッドに座り、タバティエールは目の前に立つ女性をただ見つめている。声と表情に怒りを滲ませた女性は、彼ら貴銃士たちのマスターであり、この衛生室で働くメディックであり、現在タバティエールの恋人である女性だ。
「……ごめん」
その強い視線から目を逸らして、タバティエールはただ謝ることしかできなかった。
それがまた、余計に怒らせるんだろうな、とどこか他人事のように思いながら。
「タバティさんは」
ふと彼女の顔を見れば、その瞳は怒りよりも悲しみを湛えていて。
「そうやって、いつも、他人のことばっかりで」
だんだんと声が震えて涙が滲んでいく。その姿に、胸の奥が痛くなった。
……あぁ、また泣かせちまった。
「私は、あなたにだって、傷ついてほしくないのに」
そう言って彼女がタバティエールの左腕に触れる。けれど、彼に触れられている感触はない。感覚が全くないのだ。
原因はなんてことはない、今日の作戦で負傷したから。それだけのこと。
いつもの四人で作戦に行き、なんとか目的は達成したが、今日は少しばかり被害が大きかった。帰って来た彼らは真っ直ぐにこの衛生室を訪れ、彼女に治療を頼んだ。他の三人は既に治療を終えて報告に行っている。
「ごめん。ごめんな」
「謝ってほしいわけじゃないです」
「……」
そう言われては他に返す言葉もなかった。
マスターが怒っている理由も分かっている。タバティエールが、嘘を吐いたから。
一番傷の酷かったローレンツと、然程ではなかったけれどそのままだと明日もある作戦に支障がでそうなドライゼ、シャスポー。だから、俺はたいしたことないから最後でいい、と治療を後回しにさせた。何か言いたそうなドライゼにも口止めをして。
出血は止まっているしドライゼにきっちりと応急処置もされている。感覚も麻痺しているから痛みも今はもうない。自分は数日予定もないし、多少不便だろうがそれだけで済む話。
彼女の治癒の力は有限だ。無理をすれば彼女持つの薔薇の傷と体調が悪化する。全員の治療をするには負担が掛かりすぎるのなら、戦力で考えても自分の理屈は間違っていない、と思う。
けれどそんなことを言ってしまえば、ますます彼女は気を悪くするんだろうな、と分かっているから何も言えない。
言われた通り、最後になってタバティエールの傷をみた彼女は言葉を失っていた。
なんで、と震える声で告げる彼女の突き刺さるような視線を感じながら、つい『俺なんかの為に無理をしてほしくない』なんて言ってしまって今に至る。
俺の傷を治そうとする彼女の手を、そっと掴んで止めた。
「ダメだ」
既に手から血を滴らせている状態で、タバティエールの傷を治すほどの力を使えば倒れるのは容易に予想がつく。
「どうして」
それは誰に向けた言葉だったのか。彼女の瞳からは、またぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。
あぁ、でも、俺の為に泣いてくれるのか。
彼女は涙を流す姿さえ綺麗で、胸は痛むのに惹きつけられてやまない。
笑顔も、涙も、全てが愛しいけれど、恋人になってからはなんだか泣かせてばっかりだ。こんな傷を見せられては笑えという方が無理だと思うけれど。それでも、泣かせたいわけではないのだ、本当に。
俺がもっと強い貴銃士だったら、こんな風に悲しませずに済んだのだろうか。
彼女の頬に手を伸ばして、涙を拭う。それでもあとからあとから溢れて、止まらない。
「マスターちゃん、泣かないで」
抱き寄せてまなじりに唇を寄せれば、口の中に広がる涙の味。
マスターが息を呑むのが分かった。それから、小さな声で呟かれた言葉。
「タバティさんは、ずるいです」
「そうだな、でも」
頬に、それから唇に口づけて、タバティエールははっきりと告げる。
「愛してるんだ、君のこと」
それから言葉を奪うように、もう一度唇を塞いで。何度か、触れるだけのキスを繰り返すうちに、マスターの涙は止まったようだった。
けれど見上げてくる瞳は潤んだままで、薄く開かれた唇がやけに艶めかしく映った。
右腕で腰を抱き寄せて、今度は深く口づける。涙の味は、きっと彼女にも伝わっているんだろう。
ずっとこうしていたい気持ちはあるけれど、ほどほどにしておかないと、これ以上は。
唇を解放して、タバティエールはマスターの身体をそっと離した。
中途半端に熱を上げた空気に、ふわふわと落ち着かない心地になる。
抱きしめてやることすらできないのは、やっぱり不便だ。
そんな風に思っていたら、マスターがぎゅっとタバティエールを抱きしめてきた。
「っ、マスターちゃん?」
「……明日には、治します。だから」
今度は、やめないでください。
耳元で告げられた言葉に、タバティエールは目を見開いた。
彼女はそれだけを告げて、何かを返す前に走り去ってしまった。
一人残されて、ただ呆然と閉められた扉を見つめる。
「いや、ずるいのは、そっちだろ……」
天を仰いでタバティエールは溜め息を吐いた。
一晩休めば、多少傷は癒える。消耗したマスターの力もある程度戻って来る。二、三日は覚悟していたが、もしかしたら明日にでも治せるのかもしれない。
しかし、どんな顔をして会えばいいというのか。
泣いてばっかりだ、と思っていたけれど、彼女は思いの外、強かったらしい。
思いがけない報復に、タバティエールはただ一人頭を抱えていた。
2019/05/01公開