ちゃぷ、と水の跳ねる音が響く。持ち上げた手から、温かい湯がこぼれ落ちていくのを、タバティエールはなんとなしに見つめていた。綺麗なバスルーム、長身な方である自分が足を伸ばしてもまだ余裕があるほど広い浴槽。入浴剤で白く濁った湯にゆったりと身体を浸していると、それだけで日頃の疲れがとれていく気がする。
 普段いるレジスタンスの基地には簡素なシャワーしかない。それもだいぶ老朽化しているし、水の出も悪いし突然お湯から水になったりもする。それでも無いよりはマシなのだが。だからこうして街のホテルに宿泊する時や、任務で赴いた宿泊地の設備が整っていた時でもないと、ゆっくり風呂を楽しむこともできないのだ。
 元々は銃であるから、風呂に入る習慣なんて当然無かったというのに、貴銃士となってこの身を得てからは人と同じ習慣を楽しんでいる。他にも食事や、料理も含めた趣味、それからもう一つ。
 食事を摂ったり風呂に入って清潔を保つのは人の身体を得た以上避けられない部分でもある。けれど、本来は物であるはずの自分が、それ以上に人らしいことに触れるようになるとは、思ってもみなかった。
「……ふぅ」
 深く息を吐いて、癖のある髪を後ろに撫で上げる。
 このまま長居したい気持ちはあるけれど、ここにいるのは一人ではない。バスルームの外には、人が待っているのだから。
 自分を喚びだしたマスターであり、今は恋人でもある少女。
 以前は自分がまさかマスターと恋愛を、人と同じ営みをするようになるなんて、想像もつかなかった。貴銃士達は他にもたくさんいるし、容姿や性能、性格等々、どこを切り取っても自分より優れた相手はいっぱいいる。自分は製造年で言えば下の方にはなるけれど、貴銃士としての身でいう年齢は上から数えた方が早いし、マスターともかなり歳が離れている。
 それでも、色々あったけれど、マスターは自分を選んでくれたのだ。
 あまり待たせるのも悪いし、そろそろあがろうかと思ったその瞬間。
 バァン、と結構な音が響きバスルームの扉が開いた。
「あ、あの、タバティエール!」
 思わずぽかんと声の主を見つめると、バスタオルを身体に巻いた姿のマスターが、顔を真っ赤にしてこちらを見ていた。そして。
「……ひゃっ!」
 何か小さな悲鳴を上げて、また扉を閉めてしまった。
(びっくりした……)
 流石に驚いた。心臓がバクバク言っている。
 いや、今のはなんだったんだ? マスターはバスルームの前にまだいるようだ。曇りガラス越しに人影がある。
 マスターは自分を見て悲鳴を上げたように見えた。これが裸を見た、とかならまだ分かるのだけれど、自分は湯に浸かっていたし湯は濁っているから見えたとして上半身くらいだ。そんなのは自分に限らず怪我の治療などで普段から見慣れているだろうし、それで悲鳴を上げるとは思えない。
 そもそも、自分が入っているのを分かっていて開けたのだから、裸くらいで驚くとも思えない。大体、恋人としてそれなりの時間を過ごしているのだから、自分の裸を見たことだってあるのだし。
 何か虫でもいたのだろうか、と辺りを見回してみるけれど特に何も見あたらなかった。疑問符は消えないけれど、彼女をこのまま放っておくわけにもいかない。彼女が何故扉を開けてきたのかは、なんとなく察しがついていた。
「マスターちゃん」
 声が届くような大きさで、なるべく穏便に話しかける。マスターはおずおずとまた扉を開けてきたので、安心させるように微笑んで見せた。
「おいで」
 彼女は、気まずそうにあーとかうーとか唸っていたけれど、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「風邪引いちゃうから、ほら」
 伸ばしていた足を折り、スペースを作る。入るように促すと、自分と反対側からそろりと足を入れてきた。器用にバスタオルで視界を遮り、身体を沈める直前に遠くに放る。今更恥ずかしがらなくても、と思ってしまうけれど、年若い女性にはいくら恋人でも明るい場所で肌を晒すことに羞恥心があるのだろう。
(……うーん?)
 微妙な距離と沈黙。なんだろう、この空気。
 マスターは多分恋人らしいことをしたかったのだと予想したのだけれど、間違っていたのだろうか。
 マスターは自分の方を向いているけれど、ぎゅっと膝を抱えて丸くなっているし、あちこちに視線をさまよわせている。いつもまっすぐに自分のことを見てくる彼女にしては珍しい。
「なぁ、どうしたんだ?」
 このままでは埒があかない。身体を起こして彼女の方に近づくと、マスターはびくりと肩を竦ませた。
 自分を見上げる視線が、やっぱり泳いでいる。それに頬が赤くなっているのは、きっと湯のせいだけではない。
 タバティエールはますます分からなくなる。
 右手を伸ばしそっと頬に触れると、逃れるように身を引いて、でも逃げ場なんてないのだから赤い顔のまま俯いてしまった。
 一緒に入りたかったのかと思ったけれど、それにしてはあまりにも様子がおかしい。
 核心が探り当てられないけれど、逃げられると追いたくなる。
「なんで逃げるの」
 そっと頬を撫でると、その手を覆うように自分の手を重ねてきた。
「だって、なんかいつもと雰囲気違うんだもん」
「別に、何も変わんないだろ」
 少し乾いて、はらりと落ちてきた前髪を掻きあげる。湿った髪が肌に張り付くのは鬱陶しく感じてしまう。
 だから無意識にとった行動なのだが。マスターの視線が自分の手の動きを追って、それからまた反らされる。
「全然、ちがうよ」
「……? あぁ」
 邪魔で寄せていただけだから、違うなんて意識がなかった。髪を後ろに流しているのはシャワーのあと乾かすまでの間くらいだ。確かに髪の一つで見た目の印象は変わるのかもしれないけれど。
 ……そんな初々しい反応をされると、つい悪い癖がでそうになる。
「こういうのが好きなの?」
 声を少し低めて、今度は両手で頬を包み込むようにして、自分の方を向かせる。
「いつものタバティエールも好きだけど、なんか……ドキドキする」
「そんな可愛いこと言って、誘ってるようにしか見えないんだけど」
 耳元に唇を寄せると、肩が跳ねるのが分かった。
「ち、ちが……」
 何度か唇で触れてから甘く歯を立てると、マスターはびくびくと身体を跳ねさせている。舌で愛撫してやれば、悲鳴じみた声があがった。
「それ、だ、め」
「なんで? 気持ちよさそうなのに」
「あ、やっ、しゃべらないで、っ」
「んぐ……」
 口元を押さえて引き剥がされて、タバティエールの口からはくぐもった呻きが漏れた。マスターは耳まで真っ赤にして、うっすらと涙まで浮かべていた。前々から感じやすいとは思っていたけれど、この反撃は予想外ではあった。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいだろ」
 二人きりなのだし、別にこんなこと初めてでもないのだし。
 口を塞がれていた手を取って、その手のひらにちゅ、と音を立てて口づける。細い指に舌を這わせて、甘く噛みつきながら、タバティエールは抗議の視線を送ってやる。
 ここまで拒否するのなら無理に続けようとも思わないけれど。
「だって、タバティエールの……」
「うん?」
 ぼそぼそと小さな声で続けられた言葉は、上手く聞き取れなかった。
 聞き返してみれば、マスターは真っ赤になったまま首を振った。
「なんでもない!」
 どこか腑に落ちないけれど、追求するのは諦めた。
 宥めるように額に、頬にとキスをして、それから唇を重ねる。
「ふ、っ、……」
 そのまま露わになっている胸に触れてやれば、マスターはぎゅっと目を閉じて施される愛撫を受け入れている。緊張に硬くなっているけれど、これは嫌ではないらしい。
 手の中で形を変える柔らかな感触を楽しんでいると、だんだんと甘い吐息を零し始めた。彼女は細身だし、胸もあまり大きいとは言い難いけれど、瑞々しい肌は吸いつくように滑らかで心地がいい。
「ん、んんっ……」
 何より、感覚も素直なのかいちいち反応を返してくるのがたまらなく愛しい。赤く色づく先端を指先でこねまわすと、口元に手を当てて必死に声をおさえている。口でも可愛がってやりたい気はあったけれど、場所が場所だけに体勢が厳しい。湯が口の中に入りそうだし。まぁ、手だけでも満足させられる自信はあるけれど。
 自らの口を塞ぐマスターの手をやんわりとはずして、手の甲に唇を寄せる。それから自分の肩に導いて、柔らかく告げた。
「どうせなら、こっちに、な」
 懸命に耐えている姿も悪くないけれど、せっかく二人きりで周りに気を使う必要もないのだし、声を聞きたい。
 マスターはうっすらと涙の膜のはった瞳でタバティエールを見上げ、何かを言い掛けて、けれどきゅっと唇を引き結んだ。両手で肩に縋られ、ふと口元がほころぶ。
 こういうときの彼女は、本当に素直だ。
 硬く形を成した乳首をしばし弄んで、こぼれ落ちる声が甘さを増して来た頃、タバティエールはようやく胸を解放した。
 下肢に手を伸ばして秘裂に指を滑らせれば、ぬるぬると指先に纏わる感触。
「ん、ぁ……」
「まださわってないのに、もうこんなに濡れてるけど」
「……っ」
「本当は、期待してたんじゃないの?」
 からかうように問いかけてみれば、上擦った声が返ってきた。
「い、一緒に入ってみたかっただけ、なんだけど」
 ためらいがちにさまよう視線。いつもよりしおらしい彼女に、どうにも悪戯心が沸き起こるのを抑えられない。
「嫌なら止める」
「……意地悪」
 ぽつりとマスターは呟いて、目を伏せた。
「やっぱり今日は、いつもと……違うよ……」
「そうかな」
 それを言うならマスターの方だって同じだと思うけれど。口には出さず、顎を持ち上げて唇を塞いだ。
「んっ、……」
 舌を絡めて、深い口づけを交わしながら、手は下肢へと落としていく。
「んぅ……あ、っ、ん……」
 花芯を指先で擦り、それから誘うように震える蜜口に指を沈めていく。湯の中でも分かるほど濡れたそこは早々に二本の指を飲み込んだ。
「……お、お湯、よごれちゃう、から」
「どうせ捨てるだけだし問題ないって」
 指の動きは止めないまま、さらりと言い放つ。マスターは反論の言葉も浮かばなかったのか、諦めたのか、それ以上何も言わなかった。
「ふ、ぁ……あ、ん……」
 狭い内を、時間を掛けて解していく。
 どこが感じるかなんてとうに知り尽くしている。弱い所を責め立ててやれば、マスターの身体はいとも簡単に快楽の波に飲まれていく。
「っあ、あ……タバティ、っ、ま、って」
 強すぎる快感から逃れようとする身体を抱き込んで押さえて、細い首筋に甘く歯を立てる。
「っ! あ、……ぁ……」
 腕の中の身体が強ばり、内をかき回していた指をぎゅっと締め付けた。
「はぁ、……っ、……」
 くたりと弛緩する身体、見上げてくるとろけた瞳。マスターはなんどか荒い呼吸を繰り返して、それから吐息混じりに告げた。
「あつ、い」
「……のぼせちまいそうだな」
 湯の温度は時間も経っているしだいぶぬるくなっているけれど、ずっと浸かって、しかもこんなことをしていれば、あつくもなるだろう。
「っ、ひゃ」
 抱き上げて浴槽の狭い縁に座らせるようにすると、壁面の冷たさに驚いたのか小さく悲鳴をあげた。膝を割ってその間に身体を滑り込ませると、マスターは戸惑いを含んだ目で見上げてきた。
「あ、あの、タバティエール」
「絶対に落としたりしないから大丈夫だって」
 安定感のない体勢が不安なのか、ぎゅっと首にしがみついてくる。タバティエールだってそれなりに鍛えてはいるし、マスターの身体を支えるくらい、なんてことはないのだが。
「そうじゃ、なくて」
「ん?」
「……ほんとに、ここで?」
 この期に及んでまだそんなことを言うのか、と苦笑が浮かぶ。明るい場所だし、いつもと違う状況に戸惑っているのかもしれないけれど。本気で嫌がっているのなら自分だって強引にことを進めたりはしないが、そんな風には見えないし、それに。
「悪いな、俺も限界」
 蜜に潤んだそこに昂ぶる自身を押し当ててやれば、マスターは小さく息をのんだ。しがみつく力が強くなったのを肯定と受け取って、ゆっくりと中へ突きいれていく。
「あっ、ぁ……」
 誘うように絡みついてくる内壁は、狭いのにあつく濡れていて、ひどく気持ちが良い。耳に届く高い声が余計に熱を煽るようだった。
「っ、……は」
 こぼれ落ちた吐息が思いの外欲を帯びていることに気がついて、口元が笑みを形作る。
 恋人と愛を交わすこの時間まで、理知的な自分を保つつもりは毛頭ないけれど。こんなにも簡単に振り回されているなんて、彼女は知りもしないのだろう。
 密着する素肌はあついくらいで。水か汗か、白い滑らかな肌を、一筋透明な滴が流れていった。
 浅く抜き差ししてやれば、マスターの紡ぐ甘い喘ぎがバスルームに響いていく。
「あ、や、ぁあ……っ」
 一度達して敏感になっているのか、マスターは力の加減なくぎゅっとしがみついてくる。爪は短く切られているから刺さるほどではないけれど、それでも指先が肌に食い込むほどの力では多少の痛みは感じる。ただ、それさえも今は欲を煽る材料にしかならない。
 愛液でたっぷりと濡れたそこは動かす度に水音を立てて、もっと奥へとねだるようにくわえ込んでくる。
 ぎりぎりまで引き抜いて、奥深くまで穿つと、マスターはいやいやをするように首を振った。
「だめ、だめ……」
 言葉とは裏腹に、マスターの腕に力がこもる。与えられる快楽に翻弄されている姿は、恋人である自分だけの特権で。
「……マスターちゃん」
 愛しい人を呼ぶ声は、自分でも驚くほど甘く、隠しきれない欲をはらんでいた。
 もっとおぼれてしまえばいいのに。
「んん、っん、あ……」
 刻み込むように、奥深くまで自分の熱で満たしていく。離れまいとするように絡みついてくる内に、タバティエール自身も追い込まれていく。
「たば、てぃ、っ、わたし……もう」
「ん……」
 限界が近いのか、崩れ落ちそうな身体を支えてやる。互いの呼吸がやけに耳に響く。余裕もなにもなくして、ただ衝動に突き動かされていく瞬間。
 あとは、もう、おちるまで、昇り詰めるだけ。
「……――」
 その刹那、名前を呼んで、抱き寄せる腕に力をこめた。

 

*****

 

「あつーい……」
 薄着のままベッドの上でくたりと転がっているマスターに、タバティエールは冷たい水を手渡してやる。
「悪かった。気分は悪くないか?」
「へーき」
 身体を起こしてコップの水を一気に飲み干し、ふにゃ、とマスターは笑う。
 空になったコップにもう少し水を足してやれば、大きな瞳がじっと見上げてきた。
「うん?」
「いつものタバティエールだなー、って」
 今は髪も乾かしていて、いつもと同じシャツを身につけていて、見た目も普段通りだろうけれど。
「俺はいつも変わらないつもりなんだけどな」
「そうかなぁ、結構、ちがうよ」
「そういうもんかねぇ」
 煙草を一本取り出して口にくわえる。少し離れて一服してこようかと思ったところで、マスターはふわふわとした笑顔のまま、告げた。
「でも、どんなタバティエールも、大好きだよ」
「…………あのなぁ」
 くわえていた煙草がぽろりと落ちた。どこでそんな殺し文句を覚えてきたのだか。回収した煙草を手にもったまま、楽しそうに笑っているマスターに近づいていく。距離を詰め、タバティエールはマスターの額にこつんと自分の額をふれさせた。
「また俺に火、つける気?」
 それから、滑らかな頬に手を滑らせて、親指で血色の良い唇をなぞった。
「えっ」
 戸惑いに揺れるマスターの瞳に映る自分は、なるほど、悪い大人の顔と言えるかもしれない。
 わずかに視線をさまよわせていたマスターは、唇に触れていたタバティエールの手を取って、ちゅ、と小さな音を立てて口づけてきた。
「だって本当のことだから」
 頬を染めながらも悪戯っぽく笑う姿は、熾火のようになった熱を、また燃え上がらせるには充分で。
「適わねぇな、まったく」
 顔を合わせて笑うと、それから一つ、口づけを交わした。

 2019/05/11公開

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