喧噪から少し離れた海岸沿いを二人きりでただ歩く。寄せては返す波の音、風に乗って運ばれてくる潮の匂い。インクを溶かしたような夜空にはちりばめられた星がキラキラと光を放っている。お酒を飲んで火照った頬に、涼やかな海風が心地良い。
 ここは海賊の国アンキュラの小さな港街。漁業が盛んだというこの街には、至る所に船が停まっているのが見える。
 エマとダステの二人は、ハウンドスイーパーの依頼を受けて、数日前にアンキュラに渡ってきた。今回の依頼は数日かかるのを覚悟していたというのに、ダステ曰くの『ゴミ掃除』は初日に拍子抜けするほどあっさりと片付き、帰りのムーンロードがかかるまでの数日、この国で束の間の休暇を楽しむことになったのだ。
 観光名所というわけではないが、外から時折訪れる人がいる、そんな規模の街。依頼を受けた街から海沿いの道で繋がっている港は、昨夜立ち寄った酒場の店主に勧められた場所だ。ここは周辺の街に新鮮な海産物を届けているだけあって、種類も豊富だし、外に出回らない珍しい魚もある。保存用に加工した魚なども売っているが、ここでしか食べられないものも多い、ということで遠くまで足を伸ばしてみたというわけだ。
「こんな所までゴミ掃除とか面倒だと思ってたが、これだけうまい酒が飲めるなら悪くねーな」
「そうだね」
 上機嫌なダステに、エマの口元も緩む。お酒の効果とお腹が満たされたことで、ふわふわと心地良い気分だった。
 酒がうまいとハイペースで飲み続けるダステに、ついついつられてしまった部分もあるけれど、今日のお店は本当に美味しかった。
 正確には酒自体というよりは、酒のつまみとして出される新鮮な海鮮料理が極上だった。美味しい食べ物があるといつも以上にお酒は進む。
 地元の人たちが集まるような小さな店だったけれど、よそから来た二人を店主は歓迎して、様々な料理を出してくれた。昨日の酒場で食べた料理も美味しかったが、今日の店は格別だった。決して高価なわけではなく、産地特有の素材を活かした、地域の料理。
 新鮮な魚を使ったカルパッチョ、シンプルに塩だけで焼いたもの。揚げた魚や貝、何より魚介で出汁を取った煮込み料理は絶品だった。スープを使ったリゾットまで、存分に堪能した。食べ終わってしまうのが名残惜しいくらい、贅沢な時間だった。
 でも、胸を満たす幸福感は、きっと街の人たちの温かい空気や、食事の内容だけじゃなくて。見上げればいつになく口元が柔らかく笑んでいる、彼のおかげだと思う。
 ダステと来れてよかったな。
 そんなことを考えていると、不意に目があった。
「んだよ」
 言い方こそぶっきらぼうだが、怒っているわけではない。表情も声も、やわらかい。最初は怖い人かと思ったけれど、今では印象が全然違う。
 それだけ関係が近くなったし、色々な面を見てきた。仲間として認めてくれて、少しずつ気を許して信じてくれた。一緒に飲んでいて楽しい、とお互い思える関係になり、今はそれ以上……まさか恋仲にまでなるなんて、出会った当初の自分に言ってもきっと信じられないだろう。
「ううん、楽しいなって」
 と、そのとき。破裂音と共にひときわ明るい光が空に広がった。
「花火だ」
 しばし足を止め、空を見上げる。海岸沿いの、もっと遠い場所だろうか。赤、緑、青、紫……色とりどりの花が夜空を彩っていく。
「ま、悪くねーな」
 オレの花火はもっと綺麗だけどな。と、にやりと口の端をつり上げて笑う。
 予想通りの反応に、エマはクスクスと笑った。
「それはもちろん、ダステの花火が一番好きだよ。打ち上げ花火も、線香花火も」
「当然だろ」
 得意げなダステに、エマは続ける。
「でも、花火自体の綺麗さもあるけど、何よりも大切な人たちと一緒に見る花火が一番かな」
「そこは『オレと』じゃねーのかよ」
 肩をすくめて見下ろすダステに、エマはぱちりと目を瞬かせた。
「それとも、そう思ってるのはオレだけかよ?」
 ダステにしては珍しく、独り言のようにぽつりとこぼされた声。
「えっ?」
 エマが聞き返すと、ダステは真剣なまなざしで告げてきた。
「アンタと一緒に飲む酒が一番美味い。今まで興味なかったもんだって、アンタが喜んでると悪くないなって思える」
 こつん、と額がくっつけられる。
「近い……!」
「で、アンタはどうなんだ? エマ」
 からかいを含んだ甘やかな声。そのまま顎を持ち上げられて唇が塞がれる。
 柔らかく触れて、すぐに離れた。大きな両手で頬を包まれたまま、エマは告げる。
「私も、……ダステと一緒が一番、だよ」
「あぁ」
 唇を舐め、舌が入り込んでくる。深い口づけのあと、胸元に触れた手に、エマは慌てて身体を押し戻す。
「ちょっと、ここ外なのに」
「オレたち以外誰もいねーっつの」
 不服そうな声と溜め息が降ってくる。エマが止めなければどこまで進んできたかわかりやしない。ひとまず解放されて安堵の息をついたのもつかの間、更に追い打ちをかけられる。
「ま、ここじゃ砂だらけになるしな。続きはホテルに戻ってからにするか」
 何やら不穏なことを言われた気がするが、敢えて深く追求はしなかった。
「それなら文句ねーだろ?」
 悪戯っぽく口の端を吊り上げて笑うダステは、危険な香りを秘めていて。
 その悪い笑みに、長くなるだろう夜に、どうしようもなく鼓動が騒ぐ。
「……お手柔らかに、お願いします」
 せめても、と告げてみるが、笑みを浮かべているだけで肯定も否定も返ってこない。
 ダステは別に、エマに乱暴なことはしないし、本気で嫌がることを無理強いしてくることもない。それどころか普段からは考えられないくらい優しく触れてきたりもする。それでも、彼は体力があるし、スイッチが入った時の激しさにはいつも翻弄されるばかりで。
 それが少し悔しくもあるけれど、この狂犬のような恋人の手綱を握ろうとしても簡単にいくわけがないのだ。
 振り落とされずについていけるか、自信はないけれど。
 惚れた弱みというものか、そんなところも含めて愛しいと思うのだからどうしようもない。
 上機嫌なダステに腰を抱き寄せられ、ホテルまでの道をゆっくりと歩く。
 二人の姿を、空に咲く鮮やかな光が照らしていた。

 

 

 

 2025/02/15公開