・同人誌「甘い時間をあなたにあげる」に収録されている話と同一です。サンプル兼ねた公開版
・愛の日が夢100仕様のIFになります。
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街中がどことなく浮き足だったこの季節もギルド連盟本部の中では関係なく、ギルドキーパーたちが忙しく働き回っている。むしろ、この時期には様々なギルドのマイスターたちが大きな仕事をしているので、その手助けをするキーパーたちも繁忙期ということになる。いや、そもそもギルドキーパーは仕事の性質上、暇な時の方が少ないのだが。
そんな中でエマは自分の仕事の合間に、交渉ごとや書類に忙殺されそうなギルドキーパーの仲間たちへ、感謝の気持ちと称した差し入れをしていた。
渡しているのはお手製のクッキーである。
新人ながら羽根つきギルドキーパーとして各地を巡っている特異な存在だけれども、元々の気立ての良さで他のキーパーたちにも好意的に受け止められている。実際、エマは人一倍働きながらも、こうして一緒に働く仲間たちにも気遣いをしてくれるのだ。
仕事の合間に食べやすく、糖分も補給できる贈り物は、キーパーたちの間でも喜ばれていた。
そしてエマは、この繁忙期の中で時折遠くを見つめて現実逃避している上司へと、箱を差し出した。
「ランヌさん。いつもお世話になってます」
「ありがとうエマ。優しい部下を持てて私は幸せ者です」
同僚たちよりも少しだけ大きな、綺麗に包装された箱をランヌに手渡す。中身は同じなのだけれど、量を多めにしてある。一般のキーパーたちよりもランヌは仕事量が多く、この本部に詰めている時間も長いからだ。
「やあエマちゃん」
と、その時、部屋の奥からナナシが顔を出した。神出鬼没で滅多に姿を見せない会長ではあるが、ここ数日は本部で仕事をしていたのだ。ハウンドスイーパーで緊急の仕事が入らなければ、会長としての仕事が最優先、という状態なのだろう。
「僕にはないのー?」
にこやかに近づいてくるナナシに、ランヌは苦笑している。エマは毅然と、他の人たちに渡したものとは違う包みを取り出した。
「ありますよ。義理ですが」
「わあ、嬉しい」
ナナシの笑顔に負けないくらいにこやかに宣言して手渡したのは、チョコレートの包みだ。市販品の、幾つか詰め合わせになっている両手に乗るくらいの箱。
ナナシはその箱を受け取ると、まじまじとその箱を見つめていた。
「えっ、義理っていうわりに思ったよりしっかりしてるんだけど。もっと子供の買うようなのかと思ってた」
「一応上司ですから……」
義理のプレゼントに、などとよく言われている菓子があるのは知っているが、流石に日常的に子供が手にするようなお菓子は選ばない。この時期に売られている、贈り物用にラッピングされた詰め合わせだ。
「ありがとうエマちゃん。家宝にするね」
「いや、食べてください……腐るので……」
真顔で繰り出される大げさなリアクションに、エマは肩を竦めた。
それからもギルド本部でいくつかの仕事を片付け、エマは一度月渡りのギルドホームに立ち寄ってから、とあるアパートの一室に向かった。レコルドでナナシが拠点にしている場所。他にもあるようだけれど、ここは寝泊まりするためという感じの質素な部屋だった。ベッドと机、それから中身の少ないクローゼットだけがある、飾り気のない一人暮らし用の空間。
ギルド本部を出てくるときに覗いてみたけれど、こちらにも気付かないほどナナシは忙しそうに働いていた。言葉通り山積みになった書類を片付けているようだったけれど、あれでは片付くのはいつになるのか分からないだろう。
帰ってきてから食べられるように、食事を作っておく。忙しいとドリンク剤に頼りがちなナナシに、少しでも栄養のある美味しいものを食べてほしいから。
……ナナシとは、こう、と一言で言い切れない複雑な関係だ。敵だと思っていたけれど実は上司であり、マイスターとキーパーでもあり、そして今は、どうしてこうなってしまったのか自分でも不思議なくらいだけれど、恋仲でもある。
なので恋人として、この部屋の合鍵を渡され、時折訪れることがあった。たまに仕事を持ち帰っているようだけれど、会長としての仕事に関わるものしかここには置いていない。奪い師として必要なものは、別の拠点にあると言っていた。そちらはエマも知らない場所にある。
とはいえ、連盟会長が扱う仕事は機密事項も多いので、この部屋にもエマが触れられない場所が一つだけある。机の、鍵がかかった引き出しだ。そこには書類とそれを処理するのに必要な筆記具の類いしか入っていないと言っていたが、鍵はナナシ自身が持ち歩いている。エマも他人の引き出しを勝手にあけたりはしないが、不在の時に盗まれたりしないようにだろう。見た目は普通の鍵に見えるけれど、そこだけ特殊な機構らしい。だからこそ、重要な書類も部屋に置いておけるのだが。
そういった事情で、ナナシの机の上は、連盟会長の机と違って書類も置いておらず綺麗だ。机の上はこうして訪れた時にエマも掃除をさせてもらったりしているけれど、殺風景、とも言える。
生活感の少ないこの部屋で待っていると、少しだけ寂しさを感じることもある。
と、その時、キーパーズボードにメッセージが届いたようだった。確認してみるとナナシからだった。
『ごめんエマちゃん、帰れなくなった』
『どうしたの?』
『緊急の要件入っちゃった。これから出かけないと』
『何か手伝えることはある?』
『ううん、これは会長としての仕事だから。ありがとう。ごめんね』
それから、泣いているスタンプが一つ。
その後返信は途絶えてしまった。
「仕方ないよね」
口に出した声は、誰にも届かずに静かな部屋に吸い込まれていく。
ナナシは立場上こうした突発の仕事が入ることも多い。休暇だってまともにとれないくらい忙しい中で、少しの時間でも一緒に過ごそうとしてくれているのだ。それはわかっているし、エマも同じように緊急の要請が入ることはあるので、お互い様だ。
用意した食事は温め直せば食べられるようにしてしまっておく。それから、もう一つ用意しておいたものを、机に置いた。
このまま一人で居ても仕方がないので、月渡りのギルドホームへと帰ることにした。
その日、日付が変わりそうな頃合い。就寝の支度をしていたら、キーパーズボードにメッセージが入った。なんとなく、見る前からナナシだろうなという予感を持った。
ようやく用事が片付いたのだろうか。確認してみれば、思っていた通りの名前が表示されている。
『エマちゃん、机にあるこれは』
第一声に、思わず笑ってしまう。驚いている顔が目に浮かぶようで。
『ナナシにバレンタインのプレゼント』
『プレゼントならさっきもらったけど』
『あれは会長に。私の恋人は会長でもあるけど、会長だからじゃないし。……立場もあるから』
ランヌは気づいているかもしれないけれど。それでも、いくら会長だと知る人が少ないとはいっても、他の人の目が全くないわけではない。会長がまさか、新人のキーパーに手を出しているなどという話が万が一でも広まれば、立場が悪くなるのはナナシだろうから。
『忙しいと食事もちゃんととれてないでしょう。だから、食事にできるものにしたんだけど』
箱に入っているのはいくつかのパウンドケーキだ。かぼちゃやにんじんなど野菜の入ったものと、チョコレートとナッツが入った甘いもの。
『僕、奪い師なのに。エマちゃんにはハートを奪われてばっかりだね』
『そんなつもりはなかったんだけどな』
いつも通り大げさなほどの反応が返ってくるけれど、何にせよ喜んで貰えたならよかった。受け取ってもらえたことに安心していると。
『今から君を奪いにいくよ』
『えっ?』
予想外の言葉に、思わず訊き返す。けれどいくら呼びかけても反応がない。
まさか本当に来たりしないよね? と思わず時計を確認する。日付が変わるまで、もう少し。
それからしばらくして、日付が変わる直前。
コンコンと、部屋の窓から音がする。まさか、と思ってカーテンをあけると、窓の外にいるナナシと目が合った。
「やあ、エマちゃん。パジャマ姿も可愛いね。知ってたけど。宣言通り君を奪いに来たよ」
「本当に来たの?!」
「どうしても君に会いたくなっちゃって」
そう告げるナナシは、いつもの軽い調子ではなく、穏やかな笑みを浮かべていた。
「入ったら怒られるかな。連れ出してもいい?」
「ええ……」
困惑していると、マントに包み込むように抱き寄せられた。
「少しだけ。すぐに帰してあげるから」
そう言われては、断りにくい。……何より、エマ自身が一緒にいたいと思っていたのだから。
ワイヤーを使ってエマを抱えたまま庭へと降りる。それから寝室の窓やリビングから死角になる位置まで移動した。まだ起きている人もいるし、見つかって騒ぎにならないように。
マントの中で抱きしめられて、エマはそのまま身を預ける。
「……ありがとう、エマちゃん。今日はごめんね、一緒にいられなくて」
「いいよ。ナナシにしかできない仕事なら、その方が大事だし」
「もう少し手放せたら楽なんだけどね」
背負うものが多すぎて、苦労しているのはわかっている。それでも、頑張っているナナシのことが好きなのだから。
「まだ、忙しい日が続くだろうけど。僕だけじゃなくてエマちゃんも、他のマイスターやキーパーのみんなも」
「うん、私も明日は朝から出ないとだし」
「どんなに忙しくても、エマちゃんが僕にくれたプレゼントで、乗り切れるよ」
そうであってほしいと願って、渡したもの。どんな形であれ、ナナシを……大切な恋人の、支えになりたかったから。
「待ってて。ちょっと先になっちゃうけど、エマちゃんにも僕の愛と感謝を伝えるから」
「わかった。楽しみにしてる」
抱きしめて、唇を塞がれて。名残惜しいけれど、このままずっと一緒にはいられない。
ナナシはエマをしっかり抱きかかえると、ワイヤーや壁、屋根を使い二階のエマの部屋まで移動した。
実は普通に入り口から入れたのだけれど、エマは黙っておいた。奪い師としてのナナシに同行して、侵入や脱出のときなどにこうした経路を使うことはあるが、案外、嫌いじゃないのだ。
「またね、エマちゃん」
「うん。おやすみなさい」
そうして挨拶を交わして、その日は満ち足りた気分で眠りについた。
後日、ナナシは再び、エマを奪いにくることになる。今度は、抱えきれないほどの花束を持って。そんな計画がこっそり進められていることを、このときのエマは知る由もないのだった。
喧噪から少し離れた海岸沿いを二人きりでただ歩く。寄せては返す波の音、風に乗って運ばれてくる潮の匂い。インクを溶かしたような夜空にはちりばめられた星がキラキラと光を放っている。お酒を飲んで火照った頬に、涼やかな海風が心地良い。
ここは海賊の国アンキュラの小さな港街。漁業が盛んだというこの街には、至る所に船が停まっているのが見える。
エマとダステの二人は、ハウンドスイーパーの依頼を受けて、数日前にアンキュラに渡ってきた。今回の依頼は数日かかるのを覚悟していたというのに、ダステ曰くの『ゴミ掃除』は初日に拍子抜けするほどあっさりと片付き、帰りのムーンロードがかかるまでの数日、この国で束の間の休暇を楽しむことになったのだ。
観光名所というわけではないが、外から時折訪れる人がいる、そんな規模の街。依頼を受けた街から海沿いの道で繋がっている港は、昨夜立ち寄った酒場の店主に勧められた場所だ。ここは周辺の街に新鮮な海産物を届けているだけあって、種類も豊富だし、外に出回らない珍しい魚もある。保存用に加工した魚なども売っているが、ここでしか食べられないものも多い、ということで遠くまで足を伸ばしてみたというわけだ。
「こんな所までゴミ掃除とか面倒だと思ってたが、これだけうまい酒が飲めるなら悪くねーな」
「そうだね」
上機嫌なダステに、エマの口元も緩む。お酒の効果とお腹が満たされたことで、ふわふわと心地良い気分だった。
酒がうまいとハイペースで飲み続けるダステに、ついついつられてしまった部分もあるけれど、今日のお店は本当に美味しかった。
正確には酒自体というよりは、酒のつまみとして出される新鮮な海鮮料理が極上だった。美味しい食べ物があるといつも以上にお酒は進む。
地元の人たちが集まるような小さな店だったけれど、よそから来た二人を店主は歓迎して、様々な料理を出してくれた。昨日の酒場で食べた料理も美味しかったが、今日の店は格別だった。決して高価なわけではなく、産地特有の素材を活かした、地域の料理。
新鮮な魚を使ったカルパッチョ、シンプルに塩だけで焼いたもの。揚げた魚や貝、何より魚介で出汁を取った煮込み料理は絶品だった。スープを使ったリゾットまで、存分に堪能した。食べ終わってしまうのが名残惜しいくらい、贅沢な時間だった。
でも、胸を満たす幸福感は、きっと街の人たちの温かい空気や、食事の内容だけじゃなくて。見上げればいつになく口元が柔らかく笑んでいる、彼のおかげだと思う。
ダステと来れてよかったな。
そんなことを考えていると、不意に目があった。
「んだよ」
言い方こそぶっきらぼうだが、怒っているわけではない。表情も声も、やわらかい。最初は怖い人かと思ったけれど、今では印象が全然違う。
それだけ関係が近くなったし、色々な面を見てきた。仲間として認めてくれて、少しずつ気を許して信じてくれた。一緒に飲んでいて楽しい、とお互い思える関係になり、今はそれ以上……まさか恋仲にまでなるなんて、出会った当初の自分に言ってもきっと信じられないだろう。
「ううん、楽しいなって」
と、そのとき。破裂音と共にひときわ明るい光が空に広がった。
「花火だ」
しばし足を止め、空を見上げる。海岸沿いの、もっと遠い場所だろうか。赤、緑、青、紫……色とりどりの花が夜空を彩っていく。
「ま、悪くねーな」
オレの花火はもっと綺麗だけどな。と、にやりと口の端をつり上げて笑う。
予想通りの反応に、エマはクスクスと笑った。
「それはもちろん、ダステの花火が一番好きだよ。打ち上げ花火も、線香花火も」
「当然だろ」
得意げなダステに、エマは続ける。
「でも、花火自体の綺麗さもあるけど、何よりも大切な人たちと一緒に見る花火が一番かな」
「そこは『オレと』じゃねーのかよ」
肩をすくめて見下ろすダステに、エマはぱちりと目を瞬かせた。
「それとも、そう思ってるのはオレだけかよ?」
ダステにしては珍しく、独り言のようにぽつりとこぼされた声。
「えっ?」
エマが聞き返すと、ダステは真剣なまなざしで告げてきた。
「アンタと一緒に飲む酒が一番美味い。今まで興味なかったもんだって、アンタが喜んでると悪くないなって思える」
こつん、と額がくっつけられる。
「近い……!」
「で、アンタはどうなんだ? エマ」
からかいを含んだ甘やかな声。そのまま顎を持ち上げられて唇が塞がれる。
柔らかく触れて、すぐに離れた。大きな両手で頬を包まれたまま、エマは告げる。
「私も、……ダステと一緒が一番、だよ」
「あぁ」
唇を舐め、舌が入り込んでくる。深い口づけのあと、胸元に触れた手に、エマは慌てて身体を押し戻す。
「ちょっと、ここ外なのに」
「オレたち以外誰もいねーっつの」
不服そうな声と溜め息が降ってくる。エマが止めなければどこまで進んできたかわかりやしない。ひとまず解放されて安堵の息をついたのもつかの間、更に追い打ちをかけられる。
「ま、ここじゃ砂だらけになるしな。続きはホテルに戻ってからにするか」
何やら不穏なことを言われた気がするが、敢えて深く追求はしなかった。
「それなら文句ねーだろ?」
悪戯っぽく口の端を吊り上げて笑うダステは、危険な香りを秘めていて。
その悪い笑みに、長くなるだろう夜に、どうしようもなく鼓動が騒ぐ。
「……お手柔らかに、お願いします」
せめても、と告げてみるが、笑みを浮かべているだけで肯定も否定も返ってこない。
ダステは別に、エマに乱暴なことはしないし、本気で嫌がることを無理強いしてくることもない。それどころか普段からは考えられないくらい優しく触れてきたりもする。それでも、彼は体力があるし、スイッチが入った時の激しさにはいつも翻弄されるばかりで。
それが少し悔しくもあるけれど、この狂犬のような恋人の手綱を握ろうとしても簡単にいくわけがないのだ。
振り落とされずについていけるか、自信はないけれど。
惚れた弱みというものか、そんなところも含めて愛しいと思うのだからどうしようもない。
上機嫌なダステに腰を抱き寄せられ、ホテルまでの道をゆっくりと歩く。
二人の姿を、空に咲く鮮やかな光が照らしていた。
2025/02/15公開
