アルカナ・デュエロを終え、数ヶ月。いつもは静かなフェリチータの部屋に、今日は賑やかな声が響いている。椅子に掛けたフェリチータは、メイド・トリアーデに囲まれていた。ドナテラがフェリチータの髪を梳き、結いあげる。更に、結び目には花の髪飾りを付けられた。
そしてメリエラは化粧を施し、イザベラは装飾品の入った宝石箱を持って待機している。
フェリチータがちらりと窓の外を見やれば、陽も傾いて来ていた。部屋に篭もってから、既にどれほどの時間が経ったのだろう。
大人しく椅子に座り、三人にされるがままになっていたのだが、それももう終わったようだ。仕上げにネックレスとイヤリングを付けると、フェリチータは立ち上がった。
「出来ました。お嬢様、とっても可愛らしいです!」
「素敵です、お嬢様!」
惜しみない賞賛を受け、フェリチータは鏡を見た。そして、軽く目をみはった。
鏡の中の自分は、いつもと違う人物のようだった。
身につけているのは艶めく白地のサテンのドレス。腰の部分に巻かれたリボンには大きな花のコサージュが付いて、程良いアクセントになっている。
幾絵にも重ねられたスカートの裾が、動く度にふわりと揺れた。
普段の黒いスーツとは何もかも対称的な、白を基調とした格好だ。
「今夜、楽しみですね!」
言われ、フェリチータは素直に頷いた。
これなら、きっと彼も喜んでくれる……。
自然と恋人の笑顔が浮かび、口元が綻んだ。と、その時。部屋の扉がノックされ、ルカとデビトが部屋に入って来た。入れ違いに、メイド・トリアーデは頭を下げて去って行く。
「失礼します、お嬢様、……あぁっ!」
「へぇ……良いじゃねぇか、バンビーナ」
フェリチータの姿を見るなり、ルカは大声を上げ、デビトはニヤリと笑んだ。
「お嬢様! なんと可愛らしい!!」
胸の前で手を組み、うっとりと目を細めるルカ。気恥しくて、フェリチータは視線を反らした。
正直な所、フェリチータは自分にこのような衣装が似合うとは思っていなかった。けれどこのドレスは、サイズも色合いも、驚くほどフェリチータにぴったりだった。自分の為にわざわざ設えてくれたのだろう。身体のラインに沿うドレスは、生地も上質なものだとすぐにわかるほど、肌触りも心地良い。
「でも、どうしたんですか? そのドレスは」
ルカの疑問に、フェリチータは笑顔で答えた。
「パーチェに貰ったの」
すると、さっきまでの空気が一変した。急に顔色を変えたルカと、苦虫を噛み潰したような顔になるデビト。
「なんですって!?」
「パーチェ……」
唸る二人に、わけがわからずフェリチータは首を傾げた。
パーチェと自分の仲は、今やファミリー公認のものだ。仕事の忙しさもあって、今すぐにとはいかないが、後々は結婚することにもなっている。
恋人であるパーチェからプレゼントを貰ったとして、何をおかしなことがあるのだろう。
確かに、多少、高価そうなものではあるが、『恋人になって初めての誕生日プレゼントだから特別!』と、パーチェ本人も言っていた。
フェリチータが怪訝に思っていると、タイミングが良いのか悪いのか、パーチェが部屋に入ってきた。
「お嬢ー! うわ、お嬢はいつでも可愛いけど、ドレス姿はまた一段と可愛いね! キラキラのカッサータみたいだ! 惚れ直しちゃうよ~!」
入るなり恥ずかしげもなく言い放ったパーチェに、ルカとデビトが歩み寄った。
「お、お嬢様にドレスを贈るなんて、貴方、な、何を考えているのですか!」
「おいパーチェ。てめェ意味分かってやってんのかよ?」
二人に詰め寄られ、パーチェはきょとんとしている。
「何が?」
「男性が、女性に服を贈るというのは!」
「自分の手で脱がせる為、って相場が決まってンだろうが!」
ルカとデビトが一気に畳みかけた。フェリチータは目をまるくし、パーチェは間抜けな声を上げた。
「え? あー……別にそんなつもりはなかったんだけどな。パーティーに行くんだからドレスは必要だろ? お嬢、持ってないって言うから、おれが誕生日にプレゼントしたんだよ」
そして、事も無げにそう説明すると、
「あぁ、そうだ、おれも着替えないと。じゃぁ、お嬢、すぐ支度してくるから待っててね!」
言うが早いか、踵を返して部屋を出て行った。
後には沈黙だけが残された。せっかくのドレス姿に上機嫌だったというのに、水を差されたフェリチータはキッと二人を睨みつけた。そして、ドレスの裾を掴み、鋭い回し蹴りを放つ。
「お嬢様、危ないです!」
「っと、悪かったよバンビーナ!」
情けない声を上げるルカとデビトが逃げるように部屋を出ていくと、フェリチータは溜息を吐いた。
まったく、パーチェは好意でプレゼントしてくれたというのに、二人が変なことを言うからびっくりしてしまった。
頬がちょっと熱い。けれど、今夜はこれからパーティーに行ってダンスをするのだ。ただそれだけのこと。パーチェの支度が終わったら、すぐに出発する。
じっとしているのもなんだか落ち着かなくて、フェリチータは、部屋を飛び出した。
訪れたのはとある貴族の屋敷、以前二人で行った領主の館ほどではないが、かなりの広さを持っている。天井には眩く輝くシャンデリア、床は鏡のように磨きあげられており、そこに正装の貴族達と豪奢なドレスや宝石で身を飾った婦人達が談笑している。そんな煌びやかな空間の中に、フェリチータ達はいた。
今はパーチェも正装で、眼鏡を外し髪もきっちり整えている。やはり『領主の息子』という肩書を持つパーチェは目立つのか、視線が集まるのを感じる。フェリチータの脳裏に、数ヶ月前の光景がよみがえった。『パーチェ様』と呼ばれ注目を一身に受けながらも堂々と振舞っていた彼は、ファミリーのパーチェとは別人のようだった。さり気なくフェリチータを助けてくれて、慣れないダンスもリードしてくれた。あの時、差し出された手の温かさは、今でも忘れられない。思えば、その時から自分は惹かれていたのかもしれない。
彼の格好はあの時と同じだが、今日は前とは違う。フェリチータも場に相応しく着飾っているし、ダンスも覚えた。隣に居ても、周囲に冷たい眼差しを向けられることはないだろう。そう思うのに緊張が消えない。
貴族達にどう思われてもきっとパーチェは気にしないのだろうが、それでも、自分のことでパーチェまで悪く言われてしまっては心苦しい。
今日は上手くやれるだろうかと拭いきれない不安を抱えていると、繋いだ手に力を込められた。
「どうしたの? お嬢。緊張しなくても大丈夫だよ」
そう言ってパーチェは頬笑んだ。フェリチータは頷き、手を引かれたまま付いて行く。この館の主に挨拶と自己紹介を済ませると、パーチェは広間の中央へとフェリチータを導いた。
向かい合って手を取ると、パーチェと目があった。にこにこと微笑むパーチェに、フェリチータは首を傾げる。
「……何?」
「近くで見てもやっぱり可愛いなーって」
屋敷に居る時とは違って少しトーンの抑えられた声で、そう告げた。
「見えるの?」
「流石にこれくらいの距離ならね」
パーチェはフェリチータの背中に手を回して、抱き寄せた。
「さ、踊ろうよ、お嬢!」
フェリチータは笑顔で頷いた。
練習は何度もしてきた。パーチェと踊るのは楽しかった。最初の方は目を回したこともあったけれど、何度も踊るうちにかなり上達したと思う。
リズムに合わせてステップを踏むと、その度にふわりとドレスの裾がなびいた。パーチェにリードされ、フェリチータは軽やかに踊る。時折視線が合うと、自然と笑みが零れた。
練習している時も楽しかったけれど、今の楽しさは比べ物にならない。くるくると回る、光輝く景色は確かに万華鏡のようだ。この場に立って、パーチェの言った言葉が良く分かった。
踊っている間、言葉はなくとも、同じ感情を共有しているのが伝わって来た。胸の奥が温かくて、満たされていく気分だった。
さざ波のように周囲がざわめき、無数の視線が二人に集まっている。けれど、フェリチータは気にならなかった。大勢の人が居るはずなのに、まるで二人の為に用意された舞台であるかのような錯覚。その瞬間、言い得ぬ高揚感と幸福感に包まれていた。それは今まで味わったことのない感情だった。
「あー、楽しかったー!」
夢のような時間はあっという間に過ぎた。余韻を残したままの帰り道、二人は手を繋ぎながら夜道を歩く。
「お嬢、気付いた? みんな、おれ達の事見てたよね」
悪戯っぽく笑うパーチェに、フェリチータは頷いた。
「女の人もいっぱい居たけど、お嬢が一番可愛かったし綺麗だった! おれが贈ったドレスもお嬢にぴったりで良かったー! 仕立てて貰った甲斐があったよ」
「ありがとう、パーチェ」
フェリチータは頬笑み、それから少し視線を反らして、気恥しそうに告げた。
「……パーチェも、格好良かった。いつもと、違って」
「えぇー、いつものおれは格好良くないの~?」
最後に付け加えられた一言にパーチェは不満そうな声を上げ、けれどすぐにまた笑顔になった。
「なんて、お嬢に褒められると、照れるなーやっぱり。でも、嬉しくて、もっと言って欲しくなっちゃう」
普段ならば調子に乗るなと一蹴していたかもしれない。だが、フェリチータはそうしなかった。先刻言われた言葉と同じ、けれど素直な気持ちを告げる。
「……格好良かった。誰よりも、パーチェが、一番」
言いながら、段々と声が小さくなっていく。フェリチータの顔は耳まで真っ赤に染まり、鼓動は小刻みに脈打っていた。
「あ、ありがとう……」
予想外の反応だったのか、目を見開いたパーチェの顔も真っ赤に染まり、声は上擦っていた。
「……」
「……」
会話が、続かない。妙な緊張が二人の間に走る。ちょっとだけ気まずいような、それでも決して嫌な空気ではない。
パーチェは繋いでいた手を、握るのではなく指を絡めるように繋ぎ直した。僅かに汗ばんだ手が緊張の度合いを物語る。結局二人は、無言のまま屋敷までの道を歩いた。
ほどなくして屋敷に帰り着き、フェリチータの部屋の前まで戻って来た。
パーチェとはここで別れて、あとはメイド・トリアーデを呼んでドレスから着替えて寝る支度をするだけだ。
それなのに、繋いだ手は未だ離せない。部屋の前で立ち尽くすこと数分。沈黙を破って声を発したのは、パーチェの方だった。
「あのさ、お嬢」
フェリチータが見上げると、パーチェの視線が泳いだ。フェリチータの顔からドレスの方に視線が下げられ、そして横に反らされる。
「……参ったな」
そう小さく呟いて、気まずそうに空いた手で髪を掻き上げた。
「その、……ルカ達が言ってたこと。おれ、ほんとにさっきまでは、そんなつもり全く無かったんだけど」
パーチェはフェリチータの方に向き直り、身体を抱き寄せた。
「お嬢が、可愛すぎるから……」
視線が絡み合う。熱の篭もった視線に、落ち着きかけていた心拍数が上がる。
そして、互いに引き寄せられるように唇が重ねられた。触れるだけの口付けを交わした後、強く抱き締められた。
「……ね、フェリチータ。おれの部屋、来ない?」
吐息を感じるほどの距離で、耳元に落とし込むように低く囁かれた言葉の意味を悟り、かぁっと顔に熱が集まる。くらくらと、目眩がした。
「……っ」
熱に浮かされているのはまた、自分も同じだ。そしてまだ、当分冷めそうにない。
フェリチータはパーチェの服をきゅっと掴み、小さく頷いた。
2011/12/12公開
