「ハッ、来る頃だと思ってたぜ」
 娯楽室のソファに座る彼の姿も、もはや見慣れたものだ。
「んじゃセツ、あいさつ代わりだ。一発ココに熱いベーゼを頼むわ」
 ココ、と自分の頬を指差して、沙明はニヤニヤと笑う。隣に立つセツが、心底嫌そうに溜め息をついた。
「沙明。何度も言ったが私は汎――性別を持たない。そういう扱いは止めろ」
「セツなら全然イけんだけどな。んで、もう一人はどちらさん? 見た事ねーんだけど」
 初めて会ったときは、この値踏みするような視線に嫌悪感と苛立ちを覚えたものだけれど。その真意を知った今ではそこまでの感情も湧かなかった。
「はじめまして、私はユーリ」
「ユーリな、オウケェイ! 俺は沙明、シャー・ミンだ。ミンと呼んでくれりゃいいぜ」    
 よく知っているよ、と内心で思いながら、沙明の方に近づく。
 毅然とした態度で、わずかに笑みを浮かべて、それから意味ありげに長い髪をかき上げる。
 何度もループを繰り返す中で上達した、演技力の見せ所だ。
「ねえ、沙明。私じゃダメ?」
「ゆ、ユーリ?」
 背後からは動揺するセツの声が聞こえる。ユーリはそれに構わず、沙明の胸元にそっと触れた。簡単にヤれそうな軽い女、そう思わせるのが目的だ。
 沙明は一瞬、驚いたように目を見開いて、けれどすぐに軽薄な笑みを浮かべた。
「いやいや、ダメどころか大歓迎だぜ」
「そう、ありがと」
 顔が触れそうな距離まで近づくと、セツの小さな悲鳴が聞こえた気がした。
 ユーリは沙明の口元を片手で塞ぎ、手のひら越しに口づける。
「ちゃんと話し合いに出て、お互い無事に生き残ったら、私を好きにしていいから」
「ハッ……そう言われたら参加しないわけにはいかねェな」
「待ってるわ、沙明」
 そう言ってユーリは踵を返した。
「行こう、セツ」
 呆然と立ち尽くしていたセツの肩を軽く叩き、娯楽室を出る。
「ヒュゥ……たまんねェな」
 背後から聞こえた沙明の声には、気づかないふりをした。
 メインコンソールへ向かう道中、未だに信じられないというような顔でセツが話しかけてくる。
「すごかったな、さっきのは」
「あはは、私の演技力もなかなかでしょ」
「しかしいいのか、あんなことを言ってしまって」
 不安そうなセツの言葉に、ちらりと背後を確認してからユーリは告げた。沙明はまだ追って来ていない。
「大丈夫。今回の沙明は敵だから。生き残ったところで何もならないし」
 今回はユーリもセツも、グノーシアだ。他の仲間はシピとラキオで、バグは存在しない。AC主義者の可能性はあるが、沙明は間違いなく人間ということだ。
 二人とも最後まで生き残るというのは、グノーシア側が勝利した場合だけ。そして、グノーシアが勝利すれば、人間である沙明は生き残っていたとしても消される運命でしかない。
 つまり、初めから成立しえない約束なのだ。
「それは、そうだが」
「あと、味方になってくれたら私たちに有利でしょう?」
「……ユーリが悪女になってしまった」
 艶然と微笑むユーリに、セツはがっくりと項垂れた。



 今のユーリにとって、場を掌握するのは簡単だった。改めて協力を申し出てくれた沙明は、的確にユーリの発言を後押ししてくれた。
 シピとラキオはコールドスリープされてしまったが、セツはまだ残っている。残りは自分とセツを含めて五人、沙明とオトメ、レムナンだ。流石にレムナンが怪しんできているが、オトメもこちらを信じてくれている。何よりセツが残っているから、沙明が裏切らない限りは大丈夫だろう。
 ダメ押しとして、昨夜のうちに会いにいっておいた。彼は何も疑っていない様子で、上機嫌に出迎えてくれた。改めて目の前に餌をチラつかせれば、大喜びで食いついてきた。あとはもう、心配ない、はずだ。
「……終わり、ね」
 計算通りにレムナンがコールドスリープされて、呆気なく終了した。
「この船は私たちが掌握した」
 セツの言葉に、オトメは悲しそうな声をあげ、沙明は降参を示すようにひらひらと手を振り、壁にもたれて座り込んだ。
「あー……、マジか」
「はあ、沙明。欲に溺れるからこういう事になるんだ」
 呆れたようなセツの言葉。それに対して、沙明の返事は酷く冷静で、予想外のものだった。
「ユーリが敵なのは知ってたぜ? セツには気づかなかったけど」
「えっ」
 思わず声をあげたのはユーリだった。完全に騙されていると思っていたのに、マジかというのはセツに対しての言葉だったようだ。
「二日目くらいで、コイツはやべェな、って。あんだけ目立ってんのに完全に流れを掌握してたし全部有利に進めてただろ」
「だったら、なぜ。君はAC主義者でもないだろう」
 もっともなセツの問いに、沙明は言いにくそうに言葉を濁した。
「んー……」
 ユーリの顔を見上げ、それから、自嘲気味に口元を歪める。
「正直疑ってたけど、裏切って自分だけ生き残るくらいなら……ユーリの手で消された方がマシ、って、思っちまった」
 その言葉に、ユーリは息を呑んだ。だって、それは、その言葉は。
「なんでだろうな。会って数日の女にさ。いや、確かに俺の好みだけど。……とんだ大バカだって自分が一番分かってるっつの」
 それからオトメの方に視線を向け、泣きそうな顔で告げる。
「ゴメンな、オトメまで巻き込んで」
「キュ……気づかなかったのはアタシもなの。だから、沙明さんが悪いわけじゃないの」
 ああ、やっぱり、胸が痛むな。
 ユーリは泣きそうになるのを必死にこらえて、セツに告げた。
「……ねえ、セツ」
 成り行きに戸惑っていたセツが、ユーリを振り返る。
「わがまま言ってゴメン。一晩だけ……時間をくれないかな」
「ユーリ、君は……」
 言いかけ、セツははっと自分の銀の鍵をとり出す。おそらくセツの鍵に蓄積された情報があったのだろう。それを確認し、ふと微笑んだ。
「私も少しくらいゆっくりしたかったから丁度良いさ。ああでも、沙明の顔を見たら今すぐ消したくなるから、ユーリがちゃんと監視しておいてくれ」
「うん」
「……。オトメも、今日は水槽に帰っていいよ」
 セツがそう告げて部屋を出て行くと、キュウと鳴き声をあげて、オトメは水槽へと向かっていった。セツがそっとLeViに何か指示していたから、きっとオトメの水槽に魚を補充したのだと思う。先延ばしにするのが良いことなのかはわからないが、最後の晩餐くらいの時間はとれるだろう。
 誰もいなくなったメインコンソールは、静かだった。沙明は何も言わない。先に沈黙を破ったのはユーリだった。
「沙明」
 名を呼ばれて顔を上げた沙明と視線が合うようにかがみ込み、頬に手を伸ばす。
 それから唇を重ねると、目を閉じた。触れるだけの口づけ。幸福感と同時に、胸の奥が締め付けられるような苦しさを覚える。
 なんだか泣きそうになる気持ちを抑えて、最後の演技をした。
「約束は、約束だから」
「……ああ」
 沙明も、言葉は少なかった。いつもの軽薄な言葉は、今はもうなかった。



 ユーリの部屋のベッドの上。好きにしていい、なんて挑発したのに、沙明は優しかった。まるでずっと一緒にいた恋人にするように、宝物にでも触れるかのように愛してくれた。
 これはユーリにとっては何度目かの。目の前の沙明にとっては初めてのはずの夜。
「ごめんね」
「なんでアンタが泣くんだよ。……騙された馬鹿な男がいただけ、それでいいだろ」
「沙明」
 指先で涙を拭われる。なだめるように口付けられて目を閉じた。
 離れまいとするように強く抱きしめる。ずっとこのままで、時間が止まってしまえばいいのにとさえ思う。それでも変わらず朝は来る。空が明るくなることはなくとも、時の流れは止められない。
 きっと最期だと覚悟をしていたのだろう。二度と目が覚めないかもしれないというのに、眠る彼は穏やかな顔をしている。
 ……眠っているうちに消えるのなら、苦痛もないはずだ。でも。
 残っていたのが、自分とセツだったのは、良かったのか悪かったのか。
 沙明がいつか言っていたっけ、『何も知らずにヤられるのと、自分がヤられるのをわかってるの、どっちの方が残酷なのか』と。
 ならば。私の選択した道は、あなたにとって良かったのだろうか。
 ユーリは温かな腕からそっと抜け出して、身支度を調える。
 眠る愛しい人に最期の口づけをして、部屋を出た。
 向かったのはセツの部屋。起きているかは分からなかったけれど、呼びかけたらすぐに出てきたから既に起きていたのだろう。
「セツ、ごめんね」
「そんな顔をしないでくれ。君が良いなら、それでいい」
 強く、強く抱きしめてくれる。沙明とは違う、鍛えられているけれど細い腕。セツは汎だから、女性とも男性とも違う身体をしているけれど、温かさは変わらない。
「セツとも……お別れ、かな」
「そうだな。次にこの先の君と会うのはいつになるか」
「ありがとう、セツ」
 世界から引き剥がされる感覚。ああ、またいつも通り……ループが始まる。セツも同じだろう。この世界から、私たちは消える。

 全てを知ったまま消えるのと、全てを忘れて生きるのと。あなたにとっては……ううん、きっとこの世界で続くあなたの人生に、私は居られないのだから。
 答えなんて、考えるまでもない、よね。



 目が覚めるといつもと違う天井が目に入った。共同寝室のものではない、誰かの個室だとすぐに気づく。
「俺、なんでこんな所に」
 周りを見回しても、部屋の外のプレートを見ても誰のものか分からなかった。
「なんでこんな静かなんだよ。グノーシアはどうなった?」
 昨日まで議論してたはずだった。……他には誰がいたんだったか。
「誰か、いねェのか!?」
 船内を走り回っていると声が聞こえた。
「沙明さん」
「オトメ、お前無事だったのか」
 ホッと息をはく。オトメの顔を見てやっと少し冷静さを取り戻せた。そうだ、レムナンがコールドスリープされて、オトメがいて、あとは……?
 突然、LeViのアナウンスが聞こえてきた。
 グノーシアの存在は感知できない、と。
 状況が理解できない。まだ他に誰かいなかったか。最後にコールドスリープしたレムナンがグノーシアだった? いや、違う……そんなはずは。なのに思い出せない。ここ数日の記憶が酷く曖昧だった。それなのに、大切なものを置き去りにしてしまったような、酷く胸を締め付けるような苦しさを感じる。
「……あ? なんだよ……」
 涙がこぼれ落ちているのに気づいて、沙明は乱暴に拭った。
「沙明さん、泣いてるの?」
「あー……なんかゴミでも入ったんじゃね? 泣くような覚えもねェし」
「キュウ、でも、悲しそうなの」
 悲しい、なんだろうか。わからない。わからないのに、酷く空虚で、ただ苦しい。
「心配してくれてありがとうなぁ、オトメ。……お前が帰れるまで、ちゃんと付き合うから」
 なんにせよ、無事に生き残ったのだ。オトメもいる。一人残されたわけではない。
 だったら無事に送り届けて、あとはコールドスリープされている人たちをグノーシアなのか調べてもらって……。やるべきことは理解している。大丈夫。自分に言い聞かせるように、気合を入れて頬をたたいた。
 死を覚悟した数日だった。でも、生き延びたのだ。この先もここで生きていくのだから。
 そう思うとやっぱり胸は痛むけれど、答えが出ることはなかった。

 2025/06/20 公開