仕事帰りに何気なく寄ったショッピングモール。一人ふらふらとあてもなく彷徨いながら、沙明は一人ぽつりと零した。
「バレンタイン……ねぇ」
この惑星に来てから数ヶ月、生活にもだいぶ慣れたがこの時期の盛り上がりは初めて見た。街中が赤やピンクに彩られ、商業施設は特設コーナーを盛大に出して賑わっている。
文化は惑星によって違う。沙明の生まれ育った所にはそんな習慣はなかった。というよりは、おそらく住人が少ないのと、大半が研究者と施設の関係者だったので盛り上がりに欠けたのかもしれない。親とか研究員の大人たちに菓子を貰ったことはある気がするけれど。沙明はともかく、当時一緒にいた『友達』は必ずしも人間と同じ食べ物を食べられるわけでもなかったので、仮にそういう習慣があったとして、友達にあげることはできなかっただろう。
とはいえ、その後は住んでいた所を飛び出して転々としていたから、女が男にプレゼントを渡して想いを伝える日だとか、大事な人に感謝を伝える日だとか、男が女に花を贈る日だとか、色々な風習を見た。
沙明もここ数年は全くの無縁だったわけでもなく、以前付き合っていた女がくれたりとか、まあ機嫌取りのようなもので自分から何か買って贈ったこともある。けれど都合の良いイベントに乗っかっている程度でしかなく、本気で誰かに想いを伝えようだとか、誰かから貰えたらなんて期待もなかった。
つまりは、浮かれた空気に染まりきれもせず、かといってスルーもできないという、どちらかというと面倒なイベントであった。養ってくれる女の機嫌を取るのは、ヒモ生活において重要事項なのだから。
さて、それで今年はというと。
沙明は同居人の顔を思い浮かべる。ルゥアンでの事件後、色々とあって、行く当てのない沙明を何故か連れてきて住まわせてくれている女、ユーリ。といっても付き合っているわけでもなく、生活費もある程度は入れているのでヒモでもない。襲撃事件で荷物なんかもほとんど失ってしまったから、一方的に世話になっている部分は多いけれど、それでも生活費を入れてある程度自分で自由に使える程度には、きっちり働いて稼いではいる。
まあ、そんな不思議な関係の相手と、こうしたイベントごとに興じるというのは……。(ねぇよな流石に)
ユーリが自分にプレゼントしてくれる理由がない。彼女の話だと、別の宇宙の俺? と色々とあったみたいだけど、今の俺はただの同居人。恋人ではない。というのは充分に弁えている。
友達のようなもの、とは言えるだろうから、別に贈っても問題はないのだろうけれど、変に下心を疑われても困るし――いや、下心は正直あるが――相手の望まないことをして嫌われたら目も当てられない。
ああ、でも。
ショーケースに飾られたチョコレート製の花が目に入る。
(なんかあいつ、こういうの好きそうだな)
渡したら喜んでくれたりなんて……。嬉しそうに笑う彼女の顔を思い浮かべる。そんな顔は見たいけれど、逆に困惑される可能性の方が高そうだ。
何考えてんだろうな、と自嘲気味に溜め息をつくと、店を後にした。
「おかえり、沙明」
帰宅すると、ユーリはキッチンで夕飯の支度をしていた。もはやこれも見慣れた、いつも通りの光景になりつつある。けれどいつもとは一つだけ違っていた。
テーブルの上、いつも沙明が座っている席の所に小さな箱を見つけ、沙明は思わず問いかける。
「なあ、これ」
「いっぱい買って来たから一個あげる」
ここのお菓子、美味しいんだよ。なんて、ユーリは世間話でもする気軽さで言ってくる。
でも、このタイミングでくれるというのは、それはバレンタインの、ということでは。と、やっぱり期待してしまう。
いつもの軽薄な調子で返そうとしていたはずが、口から出ていたのは全然違う言葉だった。
「ちゃんとお返し、するから」
「うん? 別にいいよ、そんな大したものじゃないし」
自分の買うついでだしね。なんて言われて会話は終わってしまった。
(ユーリにとっては、本当に意味なんてないのかもしれねぇけど)
手の中の小さな箱を見つめる。綺麗な装飾の施された箱に入っているのはチョコレートの菓子だろう。
(でも俺、嬉しかったんだけどな)
妙な関係性ではあるけれど、少なくとも、恋愛感情じゃなくても好意は持たれているということだ。でなければ、ついでなんて言ったってこんなことしないだろう。
自分も買ってくればよかっただろうか。いや、いきなり渡したら重いか? あれこれと思考を巡らせる。いや、でも、プレゼントを貰ったのだから、お礼は何倍かにして返してもいいだろう。世話になっているから、というのも口実ではなく事実だし。
パッケージをじっと見つめていたら、ユーリが怪訝そうな顔をしている。
「沙明? あれ、あんまり好きじゃなかった?」
他の味もあるよ、なんて言われたけれど、そこまで拘りはない。それに、ユーリがこれを自分に選んでくれたのが嬉しいのだから。
「ん? いやあ、今すぐ食いてぇなとも思ったけど、せっかく夕飯作ってくれてるし、ってな。こっちは後で食うわ」
「そうだね、もうすぐできるから」
その間に沙明は自室として借りている部屋に荷物を置いて、机の上に貰った箱を置く。
思わず口元が緩む。こんなに、嬉しいものだとは思わなかった。
あまり浮かれていると変に思われそうだったから、いつも通りの笑顔を作ってリビングに戻る。
明日、さっきの店に寄ろう、と心に決めて。
2024/02/16 公開
