終了条件を告げるアナウンスが聞こえる。この船の、今回の生存者は自分とセツ、二人だけ。
「終わったね」
「うん……」
安心したような顔で微笑むセツに、頷く自分の気持ちは重い。
この後は少し経って、二人とも別々にループが始まる。……厳密には、互いのループが始まる条件は少し異なっているのだが。
頭の奥から自分のものではない声が響いてくる。ノイズみたいなその声に後押しされるように湧き起こる衝動に眩暈がする。それをなんとか抑えつけるように拳を強く握った。
「ユーリ?」
怪訝そうなセツに、思い切って打ち明ける。
「信じてくれたのにゴメン。俺、今回は……グノーシアなんだ」
セツはパチリと目を瞬かせて、それから微笑んだ。
「そっか。気に病むことはないよ、互いにすべきことを全力でした結果だろう」
セツはそう言ってくれる。この後どうなるかをよく分かっているからか、恐怖も怒りも感じられない。ただ優しい気持ちが伝わってきて、余計に居たたまれなくなった。
「それにしてもすっかり騙されてしまったな。君がエンジニアだと信じきっていたよ。私もまだまだということか」
調査ができるエンジニアを騙って、場を掌握する。これはグノーシア陣営となった際に有利な方法だけれど、バレた時のリスクも高い。今回は上手くいっていたのか、と安堵すると同時に、どうしようもない不安に苛まれた。
「なあ、セツ。少しだけ話を聞いてくれないか」
何度か繰り返してわかったことだが、ループが始まるのは条件がある。
一つ目は、自分がコールドスリープあるいは消失して意識が完全に途絶えた場合。
二つ目、グノーシアとして最後まで生き残った場合は、対象を全て消滅または抵抗できないレベルの支配下におくこと。初めは全員消滅させなければならないのだと思っていたが、とある仲間のグノーシアと生存した際に少し違うことが発覚した。人間を消したい衝動に駆られる、という人が多いけれど、全員が必ずしもそうではない。いっそ消してやった方が楽なのでは、と思うような手段を選ぶグノーシアも存在する。その際には対象が消滅していないにも関わらずいつの間にかループが始まっていた。なので、消滅だけが条件ではないのだろう。
三つ目は、人間として最後まで生き残った場合で、この場合は先が読めない。バグがいた場合には早い段階で世界の崩壊が始まる。グノーシアに敗北していつまでも消されない場合は数時間から数日の経過後、ループする。勝利して人間だけが残っている場合でも、しばらくの後にループする。最低でも数時間は猶予があるはずなので、バグさえいなければ多少話をする時間くらいはある。
これはセツとも共有しているし、セツも体感して知っていることだろう。そして今回のセツはバグではありえないので、互いに数時間の猶予はあるはずだ。
「座って話そうか」
飲み物があった方が良いかと、食堂に行くことにした。ステラはコールドスリープしてしまったが船内のシステムは生きているから、飲み物を用意するくらいは可能だ。
飲み物を用意し、向かい合って座る。
湯気の立つカップを吹き冷まして、セツは熱い紅茶を飲んだ。
自分は紅茶の水面に歪んだ鏡のように映る顔を、ただ見つめていた。
「俺、怖いんだ」
ようやく切り出せたのは、一言だけだった。
セツは急かすでもなく、言葉を待ってくれている。その優しさが嬉しくて、同時に胸を締め付けた。
「騙すこと、疑うことが当たり前になって……人を消すことだって、最初は抵抗があったはずなのに」
自分はどれだけ、嘘を、演技を、繰り返してきたのだろうか。どれだけ人を、消してきたのだろうか。
「いつの間にか、誰を消すか楽しんでいる自分がいるんだ」
今回のように騙しきって勝利した場合に、昂揚を覚えるのは否定できない。生き残った相手がセツでなかったら、単純に喜んで終わっていただろう。
ただ、今回の相手がセツだったから、胸が痛むだけで。
「セツは見たことあるかな。……その、ただ消すんじゃなくて、色々してくるグノーシアもいるし。前にLeviが言ってたし俺も体験したけど……それも最初は嫌悪感があったはずなのに」
自分はグノーシアになったからといって生き残った人間に暴力的なことをする趣味はないけれど、誰かがそうしていた時にそれを止めるほど正義感が強いわけでもない。グノーシアの時はそもそも人間は消すべき存在でしかなく、それを愛玩物のように扱う仲間がいたところで、止める気にはならないのだ。仲間に対して理解ができない、という感情はあるけれど、人間をそうした『モノ』のように感じてしまう。
「消されるって分かったときの仲間の絶望する顔に……喜んでる自分に気づいた時は愕然としたよ」
ある時は仲間、ある時は敵。自分が追い詰められたことも、追い詰めたこともある。
それでも、毎度役割は違っていても、全員が一緒に過ごしてきた仲間なのは確かだ――ループしているのは自分とセツだけだから、他の皆にとってはその場だけの関係にはなるが。
「時々、自分が何者なのかわからなくなる時があるんだ。人間なのか、グノーシアなのか。……そうじゃない役割の時もあるけど」
吐息が湯気の減ったカップの中身を揺らす。映る自分の顔がひどく不鮮明になった。
「俺、この先もちゃんと人間でいられるのかな、って」
乗員でいるとき、グノーシアでいるとき、それ以外のとき。毎度思考は違うけれど、いつか、いつか境界線が曖昧になって混ざり合ってしまうのではないか、と。そんな恐怖が拭いきれない。
「もし、俺が道を踏み外したら……その時はセツに、止めてほしい」
しばしの沈黙。それから、セツは困ったような曖昧な笑みを向けてきた。
「私も気持ちは分かるよ。何が正しいのか、自分がやっていることは正解なのか。迷いは尽きない」
セツはいつもまっすぐで、迷いなく進んでいるように見えた。けれど、そうではないのだ。
「でも、後悔はしていない」
迷いながら、それでも進み続けているだけだったんだ。そんな当たり前のことが、見えていなかった。同じ、なんだ。きっと。そのことが不安だった気持ちを軽くしてくれた。何があっても、一人じゃないと思えたから。
「それに、私もたまに沙明をやってしまうからな……あまり偉そうなことは言えないし……」
ばつが悪そうに告げられた言葉に、今回はいなかった彼の姿を思い浮かべて思わず苦笑する。セツが彼を嫌うのは納得するところではある。彼の過去を知るまでは、自分も好意的には見ていなかったから。
「彼は……うん。態度はアレだけど、でも悪い奴じゃないと思うから、ほどほどにね」
「善処しよう……」
冷めた紅茶に口をつける。もう話は終わったけれど、この時間が終わってしまうのは名残惜しかった。
セツも何も言わずに、ゆっくりと紅茶を飲んでいる。静かで、平穏で、ずっとこうしていられたらいいのに、と叶わないことを考えてしまう。
セツが紅茶を飲み終えたのを確認して、自分も残りを飲み干した。
「ゴメンね変なこと言って」
カップを置いて、立ち上がる。
「終わらせないと、ね」
セツの方に近づき、手を伸ばす。
「セツには苦しんで欲しくないから。このまますぐ消しちゃうけど」
「ああ」
そう言うと、セツも立ち上がり、一歩距離を詰めてきた。不意に感じたのは、ふわりと頬をくすぐる髪の感触と、背にまわされた腕。包み込むような温かさに、抱きしめられているのだとわかった。
「また会おう、ユーリ」
それは慰めとか、激励とか、色んな想いが交じっていたのだろう。強い信頼と、親愛の情を感じる。
「またね」
次に、この先のセツと出会うのはいつになるだろうか。わからないけれど、友達と明日の約束をするかのような気軽さで、最後の挨拶を交わした。
次に会う時は仲間だといいな、と。
そんな願いを込めて、この世界の幕を下ろした。
2024/01/01 公開
