鬼龍の部屋の、ベッドの上。着衣も、シーツも、互いの呼吸も相当乱れた状態で。指を絡めて繋がれた手だけが、離れまいとしっかり重ねられている。肌を重ねた、その余韻の生ぬるく気怠い空気のなか口づけを交わす。
こんなに予定が合わなかったのはどれくらいぶりだろうか。いや、紅月としては仕事で一緒にいたのだが、他のユニットと一緒に遠方での大きな仕事だったので、二人になれる時間などほとんどなかった。戻ってから数日経って、衣更が不在のタイミングを見計らい、こうして部屋に泊まりに来たのだけれど。
キスの一つもできない時間があまりに長すぎて、一度触れてしまえばもう駄目だった。多分、お互いに。
正直、期待というか、そうなるだろうと確信はあったし、部屋に来る前に準備だってしていた。それでも、こんなにも夢中で求め合っていたのは、付き合いたての頃のようでなんだか気恥ずかしい。
自分を見下ろす恋人の顔は、眼鏡を外してしまっているせいでぼやけているのだけれど、それでもなんとなくどんな表情をしているのかはわかる。繋いでいた手を片方だけ解いて、頬に手を伸ばした。その手が包み込むように触れられ、ふ、と笑ったのが伝わる。
多分、自分も同じような顔をしているんだと思う。なんか甘くて、くすぐったくて、満ち足りたこの時間。
……いや、そう思っているのは、自分だけなのかもしれないけれど。
「疲れたか? 旦那は仕事も一日だったしな」
鬼龍はそう言って頭を撫でてくる。汗ではりついた髪を掬って、梳いてくれるのが心地良い。
気遣ってくれる優しさが嬉しいのと同時に、きっとまだ物足りないのだろう、という風にも感じる。
「鬼龍」
自分からこうしたことを口にするのに羞恥心もあるけれど。それよりも、自分のことより他人ばかりを優先するこの優しい恋人に、応えてやりたかった。
「俺は明日はオフだから、もう少しくらい平気だ」
「でも」
「起きるのが遅くなっても構わないのだろう?」
「……いいのかよ」
「いい。おまえの好きにしろ」
こんな時くらい、もう少し我儘になってくれてもいいんだ。
「……ん」
鬼龍はそれ以上何かを言うわけではなかったけれど。再開を告げるように唇を重ねた。
夢も見ないほど、深く眠っていた。目が覚めた時には、すっかり身支度を終えた鬼龍が、ベッドに座ってこちらを見ていた。眠気はないが体はまだ少し重い。
「おはよ」
「……おはよう。今、何時だ」
「七時過ぎ。旦那にしちゃ結構寝てたな」
「遅くまで起きてたせいじゃないか」
あの後も、触れ合うことすらできなかった分を埋めるように互いに求めあっていた。もう最後の方は記憶も曖昧だったし、流石に体力が尽きたようだった。
捨て去ったつもりで後から襲い来る羞恥心に頭を抱えつつ、眼鏡を手探りで探していると、鬼龍が蓮巳の手に乗せてくれた。眼鏡をかけて、ようやく顔がはっきり見えるようになる。
髪を撫でて額にキスをされ、くすぐったさに目を閉じる。なんだか昨日からずっと、ふわふわした心地だ。相当に浮かれている。
「朝飯作っておいたぜ。味噌汁も温めればあるからよ」
「ありがとう」
言いながらも、鬼龍はずっと頭を撫でてくる。嫌ではない。むしろ心地良いくらいなのだが、起き上がるタイミングを逃したままだ。
じっと鬼龍を見上げると、案外ずっと一緒にいる蓮巳でさえ見る機会が少ない、柔らかな笑みを浮かべている。
気持ち悪いくらい上機嫌だな? ……そんなによかったのか?
などと、目の前の恋人が若干失礼なことを考えているとは知りもせず、鬼龍は蓮巳に問いかけた。
「しんどいならベッドで食うか? ちぃと行儀は悪ぃが」
「いや、そこまでではない。移動くらいできる」
そうして蓮巳はようやく体を起こした。多少、下肢の違和感やら体のだるさはあるけれど、日常生活に支障はない。
「顔を洗ってくる」
「じゃ、その間に飯の準備しとくよ」
洗面所で顔を洗って戻ってくると、机には蓮巳が寝ている間に作ったらしい朝食が並べられていた。おにぎりと、卵焼きとウインナー、あと今温め直している味噌汁。
いつ起きるか、それと動けるかどうかが分からなかったからだろう。冷めても大丈夫な、食べやすいものが選ばれている。
「食わせてやろうか」
「要らん……」
そこまで世話を焼かれる必要はない。どうやら鬼龍も変に浮かれているらしい。
ずっと眠っていたせいで朝食の時間もいつもより遅いし、腹の虫が鳴き出しそうな程には空腹だった。美味い、と伝えはしたが、黙々と食べている間も鬼龍は時折こちらを窺っていた。反応が気になるというよりは、蓮巳の食べる様子を見ていたいだけ、のような。……落ち着かない。
「片付けは俺がやるから」
「えー、いいよ大した量じゃねぇし」
「それくらいさせろ。貴様は仕事だろうが」
「そうだけどさぁ」
半ば強引に洗い物を始めたら、後ろから抱きついてきた。正直、動きにくい。なんだ、なんなんだ。
「支度をしないのか」
「旦那が寝てる間にそっちも大体済ませたよ」
「そうか」
なら、いいのだが……いや、いいのか?
この状況に疑問は残りつつ、食器を洗う。
「俺も休みだったらよかったのにな」
「そう言うな。貴様はさほど疲れているわけでもないだろう」
「まあ、あれくらいじゃな」
鬼龍の体力に底はあるのだろうかと考える。負担の差を差し引いても、鬼龍の体力が尽きるまでは絶対に付き合えそうにないなと早々に結論づけた。
「仕事が嫌というわけではないのだろう。おまえが最高に格好良いアイドルなんだって見せつけて来い」
「はは、旦那にそこまで言われちゃな。頑張るしかねぇよ」
洗い物を終えると、今度は正面から抱きしめてきた。
「旦那は今日はどうするんだ?」
「台本読みと、あとは企画書の為にブックルームで資料探しでもする予定だ」
「なら、晩飯は一緒に食おうぜ。予定通りなら夕方には終わる」
「わかった。待っている」
鬼龍は体を離すと、じっと蓮巳のことを見つめてくる。
「ん? なんだ」
「なんかねぇの? 行ってらっしゃいのキスとか」
「貴様……」
よくもそんな、恥ずかしげもなく。昨日散々しただろうが。文句を言う代わりに蓮巳はため息をついたが、鬼龍は完全に面白がっているようだった。……結局は、鬼龍の望みを叶えてくれると知っているから。
首に腕をまわして、触れるだけのキスをする。
ああもう、妙に恥ずかしくなるのはどうにもならない。
「顔赤いぞ旦那」
「貴様が妙なことをさせるからだ」
一緒に部屋を出るのにまったく。今度はもう一度鬼龍の方からキスをしてきて、それから二人で部屋を出た。
蓮巳は一度部屋に戻って、午前中は次のドラマの台本を読んでいた。昼を少し過ぎた所で共有キッチンに降りて、パンと珈琲を昼食にして、午後はブックルームへと向かった。
次の企画書はどうするか。何かテーマになりそうなものは。あとは、ドラマティカの脚本もそろそろ煮詰めなければ。参考になりそうな物語はあるだろうか。
元々読書が好きな蓮巳には、こうした調べ物や本を読み込むのも苦ではない。気づいたら三時間ほどは経っていて、本棚の向こうの物音に気づいて顔をあげた。誰かがブックルームに来たらしい。挨拶くらいすべきかと、相手が確認できる位置まで移動すると。蓮巳より先に、相手の方が声をあげた。
「うわァ、蓮巳先輩!」
「白鳥。……貴様、その手に持っているものはなんだ」
慌てて背中に隠してももう遅い。持っているのが丸めた答案用紙だということは一目で察しがついた。何人か、このブックルームのソファに赤点の答案を隠すなどという不届きなことをしていたのを説教したというのに、まだやっているとは思わなかった。一度見つかったら、逆にもう見つからないとでも考えたのだろうか。
「どうやら説教が必要なようだな」
蓮巳が微笑むと、白鳥はしばし何か悩んだ様子をみせ……それから、意を決したように蓮巳の方へと飛び込んできた。
「蓮巳先輩、助けてくださぁい!」
予想外の反応に、蓮巳はぱちりと目を瞬かせた。
数時間後、共有ルーム。
「ここまでは理解できたな。同じ要領で次の問題をやってみろ」
「え~っと……こうですか?」
白鳥がノートに書き込んでいく数式を、目で追いかける。どうやら理解して貰えたらしい。
「正解だ。この範囲はこれで大丈夫だろう」
「わ~い、ありがとうございます!」
「頑張ったな。えらいぞ」
「えへへェ、蓮巳先輩に撫でてもらえるなんて役得~!」
手を伸ばし頭を撫でてやれば無邪気に喜んでいる。素直な後輩は可愛い。
と、その時、不意に背後からのびてきた腕に肩を抱き寄せられた。体重をかけて身を乗り出してくるものだから、かくんと眼鏡がずれる。
「なんだ、仲良くお勉強か?」
「……鬼龍。白鳥の点数があまりに悪くてな。せめて追試はクリアしてもらわないと」
眼鏡を直しながら蓮巳が答える。鬼龍はからかうように白鳥に話しかけた。
「こいつの指導は大変だろ?」
「あはは。でも、前より優しいし、わかりやすく教えてくれるから助かってますよォ!」
「へぇ?」
「……俺も色々あったんだ」
南雲の件からは反省することもおおいにあったので、人に合わせたやり方や色々な教え方というのを、自分も学んでいる最中だ。
「鬼龍先輩も蓮巳先輩に勉強教わったことあるんですか?」
白鳥の質問に、鬼龍は苦笑する。
「今もだよ。クイズ番組とか出る度にお勉強だ。歴史の番組もあるしな。夢ノ咲時代から、勉強教えて貰ったのも説教聞いたのも俺が一番だって自覚はあるぜ」
「自覚があるなら勉強はともかく、説教は聞かないで済むようにしてもらいたいものだがな」
白鳥は蓮巳と鬼龍の顔を交互に見渡し、目を輝かせている。
「お二人は夫婦のような仲の良さって雑誌にも載ってましたけど、本当に昔から仲がいいんですねェ!」
「ああ、学院時代はそんな風に言われていたこともあったな」
誰が呼び始めたのか……鬼龍が旦那とかいう呼び方をするからではないか。
「ところで白鳥、そろそろ時間だろう」
「わっ、もうこんな時間。もっとお二人の話聞きたかったんですけど……」
「そこは勉強の方にして欲しかったがな。……まあいい。分からないことがあればまたいつでも聞いてくれ」
「はぁ~い! 部屋に戻って仕事に行きますね、ありがとうございましたァ!」
礼をして去っていく白鳥を見送ると、誰もいなくなった共有ルームで鬼龍はソファ越しに蓮巳の方にもたれかかってきた。
「ずっと白鳥といたのかよ?」
「ニ時間ほどだぞ。見ての通り数学を教えていた。追試を落としたらイベントに行けないと泣きつかれてな」
「仕事ならそっちが優先されんじゃねぇの?」
「いや、自分の仕事ではなく、個人で行きたいものだそうだ」
「なるほど。それで、背に腹は代えられねぇって旦那を頼ったのか」
「……なんだ、含みのある言い方だな」
「いやぁ、旦那はスパルタだからなぁ」
「貴様には鞭だけでなく飴も充分やっているだろうが」
「いいじゃねぇか、旦那の『ご褒美』が一番やる気でるんだからよ」
それから一度まわりの様子を伺い、誰もいないことを再確認すると、耳元で囁くように告げてきた。
「仕事頑張った俺にはなんもねぇの? 白鳥にはご褒美やってんのに」
「貴様は子供か」
蓮巳は肩を竦め、鬼龍にだけ聞こえる小さな声で言った。
「……寮監室」
そしてソファから立ち上がると、机に残っていた自分の筆記用具を片付けて、寮監室へと入っていった。その後ろを、鬼龍がついていく。入る前にもう一度周囲を確認して、それから中に入った。
扉が閉められ、蓮巳が鬼龍へと手を伸ばす。背中に腕をまわして、抱きしめた。
「……分かりやすく拗ねるな」
「拗ねてねぇ」
言っていることと表情が一致していないのだが。
蓮巳は鬼龍の頬に唇を寄せる。それから、唇を重ねる。
「おまえだけだぞ、こんなの」
「うん」
触れてすぐに離れようとしたけれど、今度は鬼龍の手が蓮巳の頬をおさえて、深く口づけてきた。
「……っ」
蓮巳は止めようとして、やめた。キスだけ。それくらいの我が侭なら、許してやったって、いいじゃないか。
ほんの少し名残惜しくなるくらいで、唇が解放される。それから蓮巳は、目の前の恋人に向かって言った。
「晩飯は外に食べに行こう。今日は外に出ていないからな。ついでに本屋に寄りたい。あと、企画で使う衣装や小物のイメージを探したいから貴様の行く手芸用品の店にも連れて行け」
「これからデートってことでいいのかよ?」
「わかるだろう。まあ、誰かに聞かれたら仕事のためと言うがな」
「ん、いいよ。行こうぜ」
甘えるように抱きしめて頬をすり寄せてくるこの恋人の、時折見せる我が侭な独占欲に、困ったものだと呆れる気持ちもあるけれど。
それも、本当は……嫌じゃないから、困るんだ。
2025/02/09公開
