一月も後半にさしかかったある日の夜。寮の自室の四人の共有部分であるソファに転がり、鬼龍は分厚い冊子のページを捲っていた。
「う〜ん……あー……」
その眉間には普段以上に深い皺が刻まれ、口からは言葉にもなっていない声が漏れている。
それがしばらくは続いていて、遂にはベッドに座って誰かと連絡をとっていたらしい瀬名が、声を荒らげた。
「ちょっと鬼龍、さっきからうるさいんだけどぉ!?」
瀨名の怒声に、鬼龍は慌てて体を起こした。
「え、悪ぃ、俺そんなうるさかった?」
「ずーっと唸ってたけど無自覚なわけ? っていうか何をそんな睨んでるのさ」
鬼龍としては別に睨んでいたつもりはないのだが、誤解されるのは今に始まったことではないので捨て置いた。
見ていた冊子の表紙を瀨名に見せて、説明する。
「カタログだよ。新作公開のイベントに連れてって貰ってさ」
いわゆるハイブランドのショーイベントにリズムリンクの先輩が出演することになったので、衣装担当の人が声を掛けてくれたのだ。チケットがあるから今後の為に見てみないか、と。そして会場でもらったのがこのカタログだった。
「誕生日に欲しいもの考えとけって蓮巳に言われたけど、何も思いつかなくて」
「えっ、あんたこれ誕生日にねだるのぉ?」
鬼龍の言葉に、瀨名が眉を顰める。鬼龍は慌てて否定した。
「んなわけねぇだろ。服とか靴とか鞄とか色々載ってるから見てただけだよ。流石に分不相応だろ。そりゃいつかはこういうのでも買えるくらいにでっかくなりてぇとは思うけどさ」
「言いたいことはわかるけど」
いや、本気で買おうと思えば買えないこともないのだが、ちょっと庶民の感覚では勇気の要る金額だ。それくらいなら家族に何か使ってやりたいと思うし。
いつか気軽に買えるくらいになったとしても、実際に買うかはわからないが、本題はそこではない。
鬼龍は再びカタログのページを捲る。服や靴はいまいちこれというのが思いつかなかったけれども。
「……おっ」
「何か良いのあった?」
「あー、これくらいのバッグいいなって」
メンズ向けのワンショルダーやボディバッグのページを瀨名に見せる。台本や資料、着替えなど荷物が多い時はリュックか手提げに入れるかしているが、荷物が少ない時に使えるものが一つあってもいいかもしれない。
「似たようなの探せばあるんじゃない」
「そうだな、見てみるか」
鬼龍はカタログを閉じた。方向性が決まれば、あとは値段が手頃で使い勝手がよさそうなものを見つけられるかだ。自分が蓮巳にプレゼントしたのと近い値段のものも、探せばあるだろう。
鬼龍が置いたカタログを、瀨名はじっと見つめている。
「ねぇ、それ後で俺にも見せて」
「ん、置いとくから好きに見てくれ」
なんだかんだ話に付き合ってくれたのだし、人に見せても問題ないものだから、断る理由もない。
ここ数日の悩み事が一つ減ったので、その日は安心して眠りについた。
翌日の朝、鬼龍が星奏館のキッチンへ向かうと、共有ルームから聞き慣れた声が聞こえてきた。覗いてみるとそこにはソファに座り頭を抱えている蓮巳と、困った顔で蓮巳の前に立ち尽くす羽風の姿があった。
「どうしよう羽風。助けてくれ」
「えぇー、そんなこと言われても」
羽風は運悪く蓮巳に絡まれたんだな、と理解したが、鬼龍としては面白くない。何を困ってるんだか知らないが、なんで俺には何も言わないので羽風に相談してんだよ、と。
その時、羽風がこちらに気付いて顔を上げた。
「……あれ、鬼龍君」
そしてようやく気付いたらしい蓮巳が、動揺した声をあげる。
「鬼龍!? 今日は朝から撮影ではなかったのか」
「共演者の都合でリスケになったんだよ。だから一日空いちまった」
「そうだったのか」
もやもやする感情を顔には出さないようにしつつ――周りが見えてないらしい蓮巳はともかく、羽風は察していそうだったが――鬼龍は二人に問いかけた。
「何朝っぱらから騒いでんだよ?」
「いや、それはだな……」
蓮巳が曖昧に言いかけたのを、羽風が遮った。
「鬼龍君もオフならさ、一緒に行けばいいんじゃない?」
「んだよ、出かけるのか?」
蓮巳は、う……と言いにくそうにしている。この期に及んで往生際の悪い。俺には言えないのかよ。
そんな思いは今度こそ顔に出ていたらしい。蓮巳はますます気まずそうな顔になり、羽風は完全に苦笑している。
「もうそんなに悩んでるくらいなら白状しちゃいなよ」
羽風に後押しされ、蓮巳はようやく抵抗を諦めたようだった。
「その。おまえの誕生日プレゼントが、まだ決まらなくて。これから探しに行こうかと思ってたんだ」
「おう……」
自分のことであんなに必死になっていたのだと理解すると、瞬時に苛立ちは治まった。というか、そこまで必死に悩まなくてもよかったのに。
「それじゃ俺は部屋に戻るから頑張ってね」
付き合ってられない、というのが思う存分込められた羽風の適当な応援に、鬼龍は悪かったな、という思いを込めて手を振った。
そうして共有ルームには二人だけが残され、沈黙が落ちた。人騒がせなこの恋人は、おずおずと鬼龍を見上げてくる。
「……買い物、一緒に行くか? おまえの欲しいものがあるなら教えてほしい」
「欲しいっつーか、見てみたいものならあるんだけどよ。それでもいいか?」
まだそれを買うかどうか決まっているわけではないのだけれど。それでも蓮巳の緊張が解けたらしく、表情が緩んだ。
今すぐ抱きしめたい衝動に駆られたが、ここが共有ルームであることを思いだし、なんとか耐える。
それから一度部屋に戻って外出の支度をすると、二人揃って寮を出た。
セゾンアベニューは近場でいつでも寄れるので、もっと店舗数のある場所へ向かうことにした。近隣でも大きなショッピングモールは、気軽に立ち寄るには少し遠く、休みの日でもないとなかなか来られない。
「ここなら広いしアウトレットもあるしな。何かしら見つかるといいんだけどよ」
「そうだな」
着いたのは開店から三十分ほど経った頃だった。平日なので人もそんなに多くないかと思いきや、小さな子供を連れた家族などの姿が多かった。
タッチパネル式のフロアガイドを操作し、目的に合いそうな店を探す。他にも気になる店を見つけて、どういう順番でまわるかを検討する。
そうこうしているうちに、二十分ほどが経過していた。この店舗は相当広いし、気になる店もその分多い。
「あー、先に飯食わねぇ? 朝あんまり食ってねぇから腹減ってきたわ」
「そうか。俺は構わんぞ。何が食べたい?」
ひとまずレストラン街を覗いてみる。これから歩き回るのだしガッツリしたものが食べたい気分でもあるけれど。
国産牛を使ったステーキやハンバーグの店が目に飛び込んでくる。美味しそうではあるが、ショーケースの食品サンプルに添えられた値段を見て、思わず身構えてしまう。
「結構いい値段すんな……」
仕事先で高めの昼食を摂ることも今や珍しくはないし必要があれば迷わず支払うのだけれど、どうにも一般家庭育ちの感覚というのは抜けないのだ。
これが蓮巳の希望ならたまの贅沢と思って行くところだけれど、自分の希望でこんなに高いところは……気にはなるが……としばしショーケースの前で立ち尽くしていた。
「もう少しまわり見てからにしよう」
そう告げると、蓮巳は可笑しそうに笑っている。
「わかった、一度端まで見てみるか」
そうして周辺を一周し、元の場所へと戻ってくる。フードコートなどもあるので調べてみたけれど、選択肢が多すぎると迷うばかりで決まらない。
「まあいいんじゃないか、こんな時くらい」
結局は蓮巳に背中を押され、少しだけ豪華なランチを楽しむことにした。
その後、最初に決めた予定通りに各店舗をまわっていく。鞄の専門店、メンズのファッションブランドの店舗、アウトレットの店舗と渡り歩き、最終的にとあるミドルブランドの店に戻って来た。そこで見つけた鞄が、色やサイズ、使い勝手等々一番合いそうだと思ったのだ。
これから長く使うことになるだろうことを考えても、馴染みがよさそうだ。蓮巳も似合うって言ってくれた。
「これがいい」
それにしても、誕生日に欲しいプレゼントを誰かに伝えるのなんて、子供の頃以来だ。少しだけ照れくさい。
「いいのか? もう少しくらい出しても構わないが」
「いやぁ……俺がおまえに贈ったのも、そう大したもんじゃねぇし」
わざわざ言わないが、金額的には大きく変わらない程度だ。
蓮巳はバッグを受け取ると、レジへと持って行った。鬼龍はそれを店の外で待つ。
「少し早いが、誕生日おめでとう鬼龍」
蓮巳がそう言って、袋を寄越してきた。中身も、なんなら値段も分かっているものだけれど、やっぱりこうして手渡されると嬉しいものだ。
気に入ったし、早速明日から使おうと思うけれど。使うのが少しだけ惜しい気もする。
「なんつぅか。使う為のもんだけど、使ってると消耗はしてくんだよな……」
使わないで仕舞い込むのも本来の意図と違っているし、使わずとも劣化はしていくものだけれど。
「ん? そんなことを気にしていたのか。別に構わないぞ、おまえが今欲しいものが一番だし。俺一人ではこの選択肢はきっとなかったからな」
それから蓮巳は、さも当然のように、告げてくる。
「おまえは大事に使ってくれるのだろうが。買い換えが必要になる頃には、また一緒に買いに行けばいいだろう」
「俺、自分で言うのもなんだけど物持ちいいぜ? 何年先まで使うかわかんねぇよ?」
「何年先だろうが、おまえは俺と一緒にいるだろう? ……まあ、その頃にはもっと良い物を贈れるといいんだが」
「はは、昨日瀨名ともそんな話してたぜ。ブランドとか値段じゃねぇが、そういうのでも似合うくらいにでっかくはなりてぇよなぁ」
「なってみせる。俺たちならなれる、そう信じているぞ」
「……うん、そうだな」
本当にハイブランドのバッグを買うのかどうかはさておき。……それくらいになれたなら、改めて、生涯を共にするような指輪でも贈れるだろうか。
蓮巳の首元に光るチェーンを見て、鬼龍はひっそりと想う。
ゆっくりと歩きながら、蓮巳が話しだす。
「おまえの誕生日にも、どこか遠出したかったんだがな」
「いいよ、俺も旦那も月末からでかい仕事入っちまったしな。来月は後半になるとどこも混み出すだろうし」
「今度の予定も、急な変更が入らなければいいのだが」
蓮巳の誕生日には少し遠出して泊まったけれど、今月は予定がうまく合わせられなかった。とはいえ来月も春休みにさしかかってくる時期に人が多いところには足を運びにくい。けれど、鬼龍にとっては一緒に居られるならどこだってかまわなかった。
ちょっと先になってしまうが、一日予定を合わせられそうな日もある。それに今日も、こうして一緒にいてくれるのだから。急に一緒に居られる時間が増えるというのは、あまり何度も期待できることではないけれど、今日は降って湧いたような特別な日だ。
「あー、じゃあ、これから甘い物でも食いにいかねぇ? 結構歩き回って疲れてきただろ」
「誕生日にもケーキを食べるだろうに」
「別にケーキだけじゃねぇだろ。アイスとかクレープとか……ほら、和のカフェとかもあるぞ」
スマホで検索した情報を見せてやると、蓮巳も興味深そうに見ていた。
「そうだな、行ってみようか。そのあとでもう少し買い物をしよう」
「俺の買い物ばっかりになっちまったけど、何か欲しいのあるのかよ?」
「せっかくここまで来たのだから、もう少し見てまわりたいだろう」
平然としているように見えて、少しだけ耳が赤くなっている。
「そうかよ」
もう少しこの、二人きりの時間を楽しみたいのだと、その意図を理解する。
ああもう、手を繋ぐことも抱きしめることもできないのがもどかしい。
「うわっ!」
がっしりと肩に腕をまわし、少しだけじゃれてみる。蓮巳の悲鳴があがったが、これくらいなら、ただふざけ合ってるだけに見えるだろう。
「よーし、こうなったらとことん付き合ってもらうぜ」
「明日に差し支えない程度にしてくれよ。ただでさえここは広いんだし。帰りもあるんだからな」
「ま、ほどほどにな」
そいつはちっと保証できねぇなぁ、なんて悪い企みを抱きつつ。ここは遅くなりすぎない程度に引き上げるつもりだが、寮に帰ってどうなるかはその時次第だ。
ちらりとまわりを伺って、傍に誰もいないのを確認する。そして。
「ありがとよ、蓮巳。……――」
最後は蓮巳だけにしか聞こえないような小さな声で告げる。それでも蓮巳にはしっかり届いているだろう。
そうしてから体を離し、鬼龍は何事もなかったかのように歩き出した。言葉を失い、顔を赤くしてため息をつく蓮巳を残して。
2025/1/26公開
