三日目の朝も晴天だ。お天道様が眩しい、青く爽やかな空が見える窓の外とは裏腹に、この部屋だけ雲に覆われてるんじゃねぇかっていうくらい空気が重い。
朝飯もまだのこの時間に、椅子に座って本を読んでいる未だ口数の少ない蓮巳と、黙々と何か支度している神崎と。気まずさを覚えるのは俺のせいなんだろうが、息が詰まりそうになる。
昨夜の神崎との会話を思い出し、憂鬱な気分が強くなった。
『やっぱり怒ってる……よな』
『我、今回は蓮巳殿の味方であるぞ』
ばっさり斬り捨てるように言われてしまい、俺はただ唸るしかなかった。
『でもせっかく朔間たちが誘ってくれたのにさ、俺がいちゃ楽しめねぇだろ?』
そう言うと神崎はあからさまに顔を顰めた。うぅ、神崎にこういう顔されると結構精神的にクるな……。
『我、鬼龍殿のことは敬愛しておるが』
神崎は真っ直ぐに俺の目を見て、はっきり通る声で言った。
『それで我らが喜ぶと思っているのなら、勘違いも甚だしい』
あ、これ、神崎もめちゃくちゃ怒ってるな。四面楚歌ってやつだ。いや自業自得か。
『悪かったよ……』
『まあ、それなりに楽しんでいた我がこれ以上言うことではないが。あとは鬼龍殿と蓮巳殿の問題であるゆえ』
『わかってる。ちゃんと謝るからよ』
とは言ったものの、戻って来た蓮巳は話しかけるなとばかりに早々にベッドに潜り込んでしまったので、朝まで持ち越した結果が今というわけだ。
憂鬱な気分と、それからもう一つ。考え込んでろくに寝付けず、浅い眠りのままでほんともう、俺、何やってんだろうな。
ため息がこぼれる。わかってる、わかっちゃいる、けど。どう切り出せばいいのか。説教で済むのか、これ。
声をかけられないままでいると、神崎が荷物を詰めた鞄を手にして、突然言い放った。
「我、今日はあどにす殿と大神と一日出かけてくるので」
「えっ」
予想外の言葉に、思わず動揺した。その支度してたのかよずっと。予想外だったのは蓮巳も同じだったようで、声に動揺がにじんでいる。
「え、いや、もちろん構わないが」
「先輩方はどうも、我らばかりを優先するのでな。せっかくの機会なのだ、先輩方にも自由に過ごして頂きたいと、昨日船で話しておった」
なんだよ、そんなことになってたのかよ。まあ、我『ら』ってことはUNDEAD側もなんだろうけど。朔間と羽風もあれで後輩を可愛がってるからな、そっちの意見を優先してた部分もあったんだろう。でも、きっかけ作ったのは俺だよなぁ、やっぱり。
「夜まで帰らぬので、お二人はゆるりと過ごされよ」
「あ、あぁ……。明日は撮影だからな、怪我や日焼けには気をつけろよ」
「承知、日焼け止めも持ったのである! では約束の時間なので行って参る」
蓮巳の言葉に笑顔で頷き、神崎は部屋を出て行った。静まりかえった部屋で、閉められた扉をただ呆然と見つめる。
どうしたものかと蓮巳の方に視線を向けると、向こうもちょうどこっちを振り返ったところだった。けれどすぐに視線を逸らされてしまう。
「……」
気まずい、なんてもんじゃない。
けど、こんな顔させたままにしたくねぇもんな。
腹括るしか、ねぇよな。
「なぁ、まだ怒ってるか?」
「…………」
椅子に座る蓮巳に近づいて、背後から抱きしめる。振り解かれないなら、聞いてくれる気はあるんだろう。
「ごめんな。おまえらの気持ち考えてなかった」
「別に四六時中一緒にいる必要はないが。勝手に一人で決めるのは違うだろうが」
「そうだよな。ごめん」
「……また同じことをしたら、次は一晩中説教してやるからな」
蓮巳はそれ以上何も言わなかった。言いたいことはあったのかもしれないけど、多分、こんな時にまで言い合いしたくなかったんだろう。俺の腕にそっと手を重ねて来たから、抱きしめる腕にもう少し力を込めてやった。
神崎にも言った通り、謝るっていうのは果たせた。いや、ちゃんと許してくれたというより、飲み込んでくれた、っていうのが近いのかな。悪い癖だって自分でもわかってるのに、染みついた考え方とか行動ってのはそう簡単に治らねぇ。でも、間違えたらその度にちゃんと叱ってくれる相手がいるってのは、感謝すべきなんだろうな。神崎や、守沢とか鉄もだけど、やっぱり蓮巳とは一番長くいる分、悲しませたりしてる気がする。
俺だって、蓮巳には笑ってて欲しいんだけどな。格好悪いけど間違えてばっかりだ。
「……蓮巳」
一応、一つは不安が解消されたはずなのに、まだ胸の奥がつかえてるようなもやもやは消えない。抱きしめてたら余計にそれは強くなった。自分でもその理由はわかっていたが、これもまた自業自得だからこそ救えない。
頬にキスして、振り返ったところで、唇を塞ぐ。
「っ、こんなことで、機嫌がとれると」
「違う、俺がしたかったから」
もう格好悪いついでに白状しちまった方が良いだろう。呆れるか笑われるか、怒られるか、わかんねぇけど。
「昨日の写真、さ」
クルージング中に羽風が撮ったっていう写真。それから、その前に見せてもらった初日のボートの。
「俺が居ないところでおまえ、あんな顔してんの。俺には見せてやれねぇのに、朔間たちも、伏見もさ。……だから」
うまくまとまらない言葉を、それでも蓮巳はじっと聞いている。
「ダセェよな、自分から言っておいて嫉妬した」
自分の体質を恨みたくもなるが、俺が同じことしようとしたって無理だ。どうしたって楽しむどころか心配かけるだけにしかならない。
だから、俺のためにせっかくの機会を奪いたくなかった。蓮巳も神崎も俺の前では行きたいなんて言わなかったけど、興味はあるんだろうと薄々感じてはいたから。俺を気遣って言わないだけなんだろう、って。
でも、実際に俺のいないところで楽しそうな顔してるの見たら、俺にはできないことを他の奴らがしてるの、見ちまったら、さ。
こいつは、俺のなのに、って。くだらねぇ、子供じみた嫉妬だ。いくら恋人だからって言っても、ずっと俺だけが独占できるわけじゃねぇのに。
「……馬鹿だ。おまえは」
「そんなの、ずっと前からご存じだろ」
頬に手を添えて顔をあげさせ、強引に口を塞ぐ。
「ん、ぅ……」
体勢のせいか少しだけ苦しそうな声をあげて、それでも蓮巳はされるがままになっている。それをいいことに、俺は更に口内を貪っていく。丁寧にする余裕もなかった。舌を擦り合わせて、深く絡めて。それでも全然、足りない。もっと、と際限なく求めてしまう。
不意に、蓮巳が俺の手を掴んで引き剥がしてきた。
「っ、だめだ、これ以上は」
顔は真っ赤になってるし、息もあがってる。……あぁ、うん。止められなかったら、マジで止まれなくなってた、よな。
「神崎もこんなことの為に出かけたわけではないだろうに」
「そりゃそうだ」
このまま押し倒しちまいたいくらいの気持ちはあるけど、流石に、なぁ。神崎も多分本当に夜まで戻ってこないつもりだろうけど、一緒に寝泊まりしてる部屋でこれ以上のことするのは気まずい。というか、朝飯すら食ってないのに盛ってんのもどうなんだってな。
もっと、二人でできること、したいし。なんか、ここでしかできないようなこと。
「なあ。朝飯食ったら、プールでも行かねぇ?」
「えっ?」
「嫌ならいいんだけどよ」
「貴様、まだそんなことを言うつもりか」
「ぐえ」
眉間を指先でぐいぐい押される。それ、地味に痛ぇんだけど。
「おまえの体力についてくのは無理だが。できる範囲で、ついてくから」
「泳ぐだけじゃなくて色々あるっぽいしさ。何か、旦那も楽しめそうなのあるだろ」
「……うん」
とりあえずどこか食事しに行って、一度戻って支度してから出かけることにした。水着持ってくのも着替えていくのも微妙だし。蓮巳は眼鏡からコンタクトに変えたいみたいだしな。部屋を出る頃には、蓮巳も笑ってくれたから、俺のわだかまっていた感情もようやく落ち着いた。
「広いな」
室内プールは予想以上の広さだった。普通の、競技用に使えそうなプールも相当な広さだが、流れるプールやらウォータースライダーやら、あとは水着で入れる温泉施設とも繋がっているらしい。
ひとまず歩いて見てまわって、ウォータースライダーの真下に来た。スタート地点までの階段も、かなりありそうだ。
「すごい迫力だな」
浮き輪に乗って滑っていくタイプのやつ。今の時間、プール自体に数人しかいなくて、まだここに来てる人もいないから実際にどんな感じかは分からねぇけど。
「やってみるか?」
「いいだろう」
こういうの好かないかなと思ったけど案外乗り気だ。自分で泳ぐほど体力使わなそうだからかもしれない。
長い階段をのぼって、簡単に説明を聞いて。俺が先に行くことにする。
結構な高さだし曲がりくねってるからどんな感じかと思ってたけど。思ったよりスピード出るんだな。乗り物嫌いだしこういう、スピードを体感するのって滅多にないけど、予想以上に迫力があってちょっと楽しい。まあ、短時間で一回くらいだから平気だけど、結構左右に振られるし何度もやりたいとは思わねぇが。
なんとかバランスをとりつつ、浮き輪に乗ったままプールに到着する。勢いで少し流されてから、なんとなく蓮巳が心配になって降りて水に入った。あいつ、落ちるんじゃねぇのか、って。
少し遅れて降りてきた蓮巳が、案の定、浮き輪から投げ出され……。
「わっ……」
一瞬浮いた蓮巳の体を腕を伸ばして抱きとめてやる。飛び込んできた蓮巳はそのままぎゅっと目を閉じて俺にしがみついてきた。なんとか顔は守ったな。今つけてるのは使い捨てのコンタクトって言ってたけど、落としたらやばそうだし。
それにしても、なぁ。
「っふ、なんで顔面から突っ込もうとするんだてめぇはよ」
卒業の時に行ったアスレチックでも、バランス崩して落ちかけてたよな。
「わざとじゃない! というか、離せ」
蓮巳がそっと腕から抜け出す。別に周りに誰がいるわけでもねぇのに。いや、施設のスタッフとか、あとESのアイドルも何人かはプール内にはいたけどよ。落ちそうになったの受け止めただけ、それだけだから、な。そんなに照れることないのに。
回収場所に浮き輪を返して、別のプールへと移動する。
蓮巳は貸し出しのフロートを借りて、俺はその隣を泳いでいく。蓮巳はあんまり顔を水に浸けたくないそうだ。まあ、こればっかりはな。撮影で多少水にも入るかも、という程度で本格的に泳ぐ支度はしてなかっただろうしな。
そんな感じでのんびり泳いだり、その後は水着でいける温泉施設の方にも行ってみたりして午前中の時間を過ごして、昼時になって腹が減ったらプールを出て食事にした。
今日はもう使わないだろうし、水着を洗って乾かしておきたかったから、食事のあとは一度部屋に戻った。なにより、蓮巳が疲れてそうだったから。水の中って結構体力消耗するもんな。二人分の水着を洗ってバスルームに干して戻ると、蓮巳は椅子に座ってうとうとしていた。部屋に戻ってからは眼鏡をかけてたけど、また外してテーブルに置いている。
声を掛けると、眠たそうに目を擦っていた。
「少し疲れたな。羽目を外しすぎたかもしれん」
「はは、たまにはいいだろうよ」
「しかし、眠い……」
「俺もあんま寝てないから眠いし。ちょっと休もうぜ」
俺が使ってるベッドに寝転がって、手招きする。蓮巳は大人しくこっちに来て、俺の腕を枕にしてきた。
二人で並んで寝ても充分すぎるくらい広いベッドで、こうしてくっついて、蓮巳の髪を撫でてやって。贅沢な時間だな、って思う。蓮巳はやっぱり眠そうで、あくびを零している。早々に寝てたようにみえて、俺と同じく寝付けてなかったのかもしれない。
それは悪いことしたなと思うけど。こうして俺の隣で、ぼんやりした無防備な顔見せてくれるの、心の奥底が温かくなるような感じがするから、好きだ。
俺だけ特別なんだ、って。……ああ、そうだ。
枕元に置いてあったスマホを取って、腕の中に向ける。カメラを起動して、一枚。ちゃんと撮れたのを確認して、それからスマホを置いた。
「……こら。こんなの撮ってどうするんだ」
「いいだろ、俺だけの写真があったって」
だって今の蓮巳、自覚があるかはわかんねぇけど、他の奴らの前では絶対にしないような顔してるから。こんなにも、安心しきったような、嬉しそうな顔してるの。
「誰にも見せるつもりねぇよ」
こればっかりは、神崎にもな。同じ部屋で寝泊まりしたことはもう何度もあるし、俺たちの寝顔だって慣れるくらい見てるだろうけどさ。
恋人としての蓮巳は、俺だけのものだ。
「少し寝て起きたら、また出かけるか」
「うん。……きりゅう」
ふわふわした声で、名前を呼ばれる。
それからもう少しだけ、傍によってきて。
「もう少し、このまま」
「ん……」
抱きしめてやれば、ほどなく静かな寝息が聞こえてきた。
部屋は涼しいから、暑くもない。むしろ、体温が心地良いくらい。
「――――……」
誰にも、きっと蓮巳にさえも届かない声に、奥底にしまった本音を乗せて。
おやすみを告げる代わりに額にキスをして、それから俺も目を閉じた。
2024/10/20公開
