普段よりは随分遅い、街が忙しなく動き出す時間に目が覚める。重い瞼を薄らと開くと、ぼやけた視界には赤い色が映り込んだ。
蓮巳は隣で眠る鬼龍の方に向き直る。聞こえる呼吸は規則正しい。まだ深く眠っているようだった。
昨夜は遅くまで起きていたのだから、こんな朝があっても良いだろう、と自分に言い聞かせる。
出かけた先で泊まったホテル。慣れないベッドでも、昨日はよく眠れた。少し遠出をして一日中歩き回って、……愛し合って。流石に少し疲れていたのかもしれない。
気怠い体はもう少し睡眠を求めている気もする。蓮巳はあまり二度寝などしない方だけれど、まだ起き上がる気にはなれなかった。
目を閉じて、鬼龍と過ごした時間を思い返す。始まりは、一月ほど前のことだ。
「旦那、今年は何が欲しい?」
うだるような暑さの八月の初旬、撮影の仕事が終わった帰り、ショッピングモールの近くを通った時だった。鬼龍の直球の質問に、蓮巳はしばし考える。時期的に、誕生日の話だというのは分かった。二十歳の誕生日まで一ヶ月を切ったところだったからだ。かなり早めの話題になるが、手作りの物を希望されても間に合う期間を計算してなのだろう。
しかしこういったものは、言われるとなかなか丁度良いものが思いつかない。蓮巳自身も、欲しいと思うもの自体がないわけではない。秋服が出始まったら買いに行こうかとか、新しく出る本が欲しいとか、そういうものはあった。けれど誕生日プレゼントにねだるものというよりは、自分が必要だから買う物だろう。
社会人としてアイドルの仕事をしているから、欲しいと思ったものはある程度自分で買えてしまうし、そもそも、プレゼントがなくても祝って貰えるだけで充分嬉しいと思う。けれどその返答は絶対に却下されるのも分かっていたので悩んでいた。自分が逆の立場なら納得しないからだ。それくらいは、数年の付き合いでもわかる。
大事な人が自分の為に選んでくれたものならなんでも嬉しいと思うのだけれど、その『なんでも』が贈る側だと悩むのも理解できる。
でも、少し考えただけでは思いつかなかった。学院時代に知り合ってからもう何度目かの誕生日で、鬼龍の手製の物も貰ったし、去年は名入りの万年筆を貰った。貰った物は全て今でも愛用している、とても大切なものだけれど。
「欲しいもの、か」
蓮巳はショッピングモールの建物に目を向ける。入り口には店名のロゴ、その上にはカラフルな看板が並んでいる。ファミリーレストラン、コーヒーショップ、一般向けのファッションブランド、ベビー用品のブランド、ホームセンター。どれもよく見かける店名だ。
蓮巳もこうした店を利用することもあるけれど、しかしまあ、誕生日に恋人にねだるには少し違うような店。
なんとはなしに店舗の入り口に視線を戻すと、休日だからか多くの人が行き交っている。小学生くらいの子供のいる家族、学生らしい男性のグループ、一人で颯爽と歩く若い女性、夫婦か或いはカップルだろうか、腕を組んだ男女。
あ、と思い至り、蓮巳は鬼龍の方に向き直った。欲しいと思う物が、一つだけあった。それも、鬼龍にしか頼めないものが。
「……貴様の、時間をくれ」
「え、それって」
ぱちりと目を瞬かせた鬼龍は、次の瞬間、眉間に深い皺を刻んだ。
「プレゼントは俺自身とかそういう」
今度は蓮巳の眉間に皺が寄る。真面目に回答したつもりなのに、なんだか微妙な雰囲気になったではないか。
「そうは言ってないだろう。リボンでも巻いて出てくる気か貴様」
蓮巳にとっては好いた相手だが、それにしても長身で筋肉質な鬼龍がリボンを巻かれている姿を見たいかというと……。
「ふはっ」
「……ふふっ」
きっと想像した内容は二人とも同じなのだろう。思わず笑いが込み上げた。まず似合わない、としか言い様がない。しばし肩を震わせていたが、落ち着いたところで顔をあげた。
「多少先延ばしになってもいい。オフの予定が合う日、丸一日、俺に付き合ってくれ」
一日中、一緒にいたい。別に特別なことはなくてもいい。恋人として一日、過ごしたい。……立場上、一般的な恋人同士みたいにはいかないけれど、できる範囲で。普通の、友達同士の外出みたいなのでも、なんでもいいから。
蓮巳がじっと見つめていると、鬼龍は柔らかく目を細めた。
「わかった。誕生日のあと、な。予定は後で確認する」
誕生日当日は撮影の仕事が入るので、丸一日一緒にいるなら必然的に別の日になる。
まだ予定が入っていない日もあるから、調整は可能だろう。具体的なことはほとんど決まっていないけれど、その日が楽しみだ。
「な、せっかくだから寄ってかねぇ? 何か冷たいもん欲しい」
「そうだな。休憩したら少し買い物もしたい」
そうしてその日は、日用品などの買い物をしてから寮に帰った。
そんな話をしたあと、蓮巳の誕生日の翌週の平日に、二人とも予定を空けた。蓮巳は二連休、鬼龍は翌日夕方から仕事があるけれど、昼くらいまでは一緒に居られる日。丸一日、といっても日付が変わる頃からだと泊まるのはどうするのか、などの問題があったから、朝の七時に寮の入り口で待ち合わせをして、二人で出かけることにした。電車で一時間半ほどの距離の、ちょっとした観光地。仕事で行ったこともある、見所が多い場所だ。
水族館を見て、有名な神社へ立ち寄り、昼は調べて気になった店へ。商店の建ち並ぶ通りを土産物を眺めながら歩き、カフェで休憩して。特別なような、日常の延長のような、そんな一日。
寮に帰ることもできたのだけど、ギリギリまで一緒にいたかったからホテルを取った。観光地だから泊まる場所はいっぱいある。
夕飯も適当に店で済ませた。ケーキは誕生日の当日に食べたし、特別なお祝いではなく、普段行くような場所だったけれど、充分美味しかった。
ホテルにいる間は二人きり。恋人として一緒にいられる時間だ。
外にいるときよりずっと近い距離で、指を絡める。堂々と触れ合うことができる、限られた場所。抱きしめて、キスをして、それから。
「どうしてほしい?」
なんて、珍しく聞いてくるものだから。
「めいっぱい、優しく甘やかしてくれ」
そうねだってみれば、了解、と微笑んでくれた。
幸せな時間、だったな。
ずっと楽しみにしていたのに、終わりが近づけばあっという間だったと感じる。
ユニットだけでなく個人の仕事も忙しくなってきて、それはありがたいことなのだけれど、一緒にいられる時間は以前よりも減っている。だから、この日くらいは二人きりで、恋人として過ごしたかった。
そんな想いも、きっと鬼龍は気づいているんだろう。こうして付き合ってくれて、当日ではなくとも関係ない、最高の誕生日プレゼントだったと思えた。
ふあ、と一つあくびをする。まだ眠いような、そうでもないような。
蓮巳は時間を確認しようとして、まずは手探りで眼鏡を探した。置いてあるだろうあたりには、何か柔らかな手触りがあった。高級感のある布、ベルベット、みたいな。
とりあえず眼鏡を探し当てて、かけてみる。薄暗くても、眼鏡があればなんとなく部屋の様子は分かった。さきほど手に触れたのは小さな箱のようだった。プロポーズの時に取り出される指輪が入ったケース、という感じの。
蓮巳はその箱を手に取って眺めて、何やら手元が光っていることに気づいた。
「……?」
自分の左手の薬指には、見覚えがない指輪があった。シルバーのシンプルな中に、何か石が一つ嵌まっているもの。暗くて色はよくわからないけれど。
思わず眠っている鬼龍の顔を見る。こんなことができた犯人は一人しかいない。
こいつ、人が寝てる間に何をしているんだ。そんな、気障な……。
段々と顔が赤くなるのを自覚した。一日、付き合ってくれて、その間の支払いもほとんど鬼龍がしてくれていたから、それがプレゼントだと思っていたのだ。
胸の奥がじわりと温かくなる。蓮巳は指先でそっと指輪を撫でた。込み上げる感情が胸を詰まらせる。言葉が、出てこない。饒舌な方だと自覚しているのに、こんな時には何も浮かばなくなる。
なあ、俺は、おまえに何を返したらいい。
貰ってばかりの強く深い愛情は、とても返しきれないんじゃないかと、そんな気さえしてくる。
見つめていた鬼龍の眉間に皺が寄り、小さく唸る声が聞こえた。
「ん……」
「お、おはよう」
「……はよ」
まだ眠そうな顔と声で、それでも笑んでくれる。愛おしそうに目を細めてくるのが、好きで、嬉しくて、胸が苦しいくらいに鼓動が高鳴る。
「なあ、おまえ、これは」
「ん? あぁ。遅くなったけど誕生日プレゼント」
目の前に左手の指輪をかざすと、鬼龍はその手を包み込むように触れてきた。
「一緒にいたいって言ってくれたの嬉しかったけどさ。プレゼントになんてしなくても、俺はもうとっくに、てめぇのもんだろ。一緒にいたいのは俺も同じだし。だから、さ」
鬼龍の手が、蓮巳の手を撫でていく。繊細な壊れ物でも扱うみたいに、大切そうに。
「証……っていうのかな。やっぱり何か、形にしてやりたかったんだよ」
指輪のあるあたりに口づけられる。上は裸だし寝転がったままだし、王子様のようなキスとはほど遠いけれど、それでも。
「っても、そんなにちゃんとしたやつじゃねぇんだけどな。まあ、お守りみたいなもんだとでも思ってくれや」
「ありがとう。……嬉しい」
ようやく絞り出した言葉はこれだけで、伝えたいことはいっぱいあるはずなのに、上手く形にできない。
「ケースの中にチェーンが入ってるから。俺のと同じようなやつ。指には着けられなくても、それならいいだろ」
左手の薬指は無理でも、ネックレスにしてしまえば身につけていられる。もし誰かに聞かれても、パワーストーンとかのアクセサリーを身につけているのは、アイドルでも珍しくないことだ。とはいえ、絶対に失くしたくないから、仕事によっては置いていくことになりそうだけれど。その時はまとめて箱にしまっておけばいいだろう。
「この石はなんだ?」
よくよく見てみれば、ピンクと、オレンジの中間みたいな色をしている。どちらかというと女性物っぽくなりそうな色味の宝石。
鬼龍はガシガシと自分の頭を掻いた。少し照れくさそうにも見える。
「あー、サファイアの一種だな。誕生石ってやつだ」
「サファイアって青じゃないのか」
「色々種類あるぜ。黄色とか赤とか」
こうしたものについては装飾品も含めて衣装を扱う鬼龍の方が詳しい。蓮巳にとっては青とか、緑くらいのイメージだった。九月の誕生石がサファイアというのも確かに聞いたことはあったけれど、こんな形のプレゼントは予想していなかった。
綺麗な色だ。温かみのある。……鬼龍のことだから、何かきっと、これを選んだ意味はあるのだろうが。
「しかし、貴様の誕生日のハードルが上がるではないか」
「んー、そんな気ィ使わなくてもいいのに」
鬼龍の言葉に、蓮巳は不満げに眉を顰めた。自分はここまでしておいて、そんな風に言うのだから。同じくらい、できればそれ以上に返さなければ気が済まないというのに。これは物とか金額ではなくて、気持ちの問題だ。
「でも、俺も旦那と二人で過ごせたらそれが一番嬉しいけどな。ま、それじゃ納得しねぇんだろうし、考えておくよ。浮かぶかはわかんねぇけど」
「うん」
鬼龍の誕生日はまだまだ先だ。年が明けた頃にどういう結論を出すのかは、分からないけれど。きっと、また二人で一緒に過ごすのだろうな、ということだけは確信があった。
鬼龍が俺のものだって言ったように、俺だっておまえのものなのだから。
「あとでこっちも着けてくれ」
指輪は気づかない間につけられていたのだから、今度はちゃんと目の前でやってほしい。でも、まだチェックアウトの時間まではあるから、それまでは。
「あともう少し、このまま、な」
手を握って、指を絡めて。引き寄せて、唇を重ねて。
終わる時間を惜しむように、やきつけるように、体温を感じる距離まで近づいた。
来年も、再来年も、その先もずっと一緒にいたとしても、この二十歳の誕生日に貰った愛情は、忘れることはないだろう。
2024/09/06公開
