揺蕩うような眠りから、ぼんやりと意識が浮上する。普段眠りは深い方だし、目覚めもすっきりしている方だが、湿度も気温も高いじっとりとした空気には敵わない。
 室内のエアコンはあまり低くしすぎない程度につけているが、こんなにも暑いと感じる理由もはっきりとわかっていた。一人用のベッドに二人で、密着した肌から伝わる体温が、この時期はどうも、心地良いとは言い難い。これが寒い時期ならば、離れたくないくらい魅力的だというのに。
 薄らと目をあけると、暗い上にぼやけた世界が広がる。穏やかな寝息を立てている恋人の、鬼龍の顔を、じっと見つめる。いや、暗いし裸眼ではろくに見えないのだが、気分の問題だ。
 離れるという選択肢はなかった。その方が寝心地はいいのだろうが、いや、そもそも空いているベッドに寝た方がよく眠れるとは思うが。
 こうして朝まで共に過ごせる貴重な時間くらいは、傍にいたかった。
 細身の俺とは違う、筋肉のついたたくましい体。厚みのあるわりに意外と柔らかい胸に頬を寄せる。温かい。……いや、やっぱり、暑い。けど、言い出したのは俺だ。
 今日はこの部屋一人だから、と鬼龍に呼ばれて。俺も氷鷹と同室だし寮監だから、今晩Trickstarのメンバーが地方ロケで居ないのは知っていた。それに加えて、俺は明日はオフで、鬼龍の仕事は夕方から。そうそう都合良く揃うことのない条件が揃えば、まあ、そういうことに、なるわけで。シャワーを浴びてからここに来たはずなのに、汗とか色々なもので汚れて、結局こっちでもシャワーを浴びて。それから寝たというのに、また汗ばんでいる。
 暑くねぇ? と寝る前に確認もされたのだが、やっぱり、終わったら別々に寝るというのは、なんだか寂しいじゃないか。と、そう伝えてみれば、そうだよな、と笑って抱きしめてくれた。シャワーを浴びたあとで、お互い下着一枚だけの格好で寄り添って眠っていたが、結局俺はこうして暑さで目が覚めてしまった、というわけだ。
……
 俺の我が侭に付き合わされて、鬼龍は暑くないのだろうか。優しいこいつは、もし眠れなかったのだとしても、仕事に行く前に昼寝でもするからと笑って済ませるのだろう。
 付き合う前から感じていた部分ではあるが、付き合い初めてからは特に、どこまでも俺を甘やかしてくる。といっても、俺の言うことをなんでも受け入れるということではなく、必要な時はちゃんと意見を言ってくれる。意見がぶつかることだってあったし、それで言い争いのようになって、神崎に心配を掛けたのも一度や二度ではないが。だからこそ、こいつのことを信頼しているし、最高の相棒だと思う。
 それでも、恋人としての鬼龍は、やっぱり俺に甘いと思う。俺の望んだことを、極力汲んでくれようとする。俺だって、鬼龍が望むことならできる限り叶えてやりたいけれど、俺がそう言ったところで、あまり多くを望んでこない。初めて体を重ねる前、そんな話になった時に、俺を抱きたいと言ったのが一番の主張だった気がする。それだって、俺は鬼龍の好きにして欲しかったから、お互いの要望がかみ合っただけだ。
 人に尽くしたいタイプなのだと言われればそんな一面もあるのだろう。俺以外にだって、色々と世話を焼いているのも知っている。俺自身も、そういう、人の世話というかお節介というか、理解できる部分もあるんだが。
 別に、俺くらいには、もっと我が侭を言ってくれても良いんじゃないか。恋人、なんだから。
 胸に顔を埋めると、不意に頭を撫でられた。俺よりも少しだけ大きくて、硬くごつごつした手。俺の、好きな。
「すまない、起こしたか」
「んー、そういうわけじゃねぇよ、たぶん」
 たぶん、ということはやっぱり俺なんじゃないか。まったく。それなのに不満一つ言わずに抱きしめて撫でてくるから、余計に離れたくなくなるんじゃないか。
 ……こいつと付き合うまで、自分でも知らなかった。独占欲が強いなどと周りに言われたこともあったが、それ以上に、なんというか。甘えたく、なる。だめになりそうなくらい。さっきまで体の奥深くまで繋がっていたというのに、気怠い体に余韻も残っているというのに。もっと、ずっと、離れたくないと思ってしまう。
 実家の寺を継ぐ気はないとはいえ、俺はあまりに未熟だし欲を捨てきれない。それどころか俺の欲は底なしなんじゃないか、と時々、自分で恐ろしくなる。
 こんなに心を乱されて、もし、もし、この手を離されてしまったら、なんて。学院時代から抱いていた不安は、今でも心の底で引っかかっている。いつ見限られても仕方ないことを、強いて来た。こいつが捨てたかっただろうものを使わせて、利用した。それだけの自覚はあった。なのに、自分で決めたことだからって、ずっと傍にいてくれるから。
 こうして、抱きしめていて、くれるから。俺ばかり、離れられなくなっていくみたいで。
「やっぱ暑いな」
 鬼龍が苦笑する。確かに、密着しているところが汗ばんできた。俺も正直、暑いとは思うけれど。
「離れた方がいいか?」
 冷房の温度をこれ以上下げるのもしたくなかった、汗が冷えそうだし、何より喉を痛めたらまずい。歌以外にも喋る仕事が多いのだ、今週は。感情よりも、体調管理を優先しなければいけない、それくらいは弁えている。
「起きたらまたシャワー浴びればいいだろ」
 けれど、俺の体を離そうともせず、鬼龍はしれっと言い放った。
「昨日から何度目だろうな」
「俺、日中も浴びてるからマジで何回だろ」
 そう言って数えるでもなく笑う。洗濯物が増えると言っていたが、タオルや着替えの予備が無くなりそうだな。この時期は乾燥機を使わずとも干したらすぐ乾くだろうけれど。
 おいてあった眼鏡をかけて、時刻を確認する。一時半。まだまだ寝たいくらいなのに、眠気も消えてしまった。
「目ぇ覚めちまったな」
 それは鬼龍も同じだったようで、うーん、と小さく唸っている。
 やっぱり、悪いこと、したかな。少なくとも、俺があんなこと言わなければ、鬼龍はちゃんと眠れたんじゃないか。
 俯いていると、鬼龍の手が頬を撫でてきた。
「いっそ、もう一回するか」
「は? いや、なぜそうなる」
「だって寝れそうにないし」
 抱きしめていた手が、腰を撫でてくる。その手つきに、眠る前まで散々触れられていた感覚が呼び起こされる。
「あ、こら、シーツが」
「バスタオル敷いときゃいいだろ」
 寝るところがなくなる、なんて言い訳は通用しない。というか冗談ではなく、本当にその気なのか。
「一旦電気つけるな」
 鬼龍が起き上がって、部屋の照明のスイッチを入れる。暗闇に慣れた目には眩しくて、思わず強く目を閉じた。バスタオルを取りに行ったのだろう。諸々、ベッド近くにあるけれどそれだけは置き場が別だろうし。
 すぐに戻って来た鬼龍を見上げ、問いかける。
「本当に、するのか」
……嫌か? 体しんどいなら、無理にとは言わねぇけど」
 そう言いながら、きっちりバスタオルの用意をしているあたり矛盾していると思うのだが。それでも、ここで俺が嫌だと言えば、こいつはきっと簡単に受け入れてしまうのだろう。最初に我が侭を言ったのも、眠れなくなったのも俺が原因だし、嫌なことなんて、ないし。
「多少は寝たし、少しくらいなら大丈夫だ」
 明日は休みだし、動けなくなってもきっとこいつは世話を焼いてくれるのだろうから。
 何より俺は、おまえが望むことなら、できるだけ叶えてやりたいし。断る理由なんてないんだ、最初から。だから。
「お、おまえの、好きにしてくれて、かまわない……
 精一杯の誘い文句は、やっぱり羞恥心が勝って声が震えた。
 しばしの沈黙。なんか言ってくれ。恥ずかしいんだ、こっちは。
 聞こえたのは盛大なため息。それから鬼龍は自分の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。
……っとに、てめぇはよぉ……
 眉間に皺を寄せているのはいつものことだけれど、なんだろう、この、違和感。呆れたとか怒ってるとか、そういうのとは少し違う。
「そういうこと言うから、俺みたいな悪いやつに捕まるんだよ」
 独り言のように小さく呟かれた言葉も、聞こえの良い俺の耳ははっきりと拾った。
 浮かべる笑みはいつもの優しいものではなくて、見据える瞳が、どう形容すればいいのか、不穏な色、というのか。
 数分前にかけた眼鏡が外される。その手つきは丁寧なのに、なんだかいつもと違って見えて困惑する。ぼやけた視界で鬼龍の輪郭を追う。こんな視界では、鬼龍の表情は読み取れない。
「っ、鬼龍」
 不安な気持ちが声を上擦らせる。今更ながら俺は、何か、とんでもない思い違いをしているのでは、と。
「はすみ」
 低く掠れた声が俺の名前を呼ぶ。覆い被さるような体勢で、鬼龍が手首を掴んでくる。逃がさない、とでも言うように、シーツに押さえつけられていた。
「う、わ……
 それから喉元に甘く噛みつかれる。痕が残るような強さではない、けれど。
「ん?」
 痛かったか? とでも問うような響き。自分で噛んだところを指先で撫でてくる。痛くはない、けど。味わうみたいに、舐めて、噛んで、本当に喰われるんじゃないか、って思うような愛撫。
 ぶわ、と熱が上がる。ぞわぞわと背筋が震えた。まるで肉食獣に捕食された、ただ喰われるのを待つ餌にでもなったみたいで。喰われる前の陶酔。臨死の多幸感。以前本か何かで見た。なんて言ったっけ。思考がまわらない。
 くらくらする。困惑と陶酔の間で思考が揺れる。でも、好きにしろって、言ったのは、俺だ。
「鬼龍、もっと」
 首に腕をまわして抱き寄せる。汗ばんだ肌の感触と鬼龍の匂いに、心臓が煩いくらい鳴り出した。何も考えられなくなっていく。
 手首を押さえていた手に、指を絡め取られた。はすみ、ともう一度、今度は甘く蕩けるような声で呼んできて。それから、唇を塞がれる。
 だんだん激しくなる口づけが、あつくて、少し苦しくて、きもちいい。
 いい、いいんだ、全部、おまえだけのものだから。逃げたりなんてしないから、いっそ残らず、喰い尽くして。

 2024/08/15公開