夜、寮の自室。今夜は自分以外は不在なので、既にここにいるのが当然のようになってきた蓮巳と、二人きりの時間だ。今日は晩飯を済ませたあと、並んで座りながらテレビを見ていた。
今放送されているのは、俺が出演する新ドラマと同じ局のバラエティ番組だ。ドラマの番宣を兼ねた連動企画のコーナーに俺が出演している。
画面には不良生徒役の俺の他に、このドラマの主演である生徒会長役の女子アイドル、もう一人の主演の副会長役の俳優が映っている。
少女漫画が原作のこのドラマは、生徒会長と不良生徒が対立する関係から始まっている。副会長と不良との間で揺れ動くヒロインの恋模様……というわけでもなく、人間ドラマがメインで会長と副会長の恋愛が少しだけある、という感じの話だった。メイン二人ほどではないが俺の出番もかなり多い、重要な役どころだった。
『というわけで、今日は三人で猫カフェにやってきました』
『このプランを提案したのは……』
『生徒会長だな』
俺と主演俳優の二人がヒロインのアイドルを示し、彼女は手をあげた。
この企画は三人がやってみたいことを体験する、という体のコーナーだけれど、実際は作品に関係のあるものが幾つかリストアップされていて、その中からみんなで相談して選んでいる。
今回は生徒会長役の希望で猫カフェ、次回は俺の希望でアフタヌーンティー、最後は副会長役の希望で香水作り体験という構成になっていた。
猫、お茶会、香水はどれもドラマというか原作漫画に重要なシーンで出てくるものだった。一日で三箇所全てまわったので撮影自体は終わっているが、まだ予告すら放送されていないので、蓮巳には内容も伝えていない。守秘義務というのもあるけれど、一視聴者として楽しんでいるのだから、それを邪魔するのも野暮だろう。
店舗の紹介のあとは、俺たち三人がカフェの猫と触れ合う様子が映された。
『かわいい~!』
女子アイドルの子が、ふわふわと小さな子猫を抱き上げている。蓮巳の視線はその子猫に注がれていて、無意識なんだろうけど微笑んでいる。そういうところを可愛いなって思うし、俺の方まで口元が緩む。
蓮巳は案外、動物とか好きなようだから、自分も子猫に触れたいと思っているのだろう。あるいは学院時代に写真を見せてきた、見知った猫が産んだ赤ちゃん猫でも思い出しているのか。
『あっ、いっちゃった』
俳優の彼の腕からはするりと猫が飛び出して、床に着地していた。それからなんとか気を引こうと懸命にアピールしている。
『おお……なんか、すげぇ来るな』
そして椅子に座っている俺の元には、猫が群がっていた。猫カフェの手伝いをしたときにもあったけれど、何故か今回もわらわら寄ってきたのだ。隣にいる蓮巳からは、物言いたげな視線を感じるが、気づかないふりをした。
『鬼龍くん猫にモテすぎじゃない?』
『あー、雨の中捨て猫拾っちまうタイプの不良だからじゃねぇか』
『あったね!』
これは役柄とドラマのシーンの話だと受け取っているだろう。出演者も、視聴者も。……俺自身がまさに不良だったのは、隠してもいないが公にしているわけでもない。夢ノ咲出身の奴らとか事務所の人とか知ってる人も多少いるが、堂々と公言することでもないしな。
『なんてな。朝飯が焼き魚だったから、なんか美味そうな匂いでもすんのかもな』
『俺も魚食べてくればよかったのかー』
逃げられた猫と向き合っていた俳優は、そんな風に冗談を言って笑っている。
その後はみんなで猫におやつをあげたり、おもちゃで遊んだりと、猫カフェを楽しむ様子が放送されていた。最後にドラマの宣伝と、次回はアフタヌーンティーへ行くという予告が入り、企画の時間は終わった。
ドラマと違って実際に放送される映像を事前に確認できるわけでもないので、どうなっているのか気になっていたけれど。これなら宣伝としても悪くないんじゃないかって思う。
「いいな、猫」
目的のコーナーを見終わった途端、蓮巳がそう言いながら、こてんとこちらに頭を預けてきた。
「可愛かったぜ」
群がってきて、足元に擦り寄ってきて、何匹かはよじ登ってきて。動物は嫌いじゃないし懐いてくれれば尚更、可愛いと思う。終わったあとも共演者の二人と猫の話でしばらく盛り上がっていた。SNS用に写真も何枚か撮っていたはずだから、それも後で投稿されるだろう。
「ドラマでも子猫に触れたけどよ。たまにはいいよな」
「……ずるい」
ほんの少し拗ねたような口調に、俺は思わず蓮巳を見つめる。
「今度行くか? 猫カフェ」
蓮巳は、むぅ、と小さく唸り俺を見上げている。
「……ケイト」
「な、なんだ突然」
「いや、ライブで世話になった猫カフェにいたよな、ケイト。元気かなケイト。すげー可愛かったもんなケイト」
「……おい。人の名前を連呼するな」
「猫の話だろ」
ニヤニヤと笑っていると、度し難い、とため息をつかれた。
「冗談はさておき、しばらく行ってねぇもんな。また行ってみるのもいいかもしれねぇな」
「そうだな。神崎の可愛がっていた猫もいるし、三人で行く予定を立てるか」
そうして蓮巳は黙り込んでしまった。それに俺は首を傾げる。なんだかまだ、納得していないような感じ。不機嫌まではいかないけれど、何かが面白くない時の。
ずるいって、俺が猫と戯れているのが羨ましい、という意味なのかと思っていたが、もしかしてこれは思い違いなのか。
「なぁ旦那、なに拗ねてんだよ?」
直接聞いてみると、ふい、と顔を背けられてしまった。
「貴様があんな気の緩んだ顔をしているからだ」
「えー、俺そんな顔してたか?」
あぁこれ、妬いてたのか、と納得する。仕事とはいえ蓮巳の知らないところで、仲良く楽しそうにしてたから。
撮影は楽しかったし、猫は可愛かったし、いつもよりは笑顔で映っていたと思うけれど。他の二人もそんな感じだったし、変な顔はしていなかったはずだが。
「また貴様の好感度が上がるんだろうな」
「なんだそれ」
アイドルとしちゃ正解じゃないのか。なんだか今日の蓮巳はやきもち焼きだな。
「鬼龍は俺のなのに」
俺の膝を枕にして、擦り寄って、そんな風に不満を漏らす。
「はいはい、俺はてめぇのもんだよ」
気まぐれに甘えてくるの、蓮巳も大概、猫みたいだなって思った。
猫っていうか、あれだ。ちっちぇー子猫。いや、蓮巳はどちらかというとデカい方だけれど。細身だが長身だし、自分と身長はさほど変わらないし。
でも、警戒心など何にもないって顔で、無防備に擦り寄ってくるあたりが子猫っぽいんだ。蓮巳の髪を梳いてやりながら、なんだか可笑しくなる。
「なんだ」
「いいや、なんでもねぇよ」
されるがまま大人しく俺に撫でられているのは、カフェにいた子猫となんら変わりない。ふわふわ柔らかい子猫の毛並みとは違うけれど、こいつのさらさらで綺麗な髪撫でてるのが、一番好きだなって思う。
「鬼龍は、動物を飼いたいと思ったりはしないのか」
蓮巳は俺を見上げて、そんなことを聞いてくる。
「妹とそんな話をしたこともあるけどさ。ただ可愛いだけじゃ飼えねぇだろ」
「おまえに飼われる動物は幸せだと思うがな」
そう言って貰えるのはありがたいけど、そこまで責任を持てる気はしない。実家では難しいし、この寮ではペット飼ってるやつもいるけど自分が飼うってあんまり考えられねぇ。
「たまに可愛がるくらいでいいよ。それに、俺にはもっと手のかかるデカい子猫ちゃんがいるからな」
そう言って蓮巳の頭をわしわしと撫でてやる。荒っぽく撫でられて驚いたのか、蓮巳はぎゅっと目を閉じて身を竦めた。それから眉間に皺を寄せて言った。
「子猫ちゃん……は違わないか」
「確かに」
ファンのことをそう呼ぶ奴もいたな、なんて顔が思い浮かぶけれど。それよりも、手がかかることは否定しないんだな。そんなところも含めて可愛いんだが。
「そもそも、なんで大人の猫じゃなくて子猫なんだ」
「大人の猫ならもっと警戒してくるだろ。ちゃんと様子伺ってさ」
「それは猫によると思うが、子猫の方が警戒心は薄いかもしれんな」
カフェでは大きい猫も寄ってきたけれど、最初はちらちらこっち見てたり、高い所からじっと観察してきたりと、様子を伺ってから少しずつ近づいてきた。いくら人慣れしてるとはいえ、突然俺の膝に飛び込んできたのは子猫だけだ。
「だから子猫でいいんだよ」
「ふむ。そんなことを言うのは貴様だけだと思うが、まあいい。……貴様はどちらかというと犬っぽいな。大型犬みたいじゃないか」
「あーそれは言われたことあるな」
別に悪い気はしねぇんだけど、大型犬って盲導犬とか警察犬とかの賢いってイメージがあるから、いまいちピンとこねぇ。猫っぽくないのはそうだろうなって思う。
「犬は犬で可愛いがな」
「なんだよ、俺を手懐けたつもりかよ?」
子猫を抱いていたときは、気をつけて扱わないと簡単に傷つけちまうんだよなって思って緊張したけれど。蓮巳のことだって、俺の力なら簡単にどうにでもできるのに、って。ちょっとだけ悪い感情が顔を出す。
時折、考えちまうんだ。あまりにも無防備なこいつを、俺の本能のまま滅茶苦茶に食い荒らしてやったら、怯えて泣き叫んで逃げ出すのかな、とか。
「……鬼龍?」
急に撫でる手を止めた俺を疑問に思ったのだろう。怪訝そうに見上げてくる。
それだけでなくて、俺の方に手を伸ばしてくるものだから。
俺は思わずその手を掴んで、口元に引き寄せた。
「……てめぇがあんまりにも無防備だからよ。俺が反抗して噛みついたらとか、思わねぇの?」
少なくとも過去の俺は、何にでも吠えて噛み付くような凶暴な犬の方だったんだ。
そうして蓮巳の指先に向けて噛みつくように、あ、と口をあけてやる。
「はは、その時はその時だな」
蓮巳は鷹揚に笑っていた。あまりにあっさり言い放たれて、思わず毒気が抜かれてしまった。がおーって牙剥き出しにして吠えたら、尻尾巻いて逃げていきそうなくせによ。案外、図太いというか度胸があるというか。
「なんか、そこまで無防備だと襲う気も失せるもんなのかもな」
「なんだ襲うつもりだったのか、俺を」
蓮巳は声を立てて笑っている。握ったままだった蓮巳の手、その指先に唇を寄せて、それから手を離した。
「さぁ、俺は賢くておりこうさんな忠犬じゃねぇからよ。いつ変な気ぃ起こすかもわからねぇだろ」
蓮巳の腰の辺りに手を伸ばして、それから。
「こんな風に、な!」
「わ、こら、あははっ、くすぐったい」
全力でくすぐってやれば、蓮巳は笑いながら身を捩っている。
「旦那は弱ぇもんなー、どこもかしこも」
「うるさ、ふはっ、も、わかったから」
手を止めると、蓮巳は深く息をついた。
「はー……まったく」
乱れた髪を手櫛で直してやりつつ、頭を撫でてやる。
「反撃しようにも貴様にはあまり効かないのが腹立たしいな」
「多少はくすぐってぇけど、旦那ほど弱くもねぇな」
勝負したら勝てる自信しかない。しねぇけど。
蓮巳はこっちに来い、というように手招きしてきた。横に寝っ転がれってことだろう。素直に従うと、くすくすと笑っている。笑いすぎてか頬が赤くなっていたし、それになんかさっきよりも上機嫌に見えた。
俺の腕を勝手に動かして位置調整して、それを枕に俺の胸に顔を埋めて、満足そうにしている。
「ふふっ」
「なんだ急に嬉しそうな顔してよ」
蓮巳は俺の顔をじっと見て、それから、近づいて、きて。
不意に、俺の下唇をあまく噛んだ。
「貴様にとって俺は無力な子猫と変わらないのかもしれんが。無力なりに噛みつくことはできるんだぞ、覚えておけ」
俺が呆気にとられているうちに、蓮巳は話し続けている。
「窮鼠猫を噛むということわざがあるくらいだ。まあ、この例えだと噛むのは追い詰められた鼠で噛まれるのが猫だが。弱い存在でも、一方的に追い詰められるばかりではないということだな」
「っとに、てめぇはよぅ……」
思わず深いため息がもれる。ああそう。そうかよ。……こいつのそういうとこ、ほんと、さぁ。犬でも猫でも鼠でもなんでもいいけどよ。追い詰められて反撃したからって、強いやつに勝てるわけじゃねぇだろうに。
「そんなことしたら、余計に凶暴になったやつに食われるだけじゃねぇの」
蓮巳に覆い被さって、頬に手を滑らせて言ってやる。
「それとも、てめぇは食われてぇのかよ?」
そのまま唇をなぞるように指で触れて、問いかける。蓮巳の手が俺の手を包み込むように重ねられた。
「貴様はどう思うんだ? 鬼龍」
「質問に質問で返すんじゃねぇよ」
「聞かせろ」
なんだか結局、会話の主導権を握られている。
「そうだな。……」
ちゃんとわかってるよ。おまえは本当に嫌だったり違うなら、はっきりそう示してくる奴だって。否定しないなら、それが正解なんだろ。俺のすることを、そうして受け入れてくれるんだ。それは俺が強いから従っているわけでもなくて、おまえを傷つけたりしないって信頼してくれてるからで。
そもそも俺は、おまえには、さ。本気で噛みつくなんてできるわけねぇんだよ。傷つけないように、甘やかして可愛がって、愛してやりたい。
最初っから、ありえない話を前提に進んでる。質問自体が無意味なんだ。
「……ま、子猫に勝てねぇ犬もなかにはいるんだろ」
そう答えて、唇を塞いでやる。
だって、惚れちまったのは俺だから。手懐けられたって、構わないんだ。
2025/05/27公開
