今日の仕事は予定通り、いや予定よりも早く恙無く終わった。雑誌の撮影と、午後は会議。特に会議は、今までにないくらいの順調さで進み、感動したほどだ。いつも何かしら脱線したり問題ごとが持ち込まれたりと、頭が痛くなるというのに。
とはいえ、今日に限っては長引いてくれた方が暇を持て余さずに済んだのかもしれないが、などと考えてしまう。
会議が終われば今日はもう予定がないので、夕方から寮に戻っていた。鬼龍は午前中に取材を終えてからずっと自室にいるはずだが、今日ばかりは連絡をとるのも躊躇われた。積んでいる本を読むとか企画書を作るとか、できることはあるけれど、鬼龍のことが気になってはあまり集中できなくて。本を少し読んでは手を止め、また少し読んで。そんな状態では内容も頭に入らず、結局やめてしまった。
昨日も仕事で会っていたし、毎日とはいかずともそれなりに顔を合わせて一緒にいる時間は作っているのだが。近くにいるとわかっているのに、ほんの少し空いた時間に一緒にいられないことを、寂しいと思ってしまう。
鬼龍は朝までずっと、依頼の衣装作りに専念すると言っていた。
元々あまり期間に余裕がないのを承知で請け負っていたらしいのだが、その間に紅月として急な泊まり仕事が入ってしまい、丸二日は作業時間が減ってしまった。そこは俺の確認不足もあったのだが、鬼龍が個人で抱えていた作業があるとは知らず、少し調整すれば受けられると思い込んでしまっていた。鬼龍は共有しているスケジュールにも、個人の仕事のことは入れてあっても、こうした作業のことは入れていなかったし。それでも紅月の仕事を優先して引き受けてくれたため、作業分は後ろ倒しになってしまったのだ。泊まり先でできる範囲の作業もしていたが、やはりミシンもない状態では限度がある。その結果が今というわけだ。
瀬名と斎宮は海外にいるし、衣更は影片が不在の為、邪魔をしないように朔間弟の部屋に行くそうだ。なので、鬼龍は一晩中作業に専念できるだろうし、依頼はきっちり仕上げられるだろう。そこは心配していないけれど、負担を増やしてしまっているのに何か手伝ってやれるわけでもないのだから、申し訳なさは感じてしまう。
同じく事情を知っている神崎はせめて食事の負担を減らそうと、晩飯を用意して鬼龍の部屋に持って行ってくれた。俺の分まで用意して振る舞ってくれたのだが、神崎の作る親子丼と味噌汁は絶品だった。なるべく時間をかけずに食べることができて、腹に溜まるものをと丼物を選んだのだろうが。可愛い後輩が自分の為に作ってくれた食事なのだから、きっとしっかりテーブルについて、味わって食べたんだろう。まあ、あいつは元々食べるのが速いほうではあるけれど。
食後に淹れた茶を飲みながら、なぜか神崎はにこにことしている。
「なんだ神崎、機嫌が良いな」
「我の料理で鬼龍殿にも蓮巳殿にも喜んで頂けたのだ。先輩方のお役に立てて嬉しいのである」
「そうか。おまえにはいつも感謝しているぞ。ありがとう」
鬼龍だって同じ気持ちだ。そこは断言できる。
キッチンの片付けを終えたあとは共有ルームの方に移動して、しばらく神崎と話をしていた。その間にもキッチンや共有ルームには何人か人の出入りがあって賑わっていたけれど、当然のように鬼龍が来ることはなかった。
消灯時間の前には部屋に戻ってきて、明日の仕事の準備、寝る支度を済ませてしまう。けれどベッドに入っても、なかなか寝付けないでいた。同室の氷鷹と紫之はもう眠っているし、このままでは二人を起こしてしまいそうだったので、そっと部屋を抜け出した。
そろそろ日付が変わる頃で、廊下は静まりかえっている。まだ起きている者もそれなりにいるだろうが、みんな部屋の中だろう。
なんだか落ち着かなくて、共有キッチンまで降りてきた。冷えた緑茶を冷蔵庫から取り出して、席に座って飲む。数時間前にここで神崎と晩飯を食べていた時には他にも何人かいたが、流石に今は誰もいないし静かだ。仕事柄、日付を越えて帰ってくる者は珍しくないし、深夜にキッチンまで出向いてくる者もいる。なので消灯時間は過ぎているが、入り口付近のここは明かりが点いていることも多い。
今日は俺も、人のことは言えないわけだが。
鬼龍はまだ作業をしているのだろう。徹夜だと言っていたから、いつまで起きているのやら。
「……、はぁ」
恋人だというのに、こうしたときには何も役に立てないのが、悔しい。鬼龍は俺が企画書で悩んでいたら話を聞いてくれたり、食事を用意してくれたり、気分転換に付き合ってくれたりするけれど。衣装の仕事をしている時は俺が傍に居たら邪魔にしかならないだろう。鬼龍はそんなことない、と言ってくれるのだろうが。
直接は手伝えなくても、せめて神崎のようなサポートができたならよかったのに。
冷蔵庫に視線をやり、しばし考える。
いや、できないことはないんじゃないか。神崎が作ってくれた晩飯みたいにはいかなくとも、何か夜食を作ってやることはできるのでは。
キッチンに戻って、色々とあけてみる。備品の補充などはするけれど料理はあまりしないから、どこに何があるのか把握しきれていない。
炊飯器にはまだ米が残っている。本当は炊きたてが一番いいのだろうが、晩飯の時間に合わせて炊かれたものだろうから、これを使うことにする。
冷蔵庫には今朝神崎が作って分けてくれた焼き鮭と、あとは昆布の佃煮があった。焼き海苔もある。おにぎりくらいなら作れるだろう。
念入りに手を洗って、冷蔵庫から取りだした材料を並べる。炊飯器の米は、一度茶碗に盛っておいた。結構、熱いな。
自分で食べるものではないのだから、ラップを使った方がいいだろうか。すぐに食べないのならそのまま包んでおけるし。
ラップを広げて、その上に米を……その前に、塩、だったか?
ラップの上にパラパラと塩を振って、その上に茶碗をひっくり返して米を乗せる。ラップで包んで軽く形を整えて、……ではなく、鮭を入れるのだった。
一度閉じたラップをひらいて、小骨がないか軽く確認して、おにぎりに入るように切り分けた鮭を、中心に乗せる。
「む……」
入るように切り分けたつもりだったが、実際に入れてみたら上手く中に収まってくれない。偏っている。これでは食べる時にバランスが悪いのでは。……でも、あまり手を加えすぎるのもよくないのだろうか。
なんだか出だしから躓いている。こんなことで大丈夫なのかと不安が過ぎる。いや、食べられるもので作っているのだし大丈夫だろう。
なんとか形を整えて、海苔で包む。商品のように綺麗な三角形というわけではないが、ちゃんとおにぎりの見た目をしているから問題ないだろう。
同じ要領で、昆布の方も作っていく。今度はちゃんと具を先に入れることにしたので、鮭よりは偏りが少ないはずだ。……海苔を巻いてしまえばわからない程度にはなったと思う。
おにぎりが二つ、見た目はあまり綺麗ではないかもしれないが、できた。
不器用な方でもないと思っていたが、やはり普段しない料理はそう上手くはいかない。おにぎりだって専門店があるくらいだしな。鬼龍や神崎はよく作っているし簡単そうに見えても、きちんと作り上げるには知識や経験が要るのだろう。
さて、俺ならばこのくらいで充分だけれど、いっぱい食べる鬼龍には足りないかもしれない。
米はまだ残っているから、もう一つ何か用意できないか。冷蔵庫に中には他に何かあっただろうか。自分がおにぎりを選ぶ時は定番のものを選ぶから、あまり種類が浮かばない。その中で炊き込みご飯のおにぎりを思い出す。炊き込みご飯は今から用意するのは難しいのだろうが。具を入れるのではなく、ご飯自体に味をつけたものというか、混ぜご飯ならできるだろう。
スマホで、すぐに作れそうなものの種類を調べてみる。
明太子とチーズか。材料はある。俺は食べたことはないが、鬼龍は変わったものでも結構好んでいたりするから良いかもしれない。
ボウルにご飯を入れて、刻んだチーズと明太子を……この適量、というレシピはどうにかならないのか。調味料も加えて一度混ぜてみるが、写真よりも色が濃い気がする。食べてみるとしょっぱい。
薄めるにはご飯を足せばいいか。少しずつ足して混ぜてと繰り返して、なんとか見本に近い色味とそのまま食べられる程度の味にはなったけれど……なんか、多くないか、これ。
ラップに乗せてみたら、明らかにさっきよりも大きい塊ができた。こぼさないように慎重に形を整えていく。
一応、おにぎりの体裁はとれていると思うが。先に作った二つと並べると明らかに大きくて、どうにもバランスが悪い。
かといって作り直すのも、と迷った挙げ句、そのまま持って行くことにした。これ以上やって上手くいかなかったら食べ物を無駄にしてしまうことになるし。
気づけば、日付は変わっていた。
作ったものをトレイにのせ、使った食器を洗っておく。それから鬼龍の部屋へと向かった。
忙しいだろうに、鬼龍は呼べばすぐに出てきてくれた。
「旦那、どうした? 何かあったか」
「いや。大したことではないんだが」
いつもの調子で笑いかけてくる鬼龍の顔を見た瞬間に、胸がぎゅっとなる。
浮かんだ感情がすぐに言葉にできなくて、本当に……理屈じゃなく、俺はこいつに恋をしていると自覚する。もっとしんどそうな顔をしているかと思ったが、案外元気そうで安心したとか、その笑顔が好きだなとか。そういう、色々。
「朝まで作業だと言っていただろう。だから、その」
時間も時間なので一度部屋に入り、扉を閉める。それから俺は作ってきたおにぎりの乗った皿を、鬼龍の目の前に差し出した。
鬼龍はその皿を見たまま、目を瞬かせている。
「旦那が作ったのか、これ」
「ああ。おまえや神崎のように綺麗にはできなかったが、食べるのには問題ないはずだから」
「いいんだよ、なんだって」
言って、鬼龍はしばし考え、首を振った。
「いや、この言い方じゃ伝わらねぇよな。旦那が俺のために作ってくれたんだから、なんだって嬉しいよ」
皿を受け取って、鬼龍は嬉しそうにしている。
「旦那が俺のためにこんなことしてくれるなんて思わなかった」
「いつも俺は貰ってばかりだしな」
「旦那はそれでいいんだよ。俺が好きでやってることだし」
俺は鬼龍からどれほどの愛情を受け取っているのか。いつだって俺を支えて、甘やかして、欲しいものと言葉をくれる。今回の泊まり仕事だってきっと、俺がとってきた仕事だからと自分の予定を変えてでも受けてくれたのだろう。
「このデカいの、明太チーズ? 美味そうだな」
「う、その……最初に作ったら味が濃すぎて、米を足したら増えてしまって」
「あぁ……なるほど」
俺が手間取っている様子の想像がついたのか、子供を見守る親みたいな笑みを向けられてなんだか恥ずかしくなる。せめてこれくらいは完璧にこなしたかったのに。
「慣れてないのに、俺の為に調べて作ってくれたんだな。大変だっただろ」
そうして鬼龍は俺の頭を撫でてくる。やはり子供扱いされているような気にもなるが、こいつなりの愛情表現だと知っているから素直に撫でられておく。
「いや。大したことはない」
確かに四苦八苦していたが、鬼龍がいつも自分のためにしてくれることを考えれば、これくらい手間のうちに入らないだろう。それにこうして喜んでくれたのだから、十分報われている。いや、それ以上に貰っている。貰ってばかりではないかと思ってしまう。こいつの深い愛情に、今日は少しでも返せただろうか。
「おまえも、神崎もさ。こうして俺のこと応援してくれてんの、すげー心強いし、嬉しいんだよ。頑張らねぇとなって気が引き締まる」
「そうか。それならよかった」
鬼龍は皿をテーブルに置いた。床には完成した衣装と、まだ布のままのものがある。まだしばらくは終わらないのだろう。もう少し一緒にいたい気持ちはあるが、あまり作業の時間を奪うわけにもいかない。
「……忙しい時に邪魔したな」
「蓮巳」
帰ろうと扉を開けようとした瞬間、不意に引き寄せられ、抱きしめられた。
「ありがとな」
「……」
それから上向かされ、キスをされた。二度、三度と触れて離れる。もっとこうしていたくなる、けれど。今日はそんなことはしていられないから。
「これ以上は、終わらなくなっちまうから」
「ああ」
「大丈夫、絶対完璧に仕上げてやるからさ」
「知ってる」
誰の衣装なのかは俺の知るところではないが、鬼龍は求められただけの、いやそれ以上の衣装を仕上げるのだと信頼している。
「旦那は明日も仕事だろ? ゆっくり寝てくれよ。おやすみ、また明日な」
「ああ、ありがとう。また明日」
そうして俺は部屋を出た。
指先で唇に触れる。顔が見たかったという下心もあったとはいえ、鬼龍の力になればと夜食を作ったはずなのに。なんだか自分の方まで元気を貰えた。鬼龍も頑張っているのだから。明日もまた、会えるのだから。俺も自分の仕事を頑張って、帰ってきたら鬼龍を労ってやろう。そんなことを考えているだけで胸が温かくなる。
今日感じていた寂しさは、もうすっかり消え失せていた。
2025/05/20公開
