夢ノ咲学院を卒業して、実家暮らしから寮生活になり早数ヶ月。アイドル仲間たちとの共同生活、家族ではない他人と共に暮らすというのは楽しい部分も大変な部分もある。それでも、鬼龍は同室の仲間たちとは――二人はほぼ海外生活で居ないが――それなりに仲良くできていると思っているし、家族と離れる寂しさはあれど、実家暮らしと違って生活費の負担が少ないのが何よりの利点だった。
 家事も今までやっていたのだから苦戦することもない。むしろ、実家よりも設備がよくなった分、手間は減ったくらいだ。掃除や洗濯についてはそれぞれ自分のことは自分でやるし、部屋の共有部分は交代で掃除する。更に、料理に関しては今までと一変した。
 今までは家族の分の食事を毎食作るのが当然のようになっていたのが、寮生活になってからは選択肢が増えた。いや、実家暮らしの頃もたまには外食したり店で買ったこともあるけれど。今は寮室や共有キッチンで料理をしたり、ESビルの社員食堂で食べたり、近場の店で外食をしたり、たまに神崎や椎名が手料理を振る舞ってくれたり、と自分で作るだけではなくなった。
 なにより、一緒に食べる相手が変わった。一人のことも多いが、時間が合うときは蓮巳や神崎といることが増えた。神崎はまだ学生だし同級生の友達もいるから、同じ立場の蓮巳と一緒にいるのが一番多い。
 寮生活が始まった当初は毎日のように蓮巳に声をかけていた。学院時代の生活を考えると、ちゃんと食事摂ってるのか心配になったから。神崎も同じ気持ちだったらしく、三人で一緒に食べることも多かった。
 少しずつ個人仕事が増えて、時間が合うことも最初よりは減ったけれど。それでも、みんなで一緒にいる時間は他のユニットよりも長い方だろう。食事の時間だけでも一緒に居られるのなら共に過ごしたい、という気持ちもあるし。
 今日も昼時に少し時間が空いているから、昼飯をどうするかと蓮巳と相談していた。神崎は学校で、午後に仕事で合流する。だからそれまで二人だ。
 共有キッチンには色んな食材があるし、作っても良かったのだが。夜は神崎が手料理を振る舞うと張り切っていたので、昼は外に出ることにした。
「どこに行こうか」
「んー、何が食いてぇとかあるか?」
「これというのが思い浮かばん。鬼龍は?」
「そうだな……」
 言われて考える。
 鬼龍としてはなるべく安く腹を満たしたいので、一人で外食する際はご飯大盛り無料やおかわり自由な定食屋であったり、比較的安いファミリーレストランや牛丼屋などを選ぶことが多い。通い慣れた店の方が落ち着くのは確かだ。
 けれど、いつもと同じでは味気ない気もするし、と考えているうちに浮かんだ店があった。妹と何度か訪れた店だが、蓮巳は行ったことがないだろう。普段あまり行かないような所に連れて行くのも良いんじゃないか。
「たまにはハンバーガーとかどうだ?」
 ユニットのイメージに合わせているわけではないが、一緒だと蓮巳や神崎の好みもあって、ご飯ものや麺類、和食系統を選びがちだ。パンを選ぶにしても、サンドイッチ系などの野菜がとりやすく摂取カロリーを抑える方向になりやすい。仕事柄というのもあるが、習慣になっている。だから、栄養やカロリーを気にせずに食事を選ぶのもたまにはいいんじゃないか。
「駅前の店か?」
 蓮巳が言っているのは何度か一緒に行ったファストフードのチェーン店だろう。
「いや、うちの方に近いんだけどよ、美味い店があるんだよ。昼時だと少し並ぶかもしれねぇが」
 仕事のない休日に実家に帰ったら、可愛い妹に『新しくできたハンバーガー屋に行ってみたい』とねだられて、喜んで連れて行ったのだ。できたばかりの店というのを差し引いてもかなりの行列ができていたので最初は驚いたが、一度食べてみれば人気が出るのもうなずける美味しさだった。そしてすっかり気に入ったらしい妹と共に、その後も何度か訪れていた。
 だからきっと、蓮巳も喜んでくれるんじゃないか、なんて思ったのだ。
「そうか。それなら行ってみよう」
 別のものがいいと言われれば無理に通すつもりもなかった案だったけれど、あっさり了承された。休日ほど混んではいないだろうが、少しは並ぶかもしれないし、そうでなくとも寮に戻らずそのまま仕事先に向かうことになるだろう。一度それぞれの部屋に戻って外に出る支度をして、それから寮を出た。

 昼食時には少し早めの時間だったのもあり、待ち時間は少なかった。ゆったりとジャズの流れる店内はカウンター席まで人で埋まっているが、騒がしくもなく、落ち着いていた。二人は案内されたテーブルについて、メニューを開く。
「鬼龍のお勧めは?」
「そりゃーもちろん、このマウンテンバーガーだろ」
 鬼龍は写真を指差す。そこには『特製パティ四枚入り!』と文字が書かれており、他にトマトやレタス、チーズやピクルスなどが入っている説明がある。通常のハンバーガーの二倍はあるサイズだ。
 蓮巳は一瞬で顔を顰めた。
「そんなに食えるか!」
「冗談だって。ほら、この野菜入ってるやつのが旦那には食べやすいんじゃねぇか?」
 次に鬼龍が指したのは、パティは一枚で、レタスとトマトが多めに入っているものだった。チーズ入りのものもある。
「ではこちらのチーズ入りのポテトセットにする。飲み物はアイスコーヒーで」
「俺はこのスペシャルにするかな」
 パティ二枚と卵と、野菜が全部盛りのこの店お勧めメニュー。これは以前来た時に食べたけれど、美味しかったしボリュームもあって良かった。
「あと追加でオニオンリングと飲み物は……烏龍茶でいいか」
 メニューを決めた所で、鬼龍は店員を呼んで注文し、料理が来るのを待った。
 外では仕事の話や他のアイドルたちの話はあまりできないので、他愛ない雑談になるけれど。蓮巳はいつも止めどなく話すから、時間はあっという間に過ぎていく。
 話をしているうちに料理が運ばれてきた。それぞれの前にハンバーガーとポテトの乗ったプレートが置かれ、それから追加のオニオンリングの皿、飲み物が二つテーブルに並ぶ。
 テーブルに並んだ料理の量を見て、蓮巳は目を瞬かせた。
「多いな」
「そうか? 美味いから旦那も食ってみろよ」
 オニオンリングは妹と来た時にも頼んだもので、ケチャップと特製タルタルソースが用意されている。
 蓮巳は揚げたてのオニオンリングを一つ、摘んだ。それからタルタルソースを少しつけて、口に運ぶ寸前に、鬼龍が口を開く。
「熱いから気をつけろよ」
「子供じゃないんだから……」
 はぁ、と小さくため息をつき、改めて口に運んだ。
「……!」
 その顔を見て鬼龍は口元を綻ばせる。子供じゃない、なんて言っていたけれど、目をキラキラ輝かせてる子供みたいな顔をしている。
「確かに美味いな、これは」
「だろ? ここサイドメニューも美味いんだよ」
 チキンやフィッシュフライも食べたけれど、揚げ物はどれも美味しかった。特にこのオニオンリングは絶品だ。きつね色のカリカリの衣と甘味があって柔らかい玉ねぎ、それから自家製のソースとケチャップで違う味が楽しめて、いくらでも食べられそうなくらいだ。
 蓮巳は今度は自分の皿のフライドポテトを摘んでいたが、視線は目の前のハンバーガーに向いている。
「なんだ、食わねぇの?」
「どうするんだこれ」
 どうやら食べ方が分からず困っていたらしい。ファストフードのものみたいに、包まれていないから。
「これに入れるんだよ」
 鬼龍はハンバーガーの下にある紙の袋を取り出し、手本を見せるように自分のハンバーガーを入れて見せた。
 蓮巳も言われるまま袋に入れて、けれどまた固まっている。最初に店に来た時の妹と同じ状態になっていて、鬼龍は思わず笑いが漏れそうになった。
 ふわふわのバンズもあつあつのパティも厚みがかなりある。食べ慣れているハンバーガーのように一口でかじろうと思っても、食べにくいのだ。
 それに鬼龍はともかく、蓮巳は大口あけて食べるタイプでもないし。
「食えるとこからちょっとずつ食えばいいんだよ」
「むぅ……」
 蓮巳は眉間に皺を寄せて唸りながらも、ちまちまと齧っている。そんな所を可愛いと思うが、口にしたら怒られそうなので思うだけにする。
「食べにくいが、こっちも美味いな」
 ほんの少し口元を綻ばせるその表情から、気に入って貰えたのだとわかった。
 そうしてしばらく、時折揚げ物を摘みながらハンバーガーを食べ進めていたが、蓮巳はまた困惑の表情を浮かべている。
「崩れてきてしまったんだが」
「そんなもんだろ。気にせず好きに食えよ」
 鬼龍はもう、そういうものだと思って諦めている。崩さずに上手く食べきる方法もあるのかもしれないが、細かいことを気にして食べるより好きにしたい。仕事や人前ならもう少し気にもするが、親しい相手との――表立っては言えないが、恋人とのプライベートな時間なのだから、人に見られても困らない程度なら許されるだろう。
「何をニヤニヤしている」
「ハンバーガーに苦戦してる旦那がかわ……面白くてな」
「口の周りに盛大にソースをつけてる奴に言われたくないがな」
「えっマジで」
 蓮巳がペーパーナプキンをよこしてくるので、それで口元を拭った。拭ったところで残りを食べていればまた汚れる気もするが、それは諦めた。
「っ、と。流石に混んできたか」
 ちらりと店の外を見れば、休日ほどではなくとも列ができている。もう少しで食べ終わるし、ゆっくりするなら場所を移すべきだろう。
 最後の方は崩れて形が歪になったハンバーガーを食べきって、二人は店を出た。

 食後の散歩には丁度良い、心地よい風が吹く午後のひととき。程よく腹も満たされて、最高に気分が良かった。
「たまには悪くねぇだろ」
「そうだな、自分一人だとあまり選ばない選択肢だしな」
 蓮巳も時間があまりない時にファストフードのチェーン店を利用することもあっても、こうした店はやはり初めてだったようで。元々好奇心が強いタイプだからか、新たな体験に満足したようだった。。
「おまえといると、新鮮だ」
 不意に、蓮巳がそんなことを言ってくる。
「楽しかった。また、教えて欲しい」
「そうかよ」
 鬼龍はいつだって蓮巳から教えてもらうことばかりで、蓮巳に教えてやれることなんて、そんなに多くはないだろうと思っていた。でも、行ったことのない店で食事をしたっていうそれだけの、鬼龍にとっては些細なことなのに、こんなに喜んでくれるとは思わなかった。なんにせよ、喜んでくれたのならよかった。
「まだ食べたことないメニューもいっぱいあるしな。また来ようぜ」
「「神崎も一緒にな」」
 二人の声が重なる。ふは、と思わず笑いが漏れた。考えてることは一緒だったな。
「まあ神崎は乙狩とか大神とこういう店来てるかもしれねぇけど」
「ああ、乙狩は肉が好きだしな。それなら神崎にもお勧めの店があるかもしれんぞ。聞いてみるか」
 美味しかったもの、楽しい時間。それを分かち合いたい相手が、大切な人がいるというのは嬉しい。鬼龍にもまだ、気になっていたが行ったことがない店もある。誘えばまた、蓮巳はこうして付き合ってくれるのだろう、きっと。
「しかし、絶対に何か崩さずに食べる方法はありそうなのだが」
「あるかもしれねぇけど気にしたことねぇな」
「神崎を連れてくる前に調べてみよう」
 後輩の前で格好悪い所は見せたくないのだろう。得意気に神崎に説明する姿が目に浮かんで、今日何度目か分からない笑いを零す。
 一緒にいて、新鮮だと感じるのは鬼龍も同じだ。蓮巳は自分では考えもしなかったことを言ってくるし、二人でいるときに見せる素の表情は見ていて飽きない。……まあ、時折他の人たちの前でもそうした素が無自覚に出ているような気もするから、なるべく自分の前だけにしてほしいとは思う時もある。
「仕事まではもう少し時間があるな。途中のショッピングモールにでも寄るか」
「そうだな、何か欲しいもんでもあるのか?」
「本が見たい。この前買ったものが面白かったから続きを買いたいんだ」
「俺も手芸用品の店で糸買い足したいんだよな。丁度よかった」
 そんな他愛ない話をしながら、ショッピングモールまでの道を歩いて行く。
 上機嫌な恋人と二人きりの穏やかな時間を、今はもう少しだけ楽しんでいたかった。

 2025/05/11公開