もう足を運ぶのも慣れてきた生徒会室。職員室に呼び出されているみたいな気分になるから近寄りたくなかったはずのこの場所も、何度も訪れていれば抵抗もだいぶ薄れてきた。
 それに、俺がここに来る目的は、こちらももうすっかり馴染んだ相手がいるからだ。空振りに終わることもあるが、探す時の選択肢は教室の次にこの生徒会室だ。
 ノックしてドアを開ければ、見慣れた顔を確認するより先に、親の声より聞いたんじゃねえかっていう声が聞こえてくる。父ちゃんは仕事で家にいる時間が少ないし、元々そんなに話す方でもないから、最近に限れば本当に親よりも聞いているだろう。
「英智、それが終わったら次はこっちの書類だ。休んでいる暇はないぞ」
「えー、ちゃんとやってるってば。それより敬人、お客さんだよ」
 天祥院に言われ、書類の山に囲まれた蓮巳が顔をあげる。生徒会長の――天祥院の机にも書類が積まれてるが、蓮巳の半分くらいだろうか。あとは、静か過ぎて部屋に入るまで気づかなかったけど、蓮巳と変わらないくらいの書類に囲まれて必死に捌いている衣更がいた。
「鬼龍か、どうした」
「旦那、これ前回の衣装の」
 蓮巳に言われて提出する書類とはいえ、更に仕事を増やしてしまうことに罪悪感がないでもない。いや、出さなければ今度は説教が飛んでくるんだろうし、経費にしてもらえなきゃ困るのは俺だが。
「確認するから少し待っていてくれ」
 蓮巳はすぐに視線を手元の書類に落として、何やら書き込みをしている。
 天祥院は完全に手を止めて、棚から何か取り出していた。
「せっかく鬼龍くんが来たんだしお茶にしようよ」
「おい貴様、そう言ってサボる口実を作ろうとするな、度し難い」
「えー、いいじゃない。今日は敬人の好きなフルーツケーキを持ってきたんだから」
 ほら。と天祥院が箱を掲げて見せる。なんか金色の文字でロゴが書かれた、いかにも高そうな木箱に入っている。
 書類に埋もれていた衣更も話を聞いていたのだろう、興味深そうに顔を上げて様子を伺っている。書類の山が邪魔してよく見えていないようだったが。
「フルーツケーキ? 特別に好きだと言った覚えはないんだが」
「そう? 美味しいって喜んでたと思うけど」
 天祥院は蓮巳の隣まで行くと、箱をあけて中身を見せていた。
「ああ。確かにそれは美味かったな」
「だから休憩しよう」
「何が『だから』なのかわからんが。まあいい、多少糖分を摂取した方が頭は働くようになるからな」
 ため息をつく蓮巳と、満面の笑みを蓮巳に向ける天祥院。そして衣更が、手伝います! と元気よく声をあげた。
 休憩できるのが嬉しいのか、紅茶とケーキが嬉しいのか、どっちもか。天祥院が選んだやつなら美味いんだろうし。
 蓮巳はやりとりをしている間に書類を一枚完成させ、今度は俺が渡した書類に向き合って、二人を止めることはしなかった。俺はただ蓮巳の隣で、書類の確認が終わるのを待っている。
「はい敬人の分」
「ああ、ありがとう。良い香りだな」
 天祥院が紅茶のカップとケーキの皿を蓮巳の机に置いた。蓮巳は一瞬だけそちらを見て、すぐに書類に視線を戻す。
 ちらりと皿に乗っているケーキを見てみると、今まで見たことも無いくらいドライフルーツとナッツがぎっしり詰まっている。俺が食ったことのあるフルーツケーキの倍以上中身が入ってる気がする。流石、天祥院。庶民には手が出ないような値段なのかもしれない。箱からして高そうだったし。
 それにしても、蓮巳はこういうのが好きなのか。辛いのをよく食べてるのを見るし、それは好きだと直接聞いたことがあったけど。あと家だと和食が多いとか? 食べ物の好みなんてそれくらいしか知らなかった。蓮巳と天祥院は幼馴染みだって言うけど、やっぱり俺の知らないこと、色々知ってんだよな……。
「なんだ、じっと見て。そんなに食べたいのならやるぞ」
「んあ?」
 不意に洋酒の香りが強くなり、しっとりとした感触が唇に当たる。口元にケーキを押し当てられているのだと理解したが……いや、何してんだよ。これどうしろってんだよ。天祥院と衣更の視線を感じる。そりゃそうだろう。
 蓮巳はそれには気づいていないのか、さっさと食えと言わんばかりに、更に押しつけてくる。
 ……っていうか、なんで俺が睨まれてんだよ。ぼーっとしてたから完全に不意打ちだったし、そもそも欲しくて見てたわけじゃねぇんだけど。とはいえ、口をつけた、というか触れたものをそのまま返すのは躊躇われ、困惑しながらとりあえず一口かじる。
 洋酒の風味と、なんか色々、美味いんだろうけど、味わかんねぇ……。
 食べながら喋るのは行儀悪ぃから飲み込むまで黙ってると、その間に天祥院が蓮巳に言った。
「敬人が食べさせてあげなくても、鬼龍くんの分くらいあるのに」
 そうして、俺の分として用意してくれてたらしい皿を蓮巳に掲げて見せる。
「っ……!? いや、すまん、なんか無意識に」
 衣更は一連の流れなど何も見ていなかった、ということにしたらしく、視線を背けながら紅茶を飲んでいた。まあ、反応に困るよな、先輩たちのこんな姿。
「僕にはいつもくれないのに鬼龍くんには食べさせてあげるんだ」
「やかましい。鬼龍は貴様と違って何でもねだってきたりしないからな」
「で、これどうする?」
 天祥院が持っていた皿を指差す。真新しいケーキが一切れ乗っているやつ。
「食べるか、鬼龍」
 いや流石にそんなに貰えねぇよ、っていうか旦那の分がなくなるだろ。
「あー、俺このままこっち貰うから、それは旦那が食えばいいだろ」
 そうして蓮巳に押しつけられて一口かじった方を受け取り、新しいのを天祥院から受け取って蓮巳の前に置いてやった。
 続いて受け取った紅茶はそのままありがたく頂くことにする。
「そこ、借りるぜ」
 このまま立ってるのも行儀が悪いし、空いていた椅子に座って残りを食べることにした。書類はこの休憩が終わるまで、返ってこなさそうだしな。
「敬人には僕が食べさせてあげようか」
「要らん。やめろ……」
 新しい玩具でも見つけたガキみてぇな天祥院と、余計に疲れたのかげっそりしている蓮巳と。でも、なんか楽しそうにじゃれあってんの、少しだけ羨ましくて。
 ……羨ましい? 何が?
 ふと、自分の感情に疑問を抱く。ケーキを食いながら考えてみるけど、このもやつく気持ちの正体が分からない。いや、俺は自分の幼馴染みとはもうそんな感じじゃないから、そういう相手がいることが羨ましいんだ、と結論づけた。



 それから一週間ほど経った頃。俺は再び生徒会室に向かっていた。今度は提出物じゃなくて、紅月の衣装について確認だ。
 生徒会室の近く、廊下の角を曲がった所で話している奴らを見つけて、俺は思わず身を隠した。
 蓮巳と朔間零だった。あまり大声で話しているわけではないけれど、距離が近いから会話の内容も聞こえてくる。
 あの二人の間にあったこと、俺は全部は知らない。でも、巻き込まれた形であれ、多少なりとも関わっているのは確かだ。それがなければ、俺はきっとこうして蓮巳と一緒に組むこともなかっただろうし。
 泣きそうな顔をしていた蓮巳も、実際、生徒会室で泣いてたっぽいのも、知っている。でも、二人の問題に口を出せるほどの立場でもない。
 ……天祥院もそうだけど。どうしても、立ち入れない関係ってのはある。蓮巳が俺を頼ってくるのなら応えてやることはできても、自分から介入できるほど、蓮巳の何を知っているわけでもない。
「敬人。……そう睨むなって」
「俺は暇じゃないんだ。用がないなら失礼する」
「用ならあるぜ。ほら。海外の土産」
「受け取る理由がない」
「おまえにじゃねーよ。おまえの家族に。この前色々ご馳走になっちまったしな」
「……。直接渡せばいいだろう」
「俺はおまえの家にも行けないくらい忙しいんだろ」
 しばし、沈黙が流れる。それから蓮巳はため息をついた。
「そうだな。そういう話になっていたな。『零ちゃんは仕事で海外を飛び回っているから忙しい』と確かに伝えた」
「俺とおまえのことは、家族には関係ないからな。無駄に心配かけたくないのは俺も同じだ」
「……預かっておく。もういいだろう」
 立ち去ろうと、というか生徒会室に入ろうとした蓮巳の腕を、朔間が掴んで引き留める。
「なあ敬人。おまえ、酷い顔だぞ。鏡見てみろ」
「なんだ、随分な言い様だな。俺はあんたと違って平凡な顔だろうが」
 自嘲気味に嗤う蓮巳の、あんな顔は初めて見た。朔間が蓮巳の目元を撫でる。
「そうじゃねぇだろ。こんなに隈つくって」
「触るな。あんたに心配される筋合いはない」
 蓮巳はその手を振り払った。朔間はこれ以上何かを言うのを諦めたのか、ため息をついて去って行った。
 俺がいたこと、気づかれてない、よな。いや、朔間だからわかんねぇけど。
「……はぁ」
 蓮巳はそのまま立ち尽くしている。肩を落とすその背中が、また泣いているように見えて、思わず俺は声をかけた。
「っ、蓮巳」
「鬼龍か。どうした」
「悪い、盗み聞きするつもりはなかったんだけどよ」
「別に聞かれて困る話もない。……何か用だったか」
 朔間に対してとは違って、優しく対応するよう気遣っているのだろう。でも、無理しているような、下手くそな笑顔だった。
「いや、たまたま通りがかっただけだ」
「うん」
 これは嘘だ。でも、今の蓮巳に話をするのは気が引けた。別に急ぎの用事じゃないから。
 見上げる顔は、疲労を色濃く映していて。俺に取引を持ちかけた時や、しつこいくらい勧誘してきた時の蓮巳はいきいきしてたというか熱意を感じたというか、青臭い理想論でも、それを信じて貫き通す強さがあったのに。その時とは、別人に見えるくらいで。
 なんていうんだろうな。今の蓮巳、朔間とのライブの日と、同じような顔してた。いや、顔色も悪いし、その時よりもっと酷いかもしれない。蓮巳、またやつれてきてるし。本当に……アイドルなのによぅ。
 蓮巳の顔は整ってて綺麗だと思うけど、こういう表情は少し苦手だ。母ちゃんが体調を崩してからのこととか……母ちゃんが死んだあと、ずっと泣き続けてた妹のこと、思い出すから。
「……確かにひでぇな、隈」
「そうか。そんなに酷いか」
 諦めたような声で蓮巳は言う。手をのばして、それでも顔に触れるのは躊躇われた。朔間みたいに気安く触れられるほどの距離感でもない。嫌がられたらショックだし。
 それで結局、しばし彷徨った手は蓮巳の肩に触れた。
「昼休み、少しでも休めねぇの」
「休んでたら書類が片付かん」
「そうは言うけどよ。倒れちまったら本末転倒じゃねぇか。心配になるだろ」
 これは本心だ。こんなに無理して、蓮巳に何かあったら嫌だと思う程度に情はある。
「貴様にまで心配されるとはな」
「んだよ、それくらいするだろ」
「いや、貴様もよく徹夜で衣装を作っていたりするだろう」
「それは、そうだけど。俺はてめぇと違って体力があるからいいんだよ」
「そうか」
 覇気の無い蓮巳より先に俺は生徒会室に入り、いつも蓮巳が座っている所の隣に椅子を持ってきて並べた。そこに座って隣に来るように空いたところを叩いてみれば、蓮巳は困ったような顔で、それでも笑っていた。
 本当は武道場とか連れて行けば横になって寝れるだろうけど、移動する時間が勿体ないから。今日のところは、ここで。
「予鈴が鳴る前に、起こしてくれるか」
「ああ。任せろ」
 蓮巳は俺の横に座ると、眼鏡を外して机に置いた。様子を伺うように俺の方を見てくるから、肩を引き寄せて俺の方に寄りかからせると、蓮巳は特に抵抗せず大人しく目を閉じた。
「……」
 よほど疲れていたのか、そのままほどなくして眠りに引き込まれたようだった。
 振り向くとすぐに触れるくらいに近すぎて、顔はよく見えないけれど。
 規則正しい寝息と、触れる体温と。ライブの後に勢いで抱きしめたり、肩に腕をまわしたり、なんてことはしたこともある。でも、こんなに近い距離にずっといるのは初めてで、胸の奥がそわつくような、落ち着かない心地だった。
 肩、貸してやれるくらいには、信頼されてんのかな。
 ……ほんの少し、顔を寄せる。力になりたい。守ってやりたい。多分、そんな感情。
 安心していられる場所になれるのなら。紅月の副将として、俺が支えてやれてるのなら。
 色々、あったけど。地獄の道行きだろうが、誰かの代用品だろうが構わない。今度こそ間違えたくない。一度決めた夢さえ立ち行かなくなっていた俺に、叶える為の道を……新しい居場所をくれた、こいつのこと。大事にしたいんだ。
 触れられる距離で、俺はまだ手をのばせない。それでも自分に言い聞かせるように心の中で告げる。
 ほんの少しだけ胸が苦しいのは、気づかないふりをして。

 2025/03/25公開