今日は久しぶりに鬼龍と二人で過ごせる日だったんだ。明日はようやく予定の合う休みだったから、仕事終わりに外泊しよう、って前から決めていて。防音設備の整ったビジネスホテルに泊まりに来た。
連日忙しかったし、お互い疲れていた部分はあったと思う。それでも、明日のことを気にせず二人で一緒にいられるのも、もうどれくらいぶりか分からないほどだったし、わざわざ外泊しているのだから、そうなるだろうと予想して、風呂で準備も済ませておいたのだ。恋人としての行為くらい、多少疲れていても問題ない、と。
一緒に過ごせなかった分、今日はずっと傍にいたいのだと。
そう、思っていたのに。
「っとにてめぇは俺の話聞かねぇよな!」
鬼龍が声を荒らげる。多少大きな声を出した所で近隣の部屋に聞こえることはないのだけれど、近い距離で大声を出されては顔を顰めたくもなる。
「いつも聞いているだろう、俺は。貴様こそ、そうやってすぐ感情的になるのは悪い癖だぞ」
「チッ……、聞いてるって、聞いてる『だけ』だろうがよ。俺の意見なんざ、いつも求めてねぇ。てめぇばっかりが正しいみたいな顔してよ」
もはや、口論になった原因すら定かではないくらい、些細な行き違いからエスカレートしていった。互いに疲れも溜まっていて、言葉にとげが出てしまったのが気に障って、なんて珍しくもない話。言い合いが続いているうちに、最初に感じた不満の原因なんて忘れ去られて、ただ腹立たしい感情に支配されていく。俺だって元々、気の長い性分ではない。鬼龍もそうなんだろう。
普段はその感情を上手く隠して、年長者として、求められるアイドルとして、振る舞うのが身についているだけだ。
「ちったぁ素直に人の話聞きやがれ。ひねくれたことばっか言いやがって」
売り言葉に買い言葉。そんなことを続けているうちに、言い負かすのが目的になってくる。口で勝とうと思えば、鬼龍も含めてある程度の相手は言い負かせる自信はある。でも。
「悪かったな、ひねくれて可愛げがなくて」
そんな気力はなくなっていた。湧き起こる感情は怒りよりも悲しみに変換されていく。
「……どうせ俺は可愛くない。そんなに嫌なら、俺のことなんかさっさと見捨てればいいだろうが」
自分で言っておいて泣きそうになる。褒められた性格でもない自覚はあるし、ましてや鬼龍に対しては善意につけこんで、利用して、酷いことを強いてきたのだ。いつ見離されたっておかしくないと、いずれ愛想を尽かされるのだろうと、学院時代からずっとそう思っていた。
「あぁ?! ふざけんなよ」
鬼龍の声がますます荒くなる。心臓が鷲掴みにされたみたいに、ぎゅっと痛くなった。気を抜くと涙が込み上げてきそうで、必死に視線を反らして耐える。
「確かにてめぇは口うるせぇし融通効かねぇし頑固だし説教ばっかりだしたまにすげぇ面倒くせぇし妙にガキっぽい所もあるけどよ」
「そこまで言わなくてもいいだろうが!」
どさくさに紛れてすごい剣幕で悪口を並べ立てられた。それが否定しようのない事実だからどうしようもないのだが、ちょっと傷つく。
「そんな所も含めて可愛いと思ってるからてめぇと付き合ってんだろうがよ!」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。脳の処理が遅れたような、妙な間ができる。俺の聞き間違いか。地獄耳と自負する程度には聞こえが良い方だと思っていたが。
「俺がてめぇのこと可愛いと思ってるんだ、てめぇにも否定はさせねぇからな」
「いや貴様は何を言って」
怒ってるんじゃなかったのか。なんだか話がおかしくないか。いや、顔を見たら怒っているんだが……状況が飲み込めなさすぎて、さっきまであった苛立ちや悲しみの感情はぽろぽろと俺の中から抜け落ちて、代わりに疑問符が頭を埋め尽くす。
「表情がころころ変わる綺麗な顔も、よく喋るのにずっと聞いてたいと思う声も。無謀なくらい真っ直ぐで、真面目で、一生懸命なところも」
肩を掴まれ、はっきりと言い放たれる。
「俺ぁ全部、可愛いと思ってんだよ」
なんだ、何がしたいんだ鬼龍は。さっきは貶されたと思ったら今度は褒められているのか。その評価は過大な気がするがそれはさておき。
「貴様の可愛いの基準か定義がおかしいんじゃないか!?」
「あぁ? 可愛いは可愛いだろうが」
可愛くはないだろう、どう考えても。親世代やもっと上の年配の人などからはそう言われることもあるけれど。あれは子供や孫のように思われているから、ということだろうし、それならば俺だけではなく鬼龍や神崎も同じように言われているのだから違うだろう。
「世間的に見て俺みたいな奴を可愛いとは言わないだろうが!」
仕事で撮影した写真を綺麗だとか格好良いだとか評価されることはあっても――それも俺自身がどう、というよりも衣装やメイク、撮影者の技術などの効果が大きいからだろうが――言うに事欠いて、可愛いとは。
「旦那はファンにも可愛いって言われてんだろうが。自覚無しかよ、神崎にも聞いてみろよ」
「いやおかしいだろう?!」
「おかしくねぇよ多数決なら旦那が負けだからな?」
「はっ……えっ……?」
こうまで言い切られると、自分が間違っているのかという気になってくる。えっ、おかしいだろう。おかしい、よな? 俺が間違っているわけではないよな? 鬼龍が変なんだろう? そうだと言ってくれ。神崎はきっと、俺のことを格好良いと思ってくれて……いる……んじゃないか……実は違うのだろうか。自信がなくなってきた。
「まあ、旦那のことを一番可愛いと思ってるのは俺だけどよ」
そんな怖い顔をして言う台詞じゃないだろう。なんなんださっきから。
「もう意味が分からない……貴様怒りのあまり頭のネジでも飛んだんじゃないのか」
鬼龍は自分のことを俺は馬鹿だからなどと卑下しているが、まさか本当に馬鹿になったわけじゃないよな!? と若干不安になってくる。いや、馬鹿になっているのは状況についていけない俺の方なのかもしれないが。
「あ? 口で言ってわからないなら体でわからせてやろうか」
「その顔で言うと物騒にしか聞こえない!」
眉間に皺を寄せて、指でも鳴らしそうな格好で言われると、殴られるのかと冷や冷やする。鬼龍は俺に、学院時代からそんなことは一度たりともしたことはないが。
いや、正直なところ、殴りたいと思ったことは何度もあるのだろうと思ってはいる、けれど。むしろ、殴ったら死んでしまうくらいのか弱い存在みたいに扱われている気がする。
ぐらりと視界が揺れて、ベッドに押しつけられた。手首を掴まれ、のしかかられて身動きができなくなる。
「……っ、おい」
睨みつけると、鬼龍は鼻で笑っている。
「俺がちょっと本気だしたら逃げられないくらい、か弱いお坊ちゃんのくせによ」
「お坊ちゃんて言うな!」
逃れようと身を捩るけれど、腕も足もびくともしない。これでも加減されているのだろうから悔しい。
「ええい、くそ、離せ馬鹿力っ」
「逃げ出してみろよ。できるもんなら」
挑発されては大人しく引き下がるのも癪だ。けれど必死に、全力で……本当に、自分の考え得る手段を駆使して逃がれようとしたのに、全部受け流されて終わってしまった。
「そうやって必死になってる所もすげー可愛いけど」
俺が全力を出しているのに、鬼龍は赤ん坊でも相手にしているかのような余裕を見せている。
「諦めて降参しろよ。どうせ勝てねぇんだからさ」
「なんでそんな話になってるんだ。勝ち負けの問題ではないだろうが」
そうだ、勝ち負けではないはずだった。でも、このまま引き下がったら負けなのかと思えば退きたくない。
「これだけ言ってもわかんねぇなら、直接体に教えてやるけど?」
「貴様さっきからその台詞はどうかと思うぞ」
「は? てめぇはこういうの好きだろうが」
「はぁ??」
そんなことを言った覚えはないのだが。何をどうしてそういう認識になっているんだ。
「漫画原作のドラマで話してたじゃねぇか」
言われてみれば話をした気はする。漫画やドラマであればこうした強引なタイプの男も需要はあるのだろう、とかそういう。だが、俺が好きだなどと言ったつもりはないのだが。
いや、鬼龍は似合いそうだなと思っていたのは否定しないが。別にそういう風に迫られたかったわけではないのに。
なんだか毒気が抜かれてしまった。怒りはすっかり消え去っていて、というか、喧嘩していたんだよな? 何故こんな話になっているのか。未だに理解ができない。
「貴様がそんなに俺のことが好きだったとは知らなかったな」
「そうかよ。だったら今からよぉく覚えといてくれや。俺はてめぇが可愛くて好きで仕方ねぇんだよ」
鬼龍ももう、苛立ちは消えたのだろう。ふと柔らかく笑っていうものだから、心臓が跳ねた。強引なタイプの男子というものに一定の人気があるのは分かる気がする。格好良い、と思う。それこそドラマのワンシーンみたいに。
「……、……なんなんだ、貴様、恥ずかしげもなく。そんなこと言うの貴様くらいだぞ」
「俺だけじゃ不満かよ?」
「そんなわけないだろ」
ああもう、今日はだめだ。何を言っても鬼龍に勝てる気がしない。
「俺が貴様に言い負かされるなど……」
「たまにはいいだろ」
言い返せない俺を見て気が済んだのか、鬼龍は満足げに笑っていた。
「くそ……いつか絶対仕返ししてやるからな」
「そういう負けず嫌いなところも可愛いけどよ」
鬼龍の顔が近づいてきて、こつんと額がぶつけられる。
「てめぇが俺のこと大好きなのはもう知ってんだよ」
「当たり前だろうが」
それ以上の言葉を奪うように口付けられる。
反論もできないくらいに、深く。さっきまで言い争っていたのに、今は俺の口を塞いで黙らせてくる。静かになった部屋に、吐息と濡れた音が響くのが妙に羞恥心を煽る。それに、与えられる感覚で頭がぼうっとしてしまって。
「っ……」
唇が離されて荒い呼吸を繰り返していると、鬼龍はなんとも言えない顔でため息をついた。
「なんつぅか。チョロいところも可愛いけどよ」
「チョロいとか言うな!」
「あっさり流されすぎてちょっと心配になるぜ」
そんなに簡単に流されているつもりは、ないのだが。
「だったら、しっかり捕まえておけ馬鹿者」
「はは、りょーかい」
まあ流されているのだとしても、鬼龍に対してだけなのだから何も問題はないじゃないか。とは、言わないでおくけれど。
「あ、素直じゃない所も可愛いぜ」
「もう黙れ……」
これ以上は心臓がもたなさそうだったから、自分から口を塞いでやる。こうしていれば何も言えないだろう。……お互いに。
深い口づけに、言葉だけでなく思考までも奪われていく。だって本当は喧嘩なんかしたくなかったし。ずっと、こうして欲しかった、から。
「いいよな?」
「……あぁ」
鬼龍の手が腰をたどって、シャツの裾の方まで降りてくる。許可を得ると、その手はシャツの中へと潜り込んできた。
「……、っふ」
吐息と共に零れ落ちそうになった声を、手の甲で抑える。
鬼龍はまだ、かわいい、などと呟いてくる。今日だけで何回聞いたか分からないその言葉にさえ、熱が上がりそうで。
もう反論する気にもなれないから、今日のところは退いてやる。でも、俺だって貴様の格好良いところなら、いくらでも語ってやれるんだからな。
思考を放棄する前に、俺は一つ決心する。
舌戦を挑んだこと、後悔するまで。無限語りと称された俺の話をじっくりと味わわせてやろう、と。
2025/03/18公開
