年末から正月にかけての繁忙期を終えると、街はバレンタインの装いに変わっていく。アイドルとしては、まだまだ仕事が尽きない時期だ。仕事終わりに立ち寄った、寮の最寄り駅近くのファミリーレストランで、蓮巳はメニュー表を眺めながら時折外を気にしていた。昼食には少し遅いこの時間は、駅前で人の入りが多い店舗でも空席が目立つ。蓮巳のように遅めの食事を摂る人やおしゃべりに興じる人、小さな子供を連れたグループ等それなりの賑やかさはあるけれど、うるさいと感じる程でもない。
 外にはまだ、待ち人の姿は見えない。先に注文してしまおうとタブレットを取り、メニューを選んでいく。送信してドリンクバーから珈琲を取ってくると、また外に視線を向けた。待っている時間をただぼんやりと過ごすのも勿体ない気もするけれど、空腹と多少の疲労と、何かをするには短い時間を持て余してしまっている。持ち歩いていた本も帰りの電車で読み終えてしまったから、もうすぐ来るはずの話し相手を待ちわびるばかりだ。
 注文した料理が来るのが先か、それとも……
「おう、お疲れ」
「っ!?」
 不意に肩を叩かれ、蓮巳はびくりと身を竦めた。叫びそうになったのはなんとか耐えたけれど、心臓がばくばくしている。完全に油断していた。
「なんだよ、そんなに驚かなくてもいいだろ」
「貴様、一体どこから」
 ずっと駅からこちらに向かってくる人の流れを見ていたのだ。実家に帰っていたのならば、駅から来ると思っていたのに。
「時間ありそうだったから、事務所に寄ってきたんだよ。ほら」
 そう言いながら、鬼龍は二つの紙袋を掲げて見せた。
「なんだそれは」
「事務所に届いてたバレンタインのプレゼントだってよ。これは旦那の分」
 そう言いつつ、紙袋を一つ寄越してくる。蓮巳は両手を伸ばして紙袋を受け取った。受け取ったのを確認して鬼龍は蓮巳の向かいの席に座った。
「結構重いな」
「ありがてぇことだけどな。重いんだったら帰りは俺が持つからよ」
「いやそこまででは……
 話していると、音楽と共に猫の顔が描かれたロボットが近づいてくる。
 蓮巳は手を伸ばしてロボットからサンドイッチの皿と伝票を取り、テーブルに乗せた。それからボタンを押して、ロボットを返してやる。
「旦那はこれから昼飯か」
「ああ。おまえも何か頼んだらどうだ」
「飯は家で食ってきたんだよな。どうすっか」
 言いながら鬼龍もメニュー表を開いた。と思えば早々にタブレットを取りだして注文していた。そのまま飲み物を取りに行って、すぐ戻ってくる。外が寒かったからか、蓮巳と同じくホットの珈琲を選んだようだった。
「久しぶりの実家はどうだったんだ」
「のんびりするどころか、家事と妹の手伝いでほとんど終わっちまったよ」
 話だけ聞いていればぼやきにも聞こえるけれど、それを満面の笑顔で言っているのだから鬼龍としては良い時間を過ごせたのだろう。
 蓮巳はサンドイッチを食べながら話を聞く。
「ああ、最近差し入れに使ってる和菓子、父ちゃんと妹も喜んでたぜ」
「そうか。それなら良かった」
 去年のこの時期に、和菓子をバレンタインの主役にしたい、という神崎と天満の話から始まった企画があった。去年は番組を放送して多少の反響があったところで終わったけれど、蓮巳としてはあの一度で諦めるつもりはなかった。今年は蓮巳家の贔屓にしている和菓子屋に予め相談し、特別に和菓子を用意して貰ったのだ。神崎家の贔屓にしている店もあるので、そちらは神崎が話を持っていき、別の品を用意してもらっている。そして、ここ最近の紅月のメンバーは、手土産や差し入れにこの和菓子を持っていくようにしている。地道な活動だが、これが案外好評で、店に問い合わせも来ているようだった。
 そうした経緯で用意された和菓子を、鬼龍が実家に帰る時に少し持って帰ったというわけだ。
「仕事先でも評判いいな。この時期の差し入れ、チョコレート系が増えがちだしよ。ちょっと変わったものとか喜ばれるよな」
 試作品を事務所に持って行った時にも好評だったし、老舗の和菓子屋だから品質も確かだ。範囲は狭くとも着実に印象づけできていると思えば、嬉しい。去年の苦労も報われるというものだ。
 話しているうちに、再び猫のロボットが来た。鬼龍が注文したフライドポテトを受け取る。
「まあ、妹と作ったのは普通のチョコレートなんだけどよ。湯煎とかは気をつけないと危ねぇからちょっと手伝ったけど、飾り付けは全部妹がやったんだぜ。あいつも上達したよなぁ」
「そうか」
 いつも自分が話していることが多いのだから、妹さんの話くらいは付き合ってやってもいいのだが。どうも、男兄弟だからなのか、自分が弟なせいなのか、この溺愛っぷりは理解しがたい。妹さんとも何度か会ったことはあるし、鬼龍と兄妹だと一見して分かる程度には似ていて、しっかりしている可愛らしいお嬢さんだとは思うが……
 食べながら相槌を打っていると、鬼龍が鞄からラッピングされたチョコレートを取りだした。製菓用のチョコレートを溶かして型に入れてデコレーションした、スタンダードな手作りの。
「見ろよこれ。二番目に綺麗なやつだってよ」
「? 一番をあげる本命がいるの、か……
「あぁ!?」
 蓮巳が言い終わる前に、鬼龍からドスの利いた声が発せられる。蓮巳が思わず身を竦めた拍子に、持っていたサンドイッチのトマトが、ぽろりと皿にこぼれ落ちた。
「一番は父ちゃんに決まってるだろうが」
「わかった、俺が悪かった、本気で睨むな怖い!」
 元不良だからなのか元々が強面なせいなのか、凄まれると迫力がありすぎて心臓に悪い。喧嘩したときでさえこんなに睨み付けられたことはない気がする。
 妹さんが絡むと人が変わったようになるのはどうなのか。蓮巳は思わずため息をついた。
 鬼龍は皿に落ちたトマトを奪って自分の口に放り込む。……それで手打ちにしてくれるのなら、まあいいだろう。
「ホワイトデー楽しみにしてるってよ。ったく、可愛いよなぁ」
 それはたかられているのでは。とは、言わないでおく。鬼龍が幸せそうだからそれでいいだろう。これ以上余計なことを言ってまた睨まれたくもない。と、トマトが抜けてベーコンとレタスだけになったBLTサンドに齧り付きながら、蓮巳は思った。
「みんなで交換するのがまだ残ってるけどよ。仕事先とか、事務所のスタッフとか、ファンの人たちからもこんなに貰えてよ。妹からも貰えたし、なんかまだ終わってねぇのに満足っつーか」
「そうか。では俺からのプレゼントは要らないな」
 紅月のみんなで持ち寄って交換することになっているけれど、それとは別に、鞄の中にもう一つ、購入したものが入っている。
「えっ、いる」
 真剣な顔で言ってのける鬼龍に思わず笑いを零し、おしぼりで手を拭いて鞄の中から紙袋を取りだした。
 中に入っているのは、ジュエリーの絵柄が施された缶だ。絵柄の部分は凹凸がある。
「以前おまえが着ていた衣装を思い出してな。ちょっとした、感謝の気持ちだ」
「ありがとよ。綺麗だなこれ」
 鬼龍は缶を手に取って、色々な角度から眺めている。中身はチョコレートのお菓子だ。底面にラベルが貼ってある。
「中身、チョコレートなんだな」
「別に和菓子だけに拘っているわけではないぞ。どちらも良い点はあるだろう」
「そりゃそうだ」
 鬼龍は缶の表面を彩る宝石の絵柄を指先で撫でた。
「これ裁縫箱に入りそうだな。ボタンとかビーズとか、細かいの入れとくか」
……ん」
 なんとなく、鬼龍は缶も取っておくんじゃないかと思ってはいたけれど、手元に置いてくれるのなら嬉しい。
「つか、さ。俺たち同じこと考えてるのな」
 蓮巳が首を傾げると、鬼龍も鞄から紙袋を取りだした。
 受け取った紙袋の中身を覗くと、本の形の缶だった。
「妹に催事に付き合わされて行ったんだけどよ。これ見た瞬間、旦那の顔が浮かんで。てめぇは本が好きだから」
……俺は入れるものが思いつかんな」
 飾りとして本棚に並べておこうか。何か入れるのに丁度いいものがあるだろうか。
「まあ、実用性より見た目だろ」
「そうかもしれんが」
 せっかくなら使いたいではないか。そこは後々考えることにするが。
「ああ、本で思い出した。読む物が切れてしまったんだ。あとで付き合ってくれ」
 このあと、夜にラジオの収録があるから再び仕事に出ることになる。鬼龍も一緒だ。
「んじゃ、寮に荷物置いて早めに出るか」
 そうしてしばらく、食事をしながら二人で話をしていた。

 一週間後、互いのプレゼントは鬼龍の裁縫箱と、寮監室の机の上に収まることになる。
 贈った側も時折目にすることになるそれは、何度もくすぐったいような気持ちを呼び起こすのだった。

 2025/02/27公開