蓮巳敬人という男についてどう思うかと訊ねれば、その整った容姿や低く艶のある声、洗練されたダンス、真面目さや誠実さなど、褒める所が多く出てくるだろう。アイドルである彼のファンならば、それこそ言葉が尽きぬほどに。
そして、アイドルとしてではないただの蓮巳敬人個人を知っている者たちからすれば、彼の印象は様々だろう。優しい、面倒見が良い、寮監としても頼りにしている、と好意的に見る者から、話が長い、説教をされる、頭が固い、融通が利かないという若干の悪口まで飛び出してくる。
そんな彼を、おそらく一番間近で見ている相棒であり、表立っては言わないが恋人である鬼龍紅郎から見た印象はというと、それもまた複雑であった。
好きな所、良い所だって両手の指では足りないくらいすらすらと並べ立てられる自信はある。けれど、逆もまた然り。それはもちろんお互い様ではあると思うし、だから嫌だとかそういう話では決してないのだけれど。
久しぶりの一緒に過ごせる夜の数時間。一人用の寮室、といった感じの造りになっているやたら設備の整った寮監室で、この部屋の今の主である蓮巳に誘われ、二人で一緒にいる。
蓮巳は寮内に自室があるからここで寝泊まりすることはあまりないけれど、仕事部屋として使っていることもあった。寮に住むアイドルたちの様々な届け出、食品や備品の発注関連、清掃や修理など外部業者との連絡の書類などが綴じられたファイルがきっちりとラベリングされて小さな本棚に並んでいる。
生活の場ではなく仕事場という感じのこの部屋での逢瀬は、ほんの少し罪悪感もあるけれど、それよりも数時間だけでも二人きりになれる場所で一緒にいたい気持ちのほうが上回っていた。
並んでベッドに座って、蓮巳の体を抱きしめてキスをする。
角度を変えて何度も唇を重ねて、それから腰を引き寄せて深く口付けた。
「ん……」
微かに零れた声すらも奪うように、口内を全部余す所なく可愛がるように舌で触れていく。上顎から舌の裏まで、触れないところがないくらいに。時折蓮巳が肩を震わせているのが愛しくてたまらない。舌を擦り合わせ、甘く歯を立てれば、懸命に応えようとしてくる。しばし夢中になって口づけを交わしていたけれど、もっと触れ合いたい気持ちが強くなる。唇を離すと、蓮巳はくたりと身を預けてきた。
「はあっ……、はっ……」
キスだけで既に耳まで真っ赤になって、息も上がっている。
「蓮巳」
名前を呼んで額にキスをすると、蓮巳はじっと鬼龍を見上げてきた。涙の膜の張った揺れる瞳が、綺麗だ。
「……」
「ん?」
「……っ、いや、なんでもない」
一瞬何か物言いたげにしていたけれど、すぐに黙り込んでしまった。そんなしかめっ面しておいて、なんでもないことはないだろうに。
「なんだよ。なんか嫌だったか?」
怪訝に思って問いかけるが、蓮巳はその問いには答えず、ぐいと鬼龍の首に抱きついて引き寄せてきた。
「そうではない。いいから、続きをしろ」
「していいのかよ」
「……ここで止められる方が困る」
正直なところそれは鬼龍も同じだけれど、そんな顔をされては気になるじゃないか。
「本当にいいんだな?」
念のためもう一度確認すれば、いい、とはっきり告げて頷いた。
「ん、わかった」
何かあれば言えよ、と伝えて髪を撫でる。ここまで確認して止めないのなら、続けてかまわないのだろう。
明日はお互いに仕事だが、あと一、二時間くらいならここにいられる。鬼龍はともかく蓮巳の負担を考えるなら、なるべくなら休みとか午前のオフの前日にした方がいいだろうが。まだ身体が慣れていなかった最初の方はともかく、蓮巳も今はもう、一度したくらいで動けなくなるほどでもない。何度も、というわけにもいかないけれどそれで十分だ。
「一回だけ、な」
「ん……」
そうしてその日は、蓮巳が何か言いかけていたことなどすっかり忘れてしまっていた。
寮監室の逢瀬から十日ほど経った頃。明日は自分は仕事だが蓮巳はオフ、鬼龍の寮室は他が不在となればこれ幸いと一緒に過ごすことになる。
恋人と二人きりで過ごせる貴重な時間となれば、多少は期待もしていたけれど、この日はいつもと様子が違っていた。
しばらくは、時折雑談をしながら縫い物をしたり漫画を読んだりと各々ゆったりと過ごしていた。夜も深まり、作業や読書に区切りがついた頃。
「鬼龍……」
「ん?」
裁縫道具を仕舞い終えた鬼龍は蓮巳の頬を撫でて、それからキスを……、しようとしたら押しのけられた。
熱っぽい目で見つめてくるから、そういう恋人らしい触れ合いを期待をされているのかと思ったのだけれど。どうやらそれは正解ではなかったらしい。
「嫌だったかよ」
言いながらも、本気で嫌がられることは流石にないはずだと思ってはいるが。でも、疲れてたり気分じゃない時はあるだろう。それならそれで、鬼龍としては無理強いするつもりはない。
「そうではない。が、貴様は何もするな」
「……あ?」
蓮巳はそう言いながら、ベッドの上に膝立ちし、ずいと鬼龍の方に顔を寄せてくる。たった今鬼龍がしたように頬に触れて、それからじっと見下ろしてきた。
「いつも俺ばかりが好きにされているのは不公平じゃないか。俺だってキスの一つくらいちゃんとできる」
なんだそれ、と鬼龍の表情が険しくなる。蓮巳がたまに鬼龍の理解を超えた言動をしてくるのには慣れたけれど。だからといって一方的に言いがかりめいたことを言われては腑に落ちない。
そもそも、俺が好きにしてるんじゃなくて、てめぇが欲しがってくるんだろうがよ。……と、喉まで出掛かったのを飲み込む。反論が飛んでくると長くなるし、口では勝てないのを分かっているから。それに、せっかく一緒に過ごせる時間に言い争いなんかをしたいわけじゃない。
けれど蓮巳はそんな鬼龍の内心も知らず、はっきりとよく通る声で宣言してきた。
「今日は絶対に負けないからな」
「いや、何と戦ってんだよてめぇはよぅ……」
あまりに真剣に言い放つものだから思わず突っ込んでしまう。
蓮巳のことは誰よりも愛しい、可愛い恋人だと思っている。鬼龍にとっては大事な存在だ。それでも、こういうときには、面倒くさいと思ってしまうのも確かなのだ。
頬を撫でられて、それから触れるだけのキスをされる。何度か繰り返していると、柔く下唇を噛まれた。舌で触れられ、その意図を察して口を開く。入り込んできた舌に口内をなぞられる、その動きがたどたどしくて、もどかしい。
何もするなって言うくらいだし、鬼龍の方から何かすると機嫌を損ねられそうだけれど、一方的にされてるのも変な感じだ。
それにしても、何か読んで勉強でもしてきたんだろうか。その場の感覚で動くよりも、考えて手順をなぞってるみたいな気がする。蓮巳の真面目さや、オタク気質というのか凝り性な部分が変な方向に暴走するのは今に始まったことではないが。恋人同士のキスというより、なんらかの実験台のようで落ち着かない。
しかし、いつまでも慣れないというか、鬼龍のために懸命に応えてくれようとするけれど、本来はこういうの得意ではないんだろう。別に鬼龍だって経験に差はないし、決して上手いわけではないと思う。ただ繰り返すうちになんとなく、蓮巳がいいんだろうという所が分かってきただけで。
「……」
鬼龍は薄らと目をあける。蓮巳は目を閉じて、ほんの少し眉間に皺を寄せて、熱心に鬼龍の口内を探っている。上顎から、舌の裏まで。時折重点的に触れてくる所は、鬼龍が思う蓮巳の感じるだろう場所と一致している。自分が弱いところを試しているのだとなんとなく理解した。残念ながら鬼龍の弱点ではなさそうだが。
そんな答え合わせをされているなどと思いもよらないだろう蓮巳は、未だ真剣にキスを続けている。
必死になっちゃって。可愛いの。
そうは思うけれど、蓮巳の求めているものに応えてやれそうにはない。
少なくとも鬼龍は、口内のどこかに触れられて感じるとか、そういうのはないのだ。気持ちいいは気持ちいいけれど、蓮巳みたいな感じ方ではない。それは自分が鈍いのではなく蓮巳が敏感なだけだと思っている。
端的に言えば、それ自体の気持ちよさというよりは『やらしいことをしてるという事実に興奮する方が大きい』という感じだ。あとはキス一つで乱れてくれる蓮巳が可愛いとか、精神的なものによる快感なんだと思う。とはいえ、蓮巳はそれでは納得しないのだろう。
唾液が零れて顎まで伝うのをそっと指先で拭って、鬼龍は目を閉じた。このまま唇が腫れるまででもやってくるんじゃないか、などと考える。それはちょっと困る気もするが。
「うぅ……」
あまりの反応の無さに焦れたのか、蓮巳が唇を離した。そのタイミングで鬼龍は蓮巳に問いかける。
「まだ続けるのかよ?」
あまりにいつも通りに平然としている鬼龍の物言いに、蓮巳は悔しそうに俯いた。
「……ずるい、いつもそうやって余裕そうにして、俺ばっかり……おまえに」
そんなこと言われてもなぁ。と、鬼龍の方が肩を落としたくなる。
そもそも別にいつも余裕があるわけでもないし、蓮巳の一挙手一投足に心を乱されていることだって、必死に壊れそうな理性を繋ぎ止めていることだってあるのだけれど。蓮巳の方が余裕をなくしていることが多いのは事実だし、眼鏡を外してしまえば状況も見えづらいようだから、分かっていないだけなのだろう。鬼龍としては格好つけていたいところでもあるので、わざわざ言わないが。
蓮巳は更に顔を近づけて鬼龍に詰め寄る。既に見慣れたはずなのに、綺麗な顔立ちが間近にあると、ちょっとドキッとする。
「あるだろう、なんか、気持ちいいとこ」
「えぇー……」
「貴様、筋肉が厚すぎて感覚が鈍くなってるんじゃないか」
いや、仮にそうだとしても口の中は関係なくないか。言っていることがめちゃくちゃ過ぎる。
「もうそういうことでいいよ……」
鬼龍はベッドに身を投げ出して、大の字になる。
「気が済むまで好きにしてくれや」
整った綺麗な顔も、すぐムキになる負けず嫌いなところも、頭がいいはずなのにたまにポンコツになるところも、可愛いし愛しいと思う程度には惚れきっている。けれど、それはそれとして、蓮巳は面倒なタイプだと思ってはいるし、鬼龍だって諦めたくなることもあるのだ。
「貴様、投げるな」
「何もするなって言ったのてめぇだろうがよ」
もうどうしろって言うんだよ俺に。自分から手は出せないし、かと言って続けられても良くなるとは正直思えない。でも、散々お預けを食らったみたいな、フラストレーションはある。
埒が明かない。なら、少しくらいは。
……反撃したっていいよな?
「それとも、こんなことしてくんの、ただの誘う口実か?」
鬼龍は油断していた蓮巳の腰を引き寄せて、自分の上に乗るようにして押さえ込む。それから耳元で告げた。
「してほしいなら、してほしいって言ってみろよ。なぁ、蓮巳」
そのまま耳朶を甘く噛んでやれば、蓮巳はびくりと肩を震わせた。
「……今のはずるいだろう」
消え入りそうな声で呟き、鬼龍のシャツの胸元をきゅっと握ってくる。
蓮巳の方も欲しい快感を得るには足りなくて、相当焦れていたのだろう。思いの外あっさりと抵抗をやめた。
「もう、今日は俺の負けでいい、から」
「今日も、だろ」
「うるさい、いつか絶対に降参させてやるからな」
「それもう趣旨変わってねぇ?」
まあ、降参する日がくるのかはさておき、何度だって付き合ってやるけれど。別に蓮巳がしたいと望むのなら、好きにさせてやりたいとは思うし。面倒でも、決して嫌ではないのだ。
「で、どうしてほしいんだよ?」
頬に触れ、腰を撫でて真っ直ぐに見据える。蓮巳はほんの少しの悔しさと、羞恥と期待の入り混じった表情で、鬼龍をじっと見つめていた。
「鬼龍の好きにしていい、から。……いや、して、ほしい」
「……ん、りょーかい」
お預けを食らった分、思う存分可愛がって、気持ちよくしてやりたい。その表情が、声が、快感に甘く蕩けるまで、離してやるつもりはないから。
そんな想いを抱きつつ、唇を塞いだ。
2025/02/03公開
