秋らしさが深まり、肌寒くなってきた十月の後半。今日は朝から晩まで仕事が入っている日だ。通学する学生たちが寮から出払った頃、俺も仕事のために支度をして部屋を出る。
 階段を降りて廊下を歩いていると、キッチンの方から耳慣れた声が聞こえてきた。
「うーん、流石に多かったか。どうするかな……
 鬼龍の声だ。何か、困っているような。けれどそのあとすぐ、別の声が聞こえてきた。
「中身はなんでもアリっすよー!」
 声と口調から、椎名だと判断する。キッチンを覗いてみると、二人ともエプロンを身につけて何やら作っていたらしい。
「パイはおやつでも食事でもいけるし、何詰めてもいいっすからね。ハロウィンならアップルパイを林檎の形にしてドクロみたいな顔つけたら、毒林檎とか」
「あー、なるほど。いいかもしれねぇな」
「あとはクッキー型使うのも可愛いっすね」
 二人の邪魔をしては悪いかとも思ったが、挨拶くらいはすべきだろうと考えていると、鬼龍がこちらに気づいて顔をあげたのでそのまま声をかけた。
「おはよう。朝から賑やかだな」
「旦那か、おはよう。午前中は取材だったか?」
「ああ。鬼龍は実家に帰るのだったな。その準備か?」
「ま、そんなところだ」
 会話からして何かのパイを作っているようだが、俺にはわからない。まな板の上に広げられた生地と、あとはボウルや小さな鍋に中に入れる具材らしきものが入っている。
 それから、オーブンの中では今ちょうど焼かれているものがあるようで、動いている音が聞こえる。二人がこんな朝から作っているものが気になりはしたが、あまりのんびりしてもいられない。
「夜のラジオ収録は実家から直接向かうからよ。家出たら連絡する」
「わかった。またあとでな」
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃいっすー!」
 二人に見送られながら、俺は仕事へと向かった。



 午前中は雑誌の取材と写真撮影、午後からは今度出演するドラマの顔合わせ、夜はラジオ番組の収録、となかなか忙しい一日だった。特にトラブルもなく順調に進んだのが幸いか。
 ラジオの収録後、寮に戻ってくると、鬼龍から内緒話でもするように耳打ちされた。
「ちっと寮監室で待っててくれねぇか」
「かまわないが」
 言われた通り寮監室に入り、椅子に座って鬼龍を待つ。自室より簡易なものとはいえベッドもあるし、鬼龍が来ても座る場所はある。
 しばらくして、ノックの音が聞こえる。それから返事をする前に、扉が開いた。
 鬼龍は湯気の立つマグカップ二つと、大きさの同じ白い箱二つを机の上に置いた。
「これ旦那の分。朝に椎名と作ってたやつ」
「ああ、ありがとう」
 多少期待はしていたけれど、本当に貰えるとやっぱり嬉しい。鬼龍の作るものは美味しいから。しかも椎名と作っていたものなら尚更だろう。
 あけていいのか確認する前に、先に鬼龍が口を開く。
「その前に旦那、こっち」
 ベッドに腰掛けて、ぽんぽんと膝の上を叩いてくる。こっちに座れ、ということか?
「なんだ、一体」
 怪訝に思いながらも膝の上に座れば、背後からぎゅっと抱きしめられた。
「はぁー……、旦那は素直に来てくれるってのに。なあ聞いてくれよ」
 これは絶対妹さんのことだなと察する。鬼龍が仕事のこと以外で自分から何か話したがる時は、八割くらいは妹さんのことだしな。残りの二割は何か気に入るものが手に入ったとか、良い店を見つけたとか、ESのアイドルたちの話だとか。
「抱っこして歌ってやるって妹に言ったら、マジでうざいって蹴られたんだよ」
「何をしているんだ……
 妹さんの年齢を考えると、そんな幼児みたいな扱いされたら面白くないだろう。鬼龍には悪いが、どちらかというと妹さんの気持ちの方がわかる。
「いやまあ、そんなやんちゃな所も可愛いんだがよ、…………
 鬼龍が小さく、息を吐く。何かを言い淀むみたいに。俺に話を聞いて欲しくて呼んだのだと思っていたが、言っていいのか少しだけ迷っているのか、それとも言葉が上手くまとまらないのか。両方かもしれない。しばらくあー、とか、うー、とか唸るような声を出していたが、やがてぽつぽつと話し始めた。
「昔、俺が妹より全然小さいガキの頃にさ。母ちゃんが俺のこと抱っこして歌ってたんだ。なんか、お菓子が食べたい魔法使いの歌、みたいなやつ」
「月永が作った曲みたいになってるな」
 曲の名前は違うだろうが、なんだか覚えがある。小学生の頃に授業か音楽会か何かでやった気がする。
「で、それに出てくるパンプキンパイってのが気になって、母ちゃんに聞いてみたら作ってくれたんだよ。顔のついたカボチャのパイ。……それが美味かったの、思い出したから」
 ああ、それで朝から作っていたのか。妹さんにも教えてやりたかったんだな。お母さんとの思い出を。
「家から持ってきたレシピ本に載ってたけど、母ちゃんは多分生地から作ってるし、同じとはいかねぇんだけどさ。仕事でそんなに時間とれなかったから」
 その合間の時間でも、こうして今日作っていたのは、ハロウィンの前に帰れそうなタイミングが今日だけだったから、なのだろう。
「箱。あけてもいいか」
「おう」
 立ち上がって箱を手に取り、今度は鬼龍の隣に座る。あけてみればハロウィンらしい可愛い見た目のパイが所狭しと詰められていた。
「すごいな、どれだけ作ったんだ」
 感心していると、鬼龍が一つずつ箱の中身を説明してくれる。
「俺が作ってたのはパンプキンパイとミートパイだけど、椎名のおかげで色んなの作れたぜ」
 ジャック・オ・ランタンの形をしたパンプキンパイ、ミイラの見た目のミートパイ。それから、顔のついた毒林檎のアップルパイ、おばけの形のチーズカレーパイ、小さなサイズの型抜きされたものは、コウモリの型はチョコレートパイ、おばけ型はカスタードパイ。カレーとカスタードは椎名が作ったそうだ。
「椎名と二人で、なんか楽しくなっちまって結構作ったけど、色んな奴が貰ってくれてさ。パイシート買いすぎて余らせてどうしようかと思ってたの、材料費まで折半してくれたし、助かった」
 ずっと作っていたら、通りがかる者が次から次へとキッチンを覗いていったらしい。
 鬼龍と椎名が二人で料理してたら、みんな気になるだろう。俺だって時間があればと思ったくらいだ。
 来た人に片っ端からお裾分けし、鬼龍は実家に持っていく分の他は神崎と一緒に仕事だった乙狩、プロデューサーの分も含めて神崎に渡し、あとは椎名がユニット練習に持って行って昼までに消費しきったようだ。
 そしてこれが、最後の残り。自分用と、俺のためにとっておいてくれた分だという。鬼龍ももう一つの箱を取って蓋をあけた。
「な、蓮巳。一緒に食おうぜ。ちょっと遅い時間だけどよ、一個くらいならいいだろ」
 その為に紅茶まで淹れてきて準備も整えているのに、断る理由もない。
「そうだな、頂くとしよう」
 迷わずパンプキンパイを手に取る。片手に乗るくらいの、ジャック・オ・ランタンが笑っている。それを口に運んで、端からかじる。さくっとした食感と、甘いかぼちゃの風味が広がった。
「美味いぞ。優しい味がする」
「そっか」
 反応を窺うようにこちらを見ていた鬼龍が、安心したように笑った。心配しなくても料理の腕は信頼している。もちろんそれ以外の部分についてもだが。
「味見はしたけどさ。楽しみにしてたんだよ」
 鬼龍も同じく、パンプキンパイに齧り付いた。一口で半分くらいになったジャック・オ・ランタンをみて、思わず笑ってしまう。
「食うのが早いな」
「だってこんなサイズだし」
 片手くらいってそんなに小さくもない気がするが。幼い頃の鬼龍には、両手で掴むような大きなカボチャだったのかもしれない。
「残りは明日頂こう」
「うん」
 他のものも気になったが、時間も時間だ。これは部屋に持ち帰って、大事に頂くことにする。
 と、その時、鬼龍のスマホから通知音が鳴った。
「お、メッセージが」
 それを読んでいた鬼龍の表情が、柔らかくなる。愛しさの込められた優しい眼差し。
……はは、妹が珍しく素直に褒めてやがる。『おいしかった、また食べたい。お友達にもありがとうって伝えておいて』だってよ。やっぱりプロの料理は違うよな」
 それだけではないと思うが、たまに鈍感というか、自己評価が低いというか。
 鬼龍はスマホで文字を打ち始める。妹さんに返信しているのだろう。それから、椎名にも送っとこ、と独り言が聞こえた。打ち終わると、スマホをポケットに仕舞い込んだ。
「母ちゃんが俺に作ってくれたのとは全然違うと思うし、椎名の力も借りたけどさ。それでも、妹が喜んでくれてよかったよ」
「そうだな」
 でも、きっと何も違わないと思う。作った手順とか、そういうのは同じでなくても、鬼龍も、鬼龍のお母さんも、大事な家族に喜んで欲しくて作ったものだろう。妹さんだって、それが伝わってるんじゃないのか。他人様の家族に、俺が知ったようなこと言えるわけではないけれど。
 鬼龍のこういう、不器用な、でも愛情深い部分が好きで。好きなのに、胸がぎゅっとなる。上手く言葉にならない。触れたいのに、触れてはいけないような、そんな心の奥のやわい部分。
「今日は妹とあんまり居られないの分かってたし、あいつは多分父ちゃんと一緒に食うって言うだろうなと思ってよ」
 平日で妹さんは学校だ。帰ってから、鬼龍が仕事に向かうまでの時間だと、一緒に過ごすには短かっただろう。居ない間に家事とかそういうのを済ませて、少し話をして仕事に出てきたというところか。
「だから、ってわけじゃねぇんだけどさ。……俺は旦那と一緒に食いてぇなって思ってたから」
 さっきスマホに向けていた柔らかな表情が、そのまま俺に向けられる。伝わる感情は、恋人としてなのか、それとも家族のような相棒として、なのか。
 おまえは俺をそんな大事なところに置いてくれてるのか。包み込むような愛情だと感じる。なのに、なあ、胸が苦しい。
「そろそろ部屋に戻らねぇとな。俺も明日は朝から仕事だし」
「そうだな」
 空になったカップ二つと自分用の箱を持って部屋を出ようとする鬼龍を、引き留めるように背後から抱きつく。背中に顔を埋めるには身長が近すぎるから、肩にもたれるようにして。
「ありがとう、鬼龍」
 一番は妹さんの為だろうが、俺にもこうして大切な思い出を話して、愛情を分け与えてくれて。
「ったく、手が塞がってる時によ……
 鬼龍が苦笑する。けれど、わざとそうしたんだ。今は顔を見られたくないからな。だってこんなに、心臓がうるさいんだ。鏡なんて見なくても、自分がどんな顔をしているか、想像はつく。
「俺の方こそ礼を言うべきだろ。付き合ってくれてありがとな、旦那」
 頭にそっと頬をすり寄せられる。俺は答える代わりに、抱きしめる腕に力を込めた。
 あともう少し、鼓動が落ち着くまではこのままでいさせてくれ。……いつ落ち着くのかは、わからないけどな。

 2024/11/09公開