……というわけで鬼龍、諦めろ」
 無情な言葉とは裏腹に、蓮巳が満面の笑顔で告げてくる。いつもなら可愛いと思う恋人の笑顔も、このときばかりは小憎らしい。
 俺と蓮巳と神崎の三人で紅月の仕事の打ち合わせをした時に、今年の夏はES全体で高級リゾートでバカンスに行くということと、その詳細を蓮巳から伝えられた。それから、飛行機の貸し切りで移動になるという話の後に出てきたのが、さっきの言葉だ。
 沖縄の時は抵抗して船を出してもらったが――あれはあれで最悪だったけどよ――ごねたところでどうしようもない。わかっちゃいる、わかっちゃいるが憂鬱にはなる。楽しみより憂鬱が勝つのはどうにもしがたい。遠方の仕事でもなんでも、着けば楽しめるんだけどな。
 そんなこんなで出発当日、周りがみんな浮かれて楽しそうにしているなかで、俺は早々に飛行機の揺れにやられて最悪の気分だった。蓮巳が通路側、真ん中が神崎で、俺を窓際にしてくれたから、壁にもたれかかって、目を閉じてただひたすら耐える。もはや長距離移動時の俺のこの状態にもすっかり慣れた蓮巳と神崎は、二人で何やら楽しそうに話していた。その内容も聞こえはするが頭に入ってこない。まあ、心配してあれこれ世話焼かれるより放っておいてくれた方がいいけどな。いや、心配されてないわけでもねぇんだろうけど、構われるのもしんどい時があるっていうか、こういう時はなるべくそっとしておいてほしい。なんか迷惑かけてるとか格好悪いとか情けないとか考えちまって余計に気が滅入るし。
 ひたすら苦行のような時間を過ごして、着いた頃にはどれだけ経ってたのかわからねぇが、気分は悪いしもう喋る気力すらなくて歩くのが精一杯だった。それでもなんとか部屋まで辿り着いて、早々に近くのベッドに倒れ込んだ。
 横になってればそのうち治るだろうけど、まだ揺れてる感じがする。
「神崎、俺はミーティングに向かうが、いつまでかかるのかは分からん。荷物を片付けたら自由に出かけてかまわんぞ。カードキーはこれだ。持ち歩くのを忘れるな」
「承知した」
「鬼龍も。貴様のカードキーは封筒の上に置いておくからな」
「んー……
 一度横になってしまうと体を起こすどころか喋るのもしんどくて、返事代わりに手を振る。ちゃんと聞いてはいるんだ、という意思表示。適当な返事をするといつも怒るけど、流石にこういう時は大目に見てくれるだろう。
 蓮巳はミーティングのために早々に出ていったが、神崎は少しの間荷物の片付けをしていたらしい。っていうか俺の荷物まで運んでくれて、毎度申し訳なくもなるが……
「鬼龍殿、まだ顔色が悪いであるな」
 神崎が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。乗り物から降りたって、すぐ元気になるわけじゃねぇしな。
「鬼龍殿の荷物はこちらにまとめてある。我は出かけてくるので、ゆっくり休まれよ」
「おう……ありがとな……
 そう言って、サイドテーブルに水のペットボトルを置いていってくれた。優しい良い子だなぁ、神崎は。
 でも今はまだちょっと手を伸ばす元気もなくて、そのまま目を閉じた。



 少しの間、眠っていたようだった。なんか高級なホテルだからかベッドも柔らかくて寝心地がいいせいだろうか。時刻を確認すると、部屋に着いてから四十分程度経っていたらしい。寝てたらだいぶ気分も楽になった。
 体を起こして、サイドテーブルの水に手を伸ばす。すっかりぬるくなっていたけれど、すぐに飲めなかったのだからそれは仕方ない。半分ほど飲んで、残りは部屋に備え付けの冷蔵庫に入れておいた。後で飲めばいいだろう。
 このまま部屋にいても暇だし、せっかくなら俺も見てまわりたいしな。
 出かける前に蓮巳が言ってた封筒の上のカードキーを確認して、行き先を考える。これだけ経ってたらもうみんなどこかに出かけちまってるだろうし、一人で散歩でもするなら海の方に行きたいよな。海辺で走ってもいいし、ホテル内にトレーニングができる場所もあるっていうしな。乗り物の窮屈さから解放されたのだから、思いっきり体を動かしたい。
 どうせなら着替えを持って行って風呂に直行するか。そう決めて、持ち運び用の手提げ袋に着替えを詰め込んだ。



    *****



 海辺を歩いていると、ビーチバレーをしていたらしい天城と守沢の姿が見えた。
「鬼龍先輩!」
 手を振ってくる天城に、手を振り返す。守沢がボールを持ったままこっちに駆け寄ってきた。
「おお、鬼龍、体調は大丈夫か?」
「少し休んだらなんとか、な。ほんと……飛行機、嫌だ……
 げんなりして溜息をつく俺に、守沢が苦笑する。守沢とは一緒にパリにも行ったし沖縄でも一緒になったから、何も言わずとも今まで俺がどんな状態だったか察したんだろう。
「大丈夫そうなら鬼龍もどうだ? こういうのはみんなでやる方が楽しいしな」
「ん、そうだな、そうすっか」
 少し離れた所にパラソルがあって、そこに荷物を置く。守沢と天城もそこに持ってきたもの置いてたようだし。
「思いっきり体を動かしてぇからな。俺は一人でいいぜ」
「それじゃあ天城、俺とペアを組もう」
「先輩が相手でも手加減はしないよ!」
「おう、上等だぜ」
 一対二だと不利にはなるが、まあ、ただのお遊びだしな。学院時代のライブ対決みたいに、勝敗で何かが変わるわけでもない。いや、遊びでも勝負事な以上は手を抜くつもりはねぇが、楽しむためにやることだし、ペナルティとかない分、気は楽だ。
 そうしてしばらく、三人でビーチバレーをしていた。
 二人とも運動神経がいいから一人だと振り回されて大変だが、しっかりラリーが続く分かなりの運動になるし、丁度良いくらいだ。足場の不安定な砂の上だと、平らな地面より足腰が鍛えられる気がするし。
 どれくらい経ったのか、少し息が上がってあちこち砂だらけになり始めた頃。
「あっ」
 守沢が声をあげ、俺の後方に向かって大きく手を振り始めた。
「蓮巳!」
「蓮巳先輩!」
 守沢と天城の声に、俺も振り返る。蓮巳がこっちに向かってきてるようだった。建物側に背中向けてたから、二人が声をかけるまで気づかなかった。
「おう、旦那。一緒にやるか?」
「いや、俺は遠慮しておく。邪魔でなければ、見ていてもいいだろうか」
 蓮巳はこういうの、あんまり好きじゃなさそうだもんな。なんとなくそんな気はしてた。
 邪魔なんてことはないけど、あんまり近いと危ないだろうし、ゆっくりできるところの方がいいだろう。
「それならあそこに座ってるといいぜ」
 荷物を置いてある、パラソルの方を指差す。シートと椅子があるし日陰になってるから、休憩するには丁度よさそうな所。
 蓮巳は椅子に座ってじっとこっちを見ている。俺はそれに頷いて返した。見られてるんじゃ、疲れたなんて言ってらんねぇ。
「旦那の前で格好悪ぃ所は見せられねぇからなぁ。覚悟しろや守沢ぁ!」
 全力でいくぞ、と宣戦布告。
「ちょ、鬼龍、顔と台詞が完全に悪役……
 守沢は引きつった笑みを浮かべながらも、ボールを受け止めようとしっかり構えている。俺の顔が怖いのは元々だろ。まあ、守沢みたいな正義の味方ってガラでもねぇし、自分でも悪役の方が合ってるとは思うけどな。
 真っ直ぐ上にボールを放って、砂を蹴って飛び上がる。そして一番高い位置から、全力で振り下ろす。天城からは遠くて、守沢の取りにくい端の方に向かって。
「おわぁっ!」
 守沢は滑り込んでレシーブしようとしていたけれど、威力を殺しきれなかったらしい。跳ね返ったボールが遠くに飛んだ。守沢はそれを走って取ってくると、天城の方に投げた。
「すごいなぁ、愛の力だなぁ……。だがしかし! 正義の力も負けはしない、いくぞ、必殺☆」
 天城のトスに合わせて、守沢が高く飛ぶ。綺麗なフォームで打ち込まれる、真っ直ぐな球。
「甘いっ!」
 良い威力だけど真正面なら受けられる。それを打ち返すと、天城が拾った。
「守沢先輩、いくよ!」
「よーし、もう一回だ!」
「何度だって打ち返してやるぜ!」
 そうしてコートをボールが行き来する。なんか、つい、張り切っちまうな。勝負事に手を抜きたくねぇってのもあるけど、やっぱり、恋人の前では格好つけたくなるもんだ。
 そんなのをまた何回か繰り返す。勝負はなかなか白熱していた。
「っ、と……
 受け止め損ねたボールが転がって、それを追いかける。ふと顔を上げると、さっきまでいたはずの蓮巳の姿がない。
「あれ、旦那がいねぇ」
「部屋に戻ったのか?」
 思わず口に出すと、守沢が首を傾げた。
「それなら一言くらい言ってくと思うけどな」
 トイレとかか? つい夢中になっちまったから退屈だったかな。そんなことを考えていると、蓮巳の姿が見えた。
「あ、戻って来た」
 守沢と天城の視線が蓮巳の方に集まる。遠くから歩いてくる蓮巳の手には、ドリンクの乗ったトレーがあった。
「おまえたち、少しは休憩したらどうだ」
 そういえば全然休んでいなかった。夢中になってたけど、暑いし汗もかいてるんだから水分補給くらいはすべきだったな。
「わざわざ持ってきてくれたのか」
「喉が渇いたからな。ついでだ。向こうに屋台があったから適当に選んできた」
 そう言う蓮巳の手元を見ると、プラスチックの容器に入ったドリンクが四つ。中身は全て違うようだ。
「何があるんだ?」
 薄切りのレモンが乗った黄色のジュース、ベリー系の果実が乗った赤いジュース、オレンジの輪切りが乗っていて、オレンジジュースと紅茶が二層になっているのと、紅茶にカットフルーツが何種類か入ったもの。どれも洒落ているというか、SNS映えしそうな感じのやつだ。
「レモネードとミックスベリーのジュース、あとはオレンジティーとフルーツティーだな。俺はなんでもいいから好きに選べ」
「天城、先に選んでいいぞ」
 俺が言うと、天城は目を瞬かせた。
「僕が最初でいいのかい?」
「後輩が遠慮するな」
 守沢も笑顔で頷く。すると天城は手前のドリンクに手を伸ばした。
「では、僕はこのレモネードを頂くよ! ありがとう、蓮巳先輩」
「守沢は?」
「じゃあ、このベリージュースにしよう」
 レモンの好きな天城と、赤が好きな守沢は、予想する通りのものを選んだ。
 適当に選んだ、ねぇ。しっかりこいつらの好きそうなもの選んできたんじゃねぇか。つい笑いが零れる。なんだ、と蓮巳に肘で突かれた。こいつはよく人を見ているし、何でもない顔をして細やかな気遣いをしてくる。普段は止まらないくらい喋るくせに、こういうときだけ多くを言わない。真面目で、人が好きで、情に厚くて、世話焼きで。俺はこいつのこういう所が好きなんだ。素直じゃないとこも含めて。
 とはいえ、残りは分からない。二つともアイスティーベースのドリンクだけれど。
「で、俺はどっちなんだ?」
「どっちでもいいぞ」
 しれっと言い捨てられ、余計に迷う。答えはくれないらしい。迷った末に、オレンジティーを選ぶ。残ったフルーツティーを手にして、蓮巳も飲み始めた。
 動き回っていたから、冷たいドリンクが染みる。味も美味いし。
 半分ほど飲んだところで、蓮巳の方を見やる。そこまで減っていないのを見るに、俺が選んだ方は失敗だったのかと不安になる。
……逆のが良かったか?」
 蓮巳が顔を上げる。それから、ふっと口元を緩めた。
「まだ気にしていたのか。おまえもジュースよりはお茶の方がいいだろうなと思ったが、中身は迷ったからこの二つにしただけで、本当にどっちでも良かったんだ」
 あと、おまえが飲むのが早いだけだ。普通に美味いぞ。そう言ってストローで中身を掻き混ぜている。ダイス状にカットされたフルーツが、氷と一緒に紅茶の中でくるくるまわった。
「そうかよ」
 なら、いいんだけどさ。
「美味いよ、ありがとな」
……ん」
 飲み終わる頃には、空の色がほんの少し変わり始めていた。まだ明るいけれど、空の端がわずかに夕陽の色に染まっている。
「そろそろ引き上げて、風呂にでも行こうかと思ってたんだけどよ」
「砂だらけだからなぁ、このまま夕飯の会場には行けないしな」
 手で払い落としたくらいじゃどうにもならないくらい、服に砂が入り込んでいる。みんな似たようなものだろう。砂浜で動き回ったらこうなるよな。それを見越してすぐ風呂に行けるようにタオルとか着替えを持って出てきたわけだが。
「僕は部屋に戻るよ、ありがとう先輩たち」
 そう言う天城を見送って、改めて蓮巳の方に向き直る。
「旦那も一緒に行かねぇか?」
 スパ施設も充実してるようで、風呂やらサウナやら、何か色々とあるらしいし。蓮巳は砂で汚れてもいないだろうが、風呂なんていつ行ったって問題ないわけで。守沢とも付き合いは長いから、別に一緒でも抵抗はないだろう。
 そう考えて声を掛ければ、一瞬だけ目をまるくして、それから眼鏡のフレームに触れた。なんだよ、そんな誘ったくらいで驚くことないだろうに。仕事で泊まりの時だって、みんなで一緒に風呂くらい行くだろ。置いてくと思われたのかな、自分は関係ないって。そんなことないのに。別に断られたとしても怒らないけどよ。
 蓮巳は何事もなかったかのように話し出す。
「かまわないが、それなら俺は着替えを取りに戻らないといけないぞ。あと眼鏡を風呂用に替えなければ」
 あ、でも、来てくれるのか。よかった。少し安心した。さっきはつい夢中になって、ほったらかしたみたいになっちまったからな。
「それじゃ、俺たちは先に行って入り口で待ってるからよ。ゴミは俺が捨てとく」
 飲み終えた後のドリンクの容器をトレーにまとめて引き受けると、蓮巳は足早に建物の方へと向かっていった。そんなに急がなくても良いのに、俺と守沢を待たせないようにだろう。
 その背中を見送って、俺たちもゆっくり歩き出す。
「お風呂も楽しみだなぁ、種類も豊富みたいだし」
「守沢、風呂が広いからって泳ぐなよ」
「プールじゃないんだから流石にそんなことはしないぞ!? それに、もし泳いだりしたら蓮巳に説教されそうだ」
「ははっ、三時間は捕まるだろうな」
 そんな冗談を言い合って笑う。いや、守沢も真面目な奴だしヒーローの肩書き背負ってるんだから、そんなマナーのなってないことはしねぇの分かってるけど。蓮巳は……マジで説教するだろうな。
「鬼龍、なんだか嬉しそうだな」
「ん? んー、俺も浮かれてんのかもな」
 ESのアイドルたち全員いるとはいえ、こんな、普段絶対来られないような豪華な所に来て、友達や後輩、それに恋人もいて。二人きりじゃなくたって、一緒の時間を過ごせることが嬉しいんだ。
「まだ始まったばっかだけど、来れてよかったなって」
 ここで過ごす時間はきっと、一生記憶に残るだろう。同じ思い出を大事な相手と積み上げていける幸福を、ひっそりと噛みしめる。
 急いで部屋に帰っていった蓮巳は、今何を思ってるんだろう。あいつも、同じ気持ちでいてくれてたらいいんだけどな。



 ――その夜、いつの間にか蓮巳が撮っていたらしいビーチバレーの時の俺の写真を『見ろ神崎、格好良いだろう』なんて神崎に見せて、二人がかりで盛大に褒め殺しされる羽目になるのを、このときの俺はまだ知らない。

 2024/09/15公開