レジスタンス基地の奥にある一室、メディックであり、貴銃士たちを束ねるマスターと呼ばれる女性の部屋。柔らかなベッドの上、耳に届く衣擦れの音。
「ま、マスター? いったい、なに、を」
 動揺に震える声で、キセルは問いかける。わずかに後退るけれど、壁に阻まれてすぐに逃げ場を失った。
 下肢にかかる重みはマスターのもの。
「なにって……」
 いつもは自分が見下ろしている綺麗な顔が、自分に覆い被さるようにして近づいてくる。マスターの赤い唇が笑みを形作った。
「……分かるでしょう?」
 妖艶な空気をまとった彼女に、心臓が早鐘をうつ。彼女の細い指先が、つぅ、とキセルの唇をなぞった。
 視線をさまよわせるキセルは、視界の端にきらりと光る何かを捉えた。
 それは手のひらに収まるほどの大きさの小瓶だった。中身は空になっている。
 キセルは慌ててマスターを見上げるが、彼女はただ静かに微笑んでいるだけだった。

 

 遡ること半日前。その日キセルは単独の任務を終え、レジスタンス基地へと帰ってきた。煙管の隠し銃であるキセルは、同じく奇銃の仲間であるケインやカトラリーと同様に、潜入調査などの任務を受けることが多かった。
 キセルとしては汚れ仕事は自分の身に合っていると思っていたし、どんな役目であれマスターが自分を頼ってくれるのなら、それが何よりも嬉しかった。華々しい経歴や強さを持つ軍用銃の貴銃士たちが、この基地にはいっぱいいる。表立ってマスターを守り戦うのは、彼らに任せておけばいい。適材適所、という言葉もある。
 汚れ仕事だって、誰かがやらなければならないのなら、向いている者がやるべきだ。それに不満はない。
 ……その日キセルは、世界帝軍との繋がりが疑われるとある屋敷の調査をしていた。その帰り、もう朝に近い時刻になって、情報を得られないかと馴染みの娼館に立ち寄った。そこにはレジスタンスの協力者の女性が、娼婦として働いている。
 その建物を見上げ、キセルはかけていたサングラスを外した。それから一度深呼吸をして、あたりを見回す。周りに誰もいない、というのを確認してから、娼館へと足を踏み入れた。
 サングラスをしていない普段のキセルは、一見すると気弱そうな、地味な青年に見えるだろう。そんな青年が、人目を気にするようにコソコソと娼館に入って行く姿は珍しいものでもない。サングラスを掛けた堂々とした姿の彼よりも、素のキセルの方がこういった場所に入るのは都合がいいのだ。
 いつもと同じ女性―レジスタンスの協力者の情報屋だ―を指名して、部屋へと通される。
 決して広くはない部屋に、大きめのベッド。けれど防音が行き届いているから密談にはもってこいだ。
「あら、いらっしゃい」
 微笑まれ、キセルはぺこりと頭を下げる。
 胸元や太腿が開いた、薄い布地の衣装を身にまとう女性は、キセルにベッドに座るように促すと、自分も隣に座った。
 部屋の用途が用途なので、落ち着いて話せる場所も他にない。
 キセルはサングラスをかけて用件を切り出す。
 ……彼女はレジスタンス基地の者以外で、キセルの性質を知る数少ない人物でもある。
 キセルが調査していた周辺のことや、最近の街の様子や何か新しい情報がないか、一通り情報を交換し終えると、女性はよく冷えた茶を出してくれた。グラスを受け取ると、キセルは水差しの置かれたサイドボードに目を向けた。一瞬サングラスをずらして確認したが、薄いピンク色の液体が入った小さな瓶は、一月ほど前に来た時にはなかったはずだ。
 香水のようにも見えたが、わざわざ私室ではなく客を通すこの部屋に置いてあるということは、仕事で使うものなのだろうか。ふと、気になって訊いてみた。
「その小瓶は?」
「あぁ、これ? 媚薬よ、び・や・く」
 悪戯っぽく笑う女性に、キセルは、はぁ、と曖昧な声をあげた。
「なんだか最近街でも流行ってるみたいなのよねぇ。効くっていう子もいるけど、私にはイマイチ」
 小瓶を手の上で弄びながら女性は語る。手の動きにあわせて、中の液体が揺れている。
「欲しいなら一本あげるわよ」
 手渡された小瓶を受け取り、キセルは首を傾げた。
「……危険はねぇのか?」
「んー、副作用とかは聞いたことないわね」
「念の為、調べて貰うとするか」
 ただの一般的な商品の流行ならば良いが、最近急に流行りだしたのならば、そこに何らかの世界帝軍の意図や仕掛けがないとも言い切れない。怪しげな実験を好む貴銃士がいるのは知っている。礼を告げ、キセルは娼館をあとにした。

 

 基地に戻ってからまずは、マスターと恭遠に任務の報告だ。
 作戦室で、仕入れた情報を余すことなく伝える。
「ありがとうキセル、助かるよ」
「任務お疲れさまでした。ゆっくり休んでください」
 マスターからの労いの言葉を受け、キセルはわずかに口元を緩める。
 そして仕舞い込んでいた小瓶の存在を思い出し、マスターに問いかけた。
「なぁ、マスター。媚薬なんてモンは本当にあるのか?」
「媚薬ですか」
 怪訝そうな彼女に、話の切り出しが唐突すぎたか、と反省する。
 娼館で聞いた話を伝え、貰ってきたその小瓶を机に置いた。
「そうですね……」
 マスターは自分のポーチから小さな箱を取り出した。
「これ、食べてみてください」
 箱の中にある茶色の粒を、怪訝に思いながらも言われた通り口に放り込む。
「チョコレート、だよな」
「媚薬です」
「なっ」
 キセルが動揺の声をあげ、恭遠がぎょっとした顔でこちらを見ている。
「昔は媚薬として使われていたんですよ。でも、いつも普通に食べていますよね」
「まぁ、そうだな」
「配合は昔のものと全く同じではないですが、食べたからって変な気分になったりはしないでしょう?」
 キセルは頷いた。むしろ甘さで気分が軽くなったり、ほっとしたりする。
「気分を高揚させる効果がある、という説もありますが。ほとんどは思いこみ……プラセボ効果というものですね」
 口の中でとろけていく甘さを感じながら、キセルはマスターの話に耳を傾ける。
「この媚薬もそうじゃないでしょうか。見たところ、変な物は入っていないようですし……」
 瓶の裏のラベルを見ながら言う。滋養強壮に効きそうなものが多少入っているだけで、ほとんどジュースに近いものらしい。記されているメーカーも一般の会社のようだ。
「危険がないなら良いんだ。手間かけさせて悪かったなァ」
「些細な情報でも、報告してくれた方が助かるよ」
「何があるか分かりませんからね。せっかく持ち帰ってくれたのだし、念のため調べてみます」
 メディックとしての好奇心だろうか。心なしか、マスターの顔には楽しそうな色が浮かんでいた。
 そうして報告を終えたキセルは、一度自室に戻ることにした。
 夜通し調査をしていたから、さすがに眠気がさしてきた。もう昼になってしまったが、シャワーを浴びて、夜まで一眠りしよう。今の時間ならシャワー室も空いているだろう。キセルは着替えを手に、ふらつく足取りで部屋を出た。

 

「あ、キセルさん」
「どうしたの、マスター」
 食堂の隅の席でひっそりと食事をとっていると、マスターに呼び止められた。人が多く、酒を飲む者もおり一日の中でも一番賑わうこの時間。ケインやカトラリーがいれば一緒に食べることもあるが、二人とも別々の任務で今日は戻らない。なので一人、目立たないように隅で食事をしていたのだが、この人の多い中でもマスターは見つけだしてくれたらしい。
 マスターはキセルの側に寄ると、彼にだけ聞こえるくらいの声で告げた。
「あとで部屋に来てくださいますか」
「えっ?」
「先程の件で、ご報告を」
 内緒話でもするように、自らの唇に人差し指をあててマスターは微笑む。
 わざわざ部屋に呼ぶなんて、と一瞬ドキっとする。けれど、あまり人前で堂々とする話でもないのは確かだ。ここには、ニコラやノエルのようなまだ幼い貴銃士もいる。
「分かった……話、聞きに行くね」
 本来ならばあまり遅い時間に女性の部屋を訪ねるものではないけれど、薬についての報告を聞くだけだ。物が物だけに、あまり人の耳に入れたくないのかもしれない。持ち込んだのは自分なのだから、言われた通り行くのが筋だろう。
「ありがとうございます」
 そうしてマスターは、食事を取りに厨房の方へ消えていった。
 それを見送って、キセルは食べかけの食事に再び箸をつけた。

 

 マスターの食事が終わって部屋に戻っただろう頃合いを見計らって、キセルは宿舎の奥へと進んで行った。扉をノックし、返事を待って部屋に入る。
「マスター……お待たせ……」
 部屋に入るが、マスターの姿が見あたらない。扉を開けたのはマスターなのだから、いないはずはないのに。
 二歩、三歩と中へ進むと、扉が閉まる音と次いで鍵のかかる音がした。
「……っ?」
 マスターは扉の裏側にいたらしい。けれど、なんの為に。
「……キセルさん」
 視線が合うと、マスターは唇の端をつり上げた。
 何か様子がおかしい。キセルは警戒心を強くする。目の前にいるのは間違いなくマスターだ。それは断言できる。けれどいつもと違う。紅潮した頬、焦点の定まらない瞳、荒い呼吸。
 ふらふらとした足取りで、自分の方へと近づいてくる。そして。
 突き飛ばすような勢いで、全身の体重を乗せキセルの方へと勢いよく倒れ込んでくる。そのままマスターの身体を抱き留めてベッドに転がり、ようやく状況を理解した。
 ちがう、これは。押し倒されたのだ、と。
 相手が彼女でなければ強引に押し退けている所だが、目の前にいるのは誰よりも大事なマスターだ。力で跳ね退けるのも躊躇われた。
「ま、マスター? いったい、なに、を」
 動揺に震える声で、キセルは問いかける。わずかに後退るけれど、壁に阻まれてすぐに逃げ場を失った。
「なにって……」
 いつもは自分が見下ろしている綺麗な顔が、自分に覆い被さるようにして近づいてくる。マスターの赤い唇が笑みを形作った。
「……分かるでしょう?」
 妖艶な空気をまとった彼女に、心臓が早鐘をうつ。彼女の細い指先が、つぅ、とキセルの唇をなぞった。
 視線をさまよわせるキセルは、視界の端にきらりと光る何かを捉えた。
 それは手のひらに収まるほどの大きさの小瓶だった。中身は空になっている。
 キセルは慌ててマスターを見上げるが、彼女はただ静かに微笑んでいるだけだった。
 飲んだのか、あの中身を。でも、あれは何の効果もないんじゃなかったのか。それとも、本物の媚薬だったとでも言うのか。
「マスター、……っ!」
 不意に唇に触れた柔らかな感触に、キセルは目を見開いた。唇を割り開いて、ぬるりと舌が入り込んでくる。
「ふ、……」
 口付けられているのだと、頭では理解している。けれど感情が追いつかない。
 俺なんかが、マスターと、こんなこと。どうしよう、止めないと。
 でも、拒否したらマスターを傷付けるんじゃ。
「はっ……ねぇ、マスター、おちついて、……んぅ」
 再び唇を塞がれ、口腔内に舌を這わされる。
 マスターは薬でおかしくなってるだけで、きっと俺のことなんてなんとも思ってないのに。でも。
「ん、ぁ……」
 応えるように舌を絡めると、マスターの肩がびく、と跳ねた。
 夢みたいだ、と思った。だってマスターにはずっと焦がれていた。マスターが望むなら壊れたって構わない、と思うほどに。
 恋人同士がするような口付けに、しばし酔う。
 ……密着する柔らかな身体、甘い匂い。くらくらする。おかしくなってしまいそうだ。
 胸元に触れる感触に、キセルははっと我に返る。
 細い指先がシャツのボタンを外していた。つぅ、と素肌を撫でて、腰の方まで滑らされる。
「う、ぁ……」
 ズボンの上から硬く形を成したそこを撫でられ、キセルは身を震わせた。
「もう、こんなに……」
 マスターはうっとりと呟くと、ベルトを外して服をくつろげ、それを取り出した。
 陶然と舌を這わせて、口に含む。
「だ、めだよ、マスター……きたない、から」
 指と舌で施される愛撫に、段々と息があがってくる。誰かに触れられたのは、初めてだった。
「すごい、かたくて……こっちも、ぱんぱん」
「だって、マスターが、さわる、から……」
 血管が浮き出るほど膨張した雄芯からその下の双袋まで、マスターは隅々まで確かめるように触れていく。
 そして自らのスカートの下に手を差し入れ、自身の下着を片足から外した。
「っ……」
 何をされるか分からないほど無知ではない。貴銃士として人と同じような身を得てから、実際に経験したことはないけれど、知識はある。
 マスターがゆっくりと、その熱塊に腰を落としていく。
 衣服越しでそこは見えないけれど、見るまでもなくどうなっているのか分かる。今まで味わったことのない強烈な感覚に、喉奥から漏れそうな声を抑えるのに精一杯だった。
 熱く濡れた肉壁に包まれ、与えられる快感に意識を持って行かれそうになる。唇を噛みしめて耐えていると、柔らかく唇を重ねられた。
「キセル、さん……」
 熱の籠もった瞳、極上の蜜のように甘い声。
 自分の上で息を乱しながら腰を振る女性は、いつも聖母のように優しく皆を癒すマスターとは、別人のようだった。
 なのに、昂揚させられる。
「我慢、しなくて……いいんです、よ」
 強く抱き寄せられ、耳元に落とし込まれる甘美な誘惑。同時に腰に脚を絡められて、ぞわぞわと肌が粟立った。こみ上げる射精感に慌てて制止の声をあげる、けれど。
「ぁ、あ、まって、マスター、ますたぁ、っ……」
 いくらなんでも、これ以上はまずい。
 けれど逃れようにも体重を掛けられ、脚を絡められてはどうしようもない。
「一緒にっ、気持ちよく、なって、ください」
「っう、ぁ……」
 マスターに縋りつくようにして、キセルは強く目を閉じた。耐えきれず彼女の中に精を吐き出して、荒い呼吸を繰りかえす。
「あ、なか、いっぱい……」
 恍惚と呟く声が、やけに遠く聞こえた。とんでもないことをしてしまった。
 熱は急激に引いて、今や冷たいくらいだ。思わず泣きそうになっていると、宥めるように額に口付けられた。
(……?)
 沸き上がった些細な違和感は、口付けに飲み込まれた。
「ねぇ、もっと、愉しみましょう?」
 反論する隙もなく、再び快楽へと誘われ……気付けば朝が近づいていた。

 

 ほんのわずかな時間、マスターは意識を飛ばしていた。眠るマスターをぼんやりと見つめながら、キセルは先程のことを考えていた。
 どうして、こんなことになったのか、その答えを。
「あ……マスター、大丈夫?」
 目が覚めたらしいマスターに、声を掛ける。
「え、えぇ……」
 どこかぎこちない態度で、マスターは答えた。
 この状況を、覚えていないということはないだろう。キセルは確信していた。
「……ねぇ、マスター」
 正気に戻ったマスターが、後悔していたらどうしよう、と最初は考えていた。けれど、それにしては違和感があった。その違和感の正体を探っているうちに、一つの答えにたどり着いた。
「違ってたら……ごめんね」
 そう前置きをしてから、キセルはマスターに問いかける。
「本当は、あの薬のせいじゃ、ないんでしょ……?」
 マスターは答えなかった。それが何よりも事実を雄弁に語っている。
 でも、分からなかった。正気だったのならばなぜ、薬のせいに見せかけてまでこんなことをしたのか。マスターだって一人の人間で、大人の女性だ。女性にだって性欲くらい存在するのは分かっているが、そんな理由とも思えなかった。それならそれで、わざわざキセルを呼びつけなくても、他にふさわしい相手はいるように思えた。
「私、妬いたんです」
 マスターの言葉が一瞬理解できず、ぱちりと目を瞬かせる。
「キセルさんが娼館に行くのは、お仕事だって分かってます。それに、みんなが誰かとそういうことをしても、私には咎める権利はありません」
 マスターは目を伏せ、溜息を吐く。
「でも……その相手の方がうらやましくて。だから、薬のせいにして……一度だけでも、と……」
「マスター、それって」
「本当はずっと考えてました。だからチャンスだと思ったんです。私も好きな人に……抱かれてみたかった。……最低ですよね、こんな、嘘をついてまで、強引に」
 自嘲を浮かべるマスターの言葉が、ふわふわと現実感なく漂っていく。
 マスターはなんと言った? 好きな人?
 この流れで誰を指すのか、それはつまり……。
 信じられない。けれどこんな時にまで嘘を吐くような人ではない。何より、これで辻褄もあう。
「こんな私は嫌いになりましたか?」
「俺がマスターのこと、嫌うなんて、ありえないよ」
 それだけは誓って言える。どんなマスターの姿だって、嫌いになんてなるはずがない。
「……マスターが俺を選んでくれて、嬉しかったし」
 少し、いやかなり、驚きはしたけれど。
「俺……誰とも、こんなことしてないよ」
 その言葉に、マスターは目をみはり……それから顔を真っ赤に染めた。誘いを受けたことはあるが、応えたことはない。それはマスターの誤解だ。
 ……嫉妬する必要なんて、本当は初めからなかったのだ。
「ねぇ、マスター……。いつでも、俺のこと、使って、ね」
 顔を隠してしまったマスターを抱き寄せ、キセルは心から嬉しそうに笑った。

 

 2020/01/19公開

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