モストロ・ラウンジの閉店後。VIPルームで売り上げの計算をしていたアズールは、小さく唸った。
「おや、売り上げが思わしくなかったのですか? 客入りは良いように思いましたが」
「数値は良いですよ。いつも以上に」
 稼げたというのに浮かない顔をしているアズールに、ジェイドは怪訝そうに首を傾げた。
「監督生さんがシフトに入っている日は伸びます。彼女のおかげでしょうね」
 アズールはやはり浮かない顔で、溜息をついた。
「彼女が、この学園唯一の女性だと知れ渡って来ましたからねぇ」
「こうなることが予想できたから、ずっと男のふりをしていたんでしょうけど」
 騒ぎに巻き込まれることが多いせいか、有名になった分秘密も漏れ広がっていってしまった。そして、彼女が時々働いてくれているモストロ・ラウンジでも、客が増えたのは歓迎すべきことだが、頭を悩ませることも増えてしまった。
「小エビちゃん、よく話しかけられてるよねぇ」
 フロイドが面倒くさそうに頭を掻いた。
「二人とも彼女がいるときは気を配ってください。万が一、彼女に不埒な真似を働こうという輩がいたら、しっかり『情報』をつかんでくださいね。その他の対処はお前たちの裁量にお任せします」
 つまるところ、『弱みを握って締めあげていい』というアズール直々の許可である。
「はい」
「はーい」
 二人の声が重なった。その顔は心底楽しそうだった。
「以前の僕だったら、彼女を利用して稼ぎに繋げようとしたでしょうが。危険を増やすのは流石にできませんね」
「本心は」
「僕が嫌だ」
 バン、と机を叩き、言い放つ。ジェイドはいつも通りの笑みを浮かべている。
「素直で結構。僕たちもなるべく気を配りますが、厄介ごとが増えそうなら、もう少し対応を考えなければなりませんね」
「小エビちゃん、いーっぱい働いてくれるから、辞めちゃったらやだなー」
「そうならないようにするのが僕たちの仕事です。よろしくお願いしますよ」
 売り上げを記録していたノートを閉じ、アズールは立ち上がった。
「あぁ、明日は僕も出ます。試したいことがあるので」
 そう言って、アズールは笑った。

 翌日。開店前のモストロ・ラウンジ。
 アルバイトの生徒たちがちらほらと更衣室に入り始めた頃。制服から寮服に着替えてVIPルームへと向かったジェイドとフロイドは、扉を開けてぽかんと目を丸くした。
 そこにいたのはアズール、のはずなのだが。
「あぁ、二人とも」
 聞こえる声はいつもより高い。鈴のなるような可愛らしい声。
「えぇー……」
 フロイドが言葉を失った。ジェイドも黙り込んで目を瞬かせている。
 目の前にいるアズールは、いつもよりずっと小さい。高い声、ボリュームのある胸元、柔らかそうな腰回り。完全に女性の姿だった。
「監督生さんが利用できないのなら、自分でやればいい」
「……なかなか捨て身ですね、アズール」
「女性がいるだけで売り上げが増えるというなら、利用しない手はないでしょう」
 変身薬に調整を加えて性別を変えることくらい、アズールにはたやすいだろう。元々が整った容姿の持ち主だ。女性になっても見目の良さは変わらない。
 身に着けているのは寮服ではなく、ふわりと裾の広がるロング丈のワンピース、白いエプロン。いわゆる、メイド服に近い恰好だ。露出は少ないが、胸の大きさははっきりとわかる。思春期の男子が引き付けられないわけがない! と確信した格好だ。それわざわざ用意したんですね、とは、ジェイドは口にしなかった。
 フロイドはアズールの顔を見たまま、何やら考えこんでいた。
「なんかさぁ、すっげー見たことある感じ」
「アズールのお母様にそっくりですね」
「言わないでください……」
 母親に瓜二つの姿を商売に使うのは、多少なりとも気が引けるらしい。
「まぁ、元が僕だとわかっていても、この容貌なら十分に客引きができるでしょう」
 淡い銀糸の髪、同じ色の長い睫毛。眼鏡の奥には海を映したような色の瞳。滑らかな白い肌に桜貝のような頬と唇。かなり大きい方であろう胸と、女性らしい身体。アズールが人間の女性として生まれていたらこんな感じだっただろう姿。
「今日は監督生さんもお休みですから。彼女がいない日は、これで」
 アズールが言いかけた時、不意に扉がノックされた。
 それから間をおかずに、扉の開く音。
「すみません、シフトの相談を……」
「監督生さん!? 今日はお休みだったはずじゃ」
 アズールは思わず声をあげてしまい、あっ、と口をつぐんだ。
 監督生と、ばっちりと目が合う。双子は何も言わず、二人の成り行きをただ見守っている。
「いや、あの、これは……決して僕の趣味とかそういうわけでなく……」
 しどろもどろになりながら、言い訳を始めるアズール。
 監督生は、きょとんとした顔でアズールを見つめていたが、やがてキラキラと目を輝かせ始めた。
「可愛い!」
「えっ」
「先輩は綺麗な顔してるから、女の子だったら絶対美人だっただろうなって思ってたんですよね! まさか本当に見られるなんて」
「あの、監督生さん」
「お洋服も素敵ですね。よく似合ってます」
「ありがとう、ございます」
 監督生の勢いに押されて固まっていたアズールだったが、手放しで褒められて顔が真っ赤になっている。
「ところでなぜそんな格好を?」
 今更のような質問に、アズールは曖昧に笑った。
「これで店に出ようかと」
「えっダメです! そんな可愛いのに店に出たら、狙われちゃうじゃないですか!」
 監督生はつかつかとアズールの元に歩み寄り、彼――今は彼女――の手を握った。
「戻るまで私が先輩を買い上げます。カードならここに」
 そう言って出してきたのはモストロ・ラウンジのポイントカードだ。そういえば休みの日にもせっせと通っていた。中を確認すると、しっかりとポイントは貯まっている。
「っ、確かに」
「今日一日、私といてくれますね?」
「はい……」
 アズールが真っ赤になって頷くと、監督生は満足気な顔をしていた。

 離れて見ていた二人のことなど、忘れ去られたような空気。
 フロイドは、ぽつりと呟く。
「ジェイド、なにこれ」
「茶番、っていうんですよ、フロイド」
 にこにこと、普段通りに見える笑顔でジェイドは答えた。
 そして、そっと部屋を退出する。
 後日アズールは、双子にしっかりと欠員分の労働対価を要求されることになるが、それはまた別のお話。

 2020/05/23公開

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