近頃、学園内で流れる妙な噂。突然閉じ込められ、指定された課題を達成しないと出られない、不思議な部屋が存在するという。
 魔法の気配を感じる部屋、外に繋がっていそうな扉には簡単に開きそうにない鍵。
 寮長の個室程度の広さがある部屋には、テーブルと椅子が一組、それからベッドとサイドチェスト。トイレとシャワー、簡易キッチンまで備えられていて、滞在するのに困らない程度の設備が整えられている。
 気がついた時にはこの部屋に閉じ込められていた。オンボロ寮の監督生と共に。

 

「……めんどくせぇ」
 うんざりした顔で髪を掻き上げ、レオナ・キングスカラーは唸り声を上げた。
「す、すみません」
 なぜか監督生が謝ってきた。自分と同じく巻き込まれただけだろうに、なんでこいつが謝るんだか。
 部屋を見渡せば、整えられたベッドがある。実家どころか寮のベッドよりも小さいし固そうだが、ないよりマシだ。
「俺は寝る」
「えっ、ちょっと、えぇぇ……」
 戸惑いの声を無視して、ベッドに転がる。天井は部屋の中央の照明以外は真っ白だ。見ていても何もなさそうなので、そのまま目を閉じた。
 監督生は一人で部屋の中をあれこれ物色し始めた。脱出手段を探しているのだろう。風呂やトイレへ行ってみたり、サイドチェストやキッチンの引き出しを開けてみたり、鍵のかかった扉を一生懸命叩いてみたり。目を閉じていても、動く気配と音で分かる。
 自分が何もしないのは、それが無駄だと知っているからだ。噂に聞いていた通りならば、数分で『それ』が現れるはずだと。
 扉との格闘を諦めたのか、監督生が戻って来た。そして。
「あれ、なんだろうこれ」
 テーブルに近づき、一枚の紙を拾い上げた。最初に見た時にはなかったから、時間が経って現れたのは確かだ。噂の通りだった。起き上がってベッドに腰掛け、監督生の様子をうかがう。
「…………」
 長い沈黙。心なしか肩が震えている。
「なんだ、監督生。そんなに難しいことが書いてあったのか?」
 挑発するように言ってやれば、振り返ってこちらに紙を見せてきた。
 少し離れているが、レオナには十分読めた。
『どちらかが相手を拘束すること。十分以内に実行してください』
「あ?」
 思わず低い声を上げると、監督生が竦み上がった。
「おっ、大人しく縛られますからぁ~……」
 泣き出しそうな顔で言われて盛大に溜め息を吐く。
「俺が女を縛るなんて真似するわけねぇだろ」
「しないんですか!?」
 完全に自分が縛られると思い込んでいたのだろう、驚愕を隠しもせず叫んでくる。
「あのなぁ。俺をなんだと思ってるんだ?」
 にらみつけてやると、監督生は小さな悲鳴をあげた。
「簀巻きにして転がしてそのまま捨てられるのかと」
「……そういうプレイをお望みなら別だがな」
「滅相もないです」
 ま、コイツが男だったら今言ったように、縛って転がして放っておいたが。野郎相手なら、この俺が縛られてやる筋合いはない。
 だが、こんな男みたいな見た目でも、監督生は女だ。小さくて細くてすぐ折れそうな草食動物、縛りつけたりなんてしたらそれだけで心臓が止まりそうなほど弱っちく見えるのに。
 監督生はほっと胸をなで下ろした。けれど、問題はこれで終わってはいないのだ。
「じゃぁさっさとやれ」
「何をですか?」
 それ、と紙をあごで示してやる。『どちらかが相手を拘束する』が鍵の開く条件だ。
 監督生を拘束できないのなら、自分が拘束されるしかない。
「レオナ先輩を!?」
「当たり前だろ。他に誰がいるんだ」
「無理ですよぉ……あとで何されるか分かんないのに」
「やっぱり簀巻きにしてやろうか」
「ひぇっ……」
 凄んでやれば、泣きそうな声でぶるぶると首を振った。
「ま、達成できなかったらどうなるかは知らねぇが。出られないってんならそれでも構わないぜ、俺は」
「それは……困ります」
 うつむいている監督生に、片手を差し出してやる。かなり時間を消費してしまった。実行するまでの残り時間はかなり減っているだろう。
「俺が良いって言ってるんだ。遠慮する必要ないだろ」
 覚悟を決めたように、監督生はベッドに近づいてきた。サイドチェストの引き出しをあけ、一本のロープを取り出す。さっきあけたときに見つけたのだろう。まったく、用意周到な部屋だ。
 ベッドの上に座ったまま、じっと反応を待つ。
 ロープを握りしめ、監督生は近づいてきた。
「失礼します……」
 消え入りそうな声でそう言って、監督生は手を取ってきた。両手首を重ねるように動かして、そこにロープをかけてくる。
 拘束、というだけで細かい指定はないのだから、手首だけでも問題はないのだろう、おそらく。
 ぐるぐると巻き付け、端を縛ろうとする。
「おいおい、こんなんじゃ拘束にはならねぇだろ。すぐ解けちまうぜ」
 そう言いながら手首を動かして見せると、簡単に緩んでしまった。
「でも……」
 この後に及んでまだためらうのか。まったく、妙に思い切りがいいかと思えば、こんなくだらないことで迷う。草食動物の考えはよくわからない。
「ちゃんと縛り付けておかないと、お前を喰っちまうかもしれねぇぞ?」
 挑発的に笑み、喉を鳴らしてやれば、びくりと肩を竦めた。
 あんまり怯えられると、本当に捕って喰っちまいたくなってくる。肉食獣としてではなく、雄として。
 この部屋には二人きりだ。邪魔するやつもいない。
 その眼に俺だけを映させて、泣かせて、啼かせて、暴いて、支配してやりたい。
 ……なんてな。
 一瞬沸いた妄想を、馬鹿馬鹿しいと自分で一蹴する。
 もし本当にそんなことをしたら、騒がれて面倒な思いをするだけだろう。脅しに使うくらいで十分だ。
「ほら、喰われたくなかったらさっさと手を動かせ」
 そうすると、今度は言われた通り、少し強めに手首に巻きつけてきた。動きを固定するようにキツくしめられれば、ロープが皮膚に直接食い込んだが、どうということはない。
「これで、どうでしょう」
 顔色をうかがうように見上げてくる。手を動かしてみたが、簡単に解けそうにはなかった。
「まぁ、良いんじゃねぇか」
 草食動物にしちゃ上出来だ。口の端をつり上げると、監督生の顔が赤く染まった。
「なんだよ」
「いえ、なんか……」
 ごにょごにょと言い淀んでいたが、耳も良い自分にははっきり聞こえた。えっちだな、って。確かにそう言っていた。けれど、聞こえなかった振りをして少しからかってやることにする。
「なに考えてんだ? そんなに真っ赤な顔して」
 ゆっくり立ち上がり、耳元に顔を近づけて問いかける。
「あ、あの、レオナ先輩」
 その耳たぶに齧り付いてやろうか。と、口を開いた瞬間。
 硝子の割れるような派手な音が響き渡った。
 鍵が壊れたのだと、すぐに理解はしたが。タイミング悪すぎるだろう。
「さて、と。さっさと出るぞ」
 これから面白くなりそうだったのに、興がそがれてしまった。
「待ってください、今ほどきます!」
 監督生が慌てて手を伸ばしてきたが、言い終わるよりも先に、片手を上げて見せる。
 ロープは扉が開いた瞬間に魔法で砂に変えてやった。
「お前みたいな貧弱な生き物に、そう縛り付けられてたまるか」
 監督生は顔を見上げて、それから視線を落とした。手首に触れ、小さな手でそっと擦ってくる。触れる手のひらは、柔らかくて、温かい。
「痛く、ないですか」
「そんなヤワじゃねぇよ」
「なら良いんですけど」
 さっきまで怯えていたのが嘘のように、緊張感のない間の抜けた笑顔を浮かべている。
 本当によく分からない奴だ。
「……ここでのことは、俺たちだけの秘密だ」
 声を低めてそう囁いてやれば、監督生は笑顔のまま赤くなって固まった。
 向こうも意識してるんなら都合がいい。
「口外したら、その時は喰われると思えよ、監督生」
 言葉もなく、こくこくと頷いてくる。
 無意識に尻尾が揺れる。愉しい気分だった。

2020/05/22公開

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