涼やかな風が通り抜ける。少し肌寒いくらいの外気も、室内の、しかもベッドの中にいれば気にならなかった。明るい天井を見つめたまま、監督生は小さな身体を強ばらせていた。
 ここはオンボロ寮の自室ではない。サバナクロー寮の、寮長レオナの部屋だった。監督生はレオナに腕を回され足をかけられ、がっちりと抱え込まれて、抱き枕のような格好になっている。すぐ真横から聞こえる寝息は心地良さそうだった。眠っているのは間違いないが、これで警戒心が強い彼は、あまり身動きすると起きてしまう。
 なぜだか昼寝に付き合わされるようになって、何日が経っただろうか。毎日ではないけれど、こうして部屋に招かれては、抱きしめられて眠っている。いや、眠っているのはレオナだけで、とても自分は安心して眠れる状態ではないけれど。こうやって固まったまま、レオナの気が済むまで、つまり起きるまで緊張したまま過ごしている。
 密着する体温は温かい。力強くしめられているわけでもない。しかし年若い男女が一つベッドの上で、しかも言葉通り猛獣のような彼と共に、というのは。いつ食われるのかと――どちらかというと男女の話よりは、丸かじりされて餌にでもなりそうな恐怖の方で――冷や冷やしていたが、何日経ってもそれ以上のことはなかった。自分が女だということは、レオナは知っている。今はいないが、レオナの元にいるラギーもだ。他にも何人かは知っているが、その話は置いておく。
 監督生はいつも、部屋に来て、飲み物や菓子を振る舞われて、他愛のない近況を訊かれて、レオナが飽きたら添い寝している。それだけだ。
 意味は分からなかったが、監督生に断る選択肢もなかった。別に脅されているわけでもないし、用事があればそちらを優先するけれど、なんとなく放っておけない気にさせられるのだ。前に断った時に、不機嫌そうな表情の中に、寂しそうな色を見つけてしまったからかもしれない。それはひとりぼっちにされた子供のような……側にいてあげたくなるような、そんな寂しさだった。
 と、それは自分が感じたことであって、レオナが今まで一言として寂しいなど口にしたことはないし、寂しいんですか、なんて訊いたらドスの効いた声が返ってくるのだろう。
 ちらりと横目で、眠っている彼の顔を見る。
 褐色の肌、野性味のある男らしい顔立ち。あまり手入れはしていなさそうなのに、つやのある長い髪。硬い筋肉のついた堂々たる体躯。
 身長も低くて、男装をしても違和感がないほどには肉付きもよくない自分より、一回りも二回りも大きい。
 長時間眠っているわけではなく、大体は三十分から一時間程度。長くても二時間はかからない。
 そろそろ起きるだろうか、と考えていると、遠慮がちに部屋の扉が開けられた。
 そうっと、開けた扉の隙間から様子をうかがい、安堵したように部屋に入り込んできたのはラギーだった。
 身動きが取れないし声を出したら起きてしまうかもしれないので、挨拶代わりに曖昧に微笑んで見せる。ラギーは気にしなくてもいい、と言いたげにひらひらと手を振った。
 干して畳んである洗濯物が入ったかごを、部屋の隅に置く。
 と、同時に深い溜め息が真横から聞こえた。
「おはようございます」
 とりあえず挨拶すると、レオナは身体を起こし、眠そうな瞳でじっとこちらを見下ろしてきた。腕が解かれたので、自分も起き上がる。
「っていうかレオナさん、オレいっつも入るとき緊張するんスけど、勘弁してくださいよ!」
「あ? 別に、堂々と入ってくればいいだろ」
 今更何を言っているんだ。と、言外ににじませて、不機嫌そうにレオナは言った。
「いやいや、開けたら真っ最中だったらどうしようか、って……オレだって気使うんスよ」
 ラギーは肩を竦めて、大げさな手振りで溜め息を吐いて見せる。
「お前が帰ってくるのが分かってんのに、んなことするわけねぇだろ」
「レオナ先輩とは、そういうのじゃないので……!」
 レオナと監督生、二人分の否定の言葉が重なった。
「えっ」
 ラギーは監督生の方を見た。レオナも何か言いたげにこちらを見ている。
「えっ、えっ、あのレオナさんが? まだ手を出してない……?」
 信じられない! と、いうのを隠しもせず、ラギーはレオナの顔色を伺っていた。
「なんだ、そんなに見たいんなら見せつけてやろうか?」
 言うが早いか、ぐいと強く腰を抱き寄せられ、首元に甘くかみつかれた。
「ひゃああああ!」
 思いのほか大きな声が出た。痛かったわけではないが、単純にびっくりした。レオナはうるさそうに顔をしかめている。けれど、いきなりこんなことするのが悪いではないか。
『勘弁してください……』
 監督生とラギー、二人の声がぴったり重なる。オレそんな趣味ないッス、とぼやくラギー。
 監督生はするりとレオナの腕から抜け出し、壁際まで離れた。壁を背に、警戒を露わにレオナをにらみつける。そのままじりじりと入り口の方までまわりこみ、扉に手をかけた。
「お邪魔しました!」
 それだけ言い残して、部屋から去って行く。噛まれたところがあつい。それだけじゃなくて、顔も身体も全部あつい。走る前から鼓動がうるさい。息が苦しい。
 だって、だって、そんな。……なんで?
 そういうのじゃないと、思っていたのに。
 抱き寄せる力強さも、吐息の熱さも、わずかに肌に触れた唇も。意識させるのには充分すぎた。


 監督生が去った後の部屋。見えなくなるまで背中を見送り、ラギーが扉を閉める。
「あー、お前のせいで逃げられたじゃねぇか」
「オレのせいッスか?」
 半ば呆れたような顔で、ラギーは肩を竦めた。
「レオナさん、よっぽど監督生くんが大事なんスねぇ」
「……あいつはただ、ここに居りゃいいんだよ」
 居場所のなかった自分の苦しみは、あれから少しは薄れた。そしてやっと見つけた、新しい居場所。
「狩りは焦らずじっくりだ。……ゆっくり時間をかけて、モノにしてやる。そう簡単に手放してたまるか」
 欲しいものはどんな手を使ったって手に入れてやる。ただ一人大事な獲物。甘く優しく、じわじわと籠絡してやろう。誰にも奪われてたまるか。……こうして側にいるだけで、自分の匂いが移っている。少なくとも、嗅覚のいい奴らには充分な牽制だ。ただの人間である彼女は、気づいていないんだろうが。
「あーあ、とんでもない人に目つけられちゃったッスね」
 かわいそー、なんて思ってもいなさそうなことをおどけて言うラギーに、レオナは不敵な笑みを浮かべて見せた。

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