「あー、うぜぇな……」
 しとしとと降り続く雨。激しく降り続けているわけではないが、もう数日は晴れた空を見ていない。
 故郷では恵みの雨だと、貴重でありがたいものだとされていたけれど、この学園のあたりは気候が全然違う。飲料、風呂、洗濯その他諸々。生活をする上でみんなが自由に使える程度には水は潤沢であった。
 しかし、この学園に来て数年、こちらの生活にもとうに慣れては、続く雨など鬱陶しいだけのものになっていた。別に外で運動に励みたいわけでもない。傘をさしていようが髪や服を濡らし、じめじめとまとわりつく重い空気が不快なのだ。洗濯物が乾かねーッス、とラギーもぼやいていた。
 何もやる気がおきないと寮の自室のベッドで転がっていたが、それすらも飽きてきた。
「ったく」
 ぼやいたところで天気が変わりはしないが。この退屈さも腹立たしい。歩いていれば何か面白いものでもないか、などとあまり期待できない淡い希望をもち、寮の入り口へと向かう。
 と、その時だった。
「あ、レオナ先輩」
 監督生と、同じ一年のジャックだった。
「出かけるんスか?」
「いや……」
 自分よりずっと小さな監督生を見下ろすと、まっすぐな瞳がじっと見上げてくる。別におびえたりはしていないが、なんだか草食動物を思わせる姿だ。
「何でお前ここにいるんだ?」
「あ、ジャック君と一緒に、勉強を……」
「真面目だなァ」
 あぁそれとも、勉強にかこつけてよろしくしてたってことか? 面倒なほどクソ真面目なコイツがなぁ。所詮はただの若い雄か。
「二人っきりでどんなお勉強してたんだ?」
 揶揄するように尋ねてみれば、ジャックの目がいぶかしげに細められた。
 ジャックだって監督生が女だと知っている。ハーツラビュルの一年ほどではないが、学年の違う自分よりも一緒にいることも多い。下心なく、部屋に女を入れたりしないだろう。男の格好をしているし、一部の生徒しか知らないようだが、監督生はれっきとした女だ。
「どんな、って、今日の魔法史の復習っスけど」
「は、それだけなわけないだろ」
 とぼけた回答に、だんだん腹が立ってくる。さらに追求すると、少し考えるような仕草をして、ジャックは告げた。
「あー、予習も少しは」
 あくまでしらを切るつもりらしい。監督生の方に視線を移せば、頬を赤くしてうつむいている。……こっちの方がよっぽど雄弁に語っているじゃねぇか。
 レオナの視線に気づいたのか、ジャックも監督生へと目を向けた。
「……何、照れてんだ。せっかく会えたんだから直接話せばいいだろうが」
「ちょ、ちょっと!」
 ジャックの言葉に、監督生は慌てふためき始めた。
 目が合うとうつむいて、あー、とかうー、とか小さく唸っている。
 ジャックは肩を竦めて溜め息をついた。
「こいつ、レオナ先輩のことばっかり話してるんすよ。……というわけであとは頼みます」
「ちょっとぉぉ!」
「あ、おい!」
 言うだけ言って、スタスタと歩き去ってしまった。自室に戻ったのだろう。
 なんだったんだ。っていうか、俺の話をしていた?
「で、俺の何を話してたって?」
 指先であごを持ち上げて上向かせてやると、ひえっ、と小さな悲鳴を上げて固まってしまった。
「い、いえ、別にそんなたいしたことは」
「んだよ、俺の悪口でも言ってたのか? あ?」
 顔を近づけてすごんでやれば、金魚のように真っ赤になって口をぱくぱくとさせている。
「そそそ、そんな、滅相も、ないです! ただ、元気かな、とか……」
 ここに来てようやく、違和感がはっきりとした形を取る。
「お前、俺に会いたかったのか?」
 はっきりと尋ねてみれば、しばしの沈黙のあと観念したように、はい、と頷いた。
「アイツと仲良くしてたんじゃねぇのかよ」
「仲良くさせてもらってますよ、頼りになりますし……」
 その仲良く、というのは文字通りの仲良くで、ただのオトモダチなのだろう。そのことに安堵し、そして。
(何を安心してるんだ俺は)
 浮かんだ可能性にはあえて気づかないふりをして、詰めていた距離をもどした。
「ちょうど良い、退屈してたんだ。俺の部屋に来い」
「えっ! い、良いんですか」
 ぱっと花開くような笑顔。面白いほど、感情が顔に出る。
 笑いをかみ殺しながら、レオナは元来た道を引き返し始めた。面白いことなんてないだろうと思っていたが、思わぬ収穫だった。しかも、今日だけじゃなくてこれから先も、ずっと。
 まぁ、すぐに捕って食うつもりはない。じっくり、その過程も味わってやろう。
 そんな悪いことを考えているなど、彼女は想像もしていないだろう。いつか食われる予定の憐れで小さな生き物は、レオナのことを見上げて、嬉しそうに微笑んでいた。

お題「雨」 2020/05/03公開

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