死線をくぐり抜けた一夜から数日。一時はどうなるかと思ったが全員無事に基地に戻ることができ、マスターの受けた傷も徐々に回復している。
 あれから大きな任務はまだなくて、マスターはずっと基地の中ですごしているようだ。
 タバティエール含む貴銃士達の方は、彼女に傷も治してもらったし普段通りの生活に戻っている。ドライゼはバイトをしに街へ出かけていったし、ローレンツはさっき薪割りをしているのを見かけた。シャスポーは……基地のどこかにはいるだろう。訓練をしているか、マスターの様子でも見に行っているのかもしれない。まぁ元気ではある。
 だからあとは、彼女の回復を待つだけだ。
 貴銃士達の傷はすぐに治せるのに、彼女自身の傷はそう簡単には治らない。なにより、自分はその場にいなかったけれど、命の危険にまで遭うことになって……。
 タバティエールは思考を追い払うように首を振った。考えても仕方がないことだ。最終的には彼女も自分たちも無事ここにいるのだから、それで充分だ。そう思いながらも、彼女の顔をここ数日は見ていない。
 バイトで街に出ていた時間もあるけれど、それ以外は自分も基地にいたのだから、いくらでも機会はあったはずなのに。
 素直に迎えにはいけない自分の性分に、どうにも息苦しくなる。
 マスターが元気になったら、ちゃんとお詫びをしないとなぁ。治るまでしばらく基地に籠もりきりだろうし、街にでも連れ出そうか。
 そんなことを考えていると、シャスポーが自分達の部屋に戻ってきた。
「タバティエール」
 戻って来るなりシャスポーは部屋の奥にある椅子に足を組んで座る。その勢いで、粗末な椅子はギシ、と音を立てた。
「お前、マスターに言うことがあるんじゃないのか?」
 口の端をつり上げて、挑発的に告げてくる。
 ……嫌味だな、これは。
 瞬時に理解したタバティエールは深い溜息を吐いた。
「あれはもう良いだろ……」
 無事に帰って来られたのだし。戻れなかったときには、という話で伝えたのだから。
 突然そんな話を切り出したのは、きっとマスターの所に行っていたからなのだろうが。人のいない所で余計な話をしてないだろうな、と頭が痛くなる。
「大体お前は、自分が幸せにするくらい言えないのか。そんなんだから二流なんだ」
「言えねぇだろあの状況でそんなこと」
 本当に帰れない覚悟をしていたというのに。ただ、何も言えないまま別れることになってしまったら後悔する、と思ったからせめて本心を告げたかったのだ。
「マスターが他の男と一緒になっても良かった、と?」
「っ、それは……」
 一瞬、言葉に詰まる。そこまで考えていたわけじゃない。けれど自分が傍にいられなくなったら、当然そういう道も彼女にはあり得るのだ。
「……それで、マスターちゃんが幸せになれるなら構わないさ」
 本当は、誰か別の男の隣で笑う彼女を想像しただけで、心臓を氷の手で直接掴まれたような苦しさを感じる。けれど、自分が居なくなってしまってはどうしようもないじゃないか。
 大体自分は彼女と同じ人ではなくて貴銃士で。人と同じ幸せなんて、最初から……。
 無意識に視線を落とすと、シャスポーが鼻で笑うのが聞こえた。
「マスターに手出ししておいて、その程度か」
「お前言い方。っていうか、なんで知って」
「気付かないとでも思ったのか」
 その辺は上手くごまかしていたつもりだったが筒抜けだったらしい。詰めが甘かったか、と頭を抱えたくなったが今はそれは問題じゃない。
 シャスポーは右手をゆっくりと上げ、あごに手を当てて考えるような仕草をとる。
 大体なんでシャスポーはこんなにも突っかかってくるのだ。
 そりゃ最初に伝言を頼んだのは自分だが、過ぎたことでこんなに言われる筋合いもないはずだ。シャスポーが棘のある言葉を言うのも自分や周囲に対して辛辣なのもいつものことだが、自分だって何を言われても苛立たないというわけではない。
「お前はそんな中途半端な気持ちでマスターに触れたのか」
 あからさまに溜息を吐かれる。
 中途半端ってなんだよ。なんでお前に俺の気持ちを疑われなきゃならねぇんだ。
 握る拳に力がこもる。言い返したいのに、冷静になろうとすればするほど言葉がでてこない。
「そんなの、弄んだのと一緒じゃないか」
「そんなわけないだろ」
 声が震えたのが自分でも分かった。あぁもう、なんでこいつはこんなに人の神経を逆撫でするんだ。
「お前なんかが、マスターに相応しいとは思えない」
 そんなの今更言われるまでもない。自分で散々悩んできた。それでも、自分を選んでくれた彼女を、大事にしたいと思ったのに。
「お前は本当に、マスターを愛してると言えるのか?」
 自分の想いをそんな風に侮辱されるのは、我慢ならなかった。
「愛してるさ! マスターだからとか関係ない、彼女の為なら命を懸けたって構わない。なによりも大切だし、他の誰にだって渡したくない」
 ぎりぎりのところで抑えていた感情が不意に爆発する。一度溢れてしまえば、もう留まることはなかった。
「できることならずっと傍に居たいし、俺の手で幸せにしてやりてぇよ!」
 半ば叫ぶように言えば、シャスポーは眉を顰めてまた溜息を吐いた。
「僕に言うなよ気色悪い」
「……お前、ほんっと可愛げないな」
「あってたまるかそんなもの」
 また挑発的な笑みを浮かべて、シャスポーは告げる。
「まぁいいさ。お前にしては上出来じゃないか」
 急に態度を変えたことに、嫌な予感が膨れ上がる。
 それを裏付けるように、シャスポーは柔らかな笑みと声で、タバティエールの更に後ろへと視線を送った。
「ねぇ、マスター」
 その視線を追うように振り返れば、部屋の入り口で真っ赤になったまま立ち尽くしているマスターの姿が、あって。
「はっ? おま、……ふざけ、」
 動揺に思考が止まる。理解すれば居たたまれなくなってタバティエールはその場にしゃがみ込んだ。
「やりやがったな……」
 精一杯の恨みを込めて睨みつけると、シャスポーは勝ち誇ったような顔をしている。心底可愛くない。
「マスターに全く会いに行きもしない薄情な奴が悪い」
 そう言われては返す言葉もなかった。会いたい気持ちはあったけれど、あれから自分が一度もマスターの部屋を訪れてないのは事実だ。
 シャスポーは立ち上がり、部屋を出て行く。入れ違いにマスターが入ってきたけれど、顔をあげることが出来なかった。
 この状況はあまりに気まずい。
「あー……マスターちゃん、どうしてここに?」
「来ないなら自分から会いにいけばいい、ってシャスポーが」
 それでマスターがくるのを分かっていて、シャスポーはわざわざ自分を挑発してきたのだ。
 見事に乗せられて周りが見えないほど感情的になった時点で、もう完全に自分の敗北なのだけれど。
「シャスポー、怒ってたよ」
 怒ってた? あいつが?
 予想外の言葉に思わず顔をあげる。
「どうせ、自分がいなくなったらー、みたいなことでも言ったんでしょ」
 痛いところを的確に突かれて、もはや反論の言葉もなかった。
「言いたいことは分かるんだけどさ。私も戦場にでる以上は、そういう覚悟がないとは言わないし」
 マスターはタバティエールの手を取って、まっすぐに告げてくる。
「でも、私は誰がいなくなるのも、絶対嫌だからね」
「ごめん」
 彼女の体を引き寄せて、腕をまわした。細い身体。今は服で隠れているけれど、その下には生々しい傷を隠す包帯が巻かれているのを知っている。
「詫びなきゃいけないことばっかりだ」
「……まぁ、いいです。本心も聞けたから」
「あれは」
 忘れてくれ、と喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、頭を掻く。……いや、聞かれて困ることはないのだが。
「……あぁもう何やっても格好つかねぇな」
「私は意外なところが見れて嬉しかったけど」
「勘弁してくれ」
 顔が熱い。もうだめだ、今日は。取り繕う余裕もない。
「どんなあなただって好きだよ」
 マスターの手が頬に触れてくる。その手に自分の手を重ねて、そっと目を閉じた。薔薇の形の深い傷が刻まれた左手。
「本当に、無事でよかった」
「うん」
「……愛してる」
「……うん」
「傷は、いたくないか?」
「大丈夫」
 気丈に笑う彼女に、胸が締め付けられる強い想い。全力で抱きしめてしまいたくなるけれど、それは傷に障ってしまう。身体を離すと、少しだけ寂しそうな目をされて、また引き寄せたくなる衝動を必死に抑えた。
「治ったら、そうだな、直接」
 あんな形ではなくて、ちゃんと自分の想いを。
「俺がどれだけ君を想ってるか、伝えるまで離さないから」
 目をそらさずに、まっすぐに、見据えて。 
「覚悟しといてくれ」
「そしたら、はやく、治さなきゃね」
 耳まで赤くなった顔で、マスターは笑った。

 2019/02/25公開

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