クリスマスまでの日々は慌ただしく過ぎていく。その中でもドライゼはマスターと二人、毎日少しの時間を共有し続けていた。一緒に買い出しに出かけた日に買ったシュトレンを、お茶の時間に一緒に食べるだけ。過ごす時間はそんなに長くない。それでも、こうして共に居られるのはドライゼにとって楽しい時間だった。
 彼女と共に過ごしたいと思うのは自分だけではないだろう。貴銃士達の中でも彼女を慕う者は多い。その中で、理由はどうあれ自分を選んでくれているということが、誇らしく嬉しかった。
「あと少しで終わりだね」
 切り分けたシュトレンを皿にのせ、残りをラップに包みながらマスターが告げる。クリスマス当日まであと片手で足りるほど。シュトレンはもう、ほぼ端を残すのみだ。
「……そうだな」
 当日が楽しみな気持ちもあるが、それよりもこの時間が失われるのが寂しいと思ってしまう。ずっとこうしていられたら、などと考えても詮無いことまで頭を過ぎる。
 口に運んだシュトレンは、買ったばかりのときとはまた風味が違ってきていた。ラム酒やドライフルーツが生地に馴染んで、違った美味しさがでている。
 その香りを楽しみながら、紅茶を飲む。
 マスターは紅茶が好きだ。母が英国の生まれで幼い頃は一緒に紅茶を楽しんでいたとか、淹れ方を母に教わったという話を聞いたことがある。
 なので、普段はブラウン・ベスやエンフィールドなど、英国生まれの貴銃士達とティータイムを楽しんでいる姿もよく見かけていたのだが。
 ここ数日はずっと、自分が独占している。
 自分は一人で飲むならコーヒーを選ぶ事が多いが、好き嫌いはないし、何よりマスターが淹れてくれた紅茶は美味しい。それはきっと、茶葉や淹れ方だけでなくて、彼女の手によるものだからなのだろう、と思う。
「街のクリスマスマーケットも、あと少しで終わりだな」
「そうだね。結局あんまり見られなかったけど」
 紅茶を飲みながら、マスターはぽつりぽつりと話し始めた。
「子供の頃にね、両親にクリスマスマーケットに連れて行ってもらったことがあるの」
 過去を語るその顔には、優しい笑みが浮かんでいる。
「小さかったから場所までは分からないのだけど、山のように大きなシュトレンがあってね」
 ドイツではこの時期、各地でクリスマスマーケットが行われている。地域によって特色も様々あるのだ。
「そこで、テディベアを買って貰ったの。桃色のリボンがついてて、大きさは……」
 手でこれくらい、とサイズを形作る。幼い子供が持つならば両腕で抱えても運ぶのが大変そうな大きさだ。
「私、嬉しくて、毎日抱きしめて眠っていたの。兄弟もいなかったから、名前を付けて、可愛がって……」
 マスターの表情が少しだけ曇る。彼女は家族も故郷も失っているのだ。その思い出のテディベアも、もう失われているのだろうということは容易に想像がつく。
 自分が声を掛けるより早く、マスターはまた微笑んでみせた。
「その、楽しかったクリスマスマーケットに、いつかまた行ってみたいなって」
 他にも、行ってみたいは所いっぱいあるの。寂しさを隠すように楽しそうにしてみせるマスターに、それ以上何も言えることはなかった。
「一緒に……行けたらいいね」
「あぁ、そうだな」
 二人でクリスマスマーケットに行けたら、きっと楽しいだろう。
 そんな取り留めない未来の希望を話しながら、時間はあっという間に過ぎていった。



 翌日、バイトで街に出たその帰り。もう終わりの近いクリスマスマーケットを覗いていると、一軒の店が目に入った。
「あれは……」
 今までは気にもとめていなかったが、テディベアを扱う店だった。昨日聞いた、マスターの話を思い出す。店に並ぶテディベアは大きさも様々、帽子やリボンをつけたものもいた。
 引き寄せられるように店の前に立つと、一体のテディベアと目が合った……気がした。
 ドライゼは思わず息をのむ。マスターが話していたのと同じ特徴のテディベアがそこにいたからだ。
「……」
 もちろん、似ているだけで違う個体だ。マスターが大切にしていた一体はもう失われてしまったのだから。それでも目が離せなかった。
 マスターへのクリスマスプレゼントはもう既に用意してあるが、追加をするのは問題ないだろう。買えるだけの手持ちもある。
 だが、あれはあくまで思い出話であって、今のマスターに贈るには不似合いだろうか。最初にプレゼントを選ぶ際にマニュアルなど下調べはしたが、その時には年頃の女性にぬいぐるみはあまり好まれない、と書いてあったはずだ。
 十八歳のマスターにはこのような大きなぬいぐるみなど迷惑だろうか。いやしかし、昨日の話でこのタイミングだ。偶然にしては……。
 店の前でしばし悩み続ける。その表情があまりに険しかったので店主は声をかけあぐねていたのだが、ドライゼは気付くことはなかった。
 そうでなくてもドライゼは目立つ風貌なのに、しかもこのような店の前にずっと立っているので、ちらほらと道行く人々からも視線を集めていたのだが。
 迷いに迷った結果ドライゼは、何故か緊張の面持ちでこちらを見ていた店主に声を掛けたのだった。



 基地に戻ると、ドライゼは真っ先に衛生室に向かった。この時間、何もなければマスターはここにいるだろう。
 衛生室の扉を叩くと、マスターは棚の整頓をしていたようだった。他には誰もいない。
「マスター」
「あ、おかえりなさい。って、どうしたの、その荷物」
 片腕で担いでいる大きな包みを見て、マスターは大きな目を丸くしている。リボンが止めてある、大きな袋。
「……クリスマスには早いのだが、これを、あなたに」
「えっ? あけて、いいの?」
「あぁ」
 戸惑いながら包みを開いて、マスターは息をのんだ。
「ローザ……」
「ローザ?」
「昨日話したテディベアに、付けてた名前なの。リボンの色が桃色(ローザ)だからローザって」
 単純でしょう? とマスターは笑う。
「家族も故郷もなくなって、そのときにローザも一緒にいなくなってしまって。私は一人なんだって、何もないんだって絶望したこともあったわ」
 袋から取り出したテディベアを、マスターはその手に抱き上げる。
 そして、心から愛しそうに、抱きしめた。
「ドライゼ、あなたは私の大事な家族を、思い出を、こうして連れてきてくれた。本当にありがとう」
 マスターの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
 あぁ、きっと俺は呼ばれたのだと、そんな風に思う。
 こうしてまた、マスターの元へ大切な家族を引き合わせるために。
「喜んで貰えたのなら嬉しい。だが」
 マスターの肩に触れ、目線を合わせて正面から見据える。
「マスター、あなたは決して一人などではない。失った家族の代わりにはなれないかもしれないが、俺も」
 言い掛けた言葉を飲み込み、言い直す。
「……俺達貴銃士も、あなたの傍にいる」
「うん、そうだね」
 マスターはふわりと笑った。陽の中で咲き誇る花のような、強く優しい笑顔。
「みんな私の、家族だと思ってるよ。あなた達貴銃士も、レジスタンスのみんなも」
 マスターが距離を詰めてきて、ふわりと胸に柔らかな感触が触れる。額が胸に押しつけられて、彼女の顔は見えない。間にあるテディベアのふわふわとした毛並みが、ほんの少しもどかしくもあった。
 彼女の肩に置いたままの手を、その背にまわしても良いものだろうか。
 しばし宙をさまよった手は、けれどマスターの髪をそっと撫でて、離れた。
 身体が離され、視線が絡む。
 その奥底にある想いは秘めたまま……今年のクリスマスは共に過ごすのだ。昔と今、二つの家族と共に。

 2018/12/25公開

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