ここ最近、シャスポー先生が休んでいる。
 それは別に病休とかそういう意味ではなくて、休日に病院で顔を見ることが減った、という意味である。
 いや本来、それが当たり前なのだが。
 シャスポー先生は優秀だ。技術も高く、日々努力を惜しまない。そしてプライドが高く、失敗を許さない。……救命救急科において失敗とは即ち、患者の命が奪われるということ。一瞬の判断ミスや、処置の一つ、それで運命が分かれることもある。
 もちろん、すべての患者を助けられるわけではない。着いた時にはもう手の施しようもない、なんて事態もある。医者だって人間なのだし、今の医療にも限界というものはある。
 その中で常に最善の手を尽くし、一人でも多くの命を救おうとする。シャスポー先生だけでなく他の先生も同じだが、彼は中でも人一倍、使命感が強い。
 それ故か、休む間も惜しんで働き続け、倒れたこともあるのだとか。人に頼らず自分ですべてこなそうとするのは、あいつの悪い癖だ。なんてタバティエール先生が肩を竦めていたけれど。
 そんなシャスポー先生が、ここ数ヶ月は、毎回でないとはいえ、ちゃんと休みをとっているのである。しかも今回は完全に連休だ。宿直などもあるから、連休がとれること自体まず少ないけれど、その貴重な連休を全く病院に顔を出さないというのは、初めて見た。いや、繰り返すが、本来休日とはそうすべきものなのだが。
「シャスポー先生、どうしたんですかね」
 カレンダーを見ながらつい、ぽろりと思ったことが漏れてしまった。
「んー?」
 意図を理解したのか、タバティエール先生が人の悪い笑みを浮かべた。「さぁー、どうしたんだろうな」
 にやにやと、完全に面白がっている表情だ。
「あ、もしかして旅行とかデートとか」
「かもな」
 と、あっさりと答えを出しながら、何を思い出したのか笑いをこらえている。怪訝に思って首を傾げていると。
「いやー、俺たちがどれだけ休め休め言っても聞かなかったのを、彼女はあっさり解決しちまったからさ。シャスポーも勝てない相手はいるんだなって」
 するとドライゼ先生が、苦笑した。
「あぁ、あのときの彼女はすごかったな。あんな彼女も、シャスポーも初めて見た」
 ローレンツ先生も頷く。
「俺もです。シャスポー先生が何も言い返せずに……」
 その、話に出てくる彼女というのは、シャスポー先生の恋人なのだろうが。そんなに怖い人なのだろうか。と少し身構えてしまう。
「その人は俺たちの共通の知り合いなんだがな。シャスポーが一回倒れたあとも限界まで働いて、また倒れそうになってたのを知って、さすがに思うところがあったらしい」
「彼女は優しくて聡明な女性だ。それに何より、シャスポーのことを、誰よりも大事に想ってくれている」
「大切で、本気で心配しているからこそ、あんな風に怒ったりもするんですよね」
 シャスポー先生の恋人。どんな人なのだろう。興味はあるけれど本人のいないところであれこれ聞く訳にもいかない。
 でも確かに、最近のシャスポー先生は変わったと思う。相変わらず色々なものを抱え込みがちだが、少しずつ、人に任せる仕事が増えたし、自分の体調にも気を使うようになったからか顔色も良い。
「俺たちの仕事はさ。正直体力面でもきっついし、逃げ出したくなるような凄惨な状態にも遭遇する。それでも逃げるわけにはいかねぇし、最悪の事態なんて何年経っても慣れねぇ」
「ある程度割り切りも必要だが、俺たちにとっては数多くの患者の中の一人でも、患者からしてみれば、個人との向き合いだ。失敗したから次、では済まされないからな」
「でも、俺たちだって医者である前に一人の人間だからさ。心の拠り所がなければ、いつかは壊れちまうもんだ」
 実際激務の中では、そういった医者や看護師も少なくない。どんなに手を尽くしても、助けられなかったら心ない言葉を浴びせられる時だってある。それでも。それでも折れないでいられるのは、きっと心の内にある信念と。
「だから、シャスポーの支えになってくれる人ができたってのは、俺たちにとっても嬉しいんだよ」
 タバティエール先生の目が穏やかに細められる。
「そうですね。なんだかちょっと、羨ましいです」
 最初に話を聞いた時には怖い人なのか、なんて考えてしまったけれど、そんなことはないとはっきり分かる。彼らに信頼されているらしい彼女さんは、きっと素敵な人なんだろう。

 翌日。
「土産だ。これは彼女から」
 出勤したシャスポー先生の手には、有名テーマパークのキャラクターのイラストが入った袋。そして中には可愛いパッケージのお菓子が二種類。
「わー、ありがとうございます!」
「行ってきたのか。どうだった?」
 喜ぶローレンツ先生と、感想を訊ねるタバティエール先生。
「どう、って別に……。あぁでも、季節のショーとか限定フードとか、色々あったよ。ホテルも綺麗だったし、彼女も喜んでた。室内にもキャラクターがいっぱいいるんだな、知らなかったよ」
 シャスポー先生も表情はいつもと変わらないようで、ほんの少し、楽しそうだ。
「リフレッシュできたようだな」
 そう告げるドライゼ先生には、ふん、と不機嫌そうな顔で返す。ここは相変わらずらしい。けれどお菓子の箱を指さして、盛大に溜息を吐いた。
「彼女が。お前たちみんなにって言うから。感謝しろよドライゼ」
「あぁ、あとで礼を言っておこう」
 ドライゼ先生は特に気にした風でもなく返す。
 休みの間、泊まりがけでテーマパーク。大切な人と、仕事を忘れて楽しく過ごすには、確かに良い場所かもしれない。
「いいなー、俺も行きたいです」
「俺なんて何年も行ってねぇなぁ。そういやケンタッキー先生とスプリング先生も、今度行くって話してたな」
「私も今シーズンのイベント見てみたいんですよねー」
「あぁ、見てきたけど、なかなか面白かったよ」
 他愛ない雑談。一日の始まりは平和だった。医療者なんて本当は暇な方がいい仕事だけれど、患者がいなくなることはないからそうもいかない。
 雑談をそこそこに切り上げて、作業に移ろうとしたその時。
 聞き慣れた音が耳に飛び込む。一瞬で、ぴり、と緊張が走った。対応にでたのはタバティエール先生。手短にいくつか答えて、みんなに告げる。
「救急搬送受け入れだ。交通事故、患者の状態は―」
 説明を聞いてすぐ、先生たちは受け入れの準備に向かった。
 さてやることはいっぱいある。麻酔科、検査室に連絡をして、それから……。
 先生たちが走っていった方へ目を向ける。白衣の裾をひるがえし、患者の命を救うために、それぞれが強い信念と誇りをもって。
 平和にはほどとおい職場だけれど、ここで彼らと共に働き、その信念を支えることが、私にとっての誇りだと、胸を張って言える。
 きっと今日も一日忙しくなる。
 気合いを入れ直し、私は彼らの背中を追った。

 2019/10/13公開

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