銃とは、人が創り出した道具である。そこに自分の意思などなく、ただ使い手が思うように、性能を発揮するだけ。特に量産型である僕らは、唯一品の銃よりも多くの人に触れている。僕ではない、別のシャスポー銃の記憶も、ある程度は持ち得ている。はっきりとした個人の記憶とは違うけれど……概念的な話だろうか。
 所詮は何かを傷つけ奪うだけの道具に過ぎないと、乱暴に扱われたりする個体もいれば、同じ道具でも、大切なものを守るために大事に扱われた個体もある。僕はきっと、大事にされてきた方なのだろう。そして、奇跡に巡り会えた。
 貴銃士として、マスターに喚ばれ、人の姿と意思を得て。大切な大切なマスターを、自分の意思と力で、守ることができる。
 そしてマスターも、優秀な僕を認め、愛してくれる。こんなに幸せなことがあるだろうか?
 とはいえ、幸せな感情ばかりとはいかないのが、人と同じ身の厄介な所だとも知ったけれど。

 

 よく晴れた日の、基地内。洗濯物を干すマスターと、それを手伝っているのか邪魔しているのか、あのナポレオン陛下のおつきの双子のピストルたち、ニコラとノエルがいた。僕が気づいた時にはもう、既に干し終わる頃で、結局声をかけるタイミングも逃し、陰から様子をうかがっていたのだけど。
「二人が手伝ってくれたから、早く終わったわ。本当にありがとう」
「ぼくたちだってマスターの役にたてるでしょ?」
「ねぇねぇ、マスター、褒めてくれる?」
 期待を込めてマスターを見上げる二人。
 マスターは天使のような笑顔を浮かべて、二人の頭を撫でた。
「やっぱりマスターに撫でてもらうの、嬉しい」
「マスター大好き!」
「ふふ、ありがとう。私も貴方たちのことが大好きよ」
 そうしてマスターは空になった洗濯かごを抱え、双子と一緒に行ってしまった。きっと洗い場にかごを置きに行ったのだろうけど。
「……」
 マスターは綺麗だ。女神のような慈愛、傷だけではなく心まで癒すような優しく清らかな美しさ。
 だからマスターに好意を抱いているのは僕だけじゃない。他の貴銃士たちも、形や程度に差はあるだろうが、マスターには好意的だ。まぁ、それは当然だ。僕たち貴銃士はマスターの為に戦い、マスターを守る存在だから。僕よりも性能が劣る奴らにもマスターは平等に優しい。それはちょっと気に食わない部分もなくもないけれど、そういうマスターの心の広さや器の大きさは、彼女の魅力でもある。
 そして、彼女を慕っているのは僕ら貴銃士だけじゃない。レジスタンスのメンバーも、同じくマスターを好いている。誰からも慕われるマスターは本当に素晴らしいし素敵だと思うけれど。
 しかしあの双子。子供だからってマスターにべたべたと。たかが子供と油断できるものじゃない。なんせあの陛下のお気に入りだし、彼らもフランス生まれの銃だ。偉大な我が祖国。美しき愛の国。そんな調子で愛を振りまかれても困る。
 いや、自信がないわけじゃない。マスターは高性能な僕に期待してくれているし、僕のことを愛してくれている。簡単に心変わりするような人でもないし、まして他の誰かと火遊びなんて絶対にないだろう。それは理解している。
 理解はしている。けれど面白くはない。もやもやするのはどうにも止められない。
 これが子供じみた嫉妬だというのは分かっている。でも。
 マスターを好きになればなるほど、ただ幸せな感情だけじゃなくて、醜い感情まで呼び起こされる。
 彼女の側には僕だけがいればいいのに。僕だけがマスターの愛を独占できればいいのに。なんて、考えても仕方ないことを、つい考えてしまう。
 こんな僕を知ったら、彼女はどう思うんだろう。嫌われてしまうんじゃないか、なんて怖くなったりもする。
 あぁ、でも、こんな薄暗い感情さえも、彼女が与えてくれたものなんだ。彼女が僕を喚んでくれなかったら、こんな風に感じられることはなかった。そう思えば、厄介でもなんでも、切り捨てることもできなかった。
 いつまでもここにいても仕方がないので、衛生室に向かうことにする。洗濯を終えたなら、多分戻っているだろう。なんでもいい、彼女の顔が見たかった。
 衛生室の窓の外からそっと中を伺う。誰かの治療中だったら、さすがにこんな個人的なことで邪魔をするもの悪いからだ。
 誰もいないことを願いつつ、中を覗けば、レジスタンスの男が彼女の手当を受けていた。
「気をつけてね、火傷は痕が残りやすいから」
「いやー、手間かけたな」
「いいのよ。また薬を塗って包帯を換えるから、夜にもう一度来てね」
 包帯が巻かれた手に、彼女の細い指がそっと触れる。多分無意識なのだろうけど、早くよくなるように、という願掛けめいたものだろう。
「あぁ、ありがとう」
 そうして男は衛生室を出て行った。彼女が治療の後片づけを始めたのをみて、僕は彼女から見えない位置へと移動した。
「お、シャスポー、こんなところで何……」
 通りがかったタバティエールが声を掛けてきた。そして。
「怖っ、お前、顔こわっ」
「うるさい」
 失礼にも騒ぎ立てるのが鬱陶しい。苛立ちもあってつい舌打ちしてしまう。
「なんだなんだ、マスターちゃんと喧嘩でもしたのか?」
「違う」
「じゃぁなんだ。……あ」
 言い掛けて、何かに気づいたのか、一人納得したように頷いた。
「マスターちゃんが治療してた男か」
 それだけじゃないが、半分はそれだ。というか、なぜ知っているのかと眉を潜めると、タバティエールは聞いてもいないことを勝手に話し始めた。
「さっき調理場に荷物を運ぶのを手伝ってもらってたんだけどさ、火に掛けてた鍋にぶつかっちまってなぁ。幸い鍋はひっくり返らなかったから手だけで済んだが、あれはしばらく痛いだろうな……可哀想に」
 治療していたのは左手だ。痛みや片手が上手く使えない不便さを想像するだけでうんざりするが、まぁ、そんな男のことは僕には関係ないしどうでもいい話ではある。
「で、それが何だって言うんだ」
 不機嫌を隠さずに言うと、タバティエールの奴はしれっと笑っていた。
「ん? 二人きりでマスターちゃんの治療を受けてたから妬いてたんじゃねぇの?」
 その笑顔が余計に苛立たせてきたので、再び舌打ちが口をついて出る。
 ま、タバティエールはこれで人の感情を読むタイプだから、隠し立てしたって無駄だろう。どうせなら空気も読んで欲しいところだが。普段他の奴らにはそういう気遣いをするくせに、僕に対しては変な所で遠慮がない。まったく、二流のくせに腹立たしい。
「別に。ただマスターはみんなから愛されていて、同じくらいみんなを愛してるんだと改めて思っただけだ」
「愛してる、ねぇ」
 うーん、と気の抜けた声を出すタバティエール。
「まぁ、確かにマスターちゃんは、誰からも愛されてるだろうな。俺たち貴銃士だけじゃなくて、レジスタンスのみんなも、街の人たちだって、彼女を大事に想う人はいる」
 それは世界帝軍に対する希望だとか奇跡の少女だからとかそういう話ではなくて、彼女の人柄だというのは言われるまでもなく分かっている。
「俺だって彼女はマスターとしてじゃなく、個人としても好ましいと思ってるし、なんというか庇護欲を掻き立てられるタイプだよなぁ、とは思うが」
「は?」
 思ったより低い声が出た。何を言っているんだこいつは。
「だから怖いって! そういう意味じゃねぇし! 大体俺は人のものに手を出す趣味はねぇよ」
 お前はほんとマスターちゃんのことになると豹変するよな。とぶつくさ言ったあと、言葉を続ける。
「でもさ、マスターちゃんが選んだのはお前なんだろ? マスターとして、メディックとしての彼女は貴銃士や仲間達みんなを愛してるかもしれないが」
 一度言葉を切り、諭すような調子で、けれどはっきりと言った。
「違うだろ、お前は。お前だけにしか聞けない言葉は、あるだろ」
「僕だけ……?」
 何のことだと問いただしてみたが、笑ってはぐらかされるだけだった。
「聞いてみればいいじゃないか。彼女に。直接」
 そう言い残すと反論する間もなく、どこかへ言ってしまった。

 置き去られた僕は、今は彼女しかいないだろう衛生室の扉を叩いた。
「シャスポー、どうしたの?」
 咲き誇る花のような、麗しい笑顔。それだけで僕の胸が温かくなる。
「ねぇ、マスター」
 僕はマスターの手をとって、じっと彼女の顔を見る。
「マスターは、僕のことをどう思ってる?」
 彼女は長い睫毛が縁取る大きな赤い瞳を、ぱちりと瞬かせた。
「どうしたの、急に」
 それからまた柔らかく微笑んで、細い手で僕の手をぎゅっと握りかえしてきた。
「大好きよ、誰よりも。愛しいシャスポー」
「本当に、誰よりも?」
「もちろんよ。……マスターとしての私は、貴方たち貴銃士やレジスタンスの仲間たちみんなのことが大好きだし、大切に思ってるわ。でも」
 見上げてくる瞳は、強い意志をもっている。その宝石のように透き通った美しい赤に、自分の顔が映っている。
「ただ『私』は、あなたを愛しているわ。世界中の誰よりも。それじゃ足りないかしら」
「ううん、充分だよ。充分すぎるくらい、僕は君から、たくさんの愛を受け取っているよ」
 腕を回して、彼女の体を抱きしめる。すると応えるかのように、彼女の腕が僕の背中にまわされた。
「何があったのかは分からないけれど……少しは安心できたかしら」
「うん。いいんだ。本当に、大したことじゃないから」
「そう? なら、いいんだけど」
 彼女の腕に、もう少し力が込められる。それから、彼女の頬が僕の胸へと寄せられる。
「貴方だけよ、シャスポー」
「……ありがとう」
 渦巻いていた感情はただこれだけであっという間に霧散した。
 痛みも、苦しみも、最後には彼女の元で、幸せな感情へと塗り替えられていく。僕はどこまでも貪欲で、側にいればいるほど、幸福を知れば知るほど、色々な欲が湧いてくる。
「ねぇ、君さえよければ」
 そして新たに湧いた感情の赴くままに、言葉を紡いでみる。これもまた、貴銃士としての身体を得て、知った感情であり、愛情表現だ。彼女は応えてくれるだろうか、それとも。
「今夜、二人で出かけようか」
 泊まりで。
 そう付け足すと、彼女はぱっと顔を上げて、耳まで真っ赤にしていた。あぁ、本当に可愛らしい。愛しい。
 彼女はしばし、何かを言いかけては口を閉じ、また開いてと繰り返していた。それでも最後には小さく頷いてくれたから、僕はもう一度、彼女を強く抱きしめたのだった。

 2019/10/13公開

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です