早朝、レスタルムの街。日中は容赦なく肌を灼く日差しも今は低く、生温い風が吹き抜けていくが蒸し暑さはまださほど、と言った感じだ。
 そんな中でも、市場は既に賑わいを見せている。
 イグニスはグラディオラスを連れて市場へと食材の買い出しに来ていた。連日魔物退治を引き受けていたので今日は一日、この街で休息だ。
 この数日野宿も続いていたので、食料の在庫も心許なくなっていた。その補充が主な目的だったが、この市場には日頃使う材料から滅多に手に入らないような高級品まで様々な食材がそろっているので、歩いているとどうにも目移りしてしまう。
 日持ちする物を先に多めに買い込み、肉などの生鮮品は出立前に買えるように目星をつけておく。
 あらかた必要な物を買い終えた後、荷物を持つグラディオラスをイグニスは見上げた。
「もう少し見て行ってもいいか?」
「あぁ」
「荷物が重いなら、先に戻っても」
「せっかく二人きりなのにつれないこと言うなよ。これくらい平気だ、付き合うぜ」
 言い掛けた言葉を途中で遮り、グラディオラスが告げる。両腕が荷物でふさがっていなければ肩でも叩かれていただろう。
 優しい眼差しに、イグニスもありがとうと微笑んで返す。
 市場を再び物色しながら、イグニスは言った。
「せっかく時間があるのだから、何か作ろうと思ってな」
「いつもの菓子か?」
 レスタルムのホテルには、旧式だがオーブンが備え付けられていた。ノクティスの為に何度も試作している焼き菓子も以前このホテルで作ったが、今回は違うものを作るつもりだった。
 ドライフルーツなどの並ぶ店にナッツ類を見つけ、それを購入する。
 それから、別の店でバターと卵を。
 小麦粉と砂糖はグラディオラスが持つ袋の中にある。ココアパウダーも荷物に残っていたはずだ。
「今回はもう少し日持ちするクッキーを作る。そうすれば移動中でも食べられるしな」
 ここ数日のことを思い返したのか、グラディオラスは苦笑する。長い車の移動やら、討伐のあと標でイグニスが食事を作っている間やら、周りが好き勝手に腹が減っただなんだと散々口にしていたのが気になったのだと、全て言わずとも察したのだろう。
「そういや昔、作ってもらったことがあったな」
「あぁ……あれは高校に入った年の冬だったか?」
 グラディオラスの言葉に、イグニスは過去の出来事を思い返す。

     *****

 それは高校に入ってからの一年も既に終わりが見えてきた時期。イグニスの誕生日を過ぎた、二月の十日頃だった。
 雪が降るかもしれないと予報がでるほど寒い日だった。イグニスは学校から戻った後、王都城の厨房を借りて黙々と菓子作りをしていた。
 前日の晩に用意したバターとココアの二種類のクッキー生地を型抜きし、シートを敷いた鉄板に並べる。一部は二種類を重ねてうずまき模様にしたり、チェック模様にしてみたりと、見た目も可愛らしくして作り上げていく。
 焼き上がったものを冷ましながら、また次の生地を並べて焼き始める。
 城のオーブンは一度に多量に焼けるので、これで全て焼き上がりそうだった。
 待つ間に、小さな篭に花模様のペーパーを敷いた。あとは冷めた物を盛りつけていけば終わりだ。
 借りた器具を洗い、元の場所へとしまい終えた後は座って焼きあがりを待った。
 最初に作った方が冷めてきたので、味見もしておく。
 さくっと軽快な音を立てて崩れ、バターの香りと甘みが口の中に広がった。これならば、人に渡しても差し支えないだろう。
 そうしているうちに、オーブンが二度目の焼き上がりを告げていた。再び冷ましながら、最初に焼いた方を篭に盛っていき、余った時間で今度は自分の身支度を整える。
 そして後から焼いた方も冷めてきたのを確認して、篭に足した。それを紙袋に入れて簡単に折って封をする。
 イグニスは時計を見て、鞄と今用意したクッキーを手にした。
 そろそろ移動しないと、約束の時間になってしまう。
 けれどその前に彼の様子を見ていこう、と訓練場の方へ足を伸ばした。

「あ~~……」
 聞こえてきた呻き声に中を覗いてみると、グラディオラスが床に大の字になっていた。この寒い日だというのに、タンクトップに動きやすいパンツ、首にはタオルをかけた格好で、しかも汗だくだ。傍らには訓練用の大剣。今は一人だが、直前まで誰かと戦闘訓練をしていたのだろう。顔や手も汚れている。
「大丈夫か? グラディオ」
「イグニスか。まったく、ボロボロだぜ」
 声をかけてようやくイグニスの存在に気付いたのだろう。グラディオラスはゆっくりと身体を起こして、その場に胡座をかいた。
 グラディオラスはタオルで汗を拭いながら、ため息を吐く。
 離れた所に置いてあったドリンクのボトルを渡してやると、グラディオラスはどうも、と一言礼を告げてその中身を一気に呷った。
「誰とやっていたんだ?」
「コル将軍」
 簡潔な返答に、イグニスはあぁ、と納得した。ルシスの現王レギスの親衛隊隊長で不死将軍の異名を持つ武人。イグニスも時折戦闘の指導を受けることはあったが、その一流の戦闘技術は、まだまだ自分たちからすれば雲の上のような存在だ。
 そんな相手と実戦形式の訓練が出来るのは貴重だが……この惨状からして、グラディオラスも彼にはまだまだ遠く及ばないというところか。
 一息ついたグラディオラスが、イグニスの手元に視線を向けた。
「美味そうなもん持ってんな」
「あぁ、さっき作った」
 バターの香りで焼き菓子だと分かったのだろう。
 袋を開けて篭から一枚取り出す。
「いいのか?」
「かまわない」
 手渡そうとしたが、彼が自分の手を気にしたのが分かった。流石にこのまま渡すのも不衛生か、とイグニスは彼の口元にそのまま差し出した。
「ん」
 グラディオラスは特に気にすることもなく、差し出されたそれにかじり付く。星形のバタークッキーは一口で消えた。
「美味い」
「そうか」
 自分でも味見はしたが、誰かにそういってもらえると安堵する。袋を閉じ直し、グラディオラスに問いかける。
「お前は帰る前にシャワーか?」
「流石にこれじゃ帰れねぇよ」
 だろうな、と笑うとグラディオラスは肩を竦めた。
 時間が合えば一緒にと思ったが、この様子だとまだまだかかりそうだ。
「ならオレはもう行く。またな」
「おう」
 グラディオラスはひらひらと手を振った。

 城から外に出た瞬間、冷たい風が吹き抜ける。吐く息は白く、突き刺すような寒さに、思わず眉間の皺が深くなった。車で移動できるのならばこんなに寒い思いをしなくても済むのだが、今回は王子付きの仕事とは関係のない私用だ。それほど遠い距離でもないのだし、早く行ってしまおう。イグニスは包みを抱えなおし、足を踏み出した。

 足早にたどり着いたのは広い庭のある大きな屋敷だ。城ほどではないにせよ、この王都インソムニアでこの規模の屋敷に住んでいるというのは、それだけで家主の身分の高さが知れるだろう。
 イグニスは軽く身なりを整え、呼び鈴を鳴らした。名を告げると、すぐに中に迎え入れられた。
「イグニス!」
 明るい声で迎えてくれたのは、濃茶の髪と瞳の小さな少女だ。
 イグニスは持っていた袋から篭を出して、少女に手渡す。イリスは両手で篭を抱え、中をのぞきこんで目を輝かせた。
「すごーい! これ全部イグニスが作ったの?」
「あぁ」
 イリスが篭からうずまき模様のクッキーを取り、かじりついた。
「おいしい! やっぱりイグニスはお料理が上手なんだね」
「それはよかった」
 食べかけのクッキーを手に、イリスは目を丸くしていたが、伺うようにイグニスを見上げた。
「あたしにも作れる?」
「もちろんだ。イリスにも作れるようなものを選んだからな」
 イグニスは少女の目線の高さに合わせて、微笑んでみせた。
「あとは飾り付けをしたり、ナッツを乗せたり、溶かしたチョコレートでコーティングしてもいい。イリスはどんなものが作りたい?」
 優しく問いかけると、
「ノクトはなにが好きかなぁ?」
 と少し照れながら返された。
「そうだな、イリスが作ったクッキーならばなんでも食べるんじゃないか?」
「だったら、いっぱい作ろう!」
 イグニスの答えに、イリスは満面の笑顔を見せる。
 それから二人は一緒にキッチンへと向かった。

 材料はあらかじめ伝えてあったのを用意されていた。
 生地の分量はイグニスが量り、イリスがそれを混ぜ合わせていく。
 作っているのはイグニスが作ってきたのと同じく、プレーンとココアの二種類の生地だ。
 チョコレートがあるので、焼き上がったあとにコーティングしたものも作れる。目的を考えると、この方が合っているかもしれない。
 生地を少し寝かせて待っていると、グラディオラスが帰ってきたようだった。
「あ、お兄ちゃん」
「ただいまイリス。って、お前来てたのか」
「あぁ、イリスに頼まれてな」
「だーめ、お兄ちゃんにはヒミツなの!」
 そう言ってイリスは、キッチンの入り口に立つグラディオラスをぐいぐいと押し返した。
「分かった、分かったって」
 グラディオラスは肩を竦め、押されるままキッチンから追い出されていった。
 そんな親友を見送り、クッキー作りを再開する。焼いている間に次に焼く分の生地を形作る、その繰り返しだ。
 アミシティア家のオーブンもかなり大きいが、王都城ほどではない。
 何度も焼き上げ、試食をして、飾り付けをして。
 結構な時間が経ち、イリスは疲れたかと思いきや、ずっと楽しそうにしている。今はチョコレートのペンで、クッキーに顔を描いていた。
 イグニスはコーティング用のチョコレートを湯煎で溶かしながら、その様子を見ていた。
 皿の上には大量のクッキー。イグニスが作ってきたものよりも見た目は不格好なのも多いが、イリスが一生懸命作ったものだ。
 ―バレンタインにノクトに手作りをプレゼントしたいから、教えて欲しい。とイリスから言われ、家主のクレイラスに許可を取ったのが数日前。親友の妹だが、イリスは自分にとっても妹のような存在だ。小さな少女の純粋なお願いを無碍にすることもできない。
 それでこうして教えながら一緒に作る為に時間を作って来たのだが、いつの間にか自分も楽しんでいた。
 イリスはノクティスだけではなくて、家族や友達にもあげたいというので、山のようなクッキーができあがっている。
 イグニスが試作で持ってきた分は、後でイリスとグラディオラスが食べるだろう。
 完成した物を、イリスは可愛らしい小さな袋に詰めていく。それにピンクのリボンを結んでいった。
 その完成をイグニスは側で見守る。
「イグニス、今日はありがとう!」
 イリスから包みの一つを渡された。イリスが一生懸命顔を描いていたクッキーだ。
「ありがとう。あとでもらうよ」
 そうしてイリスの頭を撫でると、嬉しそうにイリスは笑った。

 それからイリスはもう一つ袋を持ち、リビングへと向かった。
「はいお兄ちゃん、これあげる!」
 イリスはソファに座っているグラディオラスに駆け寄ると、その包みを渡した。
「可愛い妹と親友からの義理だ。ありがたく受け取っておけ」
「そりゃどうも」
 冗談めいて言うイグニスに、グラディオは苦笑する。
「ありがとな、イリス」
 グラディオラスはイリスを片腕で抱き上げて膝に乗せ、頬にキスをした。
 イリスはくすぐったそうに笑い、兄に抱きついた。
 そんな妹の頭を撫でてから、グラディオラスは立ち上がる。
「さて可愛い親友殿にも礼をしなきゃいけねぇな」
 ニヤリと笑って、イグニスの方へじりじりと歩み寄る。
「っ、ちょ」
 まさか、と思いわずかに後退るが、強い力で引き寄せられ、イリスと同じく頬にキスをされた。
「……はぁ!?」
「おらありがたく受け取っておけ」
 抗議の声よりも早く、さっき言った言葉をそのまま返され、今度はイグニスの方が苦笑するしかなかった。イリスはじゃれあう二人を見て笑っている。
 まぁ、二人に喜んでもらえたのだからいいか。
 肩に腕を回して体重をかけてくる親友に、イグニスは笑いながら降参の声をあげた。

     *****

「懐かしいな」
 イリスと一緒に作ったもの、とはいえ、それが初めてグラディオラスにプレゼントをしたバレンタインの出来事だった。
 昔話に花を咲かせながらホテルに戻り、イグニスはキッチンで支度を始める。グラディオラスは入り口に立ち、そんなイグニスを見ていた。
 外ではできなかった話の続きを、グラディオラスが切り出した。
「お前と付き合うことになるとは、あの時は想像もつかなかったな」
「そうだな」
 知り合ってからは数年経っていたが、それまではお互い親友として良好な関係であったし、そもそもイグニスもバレンタインにもらうことはあっても、誰かにあげるということはなかったのだ。
 その後、色々とあってグラディオラスと恋人として付き合うようになって……それからは、愛情と感謝の意を込めて、彼のためだけに作って渡したこともあるのだが。バレンタインの贈り物としてクッキーを作ることはなかった。
 イグニスが材料を混ぜていくのを、グラディオラスはじっと見ている。
「楽しみだな」
「まだまだ時間がかかるぞ」
 生地を作り、少し寝かせて、それから成型して焼き上げるのだ。
「できあがったら一番に試食させてくれ」
「そうだな。買い物にも付き合ってもらったしな」
 ノクティスやプロンプトが知ったら、ずるいと文句を言われるかもしれないけれど。
 二人には秘密の関係だが、そこは恋人の特権だ。
 コーヒーを淹れて、甘いクッキーと会話を楽しむのは、とても幸せな一時だろう。
 今日はなんでもない日だけれど、過去に過ごしたバレンタインの甘い記憶が、そんな気分にさせたのかもしれない。
「また次のバレンタインにも、お前の好きなものを作ろう」
 とうぶん先の話だが。と付け加えたが、グラディオラスは嬉しそうに笑っている。
「あぁ。お前がくれる物なら何だって嬉しいがな」
 そう告げたあと、イグニスの方へと歩み寄る。
「……菓子も嬉しいんだが、お前自身が一番のプレゼントだぜ」
 悪戯っぽい笑顔と共に、耳元に落とし込まれた低い囁き。イグニスはボウルを取り落としそうになり―次の瞬間、耳まで真っ赤になって、グラディオラスに肘を叩き込んだのだった。

 2017/02/12公開

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