海に囲まれ、街中に水路が張り巡らされた水の都オルティシエ。観光都市として栄える賑やかなこの街に一行が訪れてから早数日。
 イグニスとグラディオラスは買い出しを終え、それぞれ荷物を抱えてリウエイホテルまでの道を歩いていた。初めて見た時には迷路にようにさえ思えた道も、今では分かるようになってきた。
 ノクティスとプロンプトの二人は闘技場へ遊びに行っている。
 ノクティスは景品にある釣り竿が欲しいらしく、連日熱心に通い続けていた。あまり賭けごとに熱中するのは、と最初は窘めようとしていたが、熱くなりすぎないようにプロンプトがうまくやってくれているらしい。なので、異国の地ということもあるし、『単独行動はしないこと』『何かあったらすぐに自分かグラディオラスに連絡をすること』というのを条件に好きに行動させている。
 相変わらず過保護だ、とは言われたが。
 その間イグニスとグラディオラスは街を歩いたりウィスカムの所へ話を聞きに行ったりしていた。今日も彼の所で話しながら食事をとり、その帰りにこうして買い出しをしてきたのだ。グラディオラスの抱える回復剤の小瓶が、歩く度にカチャカチャと音を立てている。
 結構な重さだろう荷物も、グラディオラスは片腕で悠々と抱えている。
 イグニスが持てないわけではないが、いつも率先して重い物を運んでくれるのは素直に有り難かった。
 街のざわめきにふと周りを見やれば、目に入るのは楽しそうな人々の姿。お喋りに花を咲かせる女性達の姿や、寄り添い歩く恋人達の姿。小さな子供を連れた家族の姿もある。少し遠くから聞こえてくる陽気な歌声はゴンドラの漕手だろうか。
 空は青く晴れ渡り、水面が陽光を映しきらきらと眩く輝いている。綺麗に舗装された石畳の道を歩いていると、頬を撫でる風が心地良い。
 この美しい街を愛しい相手と共に歩くのは、それだけで幸せなのだろうな、とイグニスは思う。
 いや、自分も隣にいるのは恋人ではあるのだが、情報収集やら買い出しやら普段と変わりないことをしているし、あまりデートという感覚もなかった。
 今日だって、食事にこの街の名物料理を選んでみたり、休憩にジェラートを買って食べたりなどはしたが、それくらいだ。ノクティスやプロンプトはかなり満喫しているようだったしそれを咎める気もないのだが。
 プロンプトが言ったように、純粋に観光目的で来てみたかったとは思う。
 目の前には、指を絡めたいわゆる恋人繋ぎで歩く男女の二人組。普段は気にも留めないのに、何故かこの時は視線が引き寄せられたのだった。
 こんな風に並んで歩くことはあっても、人目のあるところで手を繋ぐなどしたことはない。
 いやそもそも、小さい頃はともかく、恋人という関係になってから手を繋いだことなどあっただろうか。
 思い返してみるが、倒れたところを助け起こされただとか、手を引かれることはあっても恋人としての行為は記憶にない。
 いつだって互いの立場を優先していて、王子達にも知られないようにと隠し続けてきた関係だ。
 身体を重ねる関係でもあるが、そういった最中でも手を握ることはなかったように思う。
 求められることもなかったから考えもしなかった。
 ……いや、恋人と言うのならば自分から気を回すべきだったのでは。
 普段からあまり恋人らしいことなどしないのだから、二人きりの時くらいはそれらしいこともするべきだったのだろうか。特に最近はずっと、四人で行動していることが多いから、二人の時間もそうそう持てないのだから。
 などと、グラディオラスが怪訝そうに見ていることにも気付かないほど、イグニスは一人で思考を巡らせていた。

 ホテルの部屋に戻って、買ってきた荷物を片づける。安価な部屋だが十分な広さがあった。清掃も行き届いており、連日の滞在に不自由もない。
 道具整理を手伝ってもらった後、一人で食材をしまっている間にグラディオラスはベッドに腰掛けて本を読み始めていた。
 食材の片づけも終えたイグニスは、グラディオラスの隣に座った。二人分の重みを受け、マットレスが柔らかく沈む。それを気にした風もなく、グラディオラスは黙々と文字を追っている。片手で本を持っているから、彼の左手はベッドの上にあった。
 しばし逡巡し、イグニスは右手の手袋を外した。
 なんてことない行為のはずなのに、妙に緊張するのは何故だろうか。
 ただの好奇心。いや、気まぐれだ。
 そう自分に言い訳をして、グラディオの手に自分の手を重ね、指を絡めてみる。
「……、……んっ!?」
 しばしの沈黙、そして、喉の奥から上がる奇妙な声。
 ちらりと視線を向けると、ぽかんと口を開け自分を見つめる恋人の姿。
 予想外の反応に、しかけた自分が戸惑ってしまう。
「すまない、嫌だったか?」
「嫌じゃねぇけど驚くだろ」
 離しかけた手は引き留められた。グラディオラスはふと口元を緩め、手を握り返してくる。読みかけていた本はテーブルに置かれ、優しい眼差しがじっとこちらに注がれた。
 何をするでなく、手を繋いで隣にいるだけ。
 それでも、手のひらから伝わる熱が心地いい。ただ隣にいる時よりも、彼をもっと近くに感じられた。
 時間の流れがゆっくりと感じられる。静かで穏やかな空気は心を落ち着かせてくれたが、同時にほんの少しだけ鼓動をざわめかせてもいた。
「なんか嬉しそうだな」
 そう言われて、自分が笑んでいたのだと気付く。
 付き合い始めの頃のような、どこかくすぐったい感情を思い出す。久しく忘れていたそれは案外心地よかった。
 慣れないこともたまにはしてみるものだ。
「お前はこういうのあんまり好きじゃねぇのかと思ってたんだがな」
「そんなことは言った覚えがないが」
 それ以前に、考えもしなかったのだ。グラディオラスの方こそ、興味がないのかと思っていたが、この反応からするとそうでもないらしい。
「なんだか気恥ずかしくはあるが、たまにはこういうのも悪くない」
「そうだな」
 ただこれだけで、側にいる時間がいつもと違って感じられる。こんなにも胸の奥があたたかい感情に満たされるなんて、知らなかった。
 付き合い始めてからもう何年も経つというのに、もっと早くこうすればよかった、と思う。
「やっぱり、お前の手は大きいな」
 繋いだ手に頬を寄せ、イグニスは微笑む。
 グラディオラスの手は体格に見合った自分よりも大きく、男らしい力強い手だ。武器を振るい、己を鍛え続けてきたその痕が、繋いだ手からも伝わる。傷やまめだらけになっていた硬い皮膚の感触。中には最近ついた傷もあるだろう。
 自分の手にも同じような痕はあるが、グラディオラスは比較にならないほど傷も多い。
「いつだってお前に守られてきた。ノクトだけじゃなくて、オレも、プロンプトも、みんなを守ってくれるこの手が」
 好きなんだ。と改めて自覚する。戦う者の手。けれど自分に触れる時はいつだって優しい。
 労るように髪を撫でてくれる時も、情交の際の熱を上げるような指先も。どんな時だって愛おしく思う。もちろん、この手だけじゃなくて彼の全てを。
「オレも好きだぜ」
 グラディオラスは目を細めた。
「お前はなんでもこなすからな。戦闘だけじゃなくてえ、料理とか、裁縫とか。お前の手は何かを生み出す手だ。昔は、魔法みたいだ、なんて思ったこともある」
 そっとイグニスの手を取り、口付ける。
 気障ったらしい仕草も様になるのがこの男だ。
「守られてる、って言うならお前の手も同じだ。オレはいつだってお前に、支えられてる」
「そうか」
 親友として、立場を同じくする者として。そして、愛する者として。
 共に歩める相手として認められているのなら、これ以上に嬉しいことはない。
 どちらからともなく、引き寄せ合うように唇を重ねる。
 柔らかく触れて離れ、もう一度口付けた。
 絡めた指はそのままに、空いた手で腰を抱き寄せられる。明確な意図を持って腰を撫でられ、イグニスはわずかに身を退いた。
「っ、グラディオ」
 咎めるように名を呼ぶが、グラディオラスは飄々とした態度を崩さない。それどころか、弄ぶように指の間を撫で始めた。
「誘ったんじゃないのか?」
「別にそういうつもりでは、なかったのだが」
「……『だが』今は違うって?」
「…………」
 にやりと意地悪く笑うグラディオラスの言葉には応えず、視線を逸らす。いつもと違うことをして、気持ちが昂っていたのは否定もできない。それに、ノクティス達は当分帰ってこないのだから、拒否する理由もないのだ。
 沈黙を肯定ととったのだろう。そっと眼鏡が外されて、本の上に置かれた。わずかに輪郭の溶けた世界で、目の前の恋人を見つめる。
 グラディオラスの手が包み込むように頬に触れ、額に口づけられた。
 それから瞼に、頬にとキスを落とされる。再び唇へと触れ、それから手を取って指先に唇を寄せられた。
 指から手の甲、そして手のひらへと、いたるところへ降らされる口付け。
 そして今度はグラディオラスの方から指を絡めて、悪戯っぽく笑った。
「たまには手繋いだままってのも、いいかもな」
「……好きに、してくれ」
 繋がれた手をそっと握り返し、イグニスは目を閉じた。

 2017/02/11公開

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