あの日の出来事は、今も胸の奥深くに突き刺さっている。
夕焼けに染まるイシュガルド教皇庁。光の槍。彼の叫び声。視界の赤。
……忘れられるはずが、ないんだ。
争いの最中にあっては、生と死は常に隣り合わせだ。冒険者になって各国の問題や暁の血盟と蛮神問題、その背後のアシエンと対峙する中、救えた命もあれば、目の前で消えた命もある。仲間でもそうだ。大切な人を失うというのも決して珍しい話ではない。
特別な力を持っているといっても、所詮はただの人だ。自分の力には限界がある。
英雄と呼ばれていようが、結局はそんなものだ。
いや、俺が英雄で在るがために、俺の最愛の友はこんなことになってしまったのかもしれない。
失ったものはあまりにも大きすぎた。
それでも悲嘆にくれる時間などなかった。
死ぬ間際、彼は背中を押してくれた。最期まで、笑いながら。
だから俺は英雄で居続けなければいけない。彼の愛した国を、民を、その意志を守る為に。
それからはただひたすらに走り続けた。雲神ビスマルクとの戦い、魔大陸への突入―そこでもまた、共に旅をした仲間を、失って。
ようやく教皇を討ち果たしても、まだイシュガルドの動乱は終わらず……新たな問題が発生しただけだった。
そこからまた旅をして、しばらく経った。
出会いも再会もあった。それでも、失った痛みが消えるわけでもない。
イシュガルド教皇庁での騒動の後、フォルタン家の屋敷。
さっきまで共に戦っていたオルシュファンの兄、アルトアレール卿と言葉を交わす。
伯爵の決断には、正直驚かされた。
オルシュファンの出自のことは知っているが、あんな形で弟を亡くしたアルトアレール卿は、相当悩み苦しんだだろう。
それでも毅然と振る舞う姿は、やはりどこか似ていると思った。
話の後、差し出されたものに、俺はアルトアレール卿を振り返る。
「我が一族からの友情と信頼の証として、受け取ってもらいたくてね」
両手に伝わる重量、硬質な感触。
フォルタン家の家紋が刻まれた盾。
彼の。オルシュファンの持っていたのと同じもの。
締め付けられるように胸が痛む。
言葉にならなくて、ただ頷くのが精一杯だった。
アルトアレール卿から盾を受け取った俺は、イシュガルドを出てチョコボを走らせていた。自然と足が向いていた。
雪が舞い散るクルザス中央高地。スチールヴィジルの先にある崖。イシュガルドを見下ろすこの場所には、守護神ハルオーネの秘石と、今はもう一つ質素な墓がある。雪で白く彩られたそこには、一角獣を冠した、割れた盾が立てかけられている。
それは彼にとって、最期まで騎士として己の信念を貫いた証であり誇りなのかもしれない。
けれど俺にとっては、深く胸を抉る記憶に他ならない。
受け取った真新しい盾と見比べてみる。
『イイ騎士とは、民と友のために戦うもの』
彼の声が思い起こされる。
戦士として斧を振るうことが多かった俺には騎士の心得なんてよく分からない。剣術は多少修め、騎士としてもほんの少しだけ修練を積んだが、途中でやめてしまった。
『いつか道を誤ったとき、あいつの代わりに私を正してほしい』
盾を俺に渡したアルトアレール卿はそう言った。
受け取った盾に見合うだけのものが自分にあるのか?
問いかけたところで答えはない。
「なぁ、オルシュファン……」
彼の高潔な強さは、俺にはないものだ。どうして、あんなにも真っ直ぐにいられたのか。
技量でも、精神的にも、この盾は俺が持つには重すぎるように思えた。
剣は手元にない。盾だけをそっと、掲げてみる。
懐に忍ばせていたソウルクリスタルが熱をもった気がした。
いくつかあるうちの、ナイトのものを取り出し、手のひらに乗せてみる。
陽光に煌めいているが、熱くはない。
「……」
もう一度。もう一度剣をとったならば。騎士という同じ道を辿ることで、少しは彼の心を理解できるだろうか。
彼が命と引き替えに護り抜いた英雄に、相応しくいられるだろうか。
細い糸のように、あまりにも不確かで頼りない繋がりに思えた。
けれど今は、その繋がりを手放したくなかった。
◆
イシュガルドに戻った俺は、まず宿に向かった。リテイナーを呼び出して預けた荷物のリストを確認する。防具やアクセサリーは、以前戦士になったばかりの頃に使っていた物を残してある。剣と盾を用意すれば問題なさそうだ。預けてある素材と製作手帳を見比べる。これくらいならすぐに作れるだろう。
必要なだけ受け取った素材を鞄に移して、製作用の服に着替える。
宿から出て、邪魔にならないように人の少ないところまで出て、まずは剣を。それから道具を持ち替えて、盾を。
そしてもう一つ、鞄から透明な触媒を取り出す。
技術を習得しておいて良かった。今までは路銀の足しにと作って売るだけで自分では使うことがなかったけれど、初めて役に立ちそうだ。
幻影をまとう技術。
作ったばかりの盾に、貰った一角獣の盾の姿を映す。
できあがった盾を隅々まで眺める。ほんの少し前まで無骨な金属の塊のようだったのが、今は一角獣の刻印の盾に姿を変えている。
詳しい原理は分からないが、不思議なものだ。
本物を傷つけることはしたくないが、これなら思う存分戦える。
それに、オルシュファンが近くに居てくれるような気がして、心強くもあった。
探索の準備は整ったけれど、既に日も落ち始めていたので今日はこのまま宿で休むことにする。
明日からは、ナイトとして修練を積もう。
視線を横に向けると、さっき作った真新しい盾。
なんだか安心する。久しぶりに、穏やかな気持ちで眠れそうだった。
翌日は冒険者のパーティーで遺跡の探索に来ていた。
カルン埋没寺院。ここに足を踏み入れるのも久しぶりだ。ナイトとしてここに来るのは初めてだったが。
しばらく剣をとっていなかったけれど、要領は分かっている。戦士と同じく、先行し敵を引きつける役割。とはいえ、戦い方は全く違う。いつも斧を振り回している自分がこんな風に戦っているのは不思議な気がした。
少し戦えば、感覚は取り戻せてきた。倒すよりも、敵を引きつけ仲間を守ること。上手く連携できれば戦闘も難なくこなせた。
床の仕掛けに敵を誘導し、奥へ進んでいく。
敵を殲滅しながら石版を回収し、そして最深部へと。
石版の仕掛けを解けばいよいよ最後だ。
剣を握りしめ、先陣をきった。
思いの外あっさりと探索は終わり、臨時のパーティは解散した。
まだ時間はある。もう少し何かできるだろう。俺は次の依頼を探し始める。それもすぐに見つかった。
回復剤、食材、装備品の状態を確認する。このまますぐに出発できそうだ。
その日はもう一件の探索の依頼をこなし、グランドカンパニーからの依頼もこなして終わった。
そんな生活を続けて数日が経った。
今日来ているのは砂の迷宮カッターズクライ。
流砂に足を取られながら奥を目指す。ナイトとしての戦いもかなり慣れてきたのだが。
それが役割とはいえ、蟻にたかられながら一匹ずつ剣で応戦するというのはなかなか辛い。
戦士の技があればこれくらいまとめて倒せるし、一人でも余裕で奥までいけるだろうに、とつい思ってしまう。
「ナイトさん?」
足が止まっていたのを怪訝に思ったのだろう。呼ばれて我に返る。
「あ、いや……すまない」
何のために剣を取ったのか。こんな調子じゃだめだと軽く両手で頬をたたき、気合いを入れ直す。
一体一体確実に敵を倒す、その積み重ね。それが強くなる為に必要なこと。それは以前にもやってきたことなのに、何を甘えた考えをしていたのか。
「……よし」
決意を新たに、先陣を切って流砂へと飛び込んだ。
「つ、かれた~」
鎧を脱ぎ捨て、宿のベッドに体を投げ出す。
今日も探索に討伐依頼にと走り回っていた。酒場で食事を済ませてここに戻って来た時にはもう、日も変わろうかという時間だった。
流石に朝からずっと連戦はキツかったが、心地よい疲れだ。着実に強くなってきているのを感じられた。
明日はどうしようか。装備品もそろそろ物足りなくなってきたし、また製作をするべきか。そろそろウルダハにも行って銀冑団のジェンリンスにも会って来よう。ナイトとしての道を更に極める為に。
朝は早めに起きて、朝食は近くの店で……それから……。
寝転がりながらつらつらと明日の計画を立てているうちに、睡魔が襲ってきた。
重くなる瞼に耐えきれず、なんとか毛布を引っ張り上げて、俺はそのまま眠りについた。
今日は朝から製作だ。新しい装備品を一式作り、盾はまた幻影をまとわせる。
こうして装備を変えるのも、それに見合う技量をつけられたからだ。だんだん強くなっていくのを実感できて、嬉しかった。
戦士として修行を積んでいた頃に感じていたような感覚。楽しかった。
強くなっていくごとに、少しずつ彼の気持ちにも近づいているような気がしていた。
◆
それから何日経っただろうか。
騎士として技を磨き続け、イシュガルドでの聖剣を巡る事件も解決した。
今、ナイトとして学べることもこれ以上はない。
戦士の技術と並ぶくらい、強くなった。
目的は達成したはずだった。それなのに、俺にあるのは充足感ではなくて焦燥感だった。
「なにが、いけない」
もう何度目のものだろうか、作り替える度に幻影をまとわせた、一角獣の刻まれた盾を見つめる。
最初は強くなるほど、オルシュファンの心に近づいている気がした。
けれど終わりが見えるにつれ、分からなくなってしまった。
技術はこれ以上ない所まで来ているはずだ。でも、こんな状態では、英雄として相応しいとはとても思えない。
まだ足りない。
何が足りない? どうして。どうして。
分からない。
ずっと騎士として過ごして来た彼と、この短期間で技術を身につけた俺では差もあるだろう。けれど、それだけでは埋められない何かがあることを痛感していた。
もやもやと心の内にわだかまる。それを振り払うように、今日もまた剣を取って依頼を探していた。
きっと、剣を振るい続けることでしか、知る術はないのだから。
今日三度目の探索。グブラ幻想図書館。
ミッドランダーの竜騎士の青年とアウラの黒魔道士の少年、ララフェルの白魔道士の少女との臨時パーティー。
最深部を目指しひたすら敵を斬り続けていく。本の散らばる道を進み、禁書が封印された書庫まで走り抜ける。
ここの魔物さえ倒せば探索も終わりだ。
他の皆が魔物の召喚を止めている間、敵を引き付けていく。
途中までは増援が来ることもなく順調だった。けれど。
「きゃあっ!」
突如聞こえた小さな悲鳴。ララフェルの白魔道士の少女が床に伏していた。傷つき倒れたわけではなさそうだった。ララフェルは小さいから、何かの衝撃で飛ばされたのだろう。原因はすぐに分かった。現れた魔物の咆哮。
思わず舌打ちをする。
召喚を止められなかったのか。それを責めたところでどうしようもないのだが。
現れた魔物が白魔道士の方へと向かっている。
その魔物をこちらに引きつけるには、ここからでは少し遠い。だが、彼女の体力ではあまりもたないだろう。まずいことに、杖が彼女の手元から離れてしまっていた。
だめだ、このままでは。ヒーラーが倒されれば終わりだ。
見捨てるという選択肢はない。走ろうとした瞬間、目の前の敵から気がそれてしまっていた。対峙していた魔物から繰り出される一撃。
一瞬の隙が、仇となった。
「ぐっ、……!」
盾で防ごうとしたが、間に合わない。鎧を身につけているとはいえ、直撃してはダメージも大きい。よろめいた瞬間に続いてもう一撃。体勢を立て直す間もなく腹部に食らって、弾き飛ばされた。床に叩きつけられた衝撃に息が詰まる。
なんとか身体を起こして状況を確認する。
竜騎士が増援の魔物の方へ跳躍した。黒魔道士の魔力の炎がその魔物に炸裂する。けれど、魔物は怯まない。
白魔道士は小さな身体に攻撃を受けながらも、杖を取り返していた。だが魔法を使える状況じゃない。魔物が彼女に向かって腕を振り上げていた。
剣を支えにして無理矢理身体を起こす。
「……っ!」
引き付けるには遅い。必死に床を蹴って駆け、ナイトの技で彼女をかばい、攻撃を受ける。激しい痛み。
「……こっちだ!」
ようやく増援も引きつけられたが、流石に、自分の体力が限界に来ていた。
「清らかなる生命の風よ!」
白魔法の詠唱が聞こえる。けれど敵が攻撃に移る方が早かった。
自分で回復するのも間に合わないだろう。
「ナイトさん!」
一撃を盾で受けた瞬間、手元で金属が割れる音がした。
砕けて散る、黒い欠片。
そのまま繰り出される攻撃は避けられず、もろに食らう。身体に強い衝撃を受け、胃の奥から熱いものが込み上げた。
大量に血を吐いたのだと理解する。
あつい。つめたい。色々な感覚が一気に押し寄せてきた。
痛みの感覚さえも分からなくなる。
だめだ。このままでは。
俺は……。
……。
◆
ここはどこだ。暗くて、何も見えない。
あたりを見回す。静かだ。誰もいない。
一歩ずつ前に歩きだす。誰かいないのか。何か、ないのか。
闇の中をただ、歩き続ける。
自然と足が速まる。気づいたら走り出していた。けれど何も見えない。
息が切れる。苦しい。
立ち止まって荒い呼吸を繰り返す。それからまた歩きだそうとした時、目の前に薄い光が見えた。
そこに浮かぶ人影。
「……!」
鎖帷子に身を包んだ蒼銀の髪のエレゼン。
見間違えるはずもない、あれは。
駆け寄ろうとしたが、地に縫い付けられたかのように足が動かない。
そうしているうちに彼が振り返り、微笑んだ。
「…………」
何かを言ったようだが声は聞こえなかった。
そして、そのまま背を向けて歩き始める。
行かないでくれ! オルシュファン!!
叫びたいのに声もでない。
伸ばした手は虚しく空を切る。
「どう、して」
彼の姿が見えなくなって、ようやく足が動いた。追いかけようとしてももう元の闇に包まれているだけで。
足に力が入らず、その場に座り込む。
ぐにゃりと歪む目の前の景色。微かに感じる振動。
強く引っ張られるような感覚。
そして目の前が白く染まった。
「……さん、ナイトさん!」
身体がだるい。血の味がしてひどく不快だった。
身体を揺さぶられ、重い瞼をなんとか持ち上げる。心配そうに俺の顔を覗き込んでいた白魔道士の少女がほっとしたように胸をなで下ろした。
「よかったぁ、レイズでも目を覚まさないから死んじゃったかと思った」
あぁ、そうか、俺は戦闘中に倒れて……。
「一時はどうなるかと思ったけど、なんとか倒せたよ」
竜騎士の青年が肩を竦める。
彼が代わりに敵を引き付けてくれたのだろう。鎧に大きな傷がついている。
「すまない、迷惑をかけた」
「いや、それより」
黒魔道士の少年が視線を足下に向ける。そこに転がっている大きく割れた盾。
「……っ」
「派手に壊れてしまったな」
黒魔道士が拾って、俺に差し出す。
「……」
受け取った盾をじっと見つめる。オルシュファンの盾とは位置が違うが、同じくらい割れてしまっていた。修理できなくもないだろうが、作り替えた方が早そうなほどの損傷だ。
「立てるか?」
竜騎士が手を差し出してくる。
「あぁ……ありがとう」
その手を取って、ゆっくり立ち上がる。
多少ふらつくがなんとか動けそうだ。図書館を出て、イシュガルドへと戻ることにした。
「気をつけて帰ってね」
白魔道士が手を振ってきた。臨時で組んだパーティーなのに、親切に街まで見送られた。なかなか目を覚まさなかったのをよほど心配されていたらしい。
俺はそのまま宿へと戻ることにした。
白魔道士に傷は治してもらったが、なんだかひどく疲れてしまった。防具類を外して床に脱ぎ捨て、ベッドへと倒れ込む。
夢で見た光景と、形は違えどあの時のように壊れた盾が、胸を痛ませていた。
腕で顔を覆う。ただ苦しくて、何も考えられなかった。
疲労か。倒れた反動か。身体がだるくて、動くのも億劫だった。
眠ってしまいたくて、目を閉じた。一時でも、現実から目を背けたかった。
静かな部屋。目の前の執務用の机には、オルシュファンが座っている。
キャンプ・ドラゴンヘッドの、もう何度訪ねたか分からない部屋。
「あぁ、お前か」
オルシュファンは顔を上げ、俺の方に向きなおった。
「今日は戦士として励んでいるのだな」
言われて自分が斧を背負っていることに気付く。これは過去の記憶だろうか。
けれどあたりを見回しても他に誰もいない。二人だけだ。夢を見ているのだ、と理解したがそんなことはどうでもよかった。
「そんな顔をするな」
オルシュファンが椅子から立ち上がり、机の前に回り込んでくれる。
「……会いたかった」
今度は声が出た。自分でも情けないほど、震えていたが。
動くこともできた。駆け寄ってその背に腕を回す。
温かかった。胸がいっぱいで、涙が溢れてくる。頭上から、オルシュファンの苦笑が聞こえた。
優しく抱きとめられて、その胸に顔を埋める。それでも涙は止まらなかった。
夢でも良かった。こうして触れていられるのなら。
俺が落ち着くまで、オルシュファンはずっとこうしてくれていた。
ようやく落ち着いて顔を上げる。目が合うと優しく微笑まれた。
「英雄に、涙は似合わぬぞ」
悪戯っぽく告げられ、俺は手の甲で涙を拭った。
上手く笑える自信もなかったけれど、彼が好いてくれた笑顔を見せたかった。
そんな俺を見て、オルシュファンは満足そうに頷いた。
子供を諭すように頭を撫でられるのが、だんだん気恥ずかしくなる。
けれどその手から離れたくなくて、されるがままになっていた。
「オルシュファン」
薄々感じ取っていた。さっき、オルシュファンが俺を置いていった理由。
「俺はまた、お前に、助けられたんだな」
俺はきっと、危険な状態まで陥っていたのだろう。蘇生魔法も、肉体が完全に壊れてしまえば意味を成さなくなる。
「イイ騎士とは、民と友のために戦うもの、だからな」
変わらない笑顔で、彼はそう告げた。
「いや、本当はそれだけではないが……お前も気づいているのだろう?」
予想外の言葉に、思わず首を傾げる。
「お前は私の友であり、それから……」
耳に落とし込まれる囁き。また涙が浮かんでくる。
彼の口から聞きたかった言葉。この上なく幸せだった。
だから、もう、十分だった。
窓から差し込む光で目が覚めた。
頬に残る冷たい感触。どうやら、夢を見ながら泣いていたようだ。
乱暴に目をこすり、涙を拭う。
そういえば、彼が死んでから、泣いたのは初めてだった。
最愛の友であり……愛する人を失ったのに、悲しくても辛くても泣けなかったのだ。感情を吐き出すことができなかった。
頭は少し重いけれど、ようやく肩の荷が降りたかのような清々しさだった。
壊れた盾に手を伸ばす。もう直す必要もないだろう。
そこに宿った想いを、思念の結晶へと変える。
床に脱ぎ捨てていた鎧も、よく見ればボロボロで今にも壊れそうだった。盾だけで済んだのが不幸中の幸いというくらいに。装備品の手入れなど冒険者としての基本なのに。
そんなことさえも忘れるほど、自分を見失っていたのか。自分は何をしていたのだ。
肺の中の重い空気を全部吐き出すように、深い溜め息を吐いた。
「やっぱり俺には、この盾は重いよ」
思わず苦笑が漏れる。
技量を身につけても、追いつけるはずはなかった。
自分の命を懸けてまで大切な人を守り抜く意志を、民と友の為に、という彼の理念を真似できるわけがない。
騎士としての道を知るにつれ、感じたこと。
誰かを、自分の信念を、護る為の力。
彼の意志を継ぎ、彼の愛したイシュガルドを護る。
それは確かに、今の俺の目的の一つだ。彼が未来を託した英雄に相応しく在ること。それが俺の信念で、ナイトとしての心を認められた部分だろう。
けれど、俺の剣は誰かを護るためのものではない。
俺の一番大切なものは。自分が本当に護りたかった相手は、もうここには居ないのだから。
「お前みたいに、強くなれそうにはないよ、オルシュファン」
盾をそっとしまう。
ナイトとして過ごして身についたものは決して無駄ではない。
ただ、彼が選んだ騎士の道と、俺が選ぶ道は違うということ。
「最初から、関係なかったんだよな」
使い慣れた斧を手にとり、大きな姿見の前に立ってみる。
鏡に映る自分は、酷い顔をしていた。泣いていたせいで目も赤く、無精ひげも生えている。
それでも、彼がいなくなってから初めて、心から笑えた気がした。
これからは自分の為に力を振るおう。自分のやり方で。
モードゥナの一角。石の家がある建物。何故か呼ばれたような気がして足を踏み入れた。最近来ていなかったし、顔を見せにいくのも良いか、と思っていたのだが、奥に入る前に声をかけられた。
いつもここのカウンターにいるアリスという女性。何か依頼でもあるのかと思えば、俺に話を聞きたい人がいる、という。
カウンターに座る見慣れない格好の男性。詩人だという彼とは、以前も話をしたような気もするが……。
俺は乞われるまま、イシュガルドでの出来事を話し始めた。
教皇との、戦いまでの全てを。そして。
――見覚えのある景色。忘れもしない、教皇と蒼天騎士団との決戦の場。
以前とは、少し違う気がする。どこがとは分からないが。
いつの間にこんな所へ来ていたのか。ひどく現実味のない世界。しかも自分一人ではなかった。おそらく同じ超える力を持つ者なのだろう、討伐隊は俺を含めて八人。
けれどやるべきことは分かっていた。
目の前の敵を倒す。それだけだ。
ナイトの青年が教皇を引き付けると言う。俺は攻撃とその補助。
青年の合図で、戦闘は開始された。
対峙してすぐに分かった。気迫が違う。以前とは比べものにならないほどの力を持っている。
それでも負けるわけにはいかない。教皇の、騎士達の、触れただけで死に至るような猛攻を避け、ひたすら斧を振るう。
終焉の光を越えた先。
二人の騎士が学者の女性を捕らえる。
「神に抗う愚か者め」
目の前に現れた男。聞き覚えのある声……忘れもしない、蒼天騎士団総長のゼフィラン。
すぐにでもこの斧で斬りかかりたい衝動。けれど今はその時じゃない。
「――あの男と同じように」
それが誰のことかなど問うまでもない。手には光の槍。
全身の血が瞬時に沸き立つような、強い怒り。
ぎり、と音が鳴るほど奥歯を噛みしめる。斧を握る手に力が篭もった。
「神意の槍で貫くまでだ!」
「……っ!!」
声にならない叫び。
怒りを、衝動を、護る為の力に変えて俺は斧を振るい続ける。
これが俺の選んだ道。
――彼が愛した、英雄の姿だ。
2016/10/09公開