最初は、ただの冒険者の一人だった。名誉、力、金、自由……他にも様々なものを求めて、冒険者を志す者は数多くいる。
 彼女もその一人だった。物心ついた時には両親はおらず、運良く商人に拾われて育てられた。大事に育てられてきたし食うには困らなかったけれど、自立できるだけの力と、自分の出自を求めて旅に出た。
 そんなどこにでもいる、平凡な存在だったのだ。それが依頼を受けるうちに、超える力と呼ばれる異能を持つと知り、暁という組織に拾われ……やがて蛮神を討伐し、帝国と戦い。エオルゼアの救世主となり、そしてイシュガルド、アラミゴ、ドマ……国境や大陸をも越えて、長く旅を続けることになった。
 多くの出会いと別れを経験し、少女から大人の女性に変わる頃には、もう彼女を知らない者はいないだろうほど大きな存在になっていた。
 そうして今度は、別の世界にまで飛び立つことになってしまった。
 闇の戦士となり、この光に包まれた第一世界に夜を取り戻せ。
 それがここで与えられた、英雄の使命だった。
「……ぅ」
 こちらでの滞在用に与えられた、クリスタリウムにある居住館の一室。ベッドの上で、小さなうめき声を漏らす。
 体中の血管を何かが這い回るような違和感、内臓を強く握りつぶされているかのような激しい痛み。ぐらぐらと頭が回る。視界が揺れて吐き気がする。
 こぼれそうになった悲鳴は、顔に枕を押しつけて押さえ込んだ。
 少し、すれば、きっと……治まる、はずだ……。
 私は、まだ。しぬわけには、いかない……。
 飛びそうになる意識を必死につなぎ止める。内側から白く光に塗りつぶされて、戻ってこられなくなりそうな恐怖に抗う。やがて波が引くように痛みは薄れ、ようやく身体を起こせるまでになった。
 頭を抱えて、深い溜め息を吐く。
 浸食されている感覚。それが取り込んだ大罪喰いのエーテルのせいだということには、薄々気づいていた。罪喰いに襲われた人がどうなるか。それはこの世界に来て間もない頃に、目の当たりにした。目の前で異形の罪喰いと化した女性。思い出すだけで背筋が寒くなる。そして、もう戻ることのない彼女を、手にかけたのは自分自身だ。
「……」
 自分の右手を見つめる。その手は少し、震えていた。
 必要とあればこの手を汚してきた。罪なき彼女を斬ることにためらいはあった。けれど、決断したあと迷いはなかった。……そうするしかなかった、と言い聞かせて、最善の判断を下したつもりだ。
 そのあとも、大罪喰いと呼ばれるものを斬り捨て、取り込んで……。自分の超える力があれば大丈夫だと思われていたけれど、それは希望に過ぎないのかもしれない。
「まいっちゃうね」
 肺に溜まった重い空気を、静かに吐き出す。冒険者として、危険な目には何度もあった。初めて蛮神と対峙した時にだって、死を覚悟したというのに。それがもう、遠い昔のことになってしまった。自分はあまりにも遠くまで来てしまった。
 何度も死線をくぐり抜けてきた。極限の戦い、何度だってそんな危地に身を投じてきた。
 けれど、ここまで強烈な死の匂いを感じたのは、初めてかもしれない。
 内側からじわじわ侵され、自分が人ではない何かになってしまうかもしれない。それは今までに味わったことのない恐怖だった。その行く先はただ破壊を欲する化け物に成り果てるだけだ。しかも、自分のような常人より強い力をもってしまった存在が、そんなことになったら。……そうでなくても、この世界の崩壊を止められるのは自分だけなのだ。
 負けるわけにはいかない。
 それでも、一人でいると、どうしようもなく逃げ出したくなる時もあった。
 普通の冒険者として、たまに依頼を受けたり、ダンジョン討伐とかに出かけて……自分が生きていく分と、ちょっと育ての親に恩返しできれば。自分の出自も気になったけれど、分からなければそれでもよかった。世界を左右するほどの戦いに身を置くなんて、考えもしなかった。
 いつか恋人を作って、冒険者を引退して、結婚して……なんて将来を描いていた、本当にありふれた一人の少女に過ぎなかったのだ。
 もう、そんな風には戻れないと、分かっているけれど。
 普通の恋愛どころではなくなってしまったし。過去に恋仲になった相手が全くいなかったとは言わないけれど、どれも長続きしなかった。『英雄』である自分が目当てだったり、単純にこの生活では誰かといることも難しかったり。
 悲観的になっているのだろうか。過去の嫌なことまで思いだしてしまった。泣きそうだ。
 こんな時に、本音を伝えられる相手さえもいない。暁の仲間や水晶公には言えない。心配かけてしまう。信頼できる仲間と、心を許せる友というのは違う存在なのだと、痛感する。自分を友と呼んでくれた人も、もういない。
「……寂しいな」
 口にしてしまえば、止まらなかった。強い孤独感。アルバートもしばらく姿を見ていない。突然現れることが多いけれど、一応女性の部屋ということもあって彼なりに気を使ってはくれているらしい。呼べば来るのかもしれないが、彼の境遇を思えば泣き言なんてとても言えなかった。彼に胸の内を吐き出したとしても、きっと責められることはないのだろう、と分かっているから余計に。
 色々な人の顔が浮かんで消える。そうして、一人の人物が浮かんだ。
 アシエン・エメトセルク。ソル帝として帝国を作り上げた人。といっても、人間ではないけれど。
 よく分からない相手だ。敵なのだろうが、味方のようなことをしてみたり。見定めるみたいなことを言ってきたり。
 まぁ、一番弱音なんて見せられない相手だろう。ただ、今まで出会ってきたアシエンたちとは少し違う彼を、なんとなく嫌いにはなれなかった。
「エメトセルクかぁ……」
 よく分からない。そうは思うのだけれど、純粋に敵だとも思えない。心の奥底で、何かがひっかかる。ソル帝として帝国を治めていた人物だ、若い頃の絵姿を見たことはあったし、名前を書物で見たり聞いたりしたことはあった。それでも、直接会ったのは今回の件が初めてのはずなのに。
 色々と詮無いことを考えていたら、疲れてしまった。
 身体が弱っているのだろうか。目蓋が重い。
 症状も治まったし、寝ても大丈夫だろう。ぼんやりした頭でそう結論づけると、抗うことのできない睡魔に、そのまま飲み込まれていった。


 見慣れない景色。いや、ここはいつも過ごしている馴染んだ部屋だ。簡素だけれど広くて柔らかで清潔なベッドに、二人で座っている。
「――」
 目の前にいた、黒いローブをまとった人物が自分の名前を呼ぶ。
 聞き慣れない言葉なのに、自分の名前だとははっきり分かった。
 フードの間から覗く癖のある銀糸の髪。低く穏やかな声。
 そっと肩を抱き寄せられて、フードを脱がされる。頬を包む、自分よりも大きな手のひら。
 胸を満たす、甘くくすぐったい感情。
「――、愛しているわ」
 自らが呼んだはずの名前は自分でも認識できなかった。ただ、目の前の相手を呼んだのだと理解する。
 愛の言葉を伝えると、優しく髪を梳かれた。そのまま引き寄せられて、唇が重なる。
 最愛の人と、こうしていられる時間。何よりも幸せな時間だった。
 こんな時がずっと続けばいいと……続くものだと、信じて――。


「えっ?」
 慌てて身体を起こすと、外はまだ真っ暗な闇のただ中だった。夜を取り戻したことで、このクリスタリウム周辺の地域は一日が巡り、外を見るだけで大体の時刻が分かるようにはなったけれど。念のため時計を確認すれば、数時間しか経っていなかったらしい。
 それにしても、変な夢を見てしまった。夢なんて現実とは違うこと、ありえないことも多くあるけれど。
「なんでエメトセルクが」
 髪の色も違うし、もっと若かったように思うけれど、夢のなかで自分の恋人だったのはどう見てもエメトセルクだった。恋人がほしかったーだとか考えていたのと、寝る前に顔が浮かんだから、何か混ざって出てきてしまったのだろうか。
「はぁ、妙な気分」
 嬉しい夢とは言えないが、意外にも嫌悪感もなかった。
 夢の中の自分は、少なくとも幸せだったからかもしれない。
「いやいや夢だし。っていうか勝手に出てこないで欲しいよね」
 敵なんだし。……多分。
 だんだんと自信がなくなり、視線が落ちる。
「もー、疲れてんのかなぁ。だったら朝まで寝かせてよー」
 大きな独り言は誰の耳にも届かない、はずだった。
「騒がしいなお前は」
 ベッドに転がった瞬間、自分を見下ろす顔に、思わず悲鳴をあげそうになる。
「なん、なんで?」
 動揺に震える声で問い、目の前の顔を指さすと、その人物は不快そうに眉をひそめた。
「まったく、礼儀のなっていない娘だ」
「いや、こんな時間に女性の部屋に侵入する人に言われたくないんですけど!?」
「それは失礼。お前があまりにも騒いでいたものでな」
 欠片も悪いと思っていなさそうな詫びの言葉と共に、呆れたような溜め息を吐かれた。ベッドの横に立って見下ろしてきた人物は、つい数分前まで考えていた相手、エメトセルクだった。
 なんてタイミングの悪い。と、内心でぼやく。
「心配でもしてくれたの?」
「いや、泣き言でも言い出すのかと思ってな」
 見下したような、からかうような仕草。……まぁ、心配なんてしてくれるわけもないだろう。互いの立場を考えても、期待はしていなかったが。
「別にー、夢見が悪かっただけですー」
 なんだか馬鹿にされたままなのも腹が立ったので、その内容を言ってやることにした。
 自分だけ妙な気分でいるのも癪だから、同じ思いをすればいい、と思ったのだ。
「すっごい変な夢! なぜか私とあなたが恋人同士になってるし」
 その言葉を聞いた瞬間、エメトセルクは息を呑んだ。
「……っ」
 表情が消え、感情が読めないほど冷たい空気を感じる。
「ちょっと、そんな怒らないでよ。ただの夢なんだから」
 ただ悔しかったから、ちょっと困らせてやろうと思っただけの、荒唐無稽な夢の話なのに。
「そうだな、あまりに、……くだらない夢だ」
 あぁ厭だ、と言い捨ててこれ見よがしに溜め息を吐かれた。
「ちょっと、そこまで嫌がることないでしょ」
「別にお前個人を嫌がっているわけではない」
 蒸し返すな、とばかりにやはり嫌そうな顔を向けてくる。
「……そういえば既婚者なんだよね。なんかそんなイメージなかったけど」
 ふと思い浮かんだ言葉を口にする。すると今度は、可哀想なものを見るような目を向けられた。
「お前が戦っていたのは誰だ」
 ヴァリス帝はソル帝の孫。ゼノスはその息子だからひ孫。……子孫がいるのだから当然、ソル帝には妻と子供がいたことになる。確か子供は病気で亡くなったとか、誰かに聞いたようなどこかで見たような。勉強は苦手だったし、歴史、しかも帝国史なんてまともに学んでこなかったから覚えていない。
「はぁー、アシエンですら結婚して家族がいるのに私は」
「必要だから用意しただけだがな」
 何をくだらないことを。と完全に呆れているようだった。皇帝という立場にもなれば、妻と世継ぎが必要なのだろう、ということくらいは言われずとも理解できるけれども。
 アイテムを買うみたいな調子で簡単に用意したとか言えるのが、自分にとっては理解できない世界だ。恋人を作るどころか、出会いさえ難しいであろう自分には。
「なんだ、寂しいのか」
 図星をつかれては、言い返す言葉もなかった。寝る前の独り言までは聞かれていないだろうが、そう考えていたのは確かだ。
「まぁ、英雄だなんだと言っても、お前も年若い娘か」
「人を盛ってるみたいに言わないでくださいー」
「別に、なりそこないだろうが人の身であるなら当然の欲求だろう。恥じることでもない」
 平然と言ってのけられた言葉に、思わず目を瞬かせてじっとその顔を見つめてしまった。
「エメトセルクって、そういうこと『女のくせにはしたない』とか言っちゃうタイプかと思ってた」
「お前がどう思おうが自由だが。私はそんなくだらないことで細かい文句をつけるほど、不寛容ではない」
 欲求を持つだけなら自然だと、そういう考えらしい。その後の態度次第ではきっと冷ややかな視線を浴びせられるのだろうが。
「くだらないかぁ。まぁ、そうだね」
 そこまで言われてしまえば、悩んでいたのがだんだん馬鹿らしくなってきた。けれど、寂しいと……その寂しさを埋めるだけの何かが欲しいと思ったのも、事実だ。
「なんだ、本当に欲求不満か?」
「そうかもねー」
 投げやりな返事をして、ベッドに大の字になる。
 英雄として、戦いの中で唐突に死ぬのか、或いは……まともに死ぬことも許されないのかもしれないけれど。先刻まで身体を苛んでいた痛みと恐怖が鮮明に思い出される。自然と表情が曇る。こうして話していたところで、気分は全く晴れなかった。それどころか、ますますみじめな気持ちになっていく。
「どうせ私は死ぬまで一人ですよーだ」
 自棄になって言い放ったら、なんだか泣きそうになった。エメトセルクに背を向けて、顔を見られないようにする。
「はぁ、お前はほんとうに……」
 こんなことで喚いていたら、また馬鹿にされるのだろうと思っていた。
 けれど。
 伸ばされた手が、頬に触れて、いつの間にかこぼれ落ちていた涙をすくい取った。
 驚きに目を見開くと、余計に涙があふれてくる。
「……なによ」
 八つ当たり気味にそれだけ言うと、返ってきたのは思いもしなかった言葉だった。
「慰めてやろうか」
 頬から首筋に指先が滑らされる。
 それがどんな意味を含んでいるのか、理解できないほど子供ではない。
「……既婚者なんじゃないの」
「そんなことを気にするのか。皇帝ソルは死んだ。大体、長きに渡り、必要な時に相手を用意してきたんだ。今更、些細なことだろう」
 淡々としたその声には、哀愁の色が混ざっているように感じられた。
 家族も、友人も、恋人も、気の遠くなるような過去に失ったという彼は。自分では想像もつかないような孤独を背負っているのだろう。
 案外、似たもの同士なのかもしれない。そんな風に思ってしまった。
 首筋に触れていた手に、自分の手をそっと重ねる。
 ならば、一時くらい手を取っても。傷の舐め合いをしたとしても、いいのではないか。
 これは一晩だけの、ありえないはずの、夢の続きだ。


 こんな風に誰かと触れ合うのは、何年ぶりだろうか。
 覆い被さる姿勢でじっと見下ろされ、そわそわと落ち着かない心地になる。
 一晩だけの、私の恋人。互いに納得して割り切った関係なら、それも悪くはないものだと知った。その相手がエメトセルクだというのは、やっぱり妙な感じがしたけれど。
 彼の背に腕をまわして、キスを受け入れる。柔らかく何度か触れて、唇を甘く食まれた。小さく吐息を漏らせば、唇の隙間から舌を差し入れられた。
「ん……」
 熱い舌に口腔内を探られ、息が止まりそうになる。舌同士を擦りあわせられれば、応えるように懸命に返した。深い口付けが、身体の奥底にあった欲望に火を灯していく。与えられる口付けは、愛しい人にするように甘く優しく、時に激しかった。互いの唾液が混ざり、濡れた音を立てる。静かな部屋では、時折こぼれる吐息さえも、やけにはっきり聞こえてくる。
 頭がぼうっとして、そこから熱が全身にまわっていく。
 キスだけでこんなにも気持ちいいものだったっけ。
 与えられる快感に思考が蕩けそうになる。色事にはたいした技量など持ち合わせていない自覚はあったけれど、それにしても翻弄される一方だった。
 時間をかけて施される深い口付けに、酔わされていく。
 唇を離されると、どこか物足りないような、名残惜しいような気分になった。
「……」
 エメトセルクは言葉もなく、ただ薄らと笑みを浮かべている。彼も案外、この状況を楽しんでいるのだろうか。それとも、何か思うところがあるのだろうか。それは分からないけれど、この状況で聞くのも野暮というものだろう。
 部屋着にしていた簡素なローブは、あっさりと剥がされた。ひやりとした空気に素肌がさらけ出される。
 エメトセルクは自らのグローブを歯で噛んで引き抜いた。もう片方は手で取り去って、まとめてそっと床へと落とした。
 上に着ていたものも外して、同じようにしていく。……魔法を使った方が早いだろうに、律儀に一つずつ脱いでいった。
 その仕草が思いのほか色っぽくて、つい目を奪われてしまう。今の姿はソル帝の若い頃の姿らしいが、ガレアン人といっても魔道士なんてあまり鍛えていない体つきなのかと思ったら、そんなことはなかった。重鎧に身を包む盾役や近接技の戦闘職のような肉のつき方ではないけれど、均整のとれた筋肉の付き方をしている。
「なんだ、そんなに気になるのか?」
 視線に気づいたのか、彼は挑発するような笑みを浮かべた。その様が妙に色気をまとって見えて、慌てて目を反らした。
 これでは本当に欲求不満だったみたいじゃないか。寂しいという気持ちがあっただけで別に色事に飢えていたわけではない、はずだ。
 エメトセルクは覆い被さるような体勢で、じっと見下ろしてくる。
「なぁに?」
「いや……」
 首を傾げてみれば、目を伏せて黙り込んだ。
 硬い手のひらが鎖骨から胸元へとたどり、胸の膨らみへと触れる。やわく揉まれ、それから唇を寄せられた。
「っ、んぅ」
 痛みを感じない程度に歯を立てられ、甘いしびれが走る。硬く形を成したそこを舌先で嬲られ、吸い上げられて、腹の奥が切なく疼きだす。
 弱く、強く、緩急つけて刺激され、指の動きに合わせて胸の形が変わる。触れられる度に敏感になっていく先端を指先で弄ばれれば、だんだんと息が上がっていった。
 手の甲を口元に押し当てて、喉の奥から漏れだしそうな声を必死におさえる。快感に呑まれそうになりながらも、そう簡単に屈してしまいたくないと、つい意地を張ってしまうのはもう性分だ。
 胸の下、腰からへそのあたりへと、唇でたどられる。触れられたところが魔法でもかけられたかのように、じわじわと熱をあげていく。
「気持ちいいのか」
 その声があまりに優しくて、鼓動が高鳴った。そんな自分に困惑する。
 それでも小さく頷くと、そうか、とだけ返ってきた。
 唯一身につけていた下着も取り去られ、秘部に直接触れられる。口付けと愛撫だけでもう熱を上げた身体は、その先を求めるように蜜を滴らせていた。
 本当に欲求不満だったのか私は。それとも、妙な魔法でも使われているんじゃないか。あまりに手慣れているから、少し複雑な気持ちにはなった。長く生きている分かもしれないけれど、互いを知り尽くした恋人のように、感じる所を的確に攻めてくる。簡単に翻弄されてしまって、悔しい思いも少しはあった。それでも、今更抵抗しようとも思わなかった時点で、随分と絆されているのかもしれない。
 秘裂をなぞった指先が、入り口を撫で、ゆっくりと中に沈められていく。
「んんっ……」
 指の腹で内壁を撫で、ぎりぎりまで引き抜かれる。それからまた中に押し込まれて、奥へと入り込んできた。抜き差しされる度に、ぐちゅぐちゅと濡れた音が響くのが恥ずかしい。
 腰が引けそうになるけれど、そう逃がしては貰えなかった。何度か浅いところをなぞっていた指先が、中の一点を擦り上げた時、びくんと腰が跳ねた。
「あ、えっ……?」
 思わず小さな声をあげてしまい、しまった、と思った時にはもう遅かった。自分の反応をエメトセルクが見過ごすはずもなく。
「案外、素直に反応するのだな」
「や……あ……いや、ぁ」
 その場所を撫でられる度に、甘いしびれは強くなる。切なく震える内からはとめどなく蜜が溢れてシーツを濡らした。
 息が上がって苦しい。身体の疼きはどんどん強くなる一方だ。何度も内を掻き回して、指を増やして時間をかけて解していく。
 もっと義務的、粗雑に扱われるのだろうと思っていたのに。本当に今だけ、恋人であるかのようにどこまでも優しい。
 私に優しくする理由なんてないのに。ただの慰めだなんて言ったのに、こんな風に心をかき乱されるなんて思いもしなかった。この一時の昂揚を、別の感情に勘違いしてしまいそうで怖かった。
「エメトセルク。もう、いいから……」
 演じてきた役割の中には、恋人や夫として愛する者に向ける一面もあったのだろう。
 今だってきっと、それを完璧になぞっているだけにすぎないのだ。
 そうでもなければ、こんなこと。
 指が引き抜かれ、代わりに熱いものが押し当てられた。背中に回した腕に力を込めると、中へ入り込んでくる。慣らされてもまだ狭い内壁をこじあけて、奥へと埋め込まれていく。
 感じたのはわずかな圧迫感と、安堵だった。
 ずっと求めていたものを与えられたかのような。
 触れる素肌から、溶けて、混ざり、一つになるかのような。
 感じたことのない幸福感。過去に愛の言葉を紡いでくれた人は何人かいたけれど、こんなに胸を満たしてくれることは今までなかった。
 色んな感情がない交ぜになる。自分でももう分からなかった。頭の中がぐちゃぐちゃになって、混乱した頭に心が追いつかない。ぽろぽろと涙がこぼれ落ちて、どうしようもなくて、ただ彼の顔を見上げていた。
「……本当に、お前は」
 そんな顔をするな、と。わずかな呆れと愛しさを含んだ柔らかな笑みと声音で。
 愛の言葉なんて何もない。それなのに、感じられるのは確かに愛情だった。
 くわえこんでいる内がひくりと震えた。その存在を確かめ、もっともっと、と無意識に求めている。
 夢の続きは、あまりに甘美な誘惑だった。
「んぁ、あっ……」
 揺さぶられ、最奥まで突き立てられて。もはや声を抑えることも忘れていた。腹の内を熱く満たすそれは、抗えないほどの快楽を与えてくる。密着する体温も、流れる汗が肌を伝う感触さえも心地良い。こぼれる吐息は艶めかしく、空に溶けていく。この人はこんな表情をして、こんな声をしていて、こんな風に――愛しい人を抱くのだと。
 何もかも知らなかった。本来ならば知るはずがなかった関係。それなのに。
「……やぁ、あ……」
 何度も抽挿を繰り返し、揺さぶられ、追い上げられていく感覚。
 快感に下がる子宮口、その入り口を熱い切っ先で抉られると、意識が飛びそうなほどの喜悦に襲われた。
 彼の背中に回していた腕に力がこもり、強く抱き寄せるような格好になる。
「あ、んっ……わたし、もう……っ」
 限界を訴えると、奥の奥まで穿たれて強く擦られ、びくびくと腰が跳ねた。背がしなりシーツを蹴り乱す。
 頭が真っ白になって、声もでない。
「……っ、は……」
 耐えるような吐息混じりの声。中の熱塊が震えてあつい飛沫が中に注がれるのを感じながら、ぼんやりと終わりを感じていた。
 この行為も、関係も。
「……」
 名前は呼ばなかった。ましてや、愛の言葉なんてない。それでも。
 エメトセルクの手が、汗で張り付いた前髪をなで上げた。そして息が整う間もないうちに、優しく唇を重ねられて……それが、終わりの合図だった。


 眩しい光が大きな窓から部屋に差し込んでいる。陽の位置は高い。もう昼だ。
 部屋にあった食材で、料理をする。自分一人が食べるだけだと、作るものも質素になる。
 昼も近くなってから目が覚めた時には、部屋にいたのは自分一人だけだった。
 こちらの世界に来てからの、平和な日常生活の一部。なんでもない些細な休息の時間。
 あのあと、疲労と睡魔に襲われていると、魔法で後始末をされた。脱ぎ捨てられていた服も、乱れていたベッドも瞬き一つの間に元に戻されていて、それまでの出来事が現実ではなかったのかと、錯覚するほどだった。時間が巻き戻されたのかのように、部屋には静寂が戻っていた。
 ただ、身体のだるさと腹の奥に残る熱の余韻だけが、夢の名残を残していた。
「大人しく眠れ」
 そうして毛布を掛けてくれたのは、最後の優しさだったのだろう。
 もう直接触れてくることはなかったけれど、自分が意識を飛ばすまでは、確かにそこにいてくれた。
 起きるまで側に居てくれるなんて思っていなかったから、目覚めて一人だったことも寂しいとは思わなかった。
「……エメトセルク」
 名前を口に出してみる。夢の中で呼んでいた名前は、これではない、とだけははっきりと分かる。彼の本当の名を知ることは、あるのかどうか。
 いや、知ったとしても、きっと呼ぶことはないのだろう。自分は夢の中の女性と同じにはなれない。
 それでも昨晩より、気持ちも身体も軽かった。長く眠っていたからかもしれない。成り行きの妙な形とはいえ、抱えていた感情を、彼がすくい取ってくれたからかもしれない。
 仲間にも言えない秘密が一つ、できてしまった。これでは一晩だけの恋人というより、共犯者だ。
 とんでもない関係になってしまったなぁ、と笑いを漏らす。
 きっと次に会った時には、お互い何も無かったかのように振る舞っているのだろう。
「でも、悪くないかも」
 今更このよくわからない関係に名前が一つ増えたところで、何も変わりはしない。
 けれどこの先の道がどうなろうとも……心を震わせたこの夜のことは、私が死ぬまで忘れないだろう。

 2020/05/10公開

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です